少女探偵島都 2018年

2009年くらいから母親が書いていたシリーズ設定をもったいないので2018年より本格的にわいが引き継いでみました。大体1記事でアニメ1話分くらいの長さだと思ってください。コナンや金田一みたいな高校生探偵ミステリーを想定しています。

岩本承平の絶望 導入編

少女探偵島都

1

 水戸地方裁判所
「今から判決を言い渡します。被告人前へ」
裁判長が厳粛な声で4人を殺害した犯人岩本承平に起立を促した。岩本はその大柄な体で立ち上がり精悍な顔で裁判長を見た。裁判長は徐に判決文を読み上げた。
「主文、被告人を死刑に処す」
岩本は特に表情を変える事はなかった。正直な話このような結果は彼には容易に予想はついた。黙って裁判長に一礼し、それから傍聴人を振り返って一礼した。制服の男に手錠をかけられ、いずことなく連れていかれる。

「今判決が出ました。死刑です…」
女性記者が大声でテレビカメラの前でがなりたてている。それを茨城県常総高校の食堂で見ていた、15歳のショートヘアの美少女は真っ青になって崩れ落ちた。食べかけのチョコパンが床に落ちる。
「都‼」
同級生の長身の青年結城竜が慌てて小柄な少女を抱きかかえるが、都はショックで唇が震えている。

「なんで? なんで死刑なの?」
都は保健室のベッドで涙をぽろぽろ流した。
「私、岩本君にそんな風になってほしくて推理したんじゃないのに…なんで」
都が所属している探検部のメンバーが集まったが一様に顔は暗く沈んでいた。
「都…残念だけどこれは裁判所が決めた事なの。私も岩本君が死刑になるなんて間違いだと思う…でも罪の重さは私たちが決めていい事じゃないの…辛いよね」
瑠奈は都を抱きしめた。
「大体殺された連中だって若い女の人を集団で殺したような外道じゃない。その女の人の敵討ちなんだから、何も死刑にしなくてもいいと思うな」
原千尋はため息をついた。
「でも裁判の判例だと3人殺せば死刑、同情できる復讐殺人で無期懲役になるのは2人までって言われているからな」
結城は辛そうに都を見た。
「でも都さん、岩本を助けるために何度も裁判所で証言したんだろ! あんまりじゃねえか」
岩本が結城に食って掛かる。
「弁護士の先生も大切な人を殺されたショックによる心神耗弱やそもそも岩本自身が受けていた虐待などを背景に情状酌量は求めたんだぜ。だがダメだったみたいだ。岩本はアリバイトリックを仕掛けてかなりえぐい方法で4人も殺したからな。難しかったんだろう」
結城は勝馬を睨んだ。勝馬はそんなという表情で結城を見た。
「都…岩本君はそれだけのことをしてしまったの。だから都のせいじゃない。都の推理のせいでそうなったんじゃないの」
瑠奈は必死で都を抱きしめながら話しかけた。都は瑠奈の胸の中で
「でも、でもいやだよおおおおおおおお」
と子供のように泣いていた。

「都を負ぶってくれてありがとう」
都のアパートの前で高野瑠奈は言った。都は部屋の布団でグスグス泣き続けている。
「私は都のおばさんが帰って来るまで都のそばにいるから」
「大変だな。高野」結城はドアの前で言った。
「中学校時代にもこういうことがあったの。都が暴いた事件で犯人に死刑判決が出て…去年執行されたの」
「そうか…」
結城は沈んだ顔をした。
「あいつは本当に人が死ぬとかダメだからな。人が死ぬ正義なんて絶対認められないからな…あいつ」
「うん、凄く怖がっている」
瑠奈は言った。結城は益々居た堪れなくなった。瑠奈に
「都をよろしく頼むわ」
とだけ告げて、結城はアパートの階段を下りた。
 結城は夜道を歩きながら思い出していた。

 岩本は両親、学校、施設、職場…人生の全てを虐待されて育ってきた。力を持った相手の虐待を全て引き受けるため、アダルトチルドレンの定義の一つであるピエロになりきっていた岩本承平。だが、ある女性に人生でただ一人優しくしてもらう。自分の職場の上司らがその女性を暴行の挙句殺害した事を知ったとき、彼は人生で初めて「憎しみ」という感情を覚えた。
「おかしいですよね…この感情をどうすればいいのかわからないのです。体をどう止めればいいのかわからなかったのですよ」
そう言って涙を見せて笑った岩本の顔を、結城は未だに忘れられない。人生で初めての憎しみの感情をコントロールする方法が岩本には分らなかった。岩本は4人を殺害し、女子高校生探偵島都に犯行を暴かれ逮捕された。

「ごめんね瑠奈ちん」
その夜都は瑠奈を見た。瑠奈は優しく手を握ってあげている。
「怖かったんだよね、都」
「うん」
都は鼻水をすする。
「都…死刑が執行されるまではまだ何年もあるはずだよ。それまでは岩本君にもかけがえのない命は宿っている。都…私たちにも出来ることはあるはずだよ」
瑠奈は鼻水ズビズビな都の鼻をチーンとやる。
「岩本くんに会いに行く」
都は声を震わせ、瑠奈も笑顔で「うん」と頷いた。
「手紙もいっぱい書く」
「うん」瑠奈は優しく頷いた。
千尋ちゃんのBLも差し入れる」
「う…それは受け取ってもらえるかなぁ」
瑠奈は苦笑した。そしてまた都の頭をなでなでしてあげた。

「そっか、師匠…そんなに苦しんでいるんだ」
結城竜のマンションで中学2年生で従妹の結城秋菜がカレーを口にしながら言った。
「まぁ、岩本に殺された連中にも家族はいたわけだし、そいつらにとっては岩本は死刑にしなきゃ飽き足らないだろうけどな」
結城はため息をついた。
「師匠にとっては自分が追い詰めて自首させた犯人が、殺されちゃうって事だもんね。復讐とか死んでいい人の命を作るとか…師匠が一番苦しむ事だもんね」
秋菜は沈んだ顔をした。
「ああ、自分が岩本を絞首台に送る歯車になっちまったかもしれないって、都は苦しんでる」
「でも師匠は間違ってないよ!」
秋菜は思わず立ち上がった。
「どんな理由があろうと人を殺した罪は償わないといけないし、死刑を決めたのは裁判所じゃん。師匠は関係ないよ」
「まぁ、そうなんだろうけど…って俺に怒鳴るなや」
結城はため息をついた。
「俺たちだって大人になれば裁判員として葉書が来て、岩本みたいな可哀そうな奴に死刑判決を下すのかもしれないんだぞ。海外の陪審員制度はあくまで有罪か無罪かを決めるんだけど、この国の裁判員制度は判決まで決めるからなぁ」
結城は頭をポリポリかいた。
「言うなれば一人の人間の命が生きるに値するかどうかを決めるって事だ。この国の死刑って言うのはそういうシステムのもとに成り立っている。勿論現実に日本で死刑になる事件では大体被告人自身が人の命を奪うって行為をしてしまっているんだけどな」
最後の台詞で結城はふぅと息を吐いた。
 結城は小学生の時の事を思い出していた。自分は生きる権利があると法律に判断されて生きている。でもそうじゃなかったかもしれない。そしてそうなったのは正当防衛に近いとはいえ、11歳の自分が人を殺すという罪を犯したことにある。それでも自分は都の隣にいることを許されている。岩本だってもし都や結城が止められていればそうなれていたかも知れないのだ。

 数週間後―。
 別の事件で裁判員による討議が行われていた。
「さて、皆さん。皆さんはこの沢部明彦被告が死刑になるかどうか決めていただきます」
裁判長が全員を見回すと
「有罪に決まってるじゃん」
と60代の背広姿の男が言った。
「そうそう、いかにも朝鮮人みたいな顔をしているし、間違いなくこいつは人を殺してるよ」
「アリバイ? そんなもん朝鮮人お得意のでっち上げに決まっているじゃん」
ハゲあがった男がへらへら笑う。
「では有罪という事で」
裁判長はそう頷いた。
「では彼はどのような刑罰を受けるべきだと思いますか?」
「死刑よ死刑!」
主婦らしきオバサンが金切り声を上げた。
「ああ、在日は死刑だ。こんな恐ろしい罪を犯してのうのうと生きているなんて、日本人の安全のためには死刑しかありえない」
と頭のよさそうな眼鏡の背広姿の男性が言った。
「死刑で構いませんね」
裁判長は全員を見回して確認すると、一人ちゃらちゃらした男が「異議なし!」と言った。

 東京葛飾区小菅にある東京拘置所。この巨大な施設は東京都で起訴された未決囚と関東甲信越で死刑判決を受けた死刑囚が拘置されている。
 日本において死刑囚は死ぬことが刑罰なので、刑務所ではなく拘置所に入れられる。髪型も服装も常識の範囲なら自由。労働の必要もなく三食昼寝付きで三畳の部屋で監視されてはいるが、室内では何をしてもいい。月に数度運動や教戒師による説法を受けることもある。
「岩本さん、良くいらしてくれました」
神父のマリヌス田中が教誨室で笑顔で大柄なジャージ姿の死刑囚に挨拶した。
「もうすぐ沢部さんもいらっしゃりますから待っていてください」
「はい」
岩本承平死刑囚は礼儀正しく田中に会釈をしてもう一人の死刑囚を待った。やがて小柄で若い長髪の青年が黄色いTシャツ姿で刑務官に連れられて入ってきた。全てを受け入れたように超然としている岩本と違って、沢部はガタガタ震えている。
「沢部さん…ようこそいらしてくれました」
「はい」
沢部はおずおず答えた。
「お2人には前の教誨の時に宿題を出していましたよね」
「讃美歌『慈しみ深き友なるイエスは』ですね」
岩本は言った。
「さすがです岩本さん…練習をしてくださったのですね」
「ええ。時間はたっぷりありましたので。外の世界の地獄のような虐待と違い、この拘置所では穏やかな時間が流れていますからね」
遠い目をする岩本の横で沢部が緊張した顔のまま震えている。
「沢部さんは、どうですか? 讃美歌…覚えてきましたか?」
「は、はい…神父様…」
「それじゃぁ歌いましょう。必ずお腹の底から声を出してください。そうすれば心の安息が得られますから。それじゃぁ、曲をかけますね」
♪いつくしみふかき ともなるイエス
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを♪
「うわぁあああああああああっ」
沢部は突然絶叫を上げてその場にしゃがみこんだ。その場にいた看守が「沢部君!」と抱き起す。
「沢部さん…落ち着いてください…大丈夫です…大丈夫ですよ」
優しく田中は沢部を抱きしめる。沢部は神父に縋りつくようにして言った。
「神父さん…助けてください…僕は…僕は何もしていないんです…僕は人を殺していない…誰も…誰も殺していないんです…助けて…助けてっ」
ガタガタ震え真っ青になる沢部を看守が抱き起して連れていく。岩本はその様子をじっと見つめていた。

 朝9時。岩本は自分の部屋で聖書を開いてそれを読んでいた。その時だった。廊下をカツンカツンと歩く看守の音がする。もしこの音が自分の部屋の前で止まれば、その時が最後だ。実は日本の死刑執行は本人の自殺の可能性を考えて当日1時間前まで知らされない。つまり看守に部屋を連れ出されるときになって死刑囚は今日自分が処刑される事を知るのである。つまり、昼食が終わった午前9時に看守の足音が自分の部屋の前で止まれば、その時が自分が死刑にされる可能性が極めて高いというわけだ。
 そして岩本の独居房の前で足音が止まった。独居房の扉が開く音がする。
「沢部君」
向かい側の部屋にいる沢部死刑囚に看守が語り掛ける。
「いやだぁ、助けてくれぇ。僕は死にたくない! 死にたくないんだぁ」
沢部の絶叫が聞こえる。普段看守の足音に超然としている岩本も思わず扉に耳を当てる。
「安心するんだ沢部君。今日君を連れ出すためにここに来たんじゃない」
「いやだぁ。助けて…僕は僕はやっていない…僕はやっていないんだぁ」
沢部の悲痛な悲鳴が聞こえてきた。

 茨城県からTⅩで北千住までいき、そこからスカイツリーラインで1駅。東京拘置所は車窓からでも目立つくらい大きな建物だった。周辺の住宅地の対比から見ても防衛隊の基地のようにさえ見える。ここは関東地方で唯一死刑囚を拘置している日本最高レベルの厳重な拘置施設。面会だって当然厳しい。
「うわぁあああ、大きいなぁ」
天真爛漫な女子高生探偵は巨大な建物の前で絶景かなとばかりに額に手で恒を作る。
「何千人も収容されているらしいからな。死刑囚だけでもン十人といるらしいし」
結城はその威容を見上げて言った。
「でもそんなに厳重じゃないよね。建物の周りも柵がしてあるだけで緑も綺麗だし」
都が柵を指でつかんで見せる。
「近隣住民に配慮しているんだろう。多分建物の中を厳重にしてあるんだろうぜ」
結城は唸った。彼の推測は当たっていた。
 拘置所に面会に行くのは特別な事かと思ったら、実はそうでもなかった。大勢の人間が待合室に待機していて、まるで役所の窓口のようだった。普通の母子や外国人の女性、背広姿の男性も来ていた。窓口で2人で身分証明書の代わりに学生証と保険証を見せて、待つこと1時間…面会カードを貰って奥に通される。
「うおおおおお、金属探知機だぁ」
都が興奮したように叫ぶ。空港でお目にかかるようなマシーンを潜り抜けると、今度は巨大なレントゲンみたいなゲートをくぐる。
「これは違法な薬物を持っていないかチェックするための機械です」
「え、薬とかにも反応するの?」
結城は感心したように機械の中で‹‹\(´ω` *)/››‹‹\( ´)/››‹‹\(*´ω`)/››する都を見ながら言った。
「薬物だけではなく爆発物や危険物も探知することが出来ます」
女性調査官一ノ関真由美(26)は幾分得意げに言った。
「こりゃ脱獄は不可能だねぇ」
「刑務官が出入りする場所には指紋認証と暗証番号でのみ出入りすることが出来ますし、あなた方のICカードタグには位置情報をセンサーが追尾するタグが内蔵されていますから必ず身に着けておいてくださいね」
そう言って、ICタグのひもをブンブン振り回していた都はそれをぴたりと止めた。
「この先が面会室になります。制限時間は守ってくださいね」
一ノ関に言われて都は頷いた。
「この先に岩本君がいるんだね」
彼から都に手紙が来たのは2週間前だった。彼は同房の沢部という死刑囚のことが気になっているらしい。その為、彼が引き起こした事件についてインターネットとかに情報があれば軽く調べて欲しいと言ってきたのだ。都と結城はそれを知らせるために今日この拘置所に来ている。
「さぁ、行くぞ。死刑囚になったからって脱皮して人外になったわけじゃないんだ。緊張なんかする必要はないからな」
結城は都の両肩を叩いて歩くよう促した。

2

 拘置所の面会室に島都はいた。茨城県在住の県立高校1年生の彼女は幾分緊張はしていたが、ガラス越しに岩本が入って来ると笑顔で彼を迎えた。
「久しぶり、岩本君」
「都さん…結城君も」
岩本は柔和な表情で笑うと都に対面するようパイプ椅子に座りアクリルガラスの向こうで笑った。
「元気にしてる? 岩本君神父さんに星人の名前を付けてもらったんだね。パウロって素敵な名前…きっとバルタン星人と違っていい宇宙人の名前なんだよね」
「ははは」
無邪気な少女の笑顔に岩本は笑う。
「死刑判決を受けた沢部さんの事を調べて来たよ」
都がそういうと彼女の隣にいる結城竜という彼女の同級生の青年が書類を出して読み上げる。
「沢部明彦、26歳。2年前に介護士として働いていた先の家で12歳の女の子を残虐な方法で殺害…。殺害人数は1人だったが性的暴行を加えていた事や殺し方が残忍だったため死刑判決を受け、現在ここに留置中。ウィキペディアで調べた限りではそんな感じだったぜ。あとは、ウィキペディアの『その他』ってところに、被害者は与党政治家の長男の同級生って事が書いてあるくらいだったな」
結城はため息をついた。
「酷い事件だぜ」
「ありがとう」
岩本は結城に礼を言った。
「岩本君、この事件がどうしたの?」
都は目をぱちくりさせた。
「実は少々気になっていましてね。というのもその沢部という死刑囚と同じ部屋で教誨を受けたことがあるのですが、彼は自分は無罪だと言っていたんです。誰も殺していないと…。勿論彼の出まかせの可能性もあるのですが…彼のあの時の姿を見る限り、僕には本当にやっていないんじゃないかと…そう思えてならないんです」
「私にこの事件をもう一回調べて欲しいって事なのかな」
都は目をぱちくりした。
「是非お願いしたい。あなたの出した結論で彼が有罪だというのなら納得できる」
岩本が都を見ると結城が頭をかきかきした。
「おいおい、無茶いうなよ都はまだ高校…」
「いいよ!」
都はにっこり笑って頷いた。
「もう一度この事件を調べればいいんだね。岩本君の頼みだもん。私人肌も二肌も百回お肌を脱いじゃうよ」
「ありがとう」
岩本はそう笑顔で笑った。

「結城君どうしよう」
拘置所の廊下を歩きながら都は結城に縋りついた。
「すごい難しい事頼まれちゃったよぉおおおおお」
「言わんこっちゃない」
結城はあきれ果てた。
「事件は茨城県で起こっているようだし、長川警部が資料を持っているだろ。何かわかるかもしれないって…しいいいいいい」
結城は都の口をふさいだ。
「俺らが警察の捜査資料見ている事は内緒なんだからな。監視カメラで見られているここで言っていい事じゃない。しいいいいいいい」
「結城君が言ったんじゃん」
都はぶーーと口を膨らませた。
 待合室にカードを返した時だった。
「君は島君、結城君だね」
眼鏡をかけた禿げ頭の小太りの男が2人の顔を覗き込んだ。
「あなたは高沢先生!」
都はぴょんと岩本の弁護士の高沢斉昭(45)の所に向かった。
「高沢先生も岩本君に会いに来たの?」
都が聞くと高沢は「いやいや、私は今日は別の死刑囚に会いに来たんだ。沢部君というのだが、精神的に不安定なようで会うことは叶わなかったが」
とため息をついた。
「沢部って茨城県で女の子を殺した事件を起こした」
結城がすっ頓狂な声を上げると高沢は驚いた顔になった。
「君たち…沢部君を知っているのか」

「あの事件は冤罪だよ」
高沢は吐き捨てるようにファーストフード店でハンバーグを美味しそうに食べる都に言った。
「2年前、茨城県県南地域に住む中学1年生葉山奈津美さんの遺体が自宅の風呂で全裸で縛られて沈められているのが発見されたんだ。この時逮捕されたのが沢部明彦君22歳。彼は奈津美さんのお兄さんの介護をしていた人物で、今日はお兄さんを授産施設に連れて行って作業を補佐する仕事についていたんだ。沢部君が彼を家から連れ出したのが事件の日の午前8時、奈津美さんのお母さんが買い物に出かけたのは午前9時、この時までは奈津美さんは生きてお母さんをお見送りしている。だがお母さんが家に帰ってきた午前11時には奈津美さんはお風呂に沈んで亡くなっていた。だが沢部君は授産施設でずっと彼女のお兄さんと一緒にいたんだ。それはお兄さんが証言しているが、彼には自閉症があって警察は証拠採用しなかった」
「でも他の職員さんもいたんだろう」
と結城。高沢は頷いた。
「施設長さんや他の職員さんも沢部君がずっと働いていたと証言しているが、警察や検察が一分一秒たりとも見逃さなかったかと言われれば記憶は曖昧だと言っていた。だが職員の数は6人だよ。常識的に考えて一人抜け出せばわかるだろう。施設と事件現場は大体15分。往復30分いなくなれば気づかないはずがない。実際正面玄関の監視カメラでも彼が抜け出した痕跡はなかったし、非常口も同じだった。窓のある部屋には誰かしらいたし、普通にそこから抜け出せば誰かが気付く状況ではあった」
「100%完璧とは言えないかもしれないが、犯行は9割以上不可能だろ。なんでこの人が犯人って事になるんだよ」
「私にも意味不明だよ。さらに近所の人が犯行時刻と思われる10時ごろに彼女の同級生の入間拓夢という少年が葉山さんの自宅に出入りしているのを目撃しているんだ」
「その入間って」
都がパセリを口からこぼしながら言った。
「与党大物議員で次の改造内閣で大臣入りが決定している入間卓三議員の息子だよ」
高沢はため息をついた。
「だがこの目撃証言は証拠として採用されなかった。私に言わせればあの裁判は大きな力が働いて彼を犯人に仕立て上げて入間議員を守るために仕組まれた茶番だ。裁判の法廷、裁判員は質問や発言が沢部君のお母さんが在日コリアンであることを前提に『韓国ではレイプが国技って本当ですか?』ってふざけた質問を飛ばすような連中だった。裁判長もネトウヨ判事で一部では有名な人物でこういう質問も止めようともしない。彼は物的証拠も状況証拠も提示されないまま、暴力的な警察の取り調べで取られた自白調書だけで有罪にされてしまった。そして死刑判決だ…調書になんて書いてあったと思う? 1㎞の距離を3分で走って被害者をお湯に沈め、3分で戻って職場に復帰したと書いてある。オリンピック選手でも不可能だろ。算数の先生の下手糞な問題文みたいなあり得ない自白だけで彼は死刑判決を受けたんだ」
「そ、そんな…‼」
都は声を上げた。高沢はため息をついて言った。
「島君…君が女子高生探偵としてどんなに正しい真実を明らかにしても、今はポスト真実の時代。権力は平気で真実を捻じ曲げ、それを人々も望んでいるんだ」
弁護士の声には絶望が混じっていた。
「残念だが、君にどうにかできると考えない方がいい。君が真実を暴けないと言っているんじゃない。真実を暴いても何も変わらないって事だ」