人間牧場殺人事件 導入編
少女探偵島都劇場版❼人間牧場殺人事件
1
―この世界こそがもし地獄ならば、この地獄で苦しみを受けた自分こそが、大量殺人者という神になる権利を与えられた存在ではないだろうか―
2004年…。静かな夏の夜だった。森の木の上で梟が周囲を見回し、飛び上がった。
15歳の少女は赤ちゃんを抱いてひたすら走っていた。茨城県の夜の畑を只管走っていた。
近くにある教会の事務室から礼拝堂への廊下を通りながら牧師がシスターに
「またあの人間牧場かね」
と声を出した。
「今月に入って2人目ですよ。しかも今回はお母さんのようで、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えています。何があったのか聞いているのですがお母さんにはおそらく知的障害があるみたいでよく話してくれません」
とシスター。
「警察には」
「通報したらだめですよ」
突然礼拝堂のドアを開けてサラリーマン風の男性が入ってきた。礼拝堂にいた若いお母さんが「いやぁあっ」と声を上げる。
「警察に通報してはいけません。連れ戻されるだけです。前に男の子を連れて警察に保護された女性は、施設で罰として全身に卑猥な刺青を入れられ、耳と鼻を切り落とされました。男の子は施設で虐待を受け続けています」
人間牧場の職員は死んだような目で必死で赤ちゃんを守ろうとするお母さんと牧師を見た。そしてスマホで電話する。
「さっき牧師に確認しました。教会にはいないみたいです。前回も通報してくれているので匿っている可能性はないでしょう。では」
と職員は牧師に一礼して礼拝堂の扉から出て行った。
「なんという事だ」
牧師は席に座り込んだ。
「だーだー」とかわいい女の赤ちゃんが笑顔で牧師に手を伸ばす。その女の子を抱っこしながら牧師は言った。
「お母さん、この赤ちゃんの名前を教えていただけますか」
「都…」
お母さんは声を上げた。
「島都と言います…」
15年後。茨城県県南地域の病院の病室。
「愛沙…」
と中学2年生、14歳の結城秋菜が声をかけた。
ベッドの東愛沙は黒髪をベッドの枕にばらけさせながら
「手術成功するかな」と天井を見た。
「三枝先生も言っていたじゃない。絶対成功するって! 簡単な手術だからって」
「簡単な手術か」
と東愛沙はふとつぶやいた。秋菜は「ごめん」と声を上げた。
愛沙はふと秋菜に気が付いて
「秋菜がびくびくしてどうするの! 私はもう覚悟は出来ているんだから。また夢中になれる事、一緒に探してくれるんでしょ」
「うん」
秋菜は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「大丈夫! 絶対に戻ってくるから。またよろしくね」
手術室のランプがついた。秋菜はその前で呆然と立っていた。
「酷すぎるよ。ずっとコロナで何もできなくて今年こそって思ったのに」
と秋菜は病院の廊下で立ち尽くしながら、後ろに立つ従兄の高校1年生結城竜に言った。
「それなのに、神様は最低だよ。酷すぎるよぉー」
と秋菜は結城に抱き着いて号泣した。
―もし、地獄があるとすれば、それはこの世界に間違いない。この世界こそが地獄なんだ。
「都、よ」
と隣の5組の教室から薮原千尋というポニテ少女が挨拶した。高野瑠奈と北谷勝馬とダべリングしていた島都は「千尋ちゃん」とぴょんと千尋のところへ。
「実はちょっと相談があってさ」
と千尋は深刻そうな顔をする。
「5組のクラスに山阪世那っていう子がいるんだけどさ。あの子最近学校に来なくなっちゃってさ。今日で3日目なんだけど、友達のスマホに片っ端から電話をしているんだよ。しかも酷いことを言いまくっているみたいでさ。愛の所にもさっき電話が来て、愛に『死ね』とか『友達面した偽善者』とか。それで愛は今隣のクラスで泣いちゃっているのよ」
「あらら」と高野瑠奈。
「その子は普段そんなことを言わない子なんだよね。だから私の所に来た」
と都。
「そう」
千尋はため息をつく。
「そして多分次に私のところに電話が来るんじゃないかと思っているんだけど。何かあったんじゃないかと心配でさ」
「なるほー」都は考え込んだ。
「考えられる心当たりは」と瑠奈。
「1か月前にTwitterでお父さんがパワハラされていて、家でお父さんと一緒に会社の人に土下座させられたって書いてあって。そのとき私は新作のBLと推ししか頭になくて全然気が付かなかったんだけど」
と千尋は言った。
「それかなりあかん奴じゃないですか」
と勝馬が動揺する。
その時だった。千尋のスマホが着信を受けた。千尋が「来た」と『同担同志世那』と登録された着信液晶を全員に見せる。都は千尋からスマホを受け取り、電話に出た。
「おい、この偽善者千尋。早く電話に出ろ」
と凄い剣幕が聞こえた。
「お前私の事を見下していたよな。お前友達面しながら見下していたよな」
そんな女子高生が「クンニシローコルァ」みたいな口調で罵倒してくる。
「このまま悪口を言い続けて、世那さん。私は島都。千尋さんの友達。千尋さんへの悪口を言いながら聞いて。いい。もし誰かに脅されて電話しているのなら、千尋ちゃんはラブホテルでパパ活してるだろって悪口を言って」
「おい」と千尋。
「では次に自宅にいる場合は『千尋やんはYouTubeでエロ配信している』って言って」
と都は千尋を手で制しながら質問をした。
「では茨城県にいるなら、『お前は前から嫌いだったんだ。BLネタばかりの偽善者』って言って。ありがとう。では今いる市町村が分かれば、その最初の平仮名と同じ悪口を、わからない場合は死ねって言って。よしいいよ」
都は真剣にスマホで連絡する。
「もう授業が始まるぞ」
と教室に入ってきた先生にいつの間にか同行していた結城竜が「すまん、人の命がかかっているんだ。3分時間をください」と制した。
「じゃぁ、次は地区の名前お同じ頭文字の悪口。そして番地の名前と同じ回数だけ『死ね』って言って」
と都は言いながらメモに線を入れていく。
「ありがとう。必ず特定する」
と都は電話を切った。
「結城君。お願い」
都に言われて結城は先生に
「てなわけで探検部は全員昨日食べた酢だこに当たって全員おなかが痛いので早退しますー」
と表明した。廊下に出た都は千尋に
「茨城県であの付く市町村であの付く地区名。番地は5」
とメモを見せた。千尋はスマホで検索して「阿見町菖蒲台5番地がヒットした」とスマホを提示した。
ワゴン車が一台走っている。
「兄貴、39」と千尋が運転席の大学生の兄の肩をたたく。
「かわいい妹の為なら、大学のテレワーク休んでどこにでもはせ参じますさ」
という兄の薮原徳太郎が運転するワゴン車はイバラギスタンの田舎道を走っていく。
「で、都。お前の推理だと、山阪は両親と一緒に、悪い奴に捕まって、助けてくれる友人や親戚関係を絶たせるために片っ端から友達に電話させられていると踏んでいるわけか」
「別に推理とかしたわけじゃないよ」
都は車のフロントガラスのセンターラインもない道路を見ながら言った。
「そう山阪世那さんが教えてくれたんだよ」
その都の表情は真剣だった。
「しかし、なんでまた一家全員で。ブラック企業だってここまでやったら確実に逮捕でしょう」
と勝馬が少し混乱しながら言った。
「それがそうでもねえんだよ。今はコロナで不景気だからな。まともな仕事が雇止めになったりして困窮者が凄い増えているんだ。そしてそういう人を狙って給料も支払わないで虐待で囲い込む超絶ブラック企業も増えているんだ。そして警察も労基も労使問題と考えて人身売買や奴隷監禁といった重大犯罪として見ない。このままコロナが長引けば、日本国民の1-2割がこういう環境で囲い込まれるだろうって学者もいるんだ」
と結城は言った。
「洗脳監禁事件と言うと被害者がおかしくなってクルクルパー状態で加害者のブラック連中に従っているように見えるがな、実際は被害者が助けを求めているにも関わらず警察も社会も対応できていないケースは多いんだ。中には逃げ出した被害者の連れ戻しを警察が手伝った例もあるからな」
「まぢかよ」
勝馬は車内で呆然とした。
台地の木々に囲まれた事務所の前に来た。その近くの砂利広場にワゴン車を停車させる千尋の兄の徳太郎。探検部の全員がワゴン車を降りて「さぁ、今から女の子を苦しめるクソ連中を全員この俺がひき肉にしてくれる、乗り込むぜ」と勝馬が事務所を見るが、「待て待て」と結城がため息をついた。
「何事もセオリーってのがあるだろう」
と結城。
「役者がもうすぐそろうよ」と高野瑠奈が道路を見た。
センターラインのない道路をセダン2台が走ってきた。長川朋美警部と鈴木警部補がセダンから降り立つ。
「バラバラ死体が100人という通報をくれたのはそちらのお嬢さんですか」
と女警部は都に挨拶する。
「そうでございます。嘘かもしれませんが、念のために調べてくださいますでしょうか。常総高校お嬢様部より」と都。
「もっとリアルな虚偽通報しろよな。上には20分の1に報告しておいた」
女警部はため息交じりに都を一瞥する。敷地の前にやってくると事務所の外で煙草吹かしていた柄の悪そうな兄ちゃんに、
「ええと、正体不明の謎の人物からこの建物で大量殺人の死体があると通報があったので念のために中を調べさせてくださいますかな」
と警察手帳を提示した。
「なんだよ」明らかに兄ちゃんは焦っている。
「令状はあるのかよ!」
「ありません。でも何もないなら中を見せてもらっても問題はないよね」
と長川はにっこり笑う。
「それではお邪魔しまーす」と結城が事務所のドアを開けようとしたとき「何すんだよテメェ」と兄ちゃんが結城に掴みかかる。その手を長川警部がひねり上げる。
「いたいけな高校生への暴行の現行犯」
長川警部は悪漢に素早く手錠をかけた。
「西野、鈴木、中を見ろ」と長川に命じられて事務所の中に入った刑事たちは、男性と女性が殴り合わされていて、それを天井から吊るされた下着姿の女子高生が見ている現場を目撃した。
「壮観な光景だな。警察だ。全員動くな」
2
鈴木が声を出すと中にいたゴロツキが鉄パイプを持って向かってきたので、鈴木は屋根に向かって一発発砲した。
「全員武器を捨てろ。腹ばいになれ。西野。応援要請」
長川警部がその場にいた全員を銃口で伏せさせると同時に「世那」と千尋が下着姿のセミロングの少女の縄を解こうとするのを高野がオーバーを翳して隠す。
「酷い」
「千尋…ごめん」
と山阪世那(高校生 16歳)が声を震わせた。
「クソなのは世那じゃないって」
瑠奈と一緒に世那を抱きしめて事務所倉庫のパイプ椅子に座らせる千尋。
「世那」とボロボロの母親が世那を抱きしめる。
「私はなんてことを」世那の父親が座り込むのを勝馬と結城が助け起こした。
「お前が社長か」長川は手錠を後ろ手に回しながらサングラスの髭の勘違い系おっさんの上着から財布を取り出した。
「阿武隈圭吾か」
長川はふてぶてしい表情を自分に向ける阿武隈圭吾(会社社長 35歳)を見つめる。
「随分面白そうなパーティーしてくれてるじゃねえか、このクソ野郎。未成年者への監禁暴行、両親への強要。強制猥褻の現行犯でいいよな」
「大体20分くらいかかるそうです」
西野がイヤホン越しに警察無線を報告する。
「15分で来いと伝えろ」
と長川警部。鈴木刑事と数人の刑事は施設のドアをぶち破ると、足にアンクレットを付けられ、やせ衰えた男女が怯えたようにこっちを見た。
「なんで牛久大仏のケツ持ちにS21があるんだよ」鈴木刑事は戦慄したように言った。
「食事はこれみたいですね」
と巡査がプラスチックのふろおけに入った茶色い液体を見た。
「ドッグフードを水で溶いたものか」
鈴木は警察手帳を取り出して
「皆さん警察です。皆さんを保護するためにここにいます。安心してください」
と警察手帳を見せた。
パトカーが多数停車する事務所の前に救急車が到着して何人かが担架で運ばれていた。
「いや、本当に高校生のお手柄ですよ。あそこに収容されている人の中には栄養失調による肺炎などで衰弱している人もいました。もしもう少し救出が遅れていれば、助からなかったでしょう」
と救急隊員が長川に言ってから、救急車に戻っていった。
「鈴木…鑑識と一緒に周辺の捜索とメール類の応酬と分析だ。この分だと埋められている人間が結構いるかもしれんぞ」
「了解」鈴木が敬礼する。世那と両親は警察のパトカーに乗せられる前に
「本当にありがとうございました」と都と瑠奈に頭を下げた。
「いいえ、世那さんですよ。助けてくれたのは」と都は笑顔で言った。
「さて、俺らも帰っていいか。事情聴取はいつでも受けるからよ。今薮原が友達への仕打ちに粗ぶってて、サイゼのドリンクバーが必要なんだ」
「了解。何かわかったら連絡するさ」
と警官のボードの見分書類をチェックしながら、長川警部は頷いた。
その時だった。鈴木刑事が走ってきて長川に耳打ちした。
「本当か」
長川はため息をついた。そして都と結城を見つめる。
「どうやら2人にはちょっと居残りをしてもらう必要がありそうだ」
女警部はパトカーを背景に振り替える女子高生探偵とその相棒を見つめた。
病院の病室でゲームボーイをする秋菜と東愛沙(14歳 中学生)。
「どう、私の島」
と愛沙がゲームボーイを見せる。
「ここまで開発するなんてさすが。私なんかあのタヌキの借金も返して貰ってないよ」
と秋菜がため息交じりに言う。
「やってるねー」と病室が開いて眼鏡をかけた女医、花村薫(29歳)が笑顔で病室にやってくる。
「でも秋菜ちゃん。面会時間はぼちぼち終了」
「もうちょっとでシーラカンスが」
「シーラカンスはおうちのテレビで見ましょう。『ダーウィン』が来たでやるらしいから」
と花村医師に言われて、秋菜は「はー」と残念そうにため息をついて、
「またクラスの誰か連れてここに来るから」
と秋菜は笑顔で病室から廊下に出た。目頭を揉む花村に秋菜は「大丈夫ですか」と声を出す。
「まー、今はお医者さんも大変だしね。医療崩壊は本当に避けられないし。何とか手術早めて良かったよ。愛沙ちゃんには辛い手術なんだけど。じゃぁ、気をつけて帰るんだよ」
「はいっ」
秋菜は笑顔で言った。
そこは事務所の応接ソファーの後ろにある冷蔵庫だった。鑑識が冷蔵庫から何やら瓶詰にされたブツを取り出して並べていた。
「ああ、朋ちゃん」
牛乳瓶底のようなメガネの女性鑑識加隈鞠が長川を振り返った。
「鈴木君が聞き出してくれたんだよ。閉じ込められていた会社の従業員から。こいつを見せて社長の阿武隈って奴は従業員を脅していたらしい」
瓶の中には人間の手足が見えた。全部で4つあり手足のパーツが全部揃っている。
「本物かよ」と結城が呆然とした。
「切り口が見えるように瓶詰にしてあるが、見てみるか。変色した肉と骨が見えるよ」
と加隈鑑識に結城は「遠慮しておく」と言った。
つくば市の大学医学部法医学研究室で手足の解剖が実施される。
「どんな感じですか」
長川警部は部下の西野と廊下で法医学の教授のヒヒ爺である岩崎時男(法医学者 大学教授 61歳)に話を聞く。
「えー、おほん」
と岩崎は勿体つけたように話す。
「まず遺体の切断は死後に行われています。死亡推定時刻はホルマリン漬けにされているので同定は不可能ですが、おそらく10日から数か月程度。ただ一つ妙なことがあるんですよ」
「妙な事?」
「まず切断面です。これは外科手術でもそうですが人間の手足を切断するときは負担にならないように関節を切断することが多いんです。ですがこの手足は関節を無視して骨をのこぎりのようなもので均等の長さに切断しているんです。物凄い正確かつ均等に」
と岩崎。
「猟奇的な犯行ですね」
と西野はるか刑事が声を出す。
「被害者の性別、年齢はわかりますか」
長川警部の問いに岩崎教授は少しため息をついた。
「これはDNA鑑定で確実にしてもらいたいところなのですが、おそらくこの手足は同一人物のものではありません。両手の大きさ、両足の大きさの違い、そして骨から推定される年齢、発育状況から考えて、最低で2人、おそらくは3人、もしかしたら4人分の遺体であることが判明しています」
「4人!」西野が声を出す。長川も戦慄をさすがに隠せなかった。
「少なくとも左足は10代、おそらく女性でしょう。両手は性別は不明ですが80歳以上が1人、50代前後が1人、もう片方の足はおそらく30-50代でしょう」
そのとき女警部の携帯が鳴った。
「もしもし、長川だ」
「警部。この病院にもう一つ用事が出来ました。例の事務所を徹底的に調べていたら、大量の死亡診断書が出てきたんですよ、それも20枚も。それも医師の署名捺印入りの」
鈴木刑事が事務所の段ボールからビニールに入った死亡診断書を取り出しながら声を出した。
「そしてその死亡診断書に書かれている人間はまだ生きています。山阪夫妻と娘さんの死亡診断書もありました。心臓発作って事になっていますが」
と鈴木。
「で、それと」
「それを書いた医師がこの病院にいるんですよ」
長川が振り返ったとき、眼鏡を反射させた女医が廊下に立っていた。
「名前は花村薫。29歳」
長川は女医のネームプレートを確認した。そして女医が走り出すのを見るやダッシュで追いかけ始めた。
「待て!」
長川は走り出す。
「クソ兄貴遅い」
と病院のロビーでため息をつく秋菜。そのとき花村女医が走ってきた。
「あ、花村先生!」
と秋菜が声をかけた時、突然花村は秋菜の首に手をまわして盾にしてメスを取り出した。秋菜はびっくりして目を丸くした。
「来るな! これ以上近づいたらこの子を」
と花村は長川を凄い目つきで睨みつけた。
「花村先生…」秋菜が花村医師を見つめる。
「わかった。落ち着け…これ以上近づかな」
次の瞬間、花村医師が肘鉄を食らって前のめりになると、秋菜はメスを持った手をひねり上げて、裏拳で張り倒した。
「確保!」
長川がメスを足で滑らせてから立ち上がろうとする花村を逮捕術で抑え込んで手錠をかけた。
「18時43分、公務執行妨害と人質強要の現行犯」
「ああああああ」と花村は絶叫した。
「大丈夫?」と西野に支えられながら、秋菜は花村に言った。
「先生…なんで」
「なぜだ」
それを吹き抜けの上階の廊下で見ていた岩崎教授は呆然とした。
「一体誰だ! いったい誰がこんなことを」
「無給医か」
と長川警部は所轄署の取調室で花村に言った。
「そう、1日16時間休みもなしに働いて給料はゼロ。刑務所以下だよね。でも私も生活しなきゃいけないから。死亡診断書を書かせてもらったわけ、報酬をもらってね。1枚5000円だよ。20枚で10万円。これくらいの代価貰っていいよね。人を救う仕事をタダでやっているんだから」
花村医師は狂気に満ちた笑顔で取調室のテーブル越しに女警部を見た。
「お前タダの公文書不実記載で済むと思うなよ。お前はあそこで人が虐待されて死ぬ事を前提にあらかじめ死亡診断書をでっち上げたんだ。つまり虐待で従業員が死んでもかまわないという前提の未必の殺意を幇助したことになるんだ。物凄く罪は重いぞ!」
「勝手にすれば」
と花村は投げやりな表情で言った。
「お前、あの死体も検案したのか」長川は質問する。
「あの死体ってどの死体」
「お前が死亡診断書を書いた事務所の冷蔵庫にあった人体の一部だよ。手足がのこぎりで切断された死体を心臓発作で死亡って診断書をつけて役所に出す手伝いをしたのか。それで火葬とかを済ませて大量殺人を揉み消したのか?」
「な、何のこと」
と花村は急に狼狽えだした。
「私、殺人は知らない。死体なんて…私は死んでいる人間の死体検案書を偽装したことはない。そんなことをすれば犯罪になっちゃうじゃない」
「もうお前は犯罪者だよ。そう阿武隈にいい含められたのか」
と長川は花村を見た。
「知らないわよ。私は。ホルマリン漬けの死体なんて見ていない」
「ホルマリン漬けなんて私は一言も言っていないが」
と長川に言われて、花村は真っ青になった。
「はっきり答えな」
「見たわよ。あの阿武隈社長が見せびらかしているのを。あれ、阿武隈社長は言ってたわ。プレゼントされたものだって」
と花村は言った。