少女探偵島都 2018年

2009年くらいから母親が書いていたシリーズ設定をもったいないので2018年より本格的にわいが引き継いでみました。大体1記事でアニメ1話分くらいの長さだと思ってください。コナンや金田一みたいな高校生探偵ミステリーを想定しています。

業火の亡霊3

業火の亡霊【解決編】
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 2年前の少女陵辱拉致事件は、その少女を自殺に追いやった。
 そして、被害者家族にも加害者家族にも被害者の職場の関係者にも、人生をめちゃくちゃにするほどの十字架を背負わせた。
 だが、加害者本人は2年で出所し、全く反省などしていなかった。
 そんな加害者、鬼頭空弥が自宅で殺害され、彼の部屋は放火された。
 その捜査を行うことになった長川警部。だけど私が導き出した推理は、長川警部に取って残酷な真実だった。

■容疑者
佐藤祐市(49):会社員。自殺した佐藤加奈恵の父親。
・佐藤登美子(47):パート。加奈恵の母親。
・鬼頭伸郎(53):会社役員。空也の父親。
・鬼頭静子(51):専業主婦。空弥の母親。
・鬼頭空弥(27):無職。
・鬼頭麻純(17):空弥の妹。JKビジネス。
・花祭淳二(50):知的障害者雇用工場社長。
・花祭冬弥(26):淳二の長男。人事担当。

「全ての謎は解けた」
長川警部は言った。
「2年前に強姦され、自殺に追い込まれた佐藤加奈恵さんの復讐のために、今回の殺人を犯した犯人は・・・お前だ!」

5

「犯人はお前だ!」
倉庫の電気がつけられ、犯人の正体が明らかになった。だがその正体はその場にいた事件関係者全員を驚愕されるものだった。
「鬼頭空弥! お前がこの殺人事件の犯人だよ!」
長川に指摘され、鬼頭空弥はタラコ唇を驚愕に噛み締め、真っ青になって長川を見た。
「く、、空弥・・・」
鬼頭静子が絶叫をあげる。
「なんで空弥が・・・・・」
「ゆ、夢なのか・・・」
鬼頭伸郎が目を見開いて、声をかすれさせる。
「いいえ、この人は正真正銘の空弥さんです。火をつけた時間とかそういうアリバイなんて関係ない・・・彼が自分の部屋で殺人を行い、それを自分に見せかけるために火をつけたんです」
島都は空弥に近づいた。
「待ってくれ・・・・」
佐藤祐市は都に震える声で言った。
「あの死体はじゃぁ・・・・誰だったんだ・・・」
「行方不明になっていた花祭冬弥さんだよ」
都は言った。
「待って!」
鬼頭麻純が信じられないという表情で言った。
「警部さん言っていたわ。DNA鑑定の結果、あの遺体はお兄ちゃんで間違いないって・・・・警察が保有するサンプルだし間違いはないって言ってた。なのになんであの遺体が花祭さんのものなのよ!」
「簡単なことなんだよ。警察がDNAサンプルを取り違えていた・・・・それだけなんだよ」
都は長川警部を見た。長川警部は頷いた。
「私がその可能性に気がついたのは、佐藤さんのお父さんの発言だったんだよ。お父さんはこういうことを言っていたよね。空弥さんは加奈恵さんを強姦するとき、服を着ればわからないように加奈恵さんを陵辱していたって・・・でも考えてみれば変だったんだよ。だって加奈恵さんを拉致監禁して何日も一緒にいれば、服を着て隠す必要もないし、監禁がバレた時点で何の意味もない工作なんだよ。現に空弥さんは拉致監禁で逮捕されて2年間の実刑を受けている。知的障害者という理由で強姦は無罪になるという自信があるとすれば、尚更陵辱の痕跡を服で隠せるようにするわけがない。つまり、こう考えることもできたんだよ。監禁した人間は確かに空弥さんだとしても、陵辱した犯人は別人じゃないかって。その人物について確信を持ったのは工場の花祭社長の発言。あの時社長は私の前で、空弥さんが軽い罪でしか裁かれていないって話のはずなのに『また冤罪』って言葉を使ったんだよ」

―加奈恵の尊厳を傷つける形であの鬼頭を軽い罪にした警察が真実だと!? その言葉なんて信じられるか・・・・今回だって冬弥を冤罪にするつもりなんだ・・・・もう警察なんて信じられるか・・・・散々理解者のフリしやがって・・・お前も知的障害者を助けるやつなんて、碌でもない犯罪者だと思っているんだろう!

「社長が何気なく言ってしまった言葉から、私は確信したんだよ。前に冤罪事件ってあったんじゃないかって・・・そう、空弥さんが加奈恵さんをレイプした事実・・・・あれは冤罪じゃないかって事なんだよ・・・そしてそれを冤罪だと社長が知っていたのは、他でもない・・・・・犯人が息子の花祭冬弥だからだよ!」
「その事実は証明されているよ」
長川は言った。
「結城君のハンカチの花祭社長の涙からDNAを抽出、それを前の事件で警察に保管されていた、加奈恵さんの体内のDNAと照合したら、親子関係であることを証明した。その事実をもとに花祭淳二を任意で追求したら、全てゲロったよ。知的障害者従業員の女性を強姦していたこと、男の従業員は暴力で支配し、賃金を一切払わずに強制労働させていたこと、拷問に等しい虐待と長時間労働で死者も出していたこと・・・・。監禁されていた被害者もさっき救出したし、花祭親子が女性従業員の障害者を陵辱している動画ファイルも押収、お前が殺そうとしていた花祭淳二は逮捕されたよ!」
鬼頭空弥は長川を青ざめた顔で見ていた。
「鬼頭・・・・本当にお前はやってないのか? 私の娘に何もしていないのか?」
佐藤祐市は震える声で聞いた。
 鬼頭空弥はそれに答えることなく、ガクガク震えながら下を見た。
「でもなんでだ・・・なんで花祭の息子さんのDNAが息子と取り違えられていたんだ」
鬼頭伸郎が聞く。
「杜撰だったからだよ」
都は言った。
「2年前の事件で被害者だった加奈恵さんが知的障害だったという理由で、警察は強姦での立件は無意味だと思っていた。だから加奈恵さんの体から供出されたDNAを空弥さん本人のものと照合することをめんどくさがって、そのまま空弥さんのものとして保管しちゃったんだよ。それが今回の事件でサンプルとして利用したものだから、警察は真犯人の冬弥さんの死体を空弥さんのものだと鑑定してしまったんだよ!」
「そ、そんな・・・」
鬼頭登美子が悲鳴に近い声を上げる。
「空弥さんはそれを自分が受けた裁判の論点などから確信し、今回のトリックに利用したんだよ」
都は空弥に近づいた。
「私のストーカーさんになったのも、計画の一部だったんだよね」
空弥は俯いたままだった。
「あのストーカーには2つの意味があったんだよ。第一にこの事件に長川警部を介入させること。これがこの復讐計画の一部だったんだよ。長川警部に知り合いの女の子が撮影された写真がいっぱい貼ってある部屋を見せつければ、加奈恵さんを知っている長川警部は怒りを感じて、『この人は絶対反省していない』と思うよね。そうすれば花祭冬弥が自分を殺して火をつけたって思わせることが出来る。そしてもう一つ、これが最大の理由なんだろうけど」
都は空弥に言った。
「空弥さんは自分と家族と長川警部を対面させたかったんだよ。空弥さんの家族は息子を持て余し、憎み、疲れきっていた。その様子を見せることで、長川警部はこう考えたんだよ。『鬼頭空弥の家族も殺人の容疑者だ』って。だから長川警部は家族から空弥さんのDNAを供出させずに、警察署のサンプルを利用する選択をしたんだよ。空弥さんの読み通りにね・・・・」
「全ては花祭淳二を殺すためだったんだな」
長川は言った。
「花祭は従業員を暴力で制圧するためにチンピラを雇っていたようだし、そいつが取り巻いている状態では返り討ちにされる可能性は高い。だが息子の冬弥が空弥を殺してしまったのならば話は別だ。冬弥が警察に捕まってしまえばすべての悪行が白日にさらされる。それを防ぐためには何としてでも冬弥を警察より前に始末しなくちゃいけない。冬弥から呼び出しのメールが届けば、花祭淳二は絶対に一人で来るっていう確信が、空弥・・・お前にはあったわけだ・・・」
「そうやって、加奈恵ちゃんの友達をこの工場から助けてあげたかったんだよね」
都は笑顔で言った。
「でも、もう社長も逮捕されたし、警察の間違いも含めて全部が証拠として揃っているんだよ・・・・だから・・・・空弥さんの勝ちだよ」
「違う・・・・」
空弥は言った。
「僕は勝ってなんかいない・・・・加奈恵を・・・加奈恵を助けてあげられなかったんだ!」
空弥が目から涙を流しながら絶叫した。2年間の全ての思いを吐き出すように・・・。
「空弥さん」
都は言った。
「空弥さんは、加奈恵さんを助けようとしていたんだよね・・・」

6

「お父さんから聞いたよ。会社を辞めるとき300万円払わされたって。会社を辞めるだけでお金を請求されるなんてよっぽどのことがないとありえないし、ましてや300万円なんてありえないって長川警部から聞いたよ。空弥さんはワガママで辞めたんじゃなかった。酷い会社で全部壊されてしまったんじゃないかな」
都の声に、空弥は頷いた。
「僕は何をやってもダメな男なんだ。だから中学高校、働いてからもいじめられて・・・・父さんや母さんは『病気だから』って僕を守ってくれたし、麻純だって庇ってくれた・・・。でも本当は家族を助けたかった・・・。でも外に出るたびに怖くて動けなくて、悪口が周囲から聞こえてきて、殴る蹴るの痛みが蘇ってきて・・・・体が動かなくて・・・・公園で倒れ込んでいた僕を助けてくれたのが加奈恵だった」
空弥は目を抑えて笑った。
「おかしいよね・・・加奈恵が僕を引き起こしてくれて抱っこしてくれただけなのに、僕を取り巻いていた悪口が消えたんだ。それ以来僕は加奈恵と公園で出会うようになった。加奈恵は言葉をうまくしゃべれなかったが、それでも笑顔が素敵で、本当に何をするわけでもなかったのに、公園で2人でボーッとしているだけだったのに、とても楽しかったんだ。おかげで僕は少しでも外に出られるようになった。アルバイトを探す努力も出来るようにはなっていたんだ。面接でいつも落とされてしまうんだけどね・・・・。でも4月になって、あの子は公園に来なくなった。多分就職とかしたんだろう・・・。寂しかったけど、僕も少しずつ努力をしようって思っていた」
「空弥」
鬼頭静子が口元を押さえて涙を流した。
「それが6月になって、梅雨の季節だった。僕は公園の遊具の下で泥だらけになっている加奈恵を見つけたんだ。あの子は体を震わせていた。すぐに留守だった僕の家に連れて行ってシャワーを浴びせた。でも風呂場の水も怖がって悲鳴を上げて、裸で浴室から飛び出してきてすがりついてきたんだ。その時の体を見て、彼女が何をされたかすぐにわかったよ。僕は自分の離れに加奈恵を連れて行った。あの子は言葉を喋れなかったけど、僕にはわかった。あの子は職場で虐待されていた。そして連れ戻しを異常に恐れていたんだ」
「その時にどうして警察に届けなかったんだ」
長川が信じられないという声で聞くと、
「そんな事お兄ちゃんが出来るわけないでしょう!」
と鬼頭麻純が絶叫した。
「お兄ちゃんは職場で同じように虐待されたのよ。殴られたり蹴られたり給料なし休みなしで働かされ、上司の家の家政婦みたいな仕事までさせられた上に、上司に殴る蹴るお風呂に沈められる被害に遭っていたんだから・・・。お兄ちゃん交番に助けを求めても、連れ戻しに来た上司たちに警察官はお兄ちゃんを引き渡したわ! 『職場内での事は弁護士に相談の上で労働基準監督局に』って言ってね! 結局お父さんは大金を払って会社をやめさせるしかなかった」
「鬼頭・・・・さん・・・・あなたは・・・・」
頭を抱える空弥に佐藤登美子が語りかけた。
「加奈恵さんを助けようとしたんだよね」
都に言われ、空弥は頷いた。
「誰にも言わないで僕の部屋に匿うしかなかったんだ! 誰かに加奈恵がここにいる事がバレたら、加奈恵は強大な暴力によって連れて行かれてしまう・・・でも、結局僕は愚かだった。結局近所の人に通報されて、長川警部・・・あんたに僕は逮捕されたんだ!」
空弥は長川を睨みつけた。
「僕が監禁で逮捕されるのは仕方が無かった。でも僕は強姦罪でちゃんと捜査して欲しかった。加奈恵を酷い目に合わせた人間がいるって・・・・。でも刑事は信じてくれなかった。俺の言い訳だって言って、DNAサンプルも調べようともしなかった・・・・。そのせいで加奈恵はあの花祭の地獄に連れ戻されて、殺されてしまったんだよ!」
空弥は絶叫した。

「僕はやっていない!」
刑務所の面会室で空弥は家族に喚いた。
「加奈恵は別の人間に虐待されたんだ。あの子を助けてくれ!」
「うるさいぞ!」
伸郎は喚いた。
「あなたのせいで、麻純は高校を辞めさせられたわ・・・。。もう・・・限界なの・・・・お父さんもお母さんも・・・・」
静子が憎しみに満ちた目で空弥を見た。
 そして両親は空弥から目を背け、面会室から立ち去った。

「出所した僕は加奈恵を助けなければいけないって思って、片っ端から知的障害者を雇っている工場を探した・・・。すぐには見つからないと思っていたら、『かなえ 知的障害者 工場』で検索しただけで流出したファイルが引っかかったよ。そこで花祭親子が加奈恵を陵辱する動画、加奈恵の泣き顔が写りこんでいた・・・・。僕はそれを見て体が震えたよ・・・。でも必死で冷静になって、そういう趣味の愛好家のふりをして、金を払うから他に動画を見せて欲しいって頼んだんだ。そうやって住所を解析するつもりだった。でも、あの親子はメールでこう言ってきやがったんだ!」
空弥は血を吐くようにして喚いた。

―いや、すいません。実はあの子死んじゃったんですよ・・・。逃げようとしてベランダから飛び降りちゃって・・・。
でも前のならあるから見ていってくださいよ。

 VTRの加奈恵の泣き顔・・・。言葉はなくともその恐怖と苦しみが空弥にはわかった。
 空弥は頭の中が真っ白になった。彼女を自分が死なせてしまったという後悔・・・そしてその時に味わった加奈恵の苦しみ・・・・そしてこいつらが同じように加奈恵の同僚の少女たちを苦しめている現実・・・。
―コロシテヤル…アイツラニカナエトオナジクルシミトイタミヲアジアワセテ…コロシテヤル
 鬼頭空弥の顔がディスプレイの光に照らされ、醜く歪んだ。

「動画のカネを払うと言って冬弥を呼び出し、スタンガンで拉致して僕の部屋に連れて行った。そこで舌とアキレス、声帯を切って拷問し、無理やり加奈恵の両親に送ったあの手紙を書かせてから、ゆっくり解体してやったよ。あの外道を・・・殺されたのが僕だと思わせるために、大声で叫びながら・・・・」
「そしてここでその父親を殺して、そして自分も死ぬつもりだったんだよね」
都は空弥に言った。
「そうすればもう、父さんにも母さんにも麻純にも迷惑をかけずに済んだと思ったんだけどな」
「そんな事ないと思うよ・・・」
都は言った。「絶対ない」
長川は空也の両手に手錠をかけた。
「空弥・・・空弥ぁああああああああああああ」
母親の静子が絶叫する。
 だが空弥の両親も加奈恵の両親も声をかけられないまま、空弥は連行されていった。

 数日後、取調室で、長川はやせ衰えた鬼頭空弥と向かい合った。
「食事をとっていないようだな」
空弥は何も答えない。長川は小さく頷いてから話を進めた。
「君の両親と加奈恵さんの両親に警察関係者として謝罪をしてきた」
「あなたは職務を遂行しただけです。略取誘拐に関しては僕は本当にやっていたわけだから冤罪とも違う・・・」
ここで空弥は初めて喋った。長川は空弥を見た。
「でも、法を執行するうえで許されない怠慢を犯した。そのせいで警察は君の親友と君の家族の人生をめちゃくちゃにした」
長川はため息をついた。
「一番怒っていたのは、加奈恵のお母さんだった。あの子に直接話していながら、あの子を強姦魔に差し出して死なせてしまったんだからな。『どうして鬼頭空弥・・・いいえ、鬼頭さんの話を聞いてあげなかったんですか』『もう二度と来ないでください』って言われたよ」
空弥は無表情のままだったが、長川警部は続けた。
「でも一番来たのは、君の妹さんの言葉だった。『警察は一生許せないけど、私もお兄ちゃんを裏切った一人です。だから怒りません』。警察は17歳の女の子にあんなことを言わせたんだ・・・」
長川警部は空弥をもう一度見た。
「君が死んでしまっても、君の家族を救えないことはわかっているだろう・・・・」
「それでも・・・・食べることはできないんです・・・・」
空弥は呟くように言った。
「わかった・・・・。でも加奈恵さんの事でどうしても伝えたいことがあるんだ。聞くだけ聞いてくれないか・・・?」
長川は言葉を紡いだ。
「あの子、辛いはずなのに警察の為に検査を受けてくれたんだ。あの時私は『これで本当のことがわかる』って言ったら、あの子笑ったんだよ。あの時私は、自分の被害を誰かに分かってもらえて笑ったと思ったが、今は違うとわかる。あの子はあの時、君の無実をわかってもらえると思って安心したんだ。あの時の笑顔は、君が救われたのもわかる・・・素晴らしい笑顔だった」
空弥は下を向いた。
「空弥君・・・・あの子は君のためにならどんなに苦しくても笑顔になれる子だ。そんな彼女がお前が自分を傷つけ続けるのを見て、笑顔でいられると思うか?」
空弥は何も答えなかった。
「あの子のあの時の気持ちを君がもし考えるとするならば、きっともう死んでもいいなんてヤケは起こさない。私はそれを信じている」
長川はそれだけ言うと、席を立って取調室を出ていこうとした。
「長川警部・・・・」
空也は顔を両手で押さえて肩を震わせていた。
「ありがとう・・・・ございます・・・・・」

 警察署前の道路を歩きながら、長川警部は考えていた。
 警察組織は冤罪とも不祥事とも考えていないようだった。鬼頭空弥について略取誘拐罪自体は成立していたからだった。それに加えて強姦では起訴されていないわけだから記録上は冤罪にはなりえない。とにかく警察署に数週間泊まり込んでいた長川は上司から帰宅を命じられた。
 今回の不祥事は長川が主導したものではない。しかし組織の一員として長川も責任の一端をになっているのは確かだ。
 いや、それ以上自分には責任はあったのではないだろうか。長川は考える。あの時、加奈恵の気持ちを理解してあげたら・・・・彼女を陵辱したのが本当は別人かも知れないという可能性を考慮していれば・・・。あの時上司がDNAサンプルを本人と照合するという当たり前のことを上司がしているか気にかけていたら・・・。
 加奈恵は死なずに済み、空也の家族の人生も崩壊せずに済み、そして空也も重い罪で処断されることも、復讐殺人に走ることもなかった。そして加奈恵のような被害者もずっと少なく出来たはずだ。そう、警察が法の執行者として当たり前のことをしていれば・・・・。、
「長川警部」
ふと顔を見上げると、都と結城が出迎えている。
「大丈夫?」
都は聞いてきた。
「あ、大丈夫だ。まあ、鬼頭空弥に言うことは言ってきたさ。あれで生きて罪を償ってくれればいいんだが」
「大丈夫だよ」
都は笑顔で言った。
「空弥さんは、もう加奈恵さんを悲しませることはしないから・・・」
ふと長川警部は都の小さな方を両手で掴んだ。
「警部?」
都はきょとんとした顔で言った。
 長川は声を上げることはなかった。しかし都の肩を掴んだまま崩れ落ちた。
 体を震わせる長川の頭を撫でながら、都はこの女警部が教えてくれたことを絶対に忘れないと心に誓った。

おわり

 

 

業火の亡霊2


業火の亡霊 事件編
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2年前の少女自殺事件は、被害者が知的障害という理由で、自殺の原因を作った強姦魔鬼頭空弥は軽い罰で済まされた。
しかしその鬼頭空弥は全く反省なんてしていなかった。
そして犯人によって彼の部屋が放火され、空弥の焼死体が発見された。

■容疑者
佐藤祐市(49):会社員。自殺した佐藤加奈恵の父親。
・佐藤登美子(47):パート。加奈恵の母親。
・鬼頭伸郎(53):会社役員。空也の父親。
・鬼頭静子(51):専業主婦。空弥の母親。
・鬼頭空弥(27):無職。
・鬼頭麻純(17):空弥の妹。JKビジネス。
・花祭淳二(50):知的障害者雇用工場社長。
・花祭冬弥(26):淳二の長男。人事担当。

3

「長川警部うううう」
常総警察署にやってきた女子高生島都は元気よく手を振った。その笑顔を見て長川警部は癒された。
「呼び出して悪かったな。今日はちょっと証人として来てもらったんだ」
「大丈夫だよ、長川警部。警部と私はネットリとした関係じゃない!」
都は手を伸ばして警部の背中を堂々と叩いた。
「でもまさかストーカー野郎が殺されるとはな」
結城竜が都の後ろから感慨深げに言った。
「ああ、でも大体犯人はわかっている」
長川は会議室に都を案内しながら少し辛そうに言った。
「殺された鬼頭空弥は2年前、15歳の少女を強姦して逮捕されている。でも被害者は知的障害もあって後半で証言を信用してもらえる可能性が低いことから、結局強姦では立証できず、被害者は自殺。空弥は監禁容疑のみ適用されて2年で出所したんだ」
「それを恨んでいるそのその少女の遺族あたりが犯人だと警察は睨んでいるのか?」
結城は言った。
「いや、警察は既に1人指名手配している」
長川は努めて冷静だった。
「花祭冬弥っていう、2年前の被害者の少女が勤めていた会社の社長子息で、彼女と親しかった青年だ」
「どうして?」
都が目をぱちくりした。
「鬼頭空弥は逮捕前も出所後も引きこもり生活を続けていて、交友があるのは両親と妹くらいだ。だが、奴が性的虐待を加えた少女佐藤加奈恵の両親や親しい知人には基本的に全員にアリバイがあったんだ。その中で唯一アリバイがなく、そして昨日工場に出社していないのが、この花祭冬弥なんだ」
長川は都に写真の好青年の姿を見せた。
「事件後に姿を消したとなれば、確かに怪しいが」
結城は写真を都と覗き込んだ。
「物的証拠もある」
長川は別の紙を取り出した。
「これは鬼頭空弥がレイプした少女の両親あてに届いた手紙だ」
長川はビニールに入った手紙を見せた。そこにはこう書かれていた。

―加奈恵のお父さん、お母さん
鬼頭は僕が殺しました。この手紙を警察に持って行ってください。

「鑑定の結果、間違いなく花祭冬弥が書いたものだった」
都はしげしげと眺めてから、長川警部に聞いた。
「警部は花祭って人が犯人だって思っているの?」
「警察官としてはその可能性は高いと思っている。でも長川朋美としてはちょっと信じられないね」
長川はここで厳しい目をした。
「彼には前の事件で何度かあったことはあるが、少なくとも復讐なんて考えているようには見えなかった。この前に会った時に一緒に花を手向けたんだが、自殺した加奈恵が教えてくれたのは優しさで、その優しさで少しでも人のためになることが彼女への供養になると言っていた。その言葉を信じたいという気持ちはある。それにだ・・・・」
長川は都をじっと見た。
「もし、この手紙が脅されて書かされたものだとしたら、犯人は冬弥に罪をなすりつけるつもりじゃないか。その犯人が冬弥を生かしておくと思うか? 事態は切迫している可能性だって十分ある」
「そっか」
都は言った。
「長川警部は冬弥さんを助けたいんだね」
「全く私的な理由でな」
「ううん、警部の人を助けたいって気持ちは大好きだよ」
都はニッコリと笑った。
「別にあらゆる可能性を考えるってのは悪いことではないだろう」
結城も頷いた。
「すまないな」
長川は頭を掻いた。
「それじゃあ、私たちを連れてってくれるかな」
都は笑った。
「加奈恵さんのお父さんお母さんと、ストーカーさんの家と、冬弥さんの家に」

「長川警部は本当にいい刑事さんでした」
遺影の中の加奈恵の見守る部屋で、加奈恵の母親、佐藤登美子は都に話しかけた。
「他の刑事さんが加奈恵の証言能力に問題があると早々に捜査を打ち切ったのに、長川警部は親告罪ではない強姦致傷罪で鬼頭を裁こうとしてくれたんです。上司を説得して、娘を病院に連れていって、傷がないか一生懸命探してくれました」
「でも鬼頭は狡猾でしたよ」
佐藤祐市は顔を震わせた。
「あいつは、加奈恵が服を着たらわからないように狡猾に考えて、あの子を陵辱していた・・・」
父親は顔を怒りで充血させていた。
「あの子は命を絶たなければいけないくらいに苦しみ続けたのに、あの男は2年間、たった2年間で全て終わりですよ。たった2年で許さなければならないんですよ、私たちは!」
「せめて民事で訴えられなかったんですか?」
結城は言った。
「弁護士に言われました。知的障害者はもともと家族に負担になる。それがいなくなったという理由で裁判を起こしても被害認定はされないって・・・・誰も弁護を引き受けてくれませんでした。あの子は私たちの宝物だったのに・・・。確かにあの子は言葉をしゃべることは出来ませんでした。でも人の言葉はわかった・・・。そして思いやりの気持ちを持った、とても純粋で・・・・あの子の笑顔や優しさは、私たちにとってかけがえのないものだったのに・・・・」
父親は怒りで肩を震わせた。
「こんな事を言ってはそしりは免れませんが・・・冬弥さんには感謝をしています・・・あの小汚い鬼畜を虫けらのように殺してくれたんですから・・・・」

「ふー」
結城はため息をついた。
「なんで障害があるだけでこんなに差をつけられなければならないんだ」
「私が答えられると思うかい」
長川はぽつりと答えた。
「あの夫婦のアリバイはどうなんだ?」
「これから行く鬼頭空弥の家の離れが出火したとき、夫婦はそろってカウンセリングを受けに50km離れた千葉県内の病院にいた。証言も取れている」
「ストーカーさんの家族にはアリバイはないんだね」
「全員家にいたそうだ。空弥のいた離れの出火に気がついて最初に通報したのは、空弥の両親だからな」

「あのう・・・・この人たちは・・・・」
鬼頭静子は訝しげな顔で結城と都を見た。
「息子さんがストーカーをしていた別の被害者です。少し捜査協力をしてもらっています」と長川。
「息子が大変ご迷惑をおかけしました」
「わわわ、大丈夫ですよ」
都はきょとんとした顔で頭を下げる鬼頭伸郎にあわあわしながら言った。
「失礼ですが、空弥さん・・・ずっと引きこもっていたのですか」
結城は伸郎に聞いた。
「ええ、中学高校と不登校で、一度就職しましたが、甲斐性がなくたった3ヶ月で無断欠勤するようになり・・・結局三百万近く賠償して会社を退職させました。それからずっと離れに引きこもりですよ。時々出かけていたようですが、まさか女性を物色していたとは・・・・。部屋に入ろうとすると暴れるようになったのは、ちょうど加奈恵さんがあいつに誘拐されてからです・・・・。無理やり追い出すべきでした。あるいは親として殺すべきでした・・・。加奈恵さんの両親、それから花祭さんの御子息には大変申し訳ない・・・・」
伸郎は肩を震わせた。こっちも地獄だ・・・結城は思った。自分の息子が殺されたのに、息子を殺した犯人に謝らなければならないなんて・・・。
「出所後もずっと引きこもっていたんですか?」
長川は聞いた。
「ええ、部屋に入ろうとすると暴れられました。それから真夜中に奇声を上げるようにもなって・・・・あいつが殺される時、その悲鳴も聞こえていました。でも本当に殺されているとは」
「私も聞きたかったな。お兄ちゃんの悲鳴」
父親の横で空弥の妹、麻純がハイライトのない目で不敵に笑った。
「私もあいつをぶっ殺してやりたかったもん」
「あの」
都が目をぱちくりさせた。
「空弥さんの部屋、見たいんですけど」

 焼けただれた離れは規制線が張られていた。ただし発見が早く、倒壊は免れている。長川は見張りの警官に警察手帳をかざし、都、結城、麻純と一緒に中に入った。中ではパソコンやベッド、本棚が焼けただれ、CDケースが溶けでてめちゃくちゃになっている。
「ここにお兄ちゃんの死体はあったよ」
麻純は言った。
「ボクシングみたいに手を伸ばして黒焦げになってね」
妹は笑いながら言った。
「熱硬直って奴か」
結城は唸った。
「うーん」
都は考えた。
「犯人は空弥さんをナイフでメッタ刺しにしてから火をつけたんだよね。でもなんで火をつけたんだろう」
「証拠を残したくなかったんだろう」
「だったら死体にだけじゃなくって、部屋中に灯油をかけるんじゃないかな」
都は結城を見た。
「確かに・・・死体が蝋人形みたいに燃えていたせいで、全焼は避けられているからな」
長川はある程度どんな部屋だったか、燃え残りで確認できる部屋を見回した。

「これが全部都の写真だったのか」

壁に貼られた溶け落ちた写真の痕跡を見て結城が絶句する。
「ううううう、私の写真が黒焦げだよぉ」
都が残念そうに言った。
「そこかよ」
結城は唸る。
「なあ、都・・・都ならどう考える? 死体が燃やされた理由」
「2つ考えられるな」
考え込む都の代わりに結城は言った。
「まず第一に死体の身元が本当は空弥じゃない可能性」
「それはない。死体のDNA鑑定で身元は特定されているんだ」
「そのDNAサンプルが家族が供出したものだったら、何か偽装されている可能性はあるんじゃないか」
結城はきっと睨みつける麻純を見ながら言った。
「それはないよ」
長川は言った。
「前の佐藤加奈恵強姦事件の時の、彼女の体に付着していた体液から照合サンプルが取れているんだ。警察の保有するサンプルだからトリックのしようがない」
「となると」
結城は言った。
「死体を燃やした理由は死亡推定時刻をごまかすため・・・つまり時限発火トリックか何かを使えば、殺人の時間を偽装できるわけだ」
「だがそんな類の痕跡は発見されていないぞ」
長川は言った。
「例えば蝋燭を死体の上に設置すれば確かに時間が経てば死体燃やせるし、証拠も残らないだろうが、それで作れるタイムラグはせいぜい30分、佐藤夫婦や事件当時商工会議所にいた花祭社長のアリバイを崩す事は出来ない」
「そっか」
都は頷いた。

「くそっ」
鬼頭家を辞退した都、結城、長川が次の花祭工場まで行く途中の道で、結城は頭を掻いた。
「絶対に犯人が死体を燃やした理由があるはずなんだ。しかし身元を騙すためでもない、死亡推定時刻を偽装する為でもない・・・だとしたら目的は何なんだ?」
「目的は大体わかってるよ」
都は結城を見た。
「佐藤さんの家と鬼頭さんの家で、おかしなことを言っている人が一人ずついたんだもん」

4

「なんだって?」
午後の街角の路地で結城が声を上げる。
「うん」都は言った。
「でも私の考えが本当かどうかはまだわからないんだよ。だからこれから花祭冬弥さんのお父さんの話を聞きたいんだ」
「わかった」
長川は都の表情にただならぬものを感じ、頷いた。

 当然だが、工場の事務室で花祭淳二は頭を抱えていた。
「どうして・・・どうして息子が・・・・・加奈恵の為に頑張るって言っていた冬弥が・・・・復讐なんて愚かなことを」
「あの・・・・」
結城が泣きはらす淳二にハンカチを差し出した。
「す・・・すいません・・・・」
淳二はハンカチを受け取った。
「こんな・・・・こんな事をすれば・・・みんなのこの工場がなくなって・・・・この工場のみんなは行き場所をなくしてしまうと言うのに・・・・どうして・・・うううっ・・・・・」
淳二はここで長川の肩を掴んだ。
「刑事さん・・・なにかの間違いなんですよ・・・冬弥がそんなことをするはずがない・・・あの子はもっと聡明で優しい子なんです・・・・何かの間違いなんです・・・・お願いします・・・お願いしますよ」
「こちらは真実を究明するために全力で捜査しています」
「何が真実だ!」
淳二は喚いた。
「加奈恵の尊厳を傷つける形であの鬼頭を軽い罪にした警察が真実だと!? その言葉なんて信じられるか・・・・今回だって冬弥を冤罪にするつもりなんだ・・・・もう警察なんて信じられるか・・・・散々理解者のフリしやがって・・・お前も知的障害者を助けるやつなんて、碌でもない犯罪者だと思っているんだろう!」
淳二は長川に書類を投げつけた。
「出て行ってくれ!」
長川は小さくため息をつくと、床に散らばった書類をまとめて机の上に起き、一礼して退出した。

「ふー」
「お疲れさんだったな」
工場の外で結城が長川に言った。
「別に・・・刑事の仕事をしていれば、こういう事は往々にしてあるさ。そんな中でも粛々と公務を執行するだけ・・・。そんなにお疲れさんでもねえよ」
長川はため息混じりに言う。
「でも都の聞きたいことは聞き出せなかったな」
「そうでもないよ・・・」
都は考え込みながら言った。
「これでわかった・・・・残念だけど冬弥さんは冤罪なんかじゃない・・・この事件を引き起こした犯人の一人だよ」
都は長川警部の顔を見た。
「そうか・・・・」
長川はそれだけつぶやいた。
「それが淳二のあの発言からわかったんだな」
結城は聞く。
「うん・・・・それを証明するために、長川警部にちょっと調べてほしいことがあるんだよ」
都はひと呼吸おいてから頼みごとを長川にした。だが、その都の頼みごとを聞いて、長川は思わず叫んだ。
「都! それに何の意味があるんだ!」
いつも都の頼みならすんなり聞いている理想的な推理漫画の警部が、今回は違う反応をした。だがそうせざるを得ない頼みごとだったと結城竜は納得した。
 都は落ち着いて、警部をまっすぐ見ながら喋り始めた。
「私の推理はね・・・・」
納得していた結城も目の色が変わり、驚愕のあまり顔が震えた。そんな事があるのか・・・・。この真実はこの陰惨な事件をさらに何倍も陰惨な物にする内容だった。
 結城は長川を見た。長川は真剣な表情で都を見ていた。だが結城はその事実に長川が耐えられるか不安だった。いくら冷静な女警部でも、突然崩壊するのではないか・・・都の推理はそんな内容だったからだ。
 だが杞憂だった。長川は都の話を聞いて、小さく息を吐いた。
「わかった。都がそういうんなら、それを確かめなきゃダメだろう」
長川はそれだけ言った。
「長川警部・・・ありがとね」
都はにっこり笑った。長川はそれに答えず、都に背中を向けた。
「ふーーーーーーー」
都は結城に笑いかけた。
「私の推理、外れてたらいいね」
「ああ」
正直その可能性は低いと結城は思った。

 かなり無理な願いであったが、長川は警察組織を動かした。そしてその結果を警察署の事務机で待ちながら、思い出していた。
 加奈恵の笑顔を・・・・。

 言葉が喋れず、「あーーーー」「ううううう」としか言えなかった加奈恵。でも必死にトラウマに耐えながら裸になって長川警部と科捜研によって体中を調べさせてくれた。
 全ての検査が終わったあと、長川は言った。
「ありがとう・・・・」
「あ・・・・・あ・・・・・・」
加奈恵は涙に濡れながら声を上げた。
「だいじょうぶ・・・・・」
長川は言った。
「かなえが・・・・しゃべれなくても・・・・・だいじょうぶ・・・・・」
「だ・・・・・・い・・・・・・・」
「ほんとうのことが・・・・・わかる・・・・・・・・」
「ほ・・・・・と・・・・う・・・・・・」
その言葉に加奈恵は安心したようにニッコリと笑った。
「かなえの・・・・・おかげ・・・・・・ありがとう・・・・・・」
長川は加奈恵の手を取ってゆっくりと振った。

 そこまで思い出して、長川は頭を抱えた。
―どうか嘘であってくれ・・・・。
「長川警部・・・」
鈴木が事務室に戻ってきた。長川が憔悴した顔をあげる。
「都ちゃんの言うとおりでした」
残酷な宣告だった。しかし長川は悲しむことはなかった。
「もしそれが本当なら、犯人はあと一人殺すつもりだ。警察としてその殺人は絶対に阻止しなければならない」
長川は部下を見回した。
「直ちに出発だ」
長川はそう言うと「はい」と返事をする部下の先頭に立って、捜査本部を飛び出した。だが一瞬廊下に立ち止まり、力いっぱい壁を殴りつけた。
「くそったれ・・・・」
長川はそれだけ言うと、再び廊下を歩きだした。

 殺人者は闇の中で最後の標的が来るのを待っていた。
「加奈恵・・・もう大丈夫だよ。あと一人殺せば、加奈恵の願いは叶う・・・・必ず助けてあげるからね・・・・」
殺人鬼はそうつぶやきながら、その時を待った。
 人の気配がした。時間通りに標的はやってきたのだ。殺人者は標的が近づいてくるのを、両手にロープを結わえたまま息を殺して待った。
「無駄だ」
あの女刑事の凛とした声がして、殺人鬼はうろたえた。
 同時に数人の警官と事件関係者・・・そしてあの女子高生探偵とその友人の青年が次々と真っ暗な倉庫に入ってくる。
「お前が殺そうとしている奴はもうやってこない・・・・もう全て分かっている。佐藤加奈恵の復讐の為に彼女を陵辱した男を殺害した犯人は・・・・お前だ!」
電気がついて、復讐殺人の犯人の姿が関係者によって白日のもとにさらされた。

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さあ、全てのヒントは提示された。
今回の設問は簡単。ズバリ、佐藤加奈恵の復讐の為に今回の殺人を引き起こした殺人事件の犯人は誰か!
下の登場人物の中にいる!

■容疑者
佐藤祐市(49):会社員。自殺した佐藤加奈恵の父親。
・佐藤登美子(47):パート。加奈恵の母親。
・鬼頭伸郎(53):会社役員。空也の父親。
・鬼頭静子(51):専業主婦。空弥の母親。
・鬼頭空弥(27):無職。
・鬼頭麻純(17):空弥の妹。JKビジネス。
・花祭淳二(50):知的障害者雇用工場社長。
・花祭冬弥(26):淳二の長男。人事担当。

業火の亡霊1

少女探偵島都
【業火の亡霊】導入編
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1

 1年前―。ある少女が自ら命を絶った。
 その少女の死が、今回の連続殺人の引き金になった。

―こちら、アルファ・・・・現在異常なし。
「こちら、シータ。こちらも現在異状なし・・・オーバ」
夕方の住宅地で携帯電話で男達が連絡を取り合っている。
「よーし、まもなくコードネームエンジェルがそっちに到着する。散開して安全地帯を確保しろ」
黒服に黒メガネの長身の男はそう舎弟に命令すると、隣にいる小柄なショートカットの下校途中の高校1年生の美少女に得意げに笑いかけた。
「現在都さんのご自宅に不審人物は確認されていません」
「おおおおお」
島都は感動に瞳を輝かせた。
「結城君! しーくれっとさーびすだよ、しーくれっと! まとりっくすだよー」
「何がシークレットサービスだよ」
結城は皮肉交じりに、長身の男子高生北谷勝馬を見た。
「どう見たって『明後日!男塾』じゃねえか。脳みそだけが民明書房な」
「へっへっへ、さては己の役立たずさ故に嫉妬しているな」
勝馬は完全に有頂天になっている。暖簾に腕押し状態な現状に、さすがの結城竜も突っ込みあぐねていた。
「瑠奈ちん、千尋ちゃん。2人ともストーカーに狙われた時には勝馬君に頼めばいいよ」
「ぜひぜひ是非そうしてください!」
勝馬は鼻息を荒く、横に居る黒髪ロング美少女で都の幼馴染、高野瑠奈の手を握った。
「え、えええ・・・考えとく」
その横で結城の同級生の藪原千尋は一歩引いた状態で、勝馬と結城のやり取りを俯瞰していた。
「どうしたの? 千尋ちゃん・・・・」
都がどんぐり眼で千尋を覗き込む。千尋は呟くように言った。
「これ、結城君がストーカーされたら、勝馬君は結城君のシークレットサービスになるって事だよね。24時間一緒。お風呂も一緒、寝るときも・・・・・クケケケケケケケケ」
千尋の猟奇的な妄想に都は「ひぃいいいいいいいい、コワイヨォオオオオオオオオオオ」と絶叫し、瑠奈は「千尋、あなた自身がストーカーにならないでよ」と突っ込んだ。
 やがて、都のアパートに到着した。都がドアを開けようとすると、勝馬
「待ってください・・・僕が先に行って爆発物がないか確かめます」
「ねぇよ」
結城は突っ込んだ。だが、突然ドアが自動的に開き、その勢いでドアが勝馬の顔面に激突した。
「女の子の部屋に勝手に入らないでくれます?」
中学生で結城の従妹の結城秋菜がじとっとした目で勝馬と結城を見る。
「家の中では私が師匠を守りますから・・・」
空手を習っている格闘少女は男連中を威嚇するように見回してから、「師匠、瑠奈さん、千尋さん・・・どうぞ、デリカシーのない兄貴でごめんなさい」と女性陣を招き入れた。そして「フンス」と結城と廊下に伸びている勝馬に鼻息を荒く見回すと、そのままバタンとドアを閉めた。
「俺は何もしてねえよ」
結城は鼻を押さえる勝馬の横で不満げだ。アパートの階段を下りたとき、警官が2人、勝馬と結城を出迎えた。
「ご苦労、不審人物はいないよ」
「いや、いっぱい不審人物の通報があった」
「なんだって!」
勝馬が怒号をあげる。
「どこだ、ふてえやつは」
「あんたらだよ」
警官の片割れが突っ込んだ。その背後の道をバイクに乗った勝馬の舎弟4人、内一人は板倉大樹という男だ・・・・が「ひいいいいいいい」と言いながらパトカーに追われていた。
―そこのバイク止まりなさい!
「ちょっと署まで同行してくれるかな」
それを見送ったあとで警察が結城の肩に手を置いた。
「俺は何もしてねぇえええええええ」
結城は嘆き声を上げた。

「それで」
常総警察署で金髪の若手、鈴木巡査部長が結城に声をかけた。隣の取調室では
「腑抜け警察がぁあああ、俺よりもストーカー野郎を捕まえろって言うんだァああああ」
勝馬が喚いている。
「隣でわめいているのは、都ちゃんがストーカーされていて、それを守るために住宅地でウロウロしていたと」
「それは俺が証人になるよ」
殺人事件でかち合って顔なじみになった鈴木刑事に、結城はため息をついた。
「でも、都ちゃんにストーカーとはね。確かに可愛い子だとは思うが、警察は彼女が推理で事件を解決していることは基本伏せている。女子高生探偵として狙われているってことはないとは思うが、結構高校生探偵みたいなことしている全国の少年少女の情報のまとめサイトが林立するくらいには情報は流れているからな」
確かに、警察が守秘義務を守っても事件関係者はそうはいかないだろう。
「警察として、相談には乗るぞ」
鈴木は手帳にメモを取りながら言った。
「最初に都のアパートの新聞受けに手紙が入っていたんだ。『あなたが好きです』『付き合ってください』とか。そして都が通学するとき、通学路で待ち伏せして一眼レフカメラでパシャパシャやる小太りの20代の男が何度か。まあ、都はストーカーだとは思わずに、純情な気持ちで告白されたと思って、ものすごく悩んでいたみたいで、高野に相談したらしい。ホラ、あいつってそういうのって免疫無いだろう」
「確かに」
鈴木は頷いた。
「で、高野はこれはストーカーだと判断して俺に相談したってわけだ。手紙の内容も卑猥になってきていて、俺もヤバイとは思っているんだが」
「卑猥って・・・どんな」
「ブラのサイズとかオ〇ニーいつ始めたとか・・・手紙実物は後で持ってくるよ」
結城は言った。
「そりゃ、都ちゃん、怖がっているだろう」
鈴木は都に同情した。
「いや、どうも都はオ〇ニーって言葉を知らんらしい。藪原の影響で腐女子用語か何かと思っているようだ」
見た目も思考も小学生な都の「きゃはっ」という笑顔を鈴木は思い出した。結城はここまで言ってから周囲を見回した。
「こういうことは長川警部に相談したいんだが、長川警部はいないのか?」
「あの人は本庁の人だからな。いつもは水戸にいる。それに今日は非番だ」

 ある団地の一室の仏壇の中で、ひとりの少女の写真が微笑んでいた。茨城県警の長川朋美警部は静かに手を合わせた。
「あなただけですよ」
少女の父親の佐藤祐市が小さくため息をついた。
「毎日娘の様子を見に来てくれるのは」
「他の警察関係者は、娘の気持ちを全然汲み取ってくれなくて・・・」
少女の母親、佐藤登美子も無念の表情で下を向く。
「本当に月命日の度にありがとうございます・・・」
「いえ」
長川は沈痛な表情で両親を見回した。
「加奈恵ちゃんの事件・・・強姦罪で起訴できなかったわけですから、本当に無力で申し訳ありません」
そういうと長川は両親に深々と頭を下げた。
「あの男が・・・出所したんですか」
登美子が小さく呟くように言った。
「ええ、本来であれば最低6年は実刑を受けるはずだったのですが」
「なんで、強姦じゃないんです? あの男が娘を誘拐して・・・体中を傷だらけにしたのは本当なんですよ。それに体内にはDNAも残っていたのに・・・なんで警察は強姦で起訴してくれなかったんですか?」
「登美子・・・」
祐市が妻をたしなめる。
「だって・・・・あの子がかわいそうじゃない。あんな男のせいで・・・加奈恵は心に傷を負わされて・・・あんな男のせいで・・・。なのにあの男はたった2年で出所なの? ねえ」
登美子が泣き乱しながら、祐市の肩を揺り動かす。
「すいません、警部さん。妻を落ち着かせたいので帰っていただけませんか?」
祐市の声には警察への不信感がにじみ出ていた。
 長川は両親に一礼して、部屋を辞退した。

 事件は2年前に発生した。当時15歳の包装工場職員の少女佐藤加奈恵が、近隣に住む25歳のニートの男に誘拐された。自宅に拉致された加奈恵はそこで陵辱を受け続けた。職場の通報で警察が男のアパートを訪問し、加奈恵は保護された。しかし検察も警察も強姦での立件には消極的だった。
 それは被害者が知的障害者だったからだ。法廷での証言は得られない、得られても認められにくい。そういうこともあって警察も検察も強姦に関しては不起訴とした。結局加害者の男は未成年者略取の罪のみに問われ、懲役2年の実刑判決を受けた。一方で強姦被害を受けたであろう加奈恵は、その被害のフラッシュバックに悩まされ続け、1年前に職場の屋根から飛び降り自殺をした。
 警察が性的虐待を立証できていれば、その罪で加害者の男を裁けていれば、きっとそれで加奈恵は救われただろう。しかし警察は、15歳の少女はエッチ目当てで近所のニートの家に入り込み、その男と寝たと認定した。もちろんそれでも未成年者略取罪にはなるが、これによって裁判所も社会も「被害者が愚かだったからそうなった」という論調で話を進めた。
 それが、15歳の少女をどれほど苦しめたのか。
 長川は当時警部補として捜査に携わったが、加奈恵に話を聞いた長川は、加奈恵が必死で何かを伝えようとしていたのを感じた。だが、当時の班長は言った。
「長川、こいつの証言なんて誰も採用しない・・・時間の無駄だ」
よりにもよってそれを加奈恵の前で言ったのだ。加奈恵は長川に物凄く悲しげな目を向けていた。
 その後加奈恵は目立って痩せていき、無表情になり、何も興味を持たなくなった。被害に遭う前は言葉を喋れなくても好奇心でいつも目を輝かせているような女の子だったという。
 しかし、警察の不誠実な対応が、少女の全てを壊した。そして少女は死ぬしかなくなった。
 団地の階段を下りながら、長川は毎回のように同じことを考えていた。この事件を忘れてはいけないと。

 長川はその足で、今度は2年前の加害者の実家へ向かった。加害者の実家は一戸建てだった。
 チャイムを押す。やがて父親の鬼頭伸郎の声で「はい」と誰何が帰ってきた。
「あの、茨城県警の長川です」
「あなたですか」
虚ろな声が帰ってきた。
「息子の空弥はもう罪を償って出てきましたが」
「その空弥君から、話があると呼び出されておりまして」
インターフォンの向こうが少し黙った。やがてドアが開き、母親の鬼頭静子が出てきた。目の下に熊が出ている。

「どうぞ」
母親はリビングに通した長川にお茶を出しながら言った。
「刑事さんにはご迷惑をおかけしました」
父親の鬼頭伸郎が禿げた頭を下げながら謝罪した。
「いや、仕事ですから」
長川は努めて冷静に言った。
「息子の部屋は、前と同じです」
伸郎がそういった時、長川は思わず驚いてしまった。
「あの離れ、まだあるんですか?」
「申し訳ない」
父親は察して長川に頭を下げた。
「いや・・・・」
長川は手をかざして謝ろうとする伸郎を止める。
「息子は、あの中ではないと落ち着かないらしくて」
「今、息子さんはあの離れに?」
長川が聞くと、静子は頷いた。

 母屋の離れ。プレハブのこの空間がまだあったとは・・・。
 長川は重苦しかった。なぜなら佐藤加奈恵はこの部屋に監禁され、陵辱されていたのだから。そしてこの部屋の中で恐怖に震えていた加奈恵を発見したのは、長川本人だったのだ。
「鬼頭・・・来たぞ!」
長川が声を上げると、プレハブの扉が開き、2年前の拉致強姦事件の犯人鬼頭空弥が顔を出した。でっぷりした不潔な男。2年前と全く変わっていない。
「よく来てくれたねぇ・・・」
鬼頭は不敵な笑みで長川の胸あたりを凝視した。
「さぁ、入って入って」
部屋の中は前と違ってものすごくグチャグチャになっていた。前に来た時は加奈恵に掃除をさせていたのだろう。そして・・・・長川は驚愕した。
 部屋一面に貼られ、引き伸ばされていたのは隠撮したに違いない、知り合いの女子高校生探偵島都の写真だった。
 そう、ストーカーの犯人はこいつだったのである。

2

「デュフフフフフフー、かわいいでしょーーーー。島都ちゃんの写真。こんな子が女子高校生探偵としていくつもの事件解決しているなんて・・・凄いよねぇ。でも、そんな子が逆に犯人に捕まったら、どんなことになるんだろうねぇ。こんな可愛い子だから、きっと拉致監禁されて、いっぱいエッチな事をされるんだろうね」
強姦前科者鬼頭空弥はヘラヘラ笑った。
長川は直感した。こいつは反省していない。そして高確率でまた加奈恵みたいな被害者を出すだろう。
 コイツの部屋で写真とは言え都の顔を見るとは・・・長川の声が震えた。
「お前なんのつもりだ・・・これを見せるために私をここに呼んだのか?」
歯ぎしりしながら叫ぶ。だが鬼頭は馬鹿にするように言った。
「違うよ違うよ・・・僕はこの手紙を受け取ったから、これについて長川警部に相談したかったんだよぉ」
「何ぃ」
空弥は長川に一枚の紙切れを渡した。新聞の文字を切り取って作った脅迫文だった。

―お前を地獄の炎で焼ク

 それだけ書かれていた。
「僕すごく怖くってさぁ。夜も眠れないんだよ。僕を守ってくれるのは島都ちゃんしかいないと思ってさぁ・・・・知り合いの長川警部にお願いしたいんだよ。都ちゃんをここに呼んで・・・そして僕のこの部屋に泊まって欲しいんだって伝えて欲しいんだよ」
長川は空弥の胸ぐらを掴んだ。
「お前のような奴のこんな部屋に、私が都をやると思っているのか!!!?」
「でも善良な市民に助けを求められて、それで黙っているなんて、女子高生探偵がしていいと思っているの?」
空弥は舌なめずりをしながら、あきらかに性的快楽に身をゆだねていた。長川は突き飛ばすように空弥から手を離した。
「とにかく、所轄警察に巡回するように伝えておいてやる。だが都はお前に近づけさせない!」
長川はそれだけ言い放つと、離れから出た。憤りを隠せない。やり場がない・・・・。
「お兄ちゃん・・・反省していなかったでしょ」
毳毳しい、あきらかにお水をやっている若い女性と鉢合わせをした。だがその面影は2年前そのままだった。
「麻純ちゃん・・・だね・・・」
長川は言った。
「警部さん・・・なんで高校に行っていないの? って一瞬聞こうとしたでしょう」
平日の昼、高校3年生になっているはずの鬼頭麻純は肩を震わせた。
「高校なんてとっくにいられなくなったわよ。そしてバイト先の上司からは『兄の罪を考えれば社会は君が訴えるなんて許さない』って私を犯した。だから私はそっちの仕事をしているの。JKビジネスしか私を受け入れてくれるところなんてないしね・・・・お兄ちゃんなんて死ねばいいんだ!!!!!!!!!!!!」
麻純はそういうっと母屋の縁側に消えた。長川警部はやりきれない思いで見ていたが、自分の携帯電話番号と「次に誰かにひどいことをされた時には私が相談に乗る」とペン書きしたメモを、縁側のサッシに挟んでおいた。

 長川は次に、加奈恵が働いていた包装関係の町工場を訪れた。
「警部さん、毎月ありがとうございます」
出迎えた花祭淳二は40代の温厚そうな社長で、知的障害を持つ15歳の子供たちを積極的に雇い入れていた。
「あの子は両親思いの一生懸命な子で・・・本当に彼女の笑顔が職場に元気をくれていました」
事務所の応接室で花祭はため息をついた。
「警部さん。鬼頭が出所するということでみんな怯えていますよ。あいつはまたここに来るんじゃないかって。あの子達はわかっているんですよ。自分が障害を持っているって・・・そしてねぇ・・・社会がそれを理由に加害者の刑期を短縮することをしたせいで、あの子達は自分が何をされても仕方がないって思ってしまっている・・・・。あいつが大した罰を受けないで出所するってどういうことだかわかりますか?・・・・・って警部さんに言っても仕方はありませんが」
「いえ、その通りだと思います」
長川は無念この上ない沈痛な面持ちで頭を下げた。
「加奈恵さんが自殺してしまった責任の一端は、警察にもあると思っています」
「いえ・・・私も職親として加奈恵を助けてあげられなかった一人です。あの子は自分が被害を受けてからも、ご両親と私と同僚を気遣っていました。辛い気持ちを見せなかった。あの子の強さに私は教えられた気でいた。でもそれじゃぁダメだったんです」
花祭の声は血を吐くようだった。
「長川警部・・・・一緒に加奈恵の為に花を手向けてくれませんか」
社長の息子の花祭冬弥が花束を持って現れた。スペックの高いその秀才は、加奈恵を本気で愛していた。知的障害を持つ加奈恵と二人三脚で家庭を築いていきたい・・・そう考えていたと聞いている。葬儀の時の号泣ぶりからして、長川はその言葉に嘘はないだろうと思った。
「加奈恵は警部を許しているはずです」
冬弥はは長川をまっすぐ見た。
「一緒に花を手向けてくれますよね」

 長川と冬弥は加奈恵が飛び降りてしまったプレハブ社員寮の2階ベランダに花を手向け、手を合わせた。
「加奈恵は弱かったから自殺したんじゃない・・・強すぎて・・・死んでしまった・・・。僕は彼女に教わった優しさを忘れずに、この工場(居場所)を守っていくつもりです」
冬弥は長川に言った。

 長川が帰ったあと、その人物は一人激しい憎しみをぶつけていた。
「絶対に許さない。許せるわけがない! 加奈恵と家族をめちゃくちゃにしたあの強姦魔を必ず殺してやる!」
その人物は長川の訪問は、復讐殺人計画を指導させる合図だった。犯人は知的障害の少女の笑顔とそれを玩具にして命まで奪った、そしてそれに関しては裁かれることのなかった標的の醜く醜悪な顔を交互に思い出した。目を開けても鬼頭空弥の醜悪な顔が醜く歪んでいる・・・。
―やめて・・・・・。
不意に加奈恵の声が聞こえたような気がした。心優しい加奈恵の幻聴に心が動きそうになる。その人物は加奈恵が復讐殺人なんて事を望んでいないことくらい知っていた。しかしもう引き返すことは出来なかった。警察が全く機能しないこの状況では、加奈恵のような人間をもう二度と出さないためには、この方法しか・・・・。
「加奈恵・・・・許して・・・・」
その人物は頭を抱えてしゃがみこんだ。

 翌日、結城竜は高校の職員室に呼ばれた。
「絶対昨日のことだよな」
結城はまいったなって感じで職員室の前に来ると、
「呼び出して悪い」
と結城に向かって手を挙げた人物がいた。長川朋美警部だった。

「なんだよ。学校まで来て」
結城は屋上でまた都に厄介な事件を持ち込む気か?と訝しげな表情で言った。
「だったらサイゼリアでパフェ注文して待ってるよ」
長川は言った。
「今日はちょっと結城君に用があってな」
結城は察した。
「ストーカーか?」
「ああ、犯人がわかった。ただ現行法では接近禁止命令と厳重注意しか出来なくてな。犯人もどうも反省していないみたいなのよ」
長川はため息をついた。
「職務上どこのどいつかを教えるわけには行かないんだけど、20代後半、デブ、不潔でタラコ唇。ガマガエルみたいな野郎よ」
「一眼レフで都を撮影していた野郎だな」
結城はため息をついた。
「ああ、そいつが逆ギレして都になにかしてくるかもしれん。勿論警察も巡回警備対象とするが、結城君・・・都を守ってやってくれない?」
「わかったよ。教えてくれてありがとう」
結城は言った。
「それと」
長川はニカッと笑った。
「都にはこのことは知らせないで。あの子眠れなくなっちゃいそうだし」
「確かに、あいつは・・・うん」
結城はため息をついた。
「よろしく頼むよ」
長川は嬉しそうに結城の肩をバーンと叩いた。

 だが、このガマガエル男が都にストーカーすることは二度となかった。何故なら・・・その日の夜・・・・。

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお」
プレハブの離れで鬼頭空弥の絶叫が響き渡った。殺人者は加奈恵を強姦した強姦魔の体に何度もナイフを差し込んだ。
「ぐふっ、ごおっ」
空弥の悲鳴が漏れる。口からは血液が吹き出し、まるで鹿や猪を屠殺するかのごとく事務的にしめられて行く。殺人者にとって、この男は人間ではないから当然の扱いだ。
 殺人者は死体を俯瞰した。タラコ唇がだらりと垂れ下がる。やがて殺人者は用意していた灯油をまんべんなく死体にかけ、紙に火をつけて着火すると、灯油が染み込んだ死体に向かって投げた。

 離れの小屋は全焼し、駆けつけた消防車によって消火された。そして焼け跡から焼死体が発見された。そして警察のDNAサンプルで照合した結果、鬼頭空弥の死体と証明された。

偕楽園殺人事件4 解決編

7.真相

 

「動かないで‼」

起爆スイッチを手にした殺人者「赤い目」もとい議員の伊藤ちなつはそう大声を張り上げて都と長川に手にしたものを見せた。

「江川さん、玉川さん…貴方達も動かないほうがいいわよ。この腕輪を装着した人間はこの起爆スイッチから2メートル離れたら腕輪爆発するから」

起爆スイッチには青いランプが無機質に点滅している。

「ひいいいいい」と声を上げて玉川重宗がへたり込んだ。江川はがたがた震えたまま硬直している。

「都…本当に伊藤ちなつ議員が5人の人間を殺した犯人なのか?」

息を切らしながら問いかける長川に都は首を振った。「5人じゃない…4人だよ…。この人は4人を殺害し、架空の殺人者の存在を死体トリックででっち上げた殺人犯だよ」

都はあっけにとられる藤見優子カメラマンの横に立って、伊藤議員を見た。

「あなたは、やはり全ての真相を暴ききったようね」

伊藤議員はつきものが落ちたような笑顔で都に微笑みかけた。どうやら彼女がいずれ真実にたどり着くのはわかっていたようだ。つまりこの犯人は標的を道ずれにここで死ぬつもりなのだ。

「一体どういうことですか」

扉を開けて入ってきた佐々木が言った。番田とパトカーをタクシーで追跡してきた小畑美奈もいる。

「第二の事件で千波湖のトイレで見つかった黒焦げ死体は、殺された山城議員のものだったんだよ」

振り返りながら都は言った。

「馬鹿な…山城議員は常陸太田で見つかった遺体だと鑑定されたんだ。そしてトイレで見つかった遺体は山城とは別の死体だと鑑定されている」

「それは本当かな」

都は長川を振り返った。

「警察が調べたのは、常陸太田の遺体=山城議員≠好文亭の指紋=トイレの黒焦げ死体の指紋だって事なんだよ。今私が言った式が成り立つから警察は山城議員と千波湖のトイレの死体が別人だと判断した。でも好文亭の指紋と山城議員のそれが同じだとしたら…」

「都…山城議員の死体は2週間前に見つかっているが、好文亭の指紋は昨日の犯行の時点で生きた指紋だった。2つが同一人物なわけないだろう」

「いや、生きていたんだよ。その指は伊藤議員の手袋がはめられた指の先端で‼」

伊藤議員の顔が震えた。そしてふっと笑って鑑定の手袋を外すと、プラスチックの青い義指がぽとりと落ちた。

「まさか、伊藤議員の手に山城議員の指を縫合したのか」

番田が呆然とした表情で伊藤を見る。

「伊藤議員はそうやって脅迫文の茶封筒に入れられていた山城議員の指と伊藤議員の薬指の指紋の死亡時期を全く違うものにして、警察に2つの死体が同じものであると考えさせないようにして、2つの指紋を別々の警察のデータに登録させ、これをもとに得体のしれない第三者赤い目の死体を作り出したんだよ。あの時、トイレに追いかけてきた君塚巡査を伊藤議員は殴って気絶されるかしてトイレに拉致して、トイレを爆発させ、現場に自分の中指に装着していた指を放り込んだんだよ。そうすれば好文亭で見つかった犯人の指紋と現場で見つかった指の指紋、そして黒焦げ死体のÐǸAが一致し、警察はトイレの黒焦げ死体が山城議員ではなく得体のしれない第三者の犯人と推測し、今日殺す予定の江川さん、玉川さんを自分と一緒に爆弾で殺しやすくなるんだよ。もっとも、そこにいる玉川重宗さん、あなたが秋菜ちゃんを殺そうとしたせいで、警備は厳重になっちゃったみたいだけどね」

都は激情に満ちた鋭い目で震えている玉川重宗を見た。玉川はがたがた震えておしっこを漏らしている。

「秋菜さんの事は本当に申し訳なかったと思っているわ。まさかこいつがこんな事するなんて全然思わなかった。都さん、本当にごめんなさい。私のせいで、あんな優しい子が…」

そう沈痛そうに肩を震わせる伊藤議員は傲慢なネトウヨ議員のそれではなかった。本当に秋菜を傷つけたことを悔やんでいた。

「待って…都さん。伊藤議員には第一の事件でアリバイがあるじゃありませんか。第一の事件で辻さんが殺されたとき、津川館長や江川さん、玉川さんと伊藤議員は2階に一緒にいました」

美奈が声を震わせる。都は彼女に頷いて見せた。

「この議員は津川館長に佐々木秘書を呼び出させるくらい権力があった。そうなると同じ思想を持って伊藤議員にいろいろお世話になっていた玉川さん、江川さん…貴方達は伊藤議員が席を外していたなんてそんな本当のことを言えましたか」

都に鋭く見つめられ、玉川は下を向いてしまった。

「まさかあの時」江川は声を震わせた。

「ええ、私は古いエレベーターを見てみたいといって中座し、屋根伝いに辻が休んでいる部屋に移動して、辻を殺害、帰りはカキの木から屋根に戻ってあなたたちの2階へと戻ったのよ」

伊藤は冷徹に笑いながら言った。

「凶器は…凶器はどうやったんだ」

長川が都を見ると

「ナイフ一本くらいパチンコか礫の要領で屋根に投げ込むことは出来るよ。好文亭の警備も、内部に入ろうとすると竹柵に囲まれて警備に見つかっちゃうけど、藪とか林とかは周辺にあるからものを投げ込むことは出来るからね。問題はその時間なんだよ。伊藤さんは警察が好文亭を警官やドローンで安全を確かめた後、早めに来て凶器を屋根に投げ込んでおき、殺害後は辻さんの死体に凶器を残した。血だらけの指紋を残したのもその時だよね。勝馬君が見た赤い目は暗視スコープの赤い目だよ。勝馬君が巨人のように見えたのは屋根に上ったから、赤い目の巨人かがんだように見えたのは縁側に飛び降りたからだよね。こうやって伊藤議員は私をミスリードしたんだよ。凶器を持ち込む方法も殺害現場へ行く方法もアリバイ工作も、2階監視の屋根の上っていう環境だと前提条件からして絶対無理なんだよ。でもあなたはトリックを使うのではなく、2階だけ真実をゆがめることで乗り切ったんだよ。結城君と長川警部が2階の津川館長に全員いるか聞いたとき、実は伊藤さんはその場にいなかった。でも2階にいた人間は伊藤さんが犯人だと今の地位を楽しめないから、伊藤さんと一緒にいたっていう真実を2階で勝手に作ったんだよ」

都は伊藤に語り掛けた。

「暗視スコープは鑑定に必要だからって持ち込んだのよ。あのⅩ線検査でね」

伊藤は鼻で笑った。「この玉川が女の子を盗撮するのに使っているそれを、議員権力でおねだりして貸して貰ったってわけ。全く、人間は自分の都合よく認知をゆがめるけれど、愛国ヘイトの歪んだ認知は扱いやすくて仕方がなかったわ。それをうまく使えば堂々とみんなの前で殺人現場へ行けるんですもの」

伊藤のぞっとするような笑顔を江川と玉川は呆然と見上げた。

「どうして、このトリックに気が付いたの、都さん」

伊藤は都に柔和な笑顔を向けて聞いた。「私の行動の何がいけなかった?」

「2つあるんだよ」

都はにっこり笑った。

「1つは好文亭に秘書の佐々木さんを連れてこなかったこと。殺人犯の襲撃があるかもしれない場所に佐々木さんを連れてこないで一人で来るのは変だなって思ったんだよ。あれは凶器を投げ込む時間を手に入れるためだよね」

佐々木は都の後ろで伊藤の方を呆然と見た。

「もう一つは、長川警部の聴取の時、小畑美奈さんの悲鳴が聞こえたって言ったよね。でも一度も2階から降りていない伊藤さんが美奈さんの悲鳴だとわかるのはおかしい。美奈ちゃんが悲鳴を上げたのは好文亭離れの北側の縁側。2階からだと死角になるからね。私や秋菜ちゃん、瑠奈ちんや千尋ちゃんもいたのに、美奈ちゃんの悲鳴だと確信するのは変だなって思ったんだよ」

「ふふっ、なるほど」

伊藤は感心したように頷いた。

「あなたはいずれ私のトリックを暴くだろうってわかっていたわ。あなたは国益という抽象的なものよりも真実を重んじる高校生探偵だってわかったから」

「でも真実は人の命を助けるための方法とも言ったよ」

都の顔は謎を暴いた爽快感を全く見せていなかった。

「…もうちょっと早く気が付けば、君塚さんと津川館長を殺させなかったんだけどね」

連続殺人を許してしまったことを悔やむ都に伊藤は語り掛けた。

「大丈夫よ。あんな屑どもを救えなかったことなど気に病むことはないわ。何故なら、あいつらは…こいつらは」

伊藤は下を向いて歯ぎしりした。

 伊藤の憎しみに目を血走らせ歯ぎしりする鬼のような形相の向こうで、彼女が守りたかった子供たちの笑い声が響いていた。

―伊藤先生、伊藤先生…

「あの施設の子供たちを文字通り殺した屑だからよ!」

伊藤ちなつ議員は怒りに体を震わせ、憎しみのダミを吐き出すようにして動機を語りだした。

 

8.動機

 

 伊藤は水郡市市役所の福祉課に勤務していた3年前、市役所で大声で喚いていた。

「何故、何故あの施設の移転をしなければいけないんですか‼」

「住民から苦情があったんだ。あの施設は親に捨てられた外国人の血を持つ子供たちが数多く引き取られているそうじゃないか。彼らが成長した後、外国人犯罪者として村に危害を加えるんじゃないかと不安に思っている住民が多くいるんだ。君の方からさり気なく出て行ってくれるように働きかけてくれないか。直接言葉にしちゃったら問題だから…さり気なく」

福祉課長は地元有志の娘の大声に困り果てながらも、そう伊藤に命じた。

「君のお父さんも、移民には反対だろう」

「あの子たちは移民じゃありません。難民の子供であり日本国籍を持っています」

「でも肌や目の色は外国人だろう」

そう言ってのけた福祉課長に伊藤は呆然とした。

 

 市役所の業務車両で施設にやってきた伊藤。

「入るよ」と施設のロビーにやってくると、泥だらけで泣いているランドセルの女の子とそれを子供たちが一緒に慰めている現場に出くわした。

「どうしたの? 絵美里‼」

いつもは笑顔がはじけるような絵美里が泣いているのを見て、伊藤は駆け寄って頭を撫でた。

「絵美里ちゃんね、玲愛ちゃんが学校で男の子たちに『テロリストの国に帰れ』って言われているのを助けようとして取っ組み合いの喧嘩になって…」

「それで先生に絵美里ちゃんだけが叩かれて怒られたの。お前たちは本当は日本にいちゃいけない子供なのに、日本の子供を傷つけるなんて…出ていけって言われたの」

「そ、そんな」

伊藤は声を一瞬震わせた。

「私、もう学校になんか行きたくない!」絵美里は泣いていたが、伊藤は彼女を高々と抱っこして

「そうだね。あんな学校へ行かなくてもいいよ。もし勉強が必要だったら私が教えてあげよう。私が日本の歴史や社会や、色んなことを教えてあげるよ。絵美里はシリア人の血が混じっているけど、シリア人がどれだけ素晴らしい遺跡や文化を持っているのかもちゃんと私は知っている。まずこのぐしゃぐしゃで汚れちゃった体をお風呂で洗おう。今から私がお風呂沸かすからね」

伊藤は優しくにかっと笑った。

「伊藤先生…」絵美里は涙でぬれた瞳で伊藤をまっすぐ見た。

「いいなぁ。俺も学校さぼって伊藤先生に勉強を教わりたい」男の子が声を上げると、伊藤は困ったように顔を見合わせた。すると玄関の扉が開いて、施設の園長の尼僧の白蓮院が戻ってきた。

「本当にひどい先生だわ。子供たちを嘘つき呼ばわりしかしなかった」

白蓮院は唇を噛んでいた。どうやら学校に抗議に言っていたらしい。

「あ、ちなつちゃん」白蓮院は笑顔で彼女を見た。

 

「お父さんが厳しすぎてしょっちゅうここに家出してきたちなつちゃんが政治家になるんだって」

白蓮院は寝相が滅茶苦茶な子供たちに布団をかぶせてから、リビングに戻ってきて伊藤にコーヒーを渡した。

「課長さんに、何か言われたんでしょう」

伊藤は何も言わずに頷いた。白蓮院は何も言わずに笑顔で言った。

「私たち、ここを出て別の土地に引っ越そうと思うの」

伊藤が顔を上げた。

「ここの人たちはこの子たちをよく思っていないからね。この子たちが健やかに自分に自信を持つためにも、この村での生活は…」

「酷すぎます…子供たちは何も悪くないじゃないですか」伊藤は涙を流した。

「なんで何も悪くない子供たちが追い出されなければいけないんですか。そんな事になるのなら、私自分のこの故郷が永久に好きにはなれないっ」

伊藤はとうとう顔を覆って泣き出した。

「伊藤先生?」

白蓮院がびっくりして声のした方を見ると、半分寝ぼけてアホ毛が立った絵美里がパジャマ姿で伊藤先生に抱き着いた。

「絵美里…」

「伊藤先生。私ね、将来は日本のために何かしたいなって思っているの。だって、伊藤先生みたいな偉い人たちが、私たちを育ててくれたんだもんね。だから私は伊藤先生もこの国も大好きだから、心配ないよ」

絵美里は笑顔で伊藤という大人の頭をよしよししてあげた。

 

「こんな優しい子供たちに、お前らが何をしたのか、私が気が付かないとでも思ったのか」

燃え上がるような目で震えあがる玉川と江川を伊藤は見下ろした。

「玉川…お前と辻と津川は、避難先となったあの施設の待遇に無理難題をつけて逆恨みし、施設の子供たちが避難した家々から窃盗をして戦利品を見せ合いっこしていたってデマをツイッターで流したよなぁ。そして江川…お前は報道に携わるものでありながらそのデマを鵜吞みにして、玉川が撮影した一人暮らしのおばあさんの為に大切なおじいさんの位牌を持ち出した子供たちの写真を、窃盗の瞬間だと報道に流したんだ。そしてそれに山城が影響を受けて、住民に自警団を結成するように煽り立てたんだ」

「まさか…貴方が議員になったのって」

番田が声を震わせた。伊藤は憎しみで狂ったように叫び、それが水戸駅南口のテレビ画面に大きく映し出され、大勢の市民が足を止めてそれを見ていた。

「ああ、この事件の真実を知るためだったんだ。おかしいと思ったんだ。週刊誌の報道を見て…あの施設の子供たちが避難勧告が出た地区で窃盗をしていて逃げ遅れたって報道を見たとき、あんな子たちじゃないってすぐに思った。私はネトウヨ議員として当選して、お前たちの情報配信と新しい歴史づくりを評価した。内閣は私をそのプロジェクトの中心に据えてくれたよ。ネトウヨ若手議員として何かあったときに切り捨てられるようにって事だったんだろうが好都合だった。お前らは私を勝手に自分と同類だと思い込んで、自分たちがやらかしたことを得意げに私たちに語ってくれたよ。お前ら知っていたんだよなぁ。みんなは土石流に流されて死んだんじゃないって事を…お前らのデマに惑わされたネトウヨ警官の君塚と自警団の連中が施設を襲って、白蓮先生と子供たちを一人残らずナタや猟銃で殺すのをなぁ。そして玉川ぁ。お前はそれをビデオに録画して得意げに私に見せてくれたじゃないか。日本を守るために行動する保守界隈でも成しえなかった愛国行動の最先端を見せるつもりで得意げに‼」

伊藤がスイッチを押すと背後のスクリーンに映像が再生された。そこでは子供たち、11歳くらいの女の子が「怖いよー」と叫ぶ小さな女の子を抱きしめて命乞いをしていた。

―ごめんなさい、ごめんなさい。外国人辞めますから、完全に日本人になりますから殺さないでぇ

―お母さん、お母さん!

恐ろしい残虐な映像…子供たちが狂った大人たちに、愛国心に取りつかれた大人たちに次々と殺されていく映像に、美奈は口を押えて息をのみ、番田は呆然としていた。「いいぞいいぞ」「反日外国人は皆殺しだ」津川や辻が煽る声も聞こえる。

「こいつらは子供たちの死体を土石流に流した。遺体は腐乱していたせいでろくに検視もされず災害死って事にされたのさ」

伊藤議員はぎりぎりと歯ぎしりして、喚いた。

「まさか・・・こんなことが・・・関東大震災朝鮮人虐殺のような悲劇が繰り返されていたなんて」

長川も戦慄を隠せなかった。文化センター前にはSATのトラックが駆け付け、避難する職員を尻目に建物に突入していく。

「お前らみたいな屑のナルシストを喜ばせることがどれだけ苦痛だったかわかるか。こんなくずを評価するネトウヨ議員を演じた私の苦しみがお前らにわかるか? 頭の中で子供たちの悲鳴が再生されるんだ。お前らが殺したあの子たちのな。そしてお前らは南京虐殺関東大震災の虐殺も無かったっていうんだ。志賀島の金印も偽物扱いして日本の歴史をゆがめるんだ。人殺しの分際でなぁ」

伊藤は涙を壊れたように流しながら、顔を般若のようにゆがめて、死の恐怖に震える餓鬼畜生を見下ろす。

「伊藤さん。伊藤さん・・・本当につらかったよね。大切な子供たちが殺されて、その死までもてあそばれて辛かったよね」

都はゆっくり伊藤に向かって歩き出した。

「でももう終わりにしよう。この人たちのした事はみんな分かった。伊藤さんの目的は達せられたんだよ」

「まだよ!」

伊藤は絶叫して起爆スイッチをかざした。

「こいつらを地獄に送るの。あの子たちの恐怖と苦しみを味合わせるまでは復讐は終わらないわ!」

そう叫ぶ伊藤議員の額を、特殊部隊狙撃手の狙撃銃の照準が、2階の音響の窓から捉えられた。

 

 同時刻、茨城県警本部長は首相官邸に電話をかけていた。首相はため息をつくと、その口で「殺してしまえ」と言った。SATに無線で射殺命令が出るまでに2分とかからなかった。照準の中で伊藤は「さぁ、みんなこの部屋から出て行って‼ 罪のないあなたたちまで巻き込むわけにはいかないわ」

「いやだ!」都は喚いた。

「真実は人の命を守るために必要なんだよ。伊藤さんたちを見殺しなんかしたら推理なんてする意味がない!」

「お願いだから出てって! 絵美里‼」伊藤は半狂乱になって絶叫した。

「私は復讐を果たしてみんなのところに行きたいだけなのよ‼」

「伊藤…さん…」支離滅裂な伊藤の絶叫に都は目を見開いた。

その瞬間ホールの扉が開いて、息を切らして入って来た人物がいた。結城竜だ。彼が弾道に入ったため、狙撃手は狙撃を取りやめた。

「結城君‼」都が声を上げた。

「こいつが秋菜が襲われる原因を作った犯人か」

結城はギロリと伊藤議員を見た。

「結城君・・・・」

唯一気がかりだった秋菜の兄の登場に、伊藤は冷や水を浴びせられるように結城を見た。結城は拳銃を片手にした長川の前を通り、くしゃくしゃになった紙を、伊藤の前に掲げた。

「これ…わかるよな」

伊藤の目が見開かれた。それは絵美里が画いたへたくそな、それでも優しい伊藤先生の絵だった。

「な、なんでこれをあなたが…」

「秋菜が絵美里さんから渡されたそうだ。誰にも見せちゃダメだって…そうしないとその人が殺されてしまうって…秋菜は、助けられなかった友達が託したそれを、探偵助手として忘れないようずっと持ち歩いていたそうだ。それがあんただと気が付いたのはボウガンで襲われてからだったみたいだがな」

「あ…そんな…」

伊藤の顔が何か氷解したように震えだし、涙がボロボロ流れ続けた。

「秋菜の奴、お前が死んじゃうんじゃないかって心配してたぜ。あいつですらそうなんだから、子供たちもそうだったはずだ。だから自分によくないことが起こると察した絵美里さんは、この絵を秋菜に託した」

伊藤ちなつの起爆装置を持つ手が震えだした。

「伊藤さん…絵美里ちゃんは、伊藤さんを助けたいって思うくらい優しい子なんだよね。絵美里ちゃんにとって最後の大切な人の命…」

都は優しい声で笑った。

「奪わないで上げてください」

伊藤議員の手から起爆装置が落ちた。狙撃手はため息をつい銃を上げた。

「伊藤議員」

長川は震えて小便を漏らし身動きもできない江川と玉川に一瞥をしてから、伊藤議員に静かに言った。

「国会議員であるあなたには不逮捕特権があります。あなたを逮捕するためには議長の許可が必要です」

「それには及ばないわ」伊藤は涙を流しながら下を見つつ、つきものが落ちたような小さな声で言った。

「私はもう議員ではないはずよ」

「そうですか」

長川は小さくうなずくと伊藤議員に立つように促して手錠をかけた。伊藤議員は静かに歩き出して部屋を出て行った。

「ふぇええええええええええ」

都は結城にもたれかかった。

「全く…」結城はため息をついた。都はにっこり結城を見上げて笑った。

「結城君。ナイスだったよ…。伊藤さんの命を助けてくれて…ありがとね」

とびっきりの笑顔に結城は顔を赤くドギマギしていた。爆弾処理班が駆け付けたのはその直後だった。

 

 翌日警察の装甲車両が多数養護施設のあった水郡市の集落に向かった。その様子を病院の食堂のテレビで見ながら、

「良かった。ビデオに写っていた人たちも逮捕されるのね」

千尋は安心したように言った。

「村の成人男性の15人が殺人に関与していたんだろう? 施設の子供たちや尼僧さん7人の殺害。おそらく死刑判決を受ける奴も出てくるだろうな」

結城はたいして感慨も抱かずにため息をついた。

「多分、この事件で伊藤が殺したかったのは全てが明らかになっても法の裁きを受けないであろう連中だったんだ。人殺しの片棒担ぎながら都合よく自分のやったことを歴史修正するような連中。殺害を実行した奴は警察がもみ消すかもしれない警官以外は法に裁かせるつもりだったんだろう」

「伊藤議員も死刑なのかな」

瑠奈は少し暗い顔をする。

「4人も殺してしまったからな」結城はため息をついた。

「おそらく免れないだろう」

「それでも、最後まで生きてちゃんと罪を償うべきなんだよね」

千尋は小さく言うと、ふと思い出したように

「そういえば美奈ちゃん、勝馬君は無事送り届けたかな」

と目をぱちくりさせた。

 

 勝馬のバイクに美奈は2人乗りしながら大洗海岸の国道「やっほーーーーーーーーー」と声を出して叫んでいた。

 

「まさか今回の報道で爺が寝込んで親戚に引き取られ、学校に行けるようになるなんてな」

結城はははははと笑った。

 

「秋菜ちゃん! ありがと」

ベッドで上半身起こしている秋菜に都は絵美里が画いた絵を渡した。

「伊藤さんが、秋菜ちゃんに持っていてほしいって」

「そうですか」秋菜は少し沈んだ声で絵を受け取ってから、ふと思い出したように言った。

「あの金印結局どうなったんでしょう」

秋菜はため息をついた。

「なんか偽物ってワイドショーでやってた。ウルトラマン見てたからよく知らないけど。でもそんなのはどうでもいいよ」

都は両手をグーにして大きく伸ばした。

「秋菜ちゃんが持っていた絵が、人の命を助けることが出来た真実なんだから」

 

(おわり)

偕楽園殺人事件3 転回編

5.静寂

 

 翌朝の千波湖は物々しかった。パトカーに乗せられてやってきた都、結城、秋菜は鈴木刑事に連れられて非常線の中で長川警部と合流した。

「くそっ」

長川警部はほぞを嚙んだまま憎しみの表情で爆発したトイレとその前にあるものを見下ろしていた。君塚巡査の生首がうつろな目で千波湖の秋の空を見ていた。

「なんてこった」

結城は戦慄の表情で都の目をふさぐ。だが、都はその手をどけてじっと君塚の頭部を見ていた。

「犯人を追ってトイレに追い詰めたところ、犯人が所持していた爆発物で自爆…それに巻き込まれたそうだ」

長川は若い警官の死に組み木で固定された植木を殴りつけた。

「という事は中にも死体が」

という都に長川は「ああ」と声を上げた。「黒焦げで上半身が吹っ飛んで判別は出来ないそうだがな。それと病院に搬送された津川館長も死んだそうだ」

 結城は昨日の夜何かポンと音がして、消防車が多く駆け付けたのを見た。だがその時3人もの人間が死んだなんて考えもしなかった。

「いや…中の人判別できるかもしれないよ」

加隈真理が声を上げた。

「爆発で飛んだんだね。指が残っていた。指紋も判別可能みたい」

「怪しいな」

結城は唸った。

常陸太田の山で山城議員の死体が出たんだろう。あれは下半身がなかったそうじゃないか」

「つまり結城君。君はあれが山城議員の死体だって言いたいのかい」不敵に笑う加隈。

「黒焦げなら死亡推定時刻くらいごまかせるだろう」

結城は言った。「指だけならそこに置けばいいじゃないか」

「大丈夫だよ。鑑識をなめてもらっちゃ困る。指と黒焦げ死体が同一人物かくらいわかるし、この見つかった指の指紋はまず早急に確かめなくちゃいけない相手がいるんだよ」

好文亭で見つかった第三の指紋ですね」

秋菜がメモを取り出して言った。概要はすでに今朝鈴木刑事に聞いていたのだ。

「そう…。まずトイレの死体が好文亭の殺人現場にあった犯人の指紋と一致するかどうかを確認しないとね。そうしないと凶悪殺人犯が野放しになっているのか死んだのかわからないからね」加隈はそういいながら、秋菜にニヤッと笑いかけた。

 

「な、なんだって!」

近代美術館のロビーで素っ頓狂な声を上げたのは結城だった。

 長川は冷静にワトソン役に報告する。

「ああ、好文亭の殺害現場で発見された犯人の血みどろの指紋と、トイレで見つかった黒焦げ死体の指紋は一致した。さらに見つかった指と黒焦げ死体のÐǸAも一致しているため、少なくとも犯行時生きていた犯人と山城議員は同一人物じゃないってことになる」

「そうかぁ」結城は頭をかきかきした。

「つまり、犯人は死んだんだな。もう我々が狙われることはないんだな」

鑑定士の玉川がおどおどしながら答える。

「ええ、おそらくは」と長川。

「それを聞いて安心しましたわ。卑劣なテロリストに私が屈するわけにもいかないのでして…今日は反日テロリストが死んだことをお祝いしましょう」伊藤議員がそう言いながらソファーから立ち上がると

「それがいいですねぇ」江川が藤見が撮影するカメラの前で笑った。

「仮にもここの館長も死んでるんだぞ」

別のソファーで勝馬はあきれ果てて呟いた。

 そんな中で島都だけは座り込みながらじっと前を見つめていた。

「山城議員の件、お悔やみ申し上げます」

長川は伊藤に頭を下げた。

「そうね。彼女は素晴らしい国士だったわ。県北の豪雨災害で外国人集団による略奪行為を防いだんですもの」

その言葉に、江川リポーターと玉川重宗がどきりと体を震わせた。その反応を結城は見逃さなかった。だが、都が注目したのは秋菜も何か思い出したように目を見開いたことだ。

「では私は延期となった鑑定会の開催について政府と相談してきますのでこれで」

伊藤議員は中座し、佐々木を伴って歩き出した。

 

「何か隠しているね」

千尋は誰もいなくなった美術館のホールで声を上げた。

「県北の豪雨災害で…あの人たち何かやらかしてるんだよ」

「私もそう思う。ちょい調べてくるから私は消えるわ。じゃぁ」

長川警部はそういって、みんなと別れた。

「ねぇ、秋菜ちゃん…」

都が秋菜を見上げながら目をぱちくりさせた。「秋菜ちゃんは確か小学校6年生の時の豪雨災害の時林間学校で県北にいたよね。道路が寸断されてなかなか帰れなくて」

「はい…町役場に避難していました…酷い災害でした。あの村の養護施設の子供たちが非難する途中土石流に巻き込まれて…」

「死者の9割がその子供たちだったんだよな」結城が落ち込む秋菜の代わりに言葉をつなげた。

「その子供たちと私たちは会っていたんです。ハイキングコースの途中で突然の豪雨に降られて、そしたら山のふもとにあった養護施設の子供たちと先生が私たちの班を中に入れてくれたんです。ああああっ」

秋菜がポンと手を打った。

「その時、玉川って人と殺された辻さん、そして津川館長もその養護施設にいました!」

「本当か! で、でもなんで」

結城が柄にもなく素っ頓狂な声を上げる。

「遺跡発掘でもしていたのだと思います。助けてもらったのに食事が冷たいだの、子供たちに外国人が多くて気持ち悪いだの、酷いことをいう人だなって思って、子供たちを悪く言われた保母さんが凄く怒っていたのを覚えています」

「そういえば、被災した養護施設は親が強制送還されたりして身寄りがなくなったハーフの子供とかを積極的に引き取っていたな」結城が顎に手を当てて思い出す。

「本当にみんな優しくて…私より年下だったのに先生に会えなくて泣いている私たちとおもちゃで遊んでくれて…なんでって思いました」

秋菜は少し涙で瞳を潤めながら言った。悲しい出来事を思い出して肩を震わせる秋菜に瑠奈が優しく手をかけた。

「秋菜ちゃん…少し散歩しようか。都行ってくるね」

「瑠奈ちんありがとぉ」都が笑顔で瑠奈と秋菜を見送った。

「今の話、長川警部に伝えといたほうがいいんじゃないか?」

結城が都に促した。都は「うん」と頷いた。

 

「すごくきれいね」

瑠奈は殺人現場のあった千波湖を避けて、線路北側の梅園を秋菜と歩いていた。

「みんな天国にいますよね」秋菜が呟くように言った。

「大丈夫。みんなこんな奇麗な世界で仲良く暮らしている…きっと大丈夫よ」

瑠奈は笑った。

 そんな女の子2人の様子を竹藪の中から何かがうかがっていた。すっと突き出されたのはギラリと光るボウガンの矢の先端だった。それはゆっくりと秋菜の胸を狙っている。

「これなんかすごく大きな花なんじゃないかな」

瑠奈が笑顔で秋菜を呼び止めてしまい、それが襲撃者に絶好のチャンスを与えてしまった。空気を切り裂くような音が聞こえた直後、秋菜は膨らみ始めたばかりの敏感な左胸に体を引き裂かれるような激痛を感じ、助けを求めるように瑠奈を見た。

「あ・・・あ。・・・・」

あまりの苦しさに中学2年の少女は声を上げられないままあおむけに倒れた。

「あ、秋菜ちゃん?」

瑠奈が倒れた秋菜の胸に矢が突き刺さり、深紅の血液が広がっていくのを見て、絶叫を上げた。

「いやぁああああああっ、秋菜ちゃん、秋菜ちゃん」

瑠奈の絶叫に周辺の散策客が集まってきた。

 

 その400メートル西、好文亭西側で都と結城は、勝馬千尋実況見分をしていた。

勝馬君。亡くなった君塚巡査の相棒さんは、千波湖の殺人現場で赤い目をした人を目撃しているんだよ。その赤い目をした巨人さんはどんな感じで立っていたのかな」

千尋が持ち歩いているデッサンの画板に固定した好文亭の絵に、勝馬が黒いマッキーで棒人間を描いている。どう見ても後ろの絵とあっていないいい加減な棒人間だが、物凄い長身の人物だという事がわかる。

勝馬君」

都は今度は赤いマッキーを出して

「今度はかがんだ時にはどんな感じでかがんだのか書いてくれないかな」

都に言われて勝馬は「こんな感じでした」とうんこ座りする棒人間の絵を描く。

「本当にこんなにデカい奴だったのか。遠近法間違えてるんじゃないか」

結城は唸った。

「俺の証言が信用できないというのか」勝馬が結城にガンつけるが都は

「遠近法で間違えたわけではないと思うよ。だって勝馬君は身長が凄く高いじゃん。勝馬君が遠近法で大きく見える人なんて、それ自体が身長2メートルとか超えてるんじゃないかな」

と目をぱちくりさせた。

「だが第二の事件で犯人を見た警官は、赤い目の存在は身長160か170って言っているんだ。巨人じゃないんだぜ」

都は千尋から画板をふんだくって本物の好文亭と見比べる。

勝馬君が見たものには間違いないよ。あの赤い目の正体が何なのかは大体わかった」

「‼」

ぽつりとつぶやくように言った都に一同は驚いたように都を見た。

「でも、そう考えるとおかしな点があるんだよ。犯人はどうやって」

「皆さん、お疲れ様です」

突然コンビニのサンドイッチを袋に入れた美奈が笑顔で4人の背後に現れた。

「ああああ、これはサンドイッチ…うまそおおおおおおおおお」

勝馬はビニールからサンドイッチを取り出して早速頬張りだした。だが、都は何かがひらめきかかっているらしく「うーーーー」と唸ったまま真っ先に飛びつくであろうおひるごはんにも反応しない。

「悪いね美奈さん中学生なのに…ちゃんとお金は払いますので」結城が申し訳なさそうに頭をかく。

「都さん、考え事ですか? 私のこと疑ってなければいいですけど」

笑顔で美奈は冗談を言った。

「大丈夫…美奈ちゃんは第二の事件でアリバイがあるから。第一の事件は本当に災難だったよね。殺人現場の第一発見者になっちゃうし、ヘイト連中ばかりアリバイがあるしさ」

千尋がカラカラと笑うのを都は聞きながら、何かが氷解していくように目を光らせた。

―悲鳴―ヘイト野郎―

 都の頭の中で何かが一本に繋がった…その時だった。

 救急車が公園内に入ってきた。観光客が話しているのが聞こえる。

「大変だ。向こうの竹林で女の子がボウガンで」

「うそ、この前ここで殺人事件があったばかりじゃない!」

その言葉に結城ははじかれたようにその観光客をかき分けて救急車の後を追いかける。救急隊に囲まれて応急処置を受けている少女の前で、高野瑠奈が血だらけになって涙目で呆然としている。

「結城君…ごめ」

「秋菜ぁあああああああああああ」

結城が絶叫した。

 

6.氷解

 

 手術中の赤いランプの前で、瑠奈は秋菜の血に染まったままうなだれている。

「瑠奈ちん…秋菜ちゃんを止血してくれたんだよね」

都は言った。瑠奈は震えが止まらないままだった。「ありがと」都は笑顔で瑠奈に笑った。

「都ぉおおおおおおお」

瑠奈が都に縋り付いて号泣した。都はそれを優しく受け止めた。

 隣では結城が座り込んだまま物凄い形相で前を向いていて、千尋勝馬、美奈も声をかけられない。

「結城君」

最初に声をかけたのは手術室の前に駆けつけた長川だった。それにはじかれたように結城は長川警部に掴みかかる。

「警部‼ 誰だ、秋菜にこんなことをしたのは‼ いや、犯人が分からなくてもいい。アリバイのない奴は誰だ。アリバイがない奴は‼」

「秋菜ちゃんが襲われた時間、伊藤議員と佐々木秘書は地元の支持者の集会に参加してアリバイがある。江川とカメラマンの藤見は殺人現場でテレビ局のリポートを生でやっててアリバイは完璧…アリバイがないのは、鑑定士の玉川重宗と管理人の番田、そしてここにいる小畑美奈さんだ」

美奈がおびえた表情で結城を見る。結城はその表情を見て力が抜けたように崩れ落ちた。

「お前らのにらんだとおりだった」

長川は沈痛な表情のまま警察手帳を取り出した。

「玉川重宗と死んだ文科省の辻、津川館長は県北の水郡市の発掘現場に豪雨災害の3日前から滞在していた。そして私も驚いたんだが、第二の事件で死んだ君塚は豪雨災害当時水郡警察署に勤務し、養護施設の警邏を管轄していた。同僚の話じゃ相当なネトウヨだったらしい。そして伊藤議員は水郡市の選挙区から立候補して小選挙区で敗れ比例で復活したらしい。もともとは大人しく当たり障りのないことを言っていたらしいが、山城議員の事があってから大丈夫だと思ったのかネトウヨ議員に走り出したんだ。そして驚いたことに」

長川は呆然としたままの結城と都を見回した。

「伊藤議員も水郡市に関係があった。議員生活を始める前に水郡市役所に勤めていてな。事故があった施設を担当していたらしいんだ。まぁ、当時の同僚や上司の話じゃ、すぐにヒステリーを起こす扱いづらい職員らしかったが」

長川は警察手帳を閉じた。結城は無言だった。長川は悲壮な顔で総括した。

「あの被災地に直接関係ないのは秘書の佐々木と管理人の番田、カメラマンの藤見、あとここにいる小畑美奈さんだけだがな」

結城は上の空だったが、都は瑠奈を抱きしめながらまっすぐ長川を見た。

「だが、番田には津川殺害の動機があるみたいなんだ。というのも実は彼は前の近代美術館館長だったんだよ」

「えっ」

小畑美奈が声を上げる。

「だが彼の歴史観を気に食わなかった辻や伊藤議員が追い落としに関わったといううわさがあってね。伊藤議員は少なくとも文科省の決定に賛同するツイートをしているんだ」

都はそれを真剣な表情で聞いていたが、やがて口を開いた。

「ねぇ、長川警部。金印の鑑定式はやっぱり行われるの?」

「ああ、もう間もなく行われるはずだ」

都の目が見開かれた。

「場所は‼」

茨城県文化ホール。近代美術館のすぐ傍だよ。秋菜ちゃんの事件があったんで急遽移動したんだ。JBCでテレビで中継されるはずだ」

都は立ち上がった。

「行かなくちゃ!」

「どういう事?」

「犯人はここで最後の殺人事件を引き起こすつもりなんだよ! 事件はまだ終わっていない!」

結城の顔が上がった。「まさか、都」

「うん! 結城君‼ この事件の謎は全部溶けた」

「な・・・・」

結城が声を震わせ、瑠奈も千尋勝馬もどよめいた。

「長川警部‼ 警察に連絡して‼ あの人をすぐに拘束するように‼」

「わかった」

長川はすぐにスマホにかけた。

 都はみんなを振り返った。

「結城君はここで秋菜ちゃんをお願い。瑠奈ちゃんも…勝馬君も千尋ちゃんも」

「都は、犯人を捕まえに行くんだね」

瑠奈に言われて都は頷いた。

「ダメだ…警備部の連中は動こうとしない。私と都で直接行って止めるしかない。都」

「うん」

都と長川は走り出した。瑠奈は都をまっすぐ見て言った。

「都…お願い…」

 

 茨城県立文化センターの展示室で金印が披露され、JBCの江川のレポートの下で鑑定式がはじめられた。テレビで全国中継される鑑定式。結果は日本の歴史観に大きな影響を与えるという事で社会の注目を浴びている。一方で警備にはじかれた番田は売店のテレビでそれを見ながら「けっ、こんな鑑定士が鑑定なんかできるか。結果は決まっているんだ」と捨て台詞を吐いた。

 

 殺人者は茶番劇をずっと見ていた。鑑定が進行して玉川重宗が「この金印は間違いなく本物と鑑定できます」と言って、伊藤議員が「これで日本の本当の姿が明らかになりましたわ」と嬉しそうに叫ぶ。JBCの江川が興奮しながら大げさに騒ぐ。だが殺人者は既に動き出していた。

 犯人の頭の中で豪雨によって増水した茶色い水が流れていた。この土石流に秘められた悍ましい真実が今日まで殺人者が生きてきた唯一の理由であり、この殺人計画を実行してきた唯一の糧であった。

 必ず、必ず最後の殺人を決行しなければならない。殺人者の目は真っ赤に光、チャンスを待ち構えていた。

 

 手術室のランプが消えた。やがて医者が出てくる。医者は少年少女たちに取り囲まれながら言った。

「重体は脱しました。ただし重傷であることには変わらないので、当病院の集中治療室に」

「命は…大丈夫なんですね」

結城が縋り付く様に言った。

「ええ、意識自体は戻るでしょう」

「わかりました」

やがて手術室からストレッチャーに乗せられ呼吸器をつけた秋菜が出てきた。結城は顔を真っ赤にして泣きながら秋菜のストレッチャー―に縋り付き、弱弱しい手を握った。

「おに・・・い・・・ちゃん・・」

ふいに呼吸器越しに目を攀じたまま秋菜が苦し気に言った。

「俺はここだ…秋菜…俺はここだ」

結城が泣きながらうなずき、瑠奈、千尋勝馬も真っ赤な顔で秋菜を覗いた。

 秋菜は結城の手を握った。

 その様子を見届けた小畑美奈は真剣な表情で何か覚悟を決めたように踵を返してその場から消えた。

 

 都と長川は文化センターに車を横付けし、警察官に封鎖された展示室へ向かおうとして警官に止められたが長川警部の警察手帳で黙った。その時テレビでは金印が本物であると鑑定され、作家の千田直之が「これで志賀島の金印が偽物である事がわかったのですねぇ」とのたまった。

「これで天照大神が作った日本という前提で歴史教科書が作られるのかね」

テレビを見ていた学芸員が鼻で笑いながら言った。

「これで日本は世界の笑いものだ」

 

 犯人は調印式の瞬間を待っていた。ヘイト議員の伊藤、トンデモ鑑定士の玉川、そしてヘイトリポーターの江川が金印の上で手を伸ばす。

「それでは、新しい教科書と真の日本の歴史観の正しさが証明された事を祝って、赤い腕輪を巻きましょう」

この赤い腕輪は日の丸を表しており、政権与党のシンボルとして、新保守思想の連帯を表すものとして、何かの祝い事に同志たちがつける習わしになっていた。伊藤議員、江川リポーター、玉川重宗鑑定士がそれを装着した。それをカメラマンの藤見が撮影していく。

 殺人者はグロテスクに笑った。とうとう死ぬべき3人に腕輪が装着された。その腕輪には無数の鉄球と起爆装置が内蔵され、着用した人間の腕から腸をえぐる。爆薬の量が少ないのは死の苦しみと恐怖を味合わせるためだ。そう、一瞬での死など許さない。苦しみぬいて死んでもらう。あの子たちが味わった同じ苦しみを確実に味合わせるために…。

 黒い影が高々と爆薬の起爆スイッチを掲げ、異変に気が付いた周囲の人間が呆気に取られてそれを見る。

 その直後だった。展示室のドアが開き、長川と都が乱入した。

「そこまでだ!」

長川は大声で叫んだ。

 

【挑戦状】

さぁ、全てのヒントは示された。殺人事件を引き起こした「赤い目」の正体とその殺人トリック、その証拠を当てて下さい。

 

犯人はこの中にいる!

 

小畑美奈

伊藤ちなつ

佐々木アツムネ

玉川重宗

江川豊

藤見優子

番田新

 

偕楽園殺人事件2 事件編

 

3.第一の犠牲者

 

「なんだって❓」

長川が声を張り上げる。

「今我々が取り押さえています。年齢は30代の大男‼」

「わかった。すぐ行く」

長川は大急ぎで階段を上がり、2階の部屋から階段を何事かと見下ろす津川に喚いた。「小畑さんとカメラマンの藤見さん、それに辻さん、それ以外の人は全員無事ですか」

「ええ、全員一緒にいます」

津川は頷いた。

「結城君ここに待機しておいてくれ」

長川はそういうと警官に連れられ玄関を走り出し、好文亭を時計逆回りに走って東側の庭園にやってきた。そこで取り押さえられていたのは…。

「なんだ…君かよ」

警官に3人がかりで押さえつけられ芋虫ばりに体をくねらせている勝馬。その奥で呆気にとられて見ている瑠奈と千尋だった。

「おいおいおいおい、どうしたんだぁ」

長川は警官3人にどく様に支持してから、胡坐をかく勝馬に問いかけた。

「君がこんな無茶をするには何か事情があったんだろう」

「赤い目をした巨人がいたんだよ。真っ暗な好文亭に」

「赤い目をした巨人❓」

都が勝馬の隣に腰を下ろす。

「そいつを捕まえようとして柵を超えてここに駆けつけたら、警官に捕まってしまったんだよ」

「その赤い目の巨人は、どれくらいの身長だった❓」

「あの屋根に届くくらいだ。こっちに気が付いたみたいで腰をすっと下ろすところまで見えた」

勝馬がガクブル状態で声を震わせる。

「あの屋根って言ったら、2メートル50はあるぞ。ギネス記録の世界でいなくはないが…日本人でこんなでかいやつは…」

長川がため息をつきながら屋根を見上げた。

「とにかく、私は全員の所在を確認してくる…都はここに」

その直後「きゃぁあああっ」という絶叫が聞こえた。その声は小畑美奈の声だ。声のした方の離れの縁側に長川と都は飛び乗って、手当たり次第に障子を開けていく。その中の一つ行燈のついた部屋に喉を小刀で貫かれた辻蓮介の死体があおむけになっていた。眼鏡の奥の飛び出した目玉と開ききった口は苦悶を示している。その奥の縁側で小畑美奈が体を震わせていた。

「くそっ」

長川は声を震わせた。

「で、でもこの好文亭には警察の捜査で凶器がないかもチェックされ、ここに入った人もみんなⅩ線チェック受けているんですよね」

秋菜が声を震わせた。

「つまり犯人は凶器を持ち込めないはずなんだ」

長川は辻の死を確認しながら、口に両手を当てて震えている秋菜に言った。

「ま、まさか勝馬君の見た赤い目の巨人がこの真っ暗な偕楽園のどこかに」

千尋が声を震わせ、瑠奈が真っ暗になった偕楽園の森を振り返った。近くを走る常磐線ジョイント音が恐怖の時間を示す。

―パシャ―

突然カメラのシャッター音が光る。藤見優子が無表情で死体の写真を撮り続けていた。

 

 鑑識が電気で部屋を照らしながら辻の死体の周りで実況見分を行う。

「死亡推定時刻は発見のわずか数分前。凶器はこののどに刺さったナイフ…か」

長川は警察手帳を閉じた。

「その時間、2階には津川館長、伊藤議員、鑑定士の玉川さん、キャスターの江川さんがいる一方で、小畑さんとカメラマンの藤見さんにはアリバイがない…」

秋菜も横でメモを取る。結城は不安そうに現場をうかがう小畑美沙を見た。彼女は瑠奈に抱きかかえられながら体を震わせている。

「その小畑さんなんですが」

長川の部下の鈴木刑事が警察手帳を見ながら言った。

「実は出口の管理人が彼女を目撃していました」

 

「ああ、確かにこの子は来ていたよ」

好文亭管理室の番田新という40くらいの眼鏡のひげは言った。

「彼女は急いでトイレを借りに来て、5分くらいして戻っていったなぁ」

「それは本当ですか」

秋菜がぐいっと管理人室で番田に向かって身を乗り出す。

「警察にも話したし間違いないよ。第一彼女はもう一度再入場の時警察の金属探知機でちゃんと検査を受けて戻っていったんだ。犯行は不可能だろう」番田は秋菜の勢いに押されながら唸った。

「5分だとすれば、美奈さんが下に降りてきて死体を見つけて悲鳴を上げるまでが大体6分くらいですから犯行時間は限りなく小さくなりますね」

「ああ、第一発見者を装うためじゃなければね」

長川は言った。秋菜はむっと長川を見る。結城はふと長川に聞いた。

「大体彼女はいったいなんで辻の休んでいる部屋にいったんだ」

 

「辻さんから話があるって言われたんです」

近くの休憩所でコーラおごってもらいながら美奈は答えた。

スマホで『金印が本物と認められた。譲渡について君とも話しておきたい』って」

美奈はスマホを長川に見せる。確かにそういうメッセージは来ていた。送信時間は6時14分。殺人現場が発見される2分前だ。

「このメール」

都はのぞき込む。

「ああ、犯人が打ち込んだものかもしれないな」長川はスマホの液晶をじっと見ながら思案した。

「じゃぁ犯人は美奈さんを犯行現場に呼び出し、罪を擦り付けようとしたってわけか」

結城が都を覗き込む。

「少なくとも美奈さんは辻さんを殺した犯人じゃないと思うよ」

都が目をぱちくりさせるので、長川は「何故に?」と声を上げた。美奈も都の顔を見る。

「私たちが南側の障子をあけて部屋に入ったとき、辻さんの死体は足をこっちに向けて向こうを向いて倒れていたよね。でも美奈さんは北側の障子を開けて殺人現場を目撃して悲鳴を上げた」

「そうか」

結城は思いついたように手をポンと打った。

「となると犯人は南側の障子を開けて辻さんが寝ている部屋に入って辻さんを北側の壁に追い詰めて」

秋菜がはじかれたようにメモを取り始める。

「そういうことになるんだけど、でもそう考えると一つ変なんだよねぇ」

都はレモンかき氷をすすりながら声を上げた。

「何が変なんだ❓」

結城と長川は訝し気に聞く。美奈も不安そうに都を見た。

「犯人が南側から侵入したとして、そこは2階の鑑定会が行われている場所から丸見えなんだよ。犯人はどうして南側の縁側から犯行現場に侵入したんだろう。北側の方が絶対見つからないはずなんだけど」

都は少し考えてから

「もしかしたらそのヒントになるのが、勝馬君の見た赤い目の巨人なのかもしれないね」

都が呟くように言うと、長川は土産物店前で巡回している、勝馬という不審者を長川に知らせるために走ってきた君塚凌士巡査に話を聞いた。

「君塚君だったね。君は勝馬君を目撃した時、南側から建物の周りを回って入り口にいる私に知らせに来た。その時不審な人物、あるいは別の人物とすれ違わなかったか❓」

「いいえ、自分は誰にも会いませんでした」

若い君塚巡査は敬礼しながらそう言った。

「そうか」

長川は頷いてから「となると、犯人は外部から侵入したということになるのか❓ しかし好文亭の柵の周囲は警官がしっかり警備していた」と考え込む。

「つまりこれは不可能殺人ということか?」

結城は鋭い目で長川を見る。

「犯人は外部から侵入することは不可能。内部の人間の犯行だったとしても南側の縁側から侵入しているから北側にいた小畑美奈とカメラマンの藤見には犯行は不可能ということになる」

「いや」

長川は首を振った。

「離れの部屋には東側に縁側がある。そこはちょうど植え込みに隠れて見えないから、小畑さんと藤見さんはそこを回って南側から侵入する事は可能だ。ただし、そうなると母屋二階の津川、伊藤、江川、玉川の4人に見られる可能性がある。ちなみに巡査の君塚君は悲鳴が聞こえた直後に母屋の南側を回っていたから、犯人は南側に隠れることは出来ない。管理人の番田さんは管理事務所にいてⅩ線検査を通った痕跡はないし警官が見張っているから犯行は不可能…」

長川はため息をついた。

「だがどこかに突破口があるんだ」

 

 現場に戻った都、結城、秋菜、長川は鑑識が蠢く中で現場を取材しようとして鈴木刑事に止められている伊藤議員と江川レポーターに話を聞いた。

「伊藤議員…貴方達は犯行時間、上の階で4人一緒にいたんですよね。藤見さんと小畑さん、殺された辻さん以外で、出入りした人間はいましたか」

「いいえ、私たちは辻さんが出てから小畑さんの悲鳴が上がるまでずっと4人でここにいました。トイレを含め誰も出ていません」

「議員のおっしゃる通りです。2階の同じ部屋に私たちはずっといました」

江川も頷いた。

(トイレに出ているとしたら、あの古式エレベーターを使って降りられるんだけどなぁ)

結城は腕組をしながら長川警部の聴取を聞いてみた。

「加ぁ隈さーーーーーん」

都がエレベーターの上から1階でエレベーターの中を捜査している眼鏡の女性鑑識に声をかけた。

「おおお、都ちゃん。相変わらず殺人現場に遭遇するね」

「加隈さんだって」

「私は鑑識だからよ」

「加隈さん、エレベーターの木とか壁とかで指紋とかは出た❓」

「出たよー」

加隈真理はプラスチックの板に挟んだ紙をめくる。

「誰かの指紋があったのか」

結城が背後から声をかける。

「ええと、ああ、都ちゃん君の指紋だねぇ」

加隈はへらへら眼鏡の奥で笑った。「指紋から推測するに、またいたずらか探検したんでしょう」

「でへへへ、面目ない」

都は頭をかきかきした。

「でも都ちゃんの指紋は擦り切れていないから、君のいたずらの後誰かがここを通ったなんて事は考えられないね」

「ここもダメか」

結城はため息をついた。

「とにかく殺人事件が起こった以上、鑑定会は延期ね」

伊藤議員はため息をついて立ち上がった。

「私は殺人事件が発生した場所になんかいたくはないわ。ホテルに帰って休むから、佐々木を呼んで頂戴」

「わかりました」

伊藤議員に言われて津川館長が携帯電話を取り出す。都はその様子をきょとんと見ていた。

「私もそうさせて貰おうか」

鑑定士の玉川重宗も立ち上がる。と、彼は必死でメモ帳とにらめっこしている結城秋菜と目が合った。ふと玉川の視線に気が付いて秋菜が目を上げるとヒヒ爺は慌てて目線を外して伊藤議員の後に付き従った。秋菜はかわいいハート付きのペン片手にそれを見送っていたが、結城に「どうした?」と言われて呟いた。

「あの人、私どこかで見たことがあるんだよね」

 

 やがて偕楽園東口の門に停車した追突したらやばそうな黒塗りの高級車から、佐々木アツムネが自分を雇っている議員の到着を扉を開けて待っていた。

「早くホテルに行ってちょうだい」

伊藤ちなつはそう言って、佐々木が閉める後部座席のドアに消えた。

「佐々木さん、佐々木さんはどこにいたの?」

都が目をぱちくりさせながら佐々木を呼び止める。

「私はずっとここで車をいつでも動かせるようにしていましたよ」

佐々木はそういうと運転席に乗り込んだ。

「未成年お前らもそろそろ帰るか」

長川が結城にカギを投げて渡した。「私は今日は徹夜だ。私の家に適当にくつろいでくれ。水戸駅南口すぐのタワーマンションだ」

「小畑さんはどうする?」瑠奈は不安そうにしている美奈に聞いた。

奈良県の中学生だよね。今日宿泊するホテルは決まっているのかな?」

「いえ…鉾田市の親戚に泊めてもらえっておじいちゃんが」

「鉾田…ちょっと遠くないか」

結城がため息をついた。

水戸駅から臨海鉄道で40分か…水戸駅から徒歩5分か」

「ぐふふふ、お持ち帰りしちゃってもいいよね」

千尋が嬉しそうに美奈を抱きしめた。

 その様子を同じく休憩中の番田がじっと見つめていた。

 

4.第二の殺人

 

「なるほど」

長川警部は夢中で死体袋に入れられた辻の死体が運ばれていくのをカメラで撮影している藤見優子に質問した。

「つまりあなたは犯行時刻に北側の庭園で撮影していたと」

「テレビのスチール用にね」

藤見は猫みたいな目をぱちくりさせた。

「こういうのって大体アリバイのあるほうが却って怪しいでしょうに」

「不審人物とかは見ませんでしたか」長川が質問すると藤見は

「特には見当たりませんでしたね。まぁ、写真に夢中になって気が付かなかっただけかもしれませんが」

「なるほど…」

長川は若い女性なのにアリバイがないのにもかかわらず我関せずという態度を取り続ける藤見に呆れた風に肩をすくめた。

 その時「ともちゃん、ともちゃん」と長川の同期で鑑識の加隈真理が眼鏡を光らせながらやってきた。

「随分と危ない結果が出たよ」

加隈はため息をついた。

「辻殺害現場の部屋からね、第三者の指紋が出たんだ。辻さんの血液が付いていたからほぼ間違いない。ちなみにその人物の指紋からは体液も確認されているから、第三者が指紋を引っ付けた可能性は考えられない。つまり、この事件は第三者の犯行の可能性が極めて高いってことだよ」

「そんな」

長川はかなり驚いていた。

「あれだけ警備が厳重な中で犯人はどうやって好文亭に侵入したんだ」

長川は思案した。

「事件当時建物の東側にはともちゃん、北側には小畑さんと番田さん、南側を君塚巡査がぐるっと回って、西側には勝馬君が騒ぎを起こしていた。それ以外にも所轄の巡査諸君がぐるっと囲っていたってことは」

「ほとんど密室殺人ということになるんじゃないか」

長川は厳しい表情で前を向いた。

「ひょひょ、これは面白そうですね」

藤見は警部と鑑識を撮影しながら言った。

 

「ひええええ」

そびえたつタワーマンションの真下で探検部と中学生2人が声を上げた。

「こりゃぁ、中もさぞかし」

美人女警部の自宅訪問とあって嬉しそうな勝馬とワクワク気分な千尋

「お前ら、一切の希望を捨てろよ」

と結城は認証ゲートにキーをかざしてエレベーターのボタンを押した。そして15階の部屋の鍵を開けて

「いざ、ジャングルへようこそ」

と扉を開けた。つんと何かがにおう。明かりをつけるとコンビニ弁当のカスや缶ビールが散らばり、下着が無造作に散らばっている。

「おお、長川警部これまた素晴らしい汚しっぷりだねぇ」

都がキノコが生えたブラジャーを手に取る。このままだと本当に腐海に沈みそうな兆候が出ている。

「この前一緒にゴミ出ししたばかりなのに」

結城は頭を押さえた。勝馬はロシア語のБみたいな発音を出しながら後ずさりした。

「とにかく、みんなが寝る場所を確保しないとね」

瑠奈が覚悟を決めたように腕まくりした。今日は幸いにして家庭的な瑠奈、千尋、秋菜がいたし、美奈も積極的に手伝ってくれたので思いのほか片づけは早く進んだ。むしろ結城と勝馬はレディのプライバシーに触れるということでゴミ出しを主にやらされた。

「結城君、ごみは全部ベランダから下に放り投げちゃおうよ。後で拾ってまとめてゴミ捨て場に捨てれば」

都が結城に言うと結城はため息をついた。

「袋が破裂していろいろなものがマンション前にまき散らされるだろうが。とにかくお前はこれでも食って事件について推理でもしてろ」

彼はそういうと長川の冷蔵庫からヨーグルトを出して都に食べさせた。

「疲れちゃった?」

ゴミ袋を片手にボーっとしている美奈に「手伝わせちゃってごめんね」と瑠奈は謝った。

「いえ、ちょっと懐かしいなって思って…みんなで部屋を片付けるの。おじいちゃん、片づけどころか部屋を汚すことさえ許さないですから」

「厳しいおじいちゃんだね。オニジジだね」

都が目を丸くするので、瑠奈は「こら、そういうことを言わないの」と言った。

「いいんです。それに私は家の掃除や洗濯、ご飯みんなやっていますから」

「大変だねーーー。お父さんとお母さんは?」と千尋

「お父さんは死にました。お母さんは仕事が忙しいから。おじいちゃんは大和なでしこになるには勉強は不要って言って、今登校拒否させられているんです…。もし学校に行きたいって私が言ったら、おじいちゃんは学校にクレームをつけるから。反日教育をするなって」

「虐待だな」

結城は吐き捨てるように言った。

「子供が思い通りにならないと暴れたり他人に迷惑をかける行為をわざとやって、子供に罪悪感を持たせるやり口だ」

「そんな…酷い」

秋菜が口に手をやった。

「そんなおじいちゃんが…金印の鑑定会に出かけるって言ったら、喜んで私を行かせてくれたんです。だから今日はみんなとお話ができて嬉しいんです」

「やめだやめだ。後片付けは」

結城は言った。

「下でポテチ買って来ようぜ。あと虫歯の原因になるコーラやファンタを買ってきて、宴会するぞ」

「結城君、素晴らしい」と拍手する都に千尋が「それな」と続けた。

「そうと決まれば買い出しだぁ」

と立ち上がる勝馬

「で、でも大丈夫かな、長川警部の家だし」

秋菜が心配そうにすると

「大丈夫…こんだけ汚れていればちょっとぐらい汚くても平気よ」

と瑠奈は笑顔で言った。

 

 県警本部で長川はコンピューターに向き合っていた。発見された「第三者」の指紋データと警察庁のデータと照合する。指紋データは「生存・生死不明」の指紋と「死亡者の指紋」に分けられてデータが記載されている。分けられている理由は「死亡者のデータ」で検索すると身元不明遺体の指紋が大量にヒットし、検索時間が長くなるためだ。しかし長川が「生存・生死不明」のデータで照合しても対象となるものはなかった。つまり前科者や重要参考人に対象となる指紋はないという事だ。

「ともちゃーん」

突然サイバールームにいた長川の背後から加隈が声をかけた。

「真理…どうした」眠そうな長川。

「殺人予告と一緒に送り付けられた指の身元が判明した。常陸太田市の山で見つかった腐乱死体とÐǸAが一致したんだよ」

真理が鑑定結果を長川警部に見せた。長川は驚いてその鑑定結果を見る。

「山城千賀子…42歳。茨城県議会議員で先月から行方不明になっていたらしいね。ツイッターのトレンドに上がるくらい問題発言が多かった議員で、この前県北の豪雨災害の時、外国人略奪組織が暗躍しているから自警団作れって扇動したのがこの議員だよ。そしてこの議員を災害後に全面的に正しいと応援したのが」

「伊藤ちなつ議員だろ」長川はため息をついた。

「どんぴしゃ」と加隈。

「死因は? 山城議員の」

「それはわからないね。体の半分。首と胴体の骨しか出てないから。後の部分は人為的に切断されて持っていかれたか、あるいはハクビシンとかが持って行っちゃったか」

「前者だろうな。指が送り付けられている点からして」

長川はため息をついた。

 

 君塚巡査と相棒の警官は千波湖周辺を巡回していた。昼間は美しい湖も夜は真っ暗になっており、わずかな街灯とビル街の明かりがかすかに湖を照らし出している。

 突然、君塚巡査は何かに気が付いた。赤い光が2つ森の中に蠢いているのだ。君塚は大声で誰何しながらライトの光をそのほうに向けた。

「誰だ。そこで何をしている!」

君塚がそう喚いたとき、真っ赤な目と黒い影が突然走り出し、街灯にそのシルエットが照らし出された。

「待て!」

君塚は後を追いかける。さっきまで赤い目の影がいた茂みの近くまで走っていた時、2人は凄惨な現場を見た。津川館長…近代美術館館長が物凄い形相で腹を押さえて立っている。抑えきれない血だまりとともに内臓がぼとりと落ちて、館長は前のめりに倒れた。

「木村君は救急車を」

君塚は相勤の巡査にそう命じると、黒い影を追跡する。黒い影はSL静態展示の奥にある蔵造をイメージしたトイレの中へ逃げ込む。トイレには故障中のロープが流してあった。君塚はそれを追いかけて男子トイレの中へ…その直後だった。トイレの中で光が走ったかと思うと、屋根が炎で持ち上がり、入り口からも炎が飛び出した。

偕楽園殺人事件1 導入編

 

1.新たな金印

 

 茨城県県庁所在地は水戸市である。常磐線E531系で水戸駅に降り立った小柄な少女はショートカットに子供のような笑顔でにっこりと同行者を振り返った。

「ついたー、結城君」

「ああ」

長身の高校1年生の結城竜はホームに降りたとたんに感じた熱気に押されそうになりながらも、県下随一のターミナル駅を感心したように見回した。特急列車や県北へ向かうローカル列車、それに今熱狂的なマニアに愛されている戦車アニメのキャラクターが入った臨海鉄道まで、様々な列車が行き来している。

「これからどうする❓」

竜の後ろで薮原千尋が白のハーフパンツに青いTシャツというコンビニでも行くような姿で前を行く2人に聞く。

「大体1㎞くらい。候補はバスと徒歩って選択肢があるけど」

「このくそ熱い時期にか」

結城はため息をついた。

「だらしがねえなぁ。結城。俺様は5㎞だって歩いて行けるぜ」

ひときわ体のでかい少年北谷勝馬がごつい二の腕でボディビルを気取って見せる。

「ごめん、勝馬君。私は…バスかな」

黒髪ロングの美少女、常総高校探検部高野瑠奈が苦笑する。

「だそうだ、となるとバスの乗り口を探しに行かないと」

さっきまでと発言が打って変わって、エスカレーターを蟹股で駆け上がっていく勝馬を、一番最後に列車から降りた結城秋菜…このメンツで唯一の中学生がため息交じりに見上げる。と、勝馬が大声をあげながらエスカレーターを逆走してきたが、慌てていたためすっころんだ。

「何やってるんだあのバカは」

結城がエスカレーターを上がって勝馬を助け起こすと、勝馬が声を上げた。

「長川警部だ…。長川警部が改札口にいる」

 

「ふはははは、どうだ、クーラー効いてて気持ちいだろう」

助手席の長川朋美警部は相変わらずのパンツスーツ姿で豪快に笑った。

「クーラーは聞いているんですけど」

秋菜はジト目で長川を見る。

「ちょっと恥ずかしいかな」

探検部のメンバーは護送車に乗っていたのである。金網付きのワゴン車に押し込まれて、全員が必死で外から見えないようにうずくまっている。

「とんでもない。重要参考人の安全な移送にも使われるんだよ。いいじゃない。探検部7人運んであげられる警察の車はこれしかないんだからさ」

信号待ちをしている最中、道行く小学生が護送車を指さしているのに気が付いた都が、金網越しに鉄格子を手にしながら大声で喚いた。

「私は無実だぁ。出してくれぇ」

「やめんか、都」

竜が慌てて制する。

「ええ、護送されているみたいで楽しいのに」

「だから護送車なんだよ‼」

結城は突っ込みを入れた。

 車は駅前のビル街をすっと抜けて、公園沿いの文教地区に入った。巨大な噴水と広大な湖が見える。都市公園とは思えないほどの広さだ。

「列車の窓からも見えましたよ。千波湖ですよね」

原千尋が格子窓の間からカシャカシャ携帯で写真を撮影する。

「春には4500発の花火が打ちあがるんだぜ。それはそれは奇麗なんだ。ちなみに向こうの駐車場は県下で有名な発展場だぜ」

「うるせえよ」竜が喚いた。

「この作品を見ている読者に変な情報教えるな」

「おっとついたようだ」

公園横の通りからバスは敷地内の並木道に入っていく、そこ突き当りの駐車場の向こうに目的地があった。茨城県立近代美術館である。

 護送車から降り立った7人の探検部ブラスその妹はその前衛的なデザインの建物の入り口にデカデカと掲げられた巨大な横断幕を見上げた。

「金王印展…か」

竜は巨大な金印の写真が掲げられた垂れ幕を見上げた。

「知ってるぞ、卑弥呼が中国から貰ったやつだろ」

竜の耳元で勝馬が大声を上げた。

「ちげえよ」

結城はため息をついた。「そんなものが博物館に収められているんなら、邪馬台国がどこにあったかなんて学説、とっくの昔に決着ついてるだろうが」

「そうだよ、勝馬君」

都がしょんぼりする勝馬に言った。

「この金印は小野妹子が中国からもらってきた奴だよ」

結城竜はずるっとなった。

「この金印は大体紀元57年、奴(な)国という九州にあった国が、中国の漢帝国朝貢した見返りに、奴国の王様を日本国の国王として認めるという証明として貰ったとされているの」

瑠奈が代わりに説明する。

邪馬台国時代はたぶんその200年後と言われているから、2つの国は全く別の国っていう説が一般的だけど」

「へぇ、弥生時代って長いんだね」

美術館の階段をのぼりながら、千尋が声を上げる。

「紀元前10世紀から、1300年くらい続いたみてぇだからな」と竜。

デーモン閣下の10分の1か。大したことねえな」

勝馬が先頭を切って美術館のエントランスホールに乗り込む。

「警部」

警官が一同に敬礼する。長川は返礼した。

「異常はないかね」「ご苦労」勝馬がえらそばって堂々と歩く。

「館長…こちらが館長のおっしゃられていた女子高校生探偵島都、他です」

「他…」

千尋がジト目をする。

「おおお、これはこれは…私は当館館長津川修二郎と申します。今日は遠路はるばるお越しくださって…」

津川修二郎という男は長身で穏やかそうな50代末か60代の背広姿の長身の男性だ。たぶんコナンとかで犯人として豹変するとしたからこのタイプだろう。穏やかそうにしているが時折都を値踏みするように見ているのが結城には分った。

「それからこちらは文部科学省学術女性課参事の辻蓮介さん」

「ほう、あなたが館長が押していた女子高生探偵」

七三わけの髪形に眼鏡をキラーンとさせた陰湿そうな役人が、眼鏡をずり挙げて都を見た。

「杓死しそうな感じ」

千尋が某海賊漫画用語を発した。

「そうかなぁ」秋菜は小声で言った。「どっちかというと人をゴミだと思ってそうな気がするけど」

「そして、こちらが政府が外部委託した鑑定士の玉川重宗(えそう)さん。今回美術品の再鑑定事業に携わっています」

「げっへっへっへ、こんにちは島都ちゃん」

分厚い唇に下劣な笑いを浮かべた着物姿の男が、好色丸出しの表情で都や瑠奈を見回す。

「政府に委託されて正しい歴史認識に基づく美術品の再鑑定を行っております。都ちゃん、あなたのナイスバディも鑑定しちゃえるぐらい、様々な分野の鑑定に秀でているんですよ。ぐふふふふふ」

調子の乗った玉川を結城が物凄い目つきでにらみつけ、玉川はひっと声を上げて肩身を狭くした。

「正しい歴史認識に基づく再鑑定❓」

結城竜は訝し気に長川と津川を見回す。

「この博物館に収蔵されているブツに偽物でも混じっているというのですか」

「でも、この博物館に収蔵されているものはちゃんと専門家が鑑定した作品のはずじゃ」

と秋菜。すると後ろから高い女性の声が聞こえてきた。

「その官邸と基準となっている歴史そのものが自虐史観に浸食された学会によってゆがめられたものだとしたらどうなると思う❓」

長身で熱い唇と分厚い化粧が幼稚に見える50代の女性議員が笑みを浮かべて近づいてきた。

「だ、誰あなた」

結城竜が言うと、長川は結城に知らせるように「これはこれは、伊藤ちなつ議員」とその議員を迎えた。

「長川警部もごきげんよう。この子たちは例のちびっ子女子高生探偵かしら」

「まぁ、アポトーシスしたわけじゃないですが」

長川は苦笑した。

「私は伊藤ちなつ。日本総合党に所属する衆議院議員よ。こっちは秘書の佐々木アツムネ君」

「よろしく」

ハンサムで無口な背広姿の若者が会釈した。

「それでさっきの話の続きだけど、日本の学術研究はね、日本の国益のために行われるからこそ国家が資金を提供すべきだと思うの。でも今までの学術分野においては自虐史観に基づいた近隣諸国の国益にしかならない研究が行われていたわ。私たちは日本国民と納税者のために、日本人による日本のための学術研究を支援する…その為に日本のあらゆる博物収蔵品が本当に正しい日本の国益を反映しているかどうかを再鑑定する事にしているの」

「ってことは、まさかあの金印が偽造とでも」と結城竜。

「ええ、日本のあけぼのが中国への朝貢国として始まったという偽歴史ではなく、本物の歴史に沿った展示をしていただくよう、この博物館に要請する事が、政府から仰せつかった派遣議員としての私の使命…」

伊藤議員はうっとりと自分に酔いしれるように言って、結城をげんなりさせた。

(うわぁーーーー、トンデモ議員)

「結城君、金印が偽物っていう学説はあるのよ」

と瑠奈。

「金印は志賀島で江戸時代に畑を耕していたお百姓さんが偶然発見したって言われているんだけど、学術的な証拠が全然ないし、考古学的にもとても曖昧で資料としては本来なら使えないんだって…でも中国の歴史書にそう書いてあってそれが一致するからこそ、志賀島の金印は本物だって認識されてきたの」

「でも中国は捏造大国ですからね」と伊藤。

「この金印だって、『日本がかつて中国の属国だった』って認識を広めたい反日勢力が作り出した偽物の歴史に基づいて作り出された贋作という可能性だってあるわけよ。そして私たちは、今回本物の歴史に基づく新しい金印を発見する事が出来たの」

「新しい金印❓」

「ええええっ」瑠奈と千尋が素っ頓狂な声を上げた。

「今からそれを見せてあげるわ」

伊藤ちなつ議員は無茶苦茶なウインクを結城に投げかけた。

 

 厳重に警備された博物館の奥に「新しく発見されたもう一つの金印」という形で轟轟しい特別展展示室が存在した。

「うーむ」

都は声を上げた。「なんか緊張するね」

「都は結構博物館とか好きじゃない」

千尋が意外な声を上げると

「都はどっちかというと安い常設展を見て、そのあと子供体験コーナーで楽しく遊んでいることが多いかな」

と瑠奈は笑った。

「確かに…高い特別展には行かないですね」

と秋菜が言った。

「まぁ、でも…この特別展はやばいだろう」

結城は「日本の歴史年表(神武天皇がいた設定)」や「他の近隣国と比べていかに日本が優れているかを知らせる展示パネル」を見回してため息をついた。そして特別展の中央にあった金印を目にした。

 大きさはスマホの短辺を正方形にした感じだろうか。黄金色に輝くそれは掘られた文字が見えるように倒されておかれ、横の赤い朱肉の押印紙にはこう書かれていた。

神武天皇之印―

(うそくせぇ…)

結城は思った。

「これが私たちの国日本の本当のあけぼのよ」

伊藤議員は嬉しそうにホクホクと笑った。

 

2.虚構の鑑定式

 

「さ、さすがにこれはねえだろ」

結城は議員に聞こえないように呟いた。

「そう思う❓」

秋菜が目をぱちくり横から結城を見る。

「だって、神武天皇が仮にいたとして自分を神武天皇って名乗るか❓ 今の陛下が自分を平成天皇っていうもんだぜ」

「まるで幸福の科学で霊を呼ばれた人の金印よね」マニアックな会話を千尋が成立させる。

「何々❓」

瑠奈がじっと説明プレートを読む。

「この金印は奈良県宇陀市で中学生の女の子が実家の神社の祭壇に収められていたのを偶然発見ですって。木箱には神武天皇二十六年に作られたものって書かれていたみたい」

「…」結城は何も言えなかった。

「これ、考古学的にはありなのかね」

結城。「紀元前584年だろ」

弥生時代が始まって半分くらい。漢字だって伝わっていないんじゃないかな」

と瑠奈。一方都は展示コーナーに発見者の少女が金印を手に笑顔で笑っている写真が撮影され、自虐史観ではなく正しい歴史を追及して日本国のためになる研究をすべきという企画展示を見ていた。

「島都さんでしたっけ? すごいいい顔をしているでしょう彼女。日本国の本当の歴史を知って、ご先祖様や日本国を好きになってこその笑顔よ」

と伊藤は笑った。

「さて、島さん」

「ほえ」

伊藤は地図模型に神武天皇の遠征を示した光の流れを出すボタンをカチカチやる都に語り掛けた。

「あなたはこれでも女子高生探偵なんですってね」

「本当は推理よりもパフェとリラックマ君が大好きだけど」と都。

「パフェおごってくれるの❓」

「なんでおごらないといけないのよ」

伊藤はあっけにとられた声を出す。

「島さん、あなたが推理をする時に一番重視していることって何かしら」

都は「うーん」と考えてから「命」と言った。「命あっての物種っていうじゃない。まずは安全第一だよ‼」

「その割には殺人事件に巻き込まれているみたいじゃない」

「それでもだよ」

都はにっこり笑った。「どんなに怖くても悲しくても誰かの命を助ける。それが一番大事なことなんだよ」

「意外ね、真実っていうと思ってたわ」

伊藤は言った。

「真実は命を大事にする方法なんだよ」都は言った。「嘘をついて誰かを助けることなんて出来ない」

「そうよね…でも私としては、真実を追求するうえで一番忘れないでほしいのは国益よ」

国益❓」

都は目をぱちくりさせる。「それっておいしいの」

「人が人として生きる上で一番大切なことよ。あなたは真実を見つけるとき、国益に沿うような形でそれを見つけなければいけないの」

伊藤は少しずつ力説して言った。

「うーーーん」

都はまるでテストの難問に遭遇したように難しい顔をした。

「それは難しいよ。だって真実は私にとっていいものであっても悪いものであっても、最初からそこにあるんだから。私にとって凄くうれしい真実に変えられる魔法があればうれしいけど、魔法少女未来ちゃんだってそんな魔法は使えなかったんだし…。それとも議員になればそんな魔法を使えるようになるのかな」

都は純粋に目をぱちくりさせた。その時だった。

「おーい、都。長川警部がレストランでスパゲッティおごってくれるって‼」

「本当❓」

都はジャンプして飛び上がった。

 

「これが例の脅迫文なんです」

津川館長(いやだなぁこの表記)がミートソースまみれの都と長川警部に、脅迫文を見せた。

 

明日の鑑定会に注意しろ。必ず人が死ぬ

 

という文句が恐怖新聞の字幕みたいなワープロ文字で、つまりHG行書体で書かれていた。

「これが今朝、近代美術館の事務室と伊藤ちなつ議員の事務所。そして鑑定士の玉川氏の自宅に届いたのです」

「いたずらじゃないの。あんたがたの言う反日左翼の」

結城が後ろから背中を向けてカレーを頬張りながら言う。一方の長川は事件のあらましはすでに把握しているのか紅茶片手に警察手帳すら出さない。むしろ熱心にメモを取っているのは都の横に座っている結城秋菜だった。

「いたずらじゃないからわざわざ当方が都を呼んでるんだ」長川は結城に言った。

「同封されていたのが人間の指だった」

「えっ」

アイスを掬うスプーンを千尋が落とす。

「合計3本。各自1本ずつ。同一人物の指で死後切り取られたことが判明した」

「つまり、本体は死んでいると」

結城は唸った。

「ああ、警察は殺人事件であることを視野に捜査を進めている。今のところ行方不明者で指紋に該当する人間は把握されていないがな」

長川は言った。

 ちょうどウインナーをナイフで切ったところだった勝馬がそれをおっかなびっくり見ているので、都が「頂戴‼」と後ろの席に要請していた。

「都―」長川が都をこっちに連れ戻す。

「そこで警察も我々もただ事ではなく、明日の金印の鑑定会を水戸偕楽園好文亭で行うことになったのですが、私はそれを中止すべきだと進言したんです…でも伊藤議員が何が何でも行うと言っていて。マスコミなども呼んでしまっているので、もう辞めることは出来ないと」

「それで師匠も連れて万事の体制で当日の鑑定会に臨むことになったわけですか」

秋菜は頷いた。

「そういうわけなので、どうか、どうか都さん、高名な女子高生探偵であるあなたにも当日好文亭にいていただけないかと」

「都、このおじさんの言うこと聞いてくれたら、パフェおごってくれるよ」

長川に言われて都は目を輝かせた。

「勿論だよ」

「でも当然明日の会場の警備は警察も行うんですよね」と秋菜。

「まぁ、好文亭をあらかじめ金属探知機で徹底検査。そのあと周辺を警官で固めて、入り口には金属探知機とⅩ線を置く。鑑定会を主宰しているJBCテレビが専用機材を運んでくれるんだと。つまり都に出番があるとすれば、鑑定会に許可を得て参加した人間の中に犯人がいるってパターンだ」

「その日会場に出入りすることを許可されている人は❓」

秋菜が津川館長に聞いた。

「私と伊藤議員、文科省の辻参事、鑑定士の玉川さん、発見者の小畑美奈さんと、JBCリポーターの江川豊さん、カメラマンの藤見優子さん、そして、都さんと結城君、それと秋菜ちゃん…長川警部」

「お兄ちゃんまで❓」

秋菜は兄をジト目で見た。

「お前こそなんでいるんだよ」結城はじっと見つめた。

「都に選ばせたんだよ」長川が兄妹の頭をくしゃくしゃなでながら言った。

「2人まで同行させられる。誰がいいかって」

「都ぉおおお、私が仲間はずれなんだぁ」千尋がお化けみたいに手を垂らしながらスパゲッティにかぶりつく都に襲い掛かる。

「都さん、結城なんて全然役に立ちませんぜ。ぜひこの北谷勝馬を殴り込みに参加させてください」

「ふふふっ、都はやっぱり結城君なんだね」瑠奈が少し寂しそうに勝馬に迫られて、スパゲッティを必死で守る都を見て笑った。

「結構合理的な選択だと思うよ」

長川警部がフォローを入れる。

「都、結城君、秋菜ちゃんは言わば切り込み隊長だ。そして高野さん、薮原さんは外での監視役。そして2人をボディーガードするのは」

「この北谷勝馬‼」

勝馬が目を輝かせて俄然やる気を出す。

「まぁ、外でやることなんてないと思うけど」

千尋はジト目で言った。

「結城君と勝馬君は一緒にしようよ。古風な日本庭園で繰り広げられる衆道…。新しい題材なんだけどな」

「…」

 

―同日午後5時。

 好文亭に到着したJBCの江川豊は長身ではきはきした暑苦しいレポートを今日も繰り広げている。

好文亭水戸藩藩主徳川斉昭が、家臣の労をねぎらい、芸術や文芸を披露する場所として1842年に偕楽園に作ったいわば御休所で、この2階からは千波湖と梅園が一望できます。普段は観光客も入れるのですが、今日は入り口にJBCが導入した移動金属探知機とⅩ線が導入され、内部への立ち合いが制限されます。今日の鑑定式を取り扱うのは多くの金細工国宝や重要文化財を鑑定しました玉川重宗氏です。立会人には茨城県立近代美術館館長の津川修二郎氏、与党衆議院議員伊藤ちなつ氏、そして文科省参事の辻蓮介氏、そしてこの金印を奈良県宇陀市で発掘した小畑美奈さんが選ばれましたぁ。重要文化財の鑑定式なのでみんなこんな感じで白い手袋をしないと入場出来ません」

興奮した様子で恍惚の表情を浮かべてレポートする江川をカメラマンの藤見優子が無表情で撮影している。猫のような目と黒髪がクールな印象を与える若い女性カメラマンだ。

「しかし」

結城はレポートの様子を階段踊り場で下から覗きながら、

「レポーターがよりによって人工透析患者は生産性がないとか言ってたあいつかよ」

とため息をついた。

「この鑑定会がどういう連中の茶番か一発でわかるなぁ」

「でも金印はちゃんと年代測定とかしたんじゃないの❓」

秋菜が結城に耳打ちする。

「放射性年代測定技術か」

結城は唸った。

「あれは生物の遺骸や化石、岩石、隕石、土器などの焼き物の測定には使われるが金属加工の年代測定は出来ないんだよ」

結城はため息をつく。

「じゃぁ、どうやって本物と鑑定するの?」

秋菜が兄をつつく。

「比較対象となる出土品である志賀島の金印をあいつらが偽物扱いしているんだろう。じゃぁ、あいつらの脳内次第だろう」

結城は面白くなさそうに腕組をしながらあたりを見回した。

「それで都はいったいどこにいるんだ」

「結城君、結城君‼」

都の大声が下からくぐもった形で聞こえる。

「結城君来て来て‼」

階段を下りて下の畳の小部屋に降りてきた結城と秋菜は狭い縦の穴に上半身を突っ込んでいる都を目撃した。

「馬鹿野郎、何やってるんだ」

結城が都を引っ張りだすと、都はぷはーと大きく息を吐いた。

「この空間、2階に通じる穴になっているよ」

「これ、配膳を上に運ぶための手動のエレベーターだそうです」

秋菜がピンクのハートの手帳を見ながら言った。

「へぇ、昔もエレベーターはあったんだねぇ」

都が考え深げに言う。その時トタトタと階段を下りてくる音がして、秋菜は誰かとぶつかった。「きゃっ」

「ごめんなさい」

黒髪をセミにしたセーラー服姿の美少女が慌てて秋菜の手を取った。

「あ、こっちこそ…あ、あなたは」

「はい。上の金印を発見した小畑美奈です」

きっとおとなしい真面目な性格なのだろう。素朴な感じの少女は緊張したように声を上げた。

「すごい発見でしたね」

「はい、で、でも偶然だったんです。祖父が畑で田起こししている最中にトラクターが盛り上げた土に何か光っているのを私が見つけて」

「それがあの博物館の」と秋菜。

「はい」

「美奈ちゃん…」都が真面目な表情で口に手を当てて小声で聞く。

「いくら貰えた❓」

「馬鹿野郎」結城が不躾な質問をする少女探偵の頭を押さえる。

「いえ、祖父は『日本国民として当然の義務』って言って、無償で文科省の辻さんに寄付したものですから」

「もったいないなぁ。きっとパフェを何百回と食べられただろうに」

都はしゅんとする。

「なんでも鑑定団にかければ、番組史上最高値が付いたと思います」

秋菜が美奈に言うと、美奈は笑って「すいません、トイレに行きたいので」

「あ、ごめんなさい」

秋菜が慌ててどいた。

「美奈ちゃん、トイレはあそこだよ」

都が小さな木の扉を指す。

「馬鹿、あそこは江戸時代のボットン。今は使えないよ。外の売店にトイレがあるからよ。そこに行ってきな」

結城は手で指示した。

「どうしたんですか、師匠。真っ青になって」

秋菜が都を見ると、都は涙目で「結城君、私あのトイレ使っちゃった」

「‼」

結城が大いに焦って都の口をつぐんだ。

「何も言うな都。きっと大地に帰る。大丈夫だ」

秋菜も「うんうんうんうん」と目を点にしたまま高速でうなずいた。

「君たち…」

突然眼鏡の辻が目を光らせて背後にいたので、一同はびくっとなった。

「な、なんですか❓」

結城が振り返る。

「ちょっと横になる部屋はないか。少し横になりたいんだ」

「あ、ああ、それならあそこの棟の和室をお好きなように」

「すまないね」辻はそういうと渡り廊下を歩いて奥の棟へと歩いて行った。

「あそこの部屋、天皇陛下が休んだ部屋とかいろいろあるけど大丈夫なの」

秋菜が結城を見上げる。

文科省の参事官だぜ。うまくやるだろう」

結城は辻を見送って言った。その時上から長川警部とカメラマンの藤見が下りてきた。

「藤見さん、撮影は?」

結城が聞くと藤見は「江川さんから周辺の庭の風景を撮影するように言われたわ」と表情を変えずに答えて出入り口の方に歩いて行った。

「私は本部に連絡だ」

と長川はスマホに指を走らせる。

「上の方はどうなっているんです❓」

秋菜が聞くと、長川は「私らには来ないで欲しそうな空気だったよ」とため息をついた。

「偉い人同士で何か話すんだろ」

と、その直後だった。突然外を守っていた警官が大声をあげながら走ってきた。

「長川警部‼ 不審者です‼」