偕楽園殺人事件1 導入編
1.新たな金印
茨城県県庁所在地は水戸市である。常磐線E531系で水戸駅に降り立った小柄な少女はショートカットに子供のような笑顔でにっこりと同行者を振り返った。
「ついたー、結城君」
「ああ」
長身の高校1年生の結城竜はホームに降りたとたんに感じた熱気に押されそうになりながらも、県下随一のターミナル駅を感心したように見回した。特急列車や県北へ向かうローカル列車、それに今熱狂的なマニアに愛されている戦車アニメのキャラクターが入った臨海鉄道まで、様々な列車が行き来している。
「これからどうする❓」
竜の後ろで薮原千尋が白のハーフパンツに青いTシャツというコンビニでも行くような姿で前を行く2人に聞く。
「大体1㎞くらい。候補はバスと徒歩って選択肢があるけど」
「このくそ熱い時期にか」
結城はため息をついた。
「だらしがねえなぁ。結城。俺様は5㎞だって歩いて行けるぜ」
ひときわ体のでかい少年北谷勝馬がごつい二の腕でボディビルを気取って見せる。
「ごめん、勝馬君。私は…バスかな」
黒髪ロングの美少女、常総高校探検部高野瑠奈が苦笑する。
「だそうだ、となるとバスの乗り口を探しに行かないと」
さっきまでと発言が打って変わって、エスカレーターを蟹股で駆け上がっていく勝馬を、一番最後に列車から降りた結城秋菜…このメンツで唯一の中学生がため息交じりに見上げる。と、勝馬が大声をあげながらエスカレーターを逆走してきたが、慌てていたためすっころんだ。
「何やってるんだあのバカは」
結城がエスカレーターを上がって勝馬を助け起こすと、勝馬が声を上げた。
「長川警部だ…。長川警部が改札口にいる」
「ふはははは、どうだ、クーラー効いてて気持ちいだろう」
助手席の長川朋美警部は相変わらずのパンツスーツ姿で豪快に笑った。
「クーラーは聞いているんですけど」
秋菜はジト目で長川を見る。
「ちょっと恥ずかしいかな」
探検部のメンバーは護送車に乗っていたのである。金網付きのワゴン車に押し込まれて、全員が必死で外から見えないようにうずくまっている。
「とんでもない。重要参考人の安全な移送にも使われるんだよ。いいじゃない。探検部7人運んであげられる警察の車はこれしかないんだからさ」
信号待ちをしている最中、道行く小学生が護送車を指さしているのに気が付いた都が、金網越しに鉄格子を手にしながら大声で喚いた。
「私は無実だぁ。出してくれぇ」
「やめんか、都」
竜が慌てて制する。
「ええ、護送されているみたいで楽しいのに」
「だから護送車なんだよ‼」
結城は突っ込みを入れた。
車は駅前のビル街をすっと抜けて、公園沿いの文教地区に入った。巨大な噴水と広大な湖が見える。都市公園とは思えないほどの広さだ。
「列車の窓からも見えましたよ。千波湖ですよね」
薮原千尋が格子窓の間からカシャカシャ携帯で写真を撮影する。
「春には4500発の花火が打ちあがるんだぜ。それはそれは奇麗なんだ。ちなみに向こうの駐車場は県下で有名な発展場だぜ」
「うるせえよ」竜が喚いた。
「この作品を見ている読者に変な情報教えるな」
「おっとついたようだ」
公園横の通りからバスは敷地内の並木道に入っていく、そこ突き当りの駐車場の向こうに目的地があった。茨城県立近代美術館である。
護送車から降り立った7人の探検部ブラスその妹はその前衛的なデザインの建物の入り口にデカデカと掲げられた巨大な横断幕を見上げた。
「金王印展…か」
竜は巨大な金印の写真が掲げられた垂れ幕を見上げた。
「知ってるぞ、卑弥呼が中国から貰ったやつだろ」
竜の耳元で勝馬が大声を上げた。
「ちげえよ」
結城はため息をついた。「そんなものが博物館に収められているんなら、邪馬台国がどこにあったかなんて学説、とっくの昔に決着ついてるだろうが」
「そうだよ、勝馬君」
都がしょんぼりする勝馬に言った。
「この金印は小野妹子が中国からもらってきた奴だよ」
結城竜はずるっとなった。
「この金印は大体紀元57年、奴(な)国という九州にあった国が、中国の漢帝国に朝貢した見返りに、奴国の王様を日本国の国王として認めるという証明として貰ったとされているの」
瑠奈が代わりに説明する。
「邪馬台国時代はたぶんその200年後と言われているから、2つの国は全く別の国っていう説が一般的だけど」
「へぇ、弥生時代って長いんだね」
美術館の階段をのぼりながら、千尋が声を上げる。
「紀元前10世紀から、1300年くらい続いたみてぇだからな」と竜。
「デーモン閣下の10分の1か。大したことねえな」
勝馬が先頭を切って美術館のエントランスホールに乗り込む。
「警部」
警官が一同に敬礼する。長川は返礼した。
「異常はないかね」「ご苦労」勝馬がえらそばって堂々と歩く。
「館長…こちらが館長のおっしゃられていた女子高校生探偵島都、他です」
「他…」
千尋がジト目をする。
「おおお、これはこれは…私は当館館長津川修二郎と申します。今日は遠路はるばるお越しくださって…」
津川修二郎という男は長身で穏やかそうな50代末か60代の背広姿の長身の男性だ。たぶんコナンとかで犯人として豹変するとしたからこのタイプだろう。穏やかそうにしているが時折都を値踏みするように見ているのが結城には分った。
「それからこちらは文部科学省学術女性課参事の辻蓮介さん」
「ほう、あなたが館長が押していた女子高生探偵」
七三わけの髪形に眼鏡をキラーンとさせた陰湿そうな役人が、眼鏡をずり挙げて都を見た。
「杓死しそうな感じ」
千尋が某海賊漫画用語を発した。
「そうかなぁ」秋菜は小声で言った。「どっちかというと人をゴミだと思ってそうな気がするけど」
「そして、こちらが政府が外部委託した鑑定士の玉川重宗(えそう)さん。今回美術品の再鑑定事業に携わっています」
「げっへっへっへ、こんにちは島都ちゃん」
分厚い唇に下劣な笑いを浮かべた着物姿の男が、好色丸出しの表情で都や瑠奈を見回す。
「政府に委託されて正しい歴史認識に基づく美術品の再鑑定を行っております。都ちゃん、あなたのナイスバディも鑑定しちゃえるぐらい、様々な分野の鑑定に秀でているんですよ。ぐふふふふふ」
調子の乗った玉川を結城が物凄い目つきでにらみつけ、玉川はひっと声を上げて肩身を狭くした。
「正しい歴史認識に基づく再鑑定❓」
結城竜は訝し気に長川と津川を見回す。
「この博物館に収蔵されているブツに偽物でも混じっているというのですか」
「でも、この博物館に収蔵されているものはちゃんと専門家が鑑定した作品のはずじゃ」
と秋菜。すると後ろから高い女性の声が聞こえてきた。
「その官邸と基準となっている歴史そのものが自虐史観に浸食された学会によってゆがめられたものだとしたらどうなると思う❓」
長身で熱い唇と分厚い化粧が幼稚に見える50代の女性議員が笑みを浮かべて近づいてきた。
「だ、誰あなた」
結城竜が言うと、長川は結城に知らせるように「これはこれは、伊藤ちなつ議員」とその議員を迎えた。
「長川警部もごきげんよう。この子たちは例のちびっ子女子高生探偵かしら」
「まぁ、アポトーシスしたわけじゃないですが」
長川は苦笑した。
「私は伊藤ちなつ。日本総合党に所属する衆議院議員よ。こっちは秘書の佐々木アツムネ君」
「よろしく」
ハンサムで無口な背広姿の若者が会釈した。
「それでさっきの話の続きだけど、日本の学術研究はね、日本の国益のために行われるからこそ国家が資金を提供すべきだと思うの。でも今までの学術分野においては自虐史観に基づいた近隣諸国の国益にしかならない研究が行われていたわ。私たちは日本国民と納税者のために、日本人による日本のための学術研究を支援する…その為に日本のあらゆる博物収蔵品が本当に正しい日本の国益を反映しているかどうかを再鑑定する事にしているの」
「ってことは、まさかあの金印が偽造とでも」と結城竜。
「ええ、日本のあけぼのが中国への朝貢国として始まったという偽歴史ではなく、本物の歴史に沿った展示をしていただくよう、この博物館に要請する事が、政府から仰せつかった派遣議員としての私の使命…」
伊藤議員はうっとりと自分に酔いしれるように言って、結城をげんなりさせた。
(うわぁーーーー、トンデモ議員)
「結城君、金印が偽物っていう学説はあるのよ」
と瑠奈。
「金印は志賀島で江戸時代に畑を耕していたお百姓さんが偶然発見したって言われているんだけど、学術的な証拠が全然ないし、考古学的にもとても曖昧で資料としては本来なら使えないんだって…でも中国の歴史書にそう書いてあってそれが一致するからこそ、志賀島の金印は本物だって認識されてきたの」
「でも中国は捏造大国ですからね」と伊藤。
「この金印だって、『日本がかつて中国の属国だった』って認識を広めたい反日勢力が作り出した偽物の歴史に基づいて作り出された贋作という可能性だってあるわけよ。そして私たちは、今回本物の歴史に基づく新しい金印を発見する事が出来たの」
「新しい金印❓」
「ええええっ」瑠奈と千尋が素っ頓狂な声を上げた。
「今からそれを見せてあげるわ」
伊藤ちなつ議員は無茶苦茶なウインクを結城に投げかけた。
厳重に警備された博物館の奥に「新しく発見されたもう一つの金印」という形で轟轟しい特別展展示室が存在した。
「うーむ」
都は声を上げた。「なんか緊張するね」
「都は結構博物館とか好きじゃない」
千尋が意外な声を上げると
「都はどっちかというと安い常設展を見て、そのあと子供体験コーナーで楽しく遊んでいることが多いかな」
と瑠奈は笑った。
「確かに…高い特別展には行かないですね」
と秋菜が言った。
「まぁ、でも…この特別展はやばいだろう」
結城は「日本の歴史年表(神武天皇がいた設定)」や「他の近隣国と比べていかに日本が優れているかを知らせる展示パネル」を見回してため息をついた。そして特別展の中央にあった金印を目にした。
大きさはスマホの短辺を正方形にした感じだろうか。黄金色に輝くそれは掘られた文字が見えるように倒されておかれ、横の赤い朱肉の押印紙にはこう書かれていた。
―神武天皇之印―
(うそくせぇ…)
結城は思った。
「これが私たちの国日本の本当のあけぼのよ」
伊藤議員は嬉しそうにホクホクと笑った。
2.虚構の鑑定式
「さ、さすがにこれはねえだろ」
結城は議員に聞こえないように呟いた。
「そう思う❓」
秋菜が目をぱちくり横から結城を見る。
「だって、神武天皇が仮にいたとして自分を神武天皇って名乗るか❓ 今の陛下が自分を平成天皇っていうもんだぜ」
「まるで幸福の科学で霊を呼ばれた人の金印よね」マニアックな会話を千尋が成立させる。
「何々❓」
瑠奈がじっと説明プレートを読む。
「この金印は奈良県宇陀市で中学生の女の子が実家の神社の祭壇に収められていたのを偶然発見ですって。木箱には神武天皇二十六年に作られたものって書かれていたみたい」
「…」結城は何も言えなかった。
「これ、考古学的にはありなのかね」
結城。「紀元前584年だろ」
「弥生時代が始まって半分くらい。漢字だって伝わっていないんじゃないかな」
と瑠奈。一方都は展示コーナーに発見者の少女が金印を手に笑顔で笑っている写真が撮影され、自虐史観ではなく正しい歴史を追及して日本国のためになる研究をすべきという企画展示を見ていた。
「島都さんでしたっけ? すごいいい顔をしているでしょう彼女。日本国の本当の歴史を知って、ご先祖様や日本国を好きになってこその笑顔よ」
と伊藤は笑った。
「さて、島さん」
「ほえ」
伊藤は地図模型に神武天皇の遠征を示した光の流れを出すボタンをカチカチやる都に語り掛けた。
「あなたはこれでも女子高生探偵なんですってね」
「本当は推理よりもパフェとリラックマ君が大好きだけど」と都。
「パフェおごってくれるの❓」
「なんでおごらないといけないのよ」
伊藤はあっけにとられた声を出す。
「島さん、あなたが推理をする時に一番重視していることって何かしら」
都は「うーん」と考えてから「命」と言った。「命あっての物種っていうじゃない。まずは安全第一だよ‼」
「その割には殺人事件に巻き込まれているみたいじゃない」
「それでもだよ」
都はにっこり笑った。「どんなに怖くても悲しくても誰かの命を助ける。それが一番大事なことなんだよ」
「意外ね、真実っていうと思ってたわ」
伊藤は言った。
「真実は命を大事にする方法なんだよ」都は言った。「嘘をついて誰かを助けることなんて出来ない」
「そうよね…でも私としては、真実を追求するうえで一番忘れないでほしいのは国益よ」
「国益❓」
都は目をぱちくりさせる。「それっておいしいの」
「人が人として生きる上で一番大切なことよ。あなたは真実を見つけるとき、国益に沿うような形でそれを見つけなければいけないの」
伊藤は少しずつ力説して言った。
「うーーーん」
都はまるでテストの難問に遭遇したように難しい顔をした。
「それは難しいよ。だって真実は私にとっていいものであっても悪いものであっても、最初からそこにあるんだから。私にとって凄くうれしい真実に変えられる魔法があればうれしいけど、魔法少女未来ちゃんだってそんな魔法は使えなかったんだし…。それとも議員になればそんな魔法を使えるようになるのかな」
都は純粋に目をぱちくりさせた。その時だった。
「おーい、都。長川警部がレストランでスパゲッティおごってくれるって‼」
「本当❓」
都はジャンプして飛び上がった。
「これが例の脅迫文なんです」
津川館長(いやだなぁこの表記)がミートソースまみれの都と長川警部に、脅迫文を見せた。
―明日の鑑定会に注意しろ。必ず人が死ぬ
という文句が恐怖新聞の字幕みたいなワープロ文字で、つまりHG行書体で書かれていた。
「これが今朝、近代美術館の事務室と伊藤ちなつ議員の事務所。そして鑑定士の玉川氏の自宅に届いたのです」
「いたずらじゃないの。あんたがたの言う反日左翼の」
結城が後ろから背中を向けてカレーを頬張りながら言う。一方の長川は事件のあらましはすでに把握しているのか紅茶片手に警察手帳すら出さない。むしろ熱心にメモを取っているのは都の横に座っている結城秋菜だった。
「いたずらじゃないからわざわざ当方が都を呼んでるんだ」長川は結城に言った。
「同封されていたのが人間の指だった」
「えっ」
アイスを掬うスプーンを千尋が落とす。
「合計3本。各自1本ずつ。同一人物の指で死後切り取られたことが判明した」
「つまり、本体は死んでいると」
結城は唸った。
「ああ、警察は殺人事件であることを視野に捜査を進めている。今のところ行方不明者で指紋に該当する人間は把握されていないがな」
長川は言った。
ちょうどウインナーをナイフで切ったところだった勝馬がそれをおっかなびっくり見ているので、都が「頂戴‼」と後ろの席に要請していた。
「都―」長川が都をこっちに連れ戻す。
「そこで警察も我々もただ事ではなく、明日の金印の鑑定会を水戸偕楽園好文亭で行うことになったのですが、私はそれを中止すべきだと進言したんです…でも伊藤議員が何が何でも行うと言っていて。マスコミなども呼んでしまっているので、もう辞めることは出来ないと」
「それで師匠も連れて万事の体制で当日の鑑定会に臨むことになったわけですか」
秋菜は頷いた。
「そういうわけなので、どうか、どうか都さん、高名な女子高生探偵であるあなたにも当日好文亭にいていただけないかと」
「都、このおじさんの言うこと聞いてくれたら、パフェおごってくれるよ」
長川に言われて都は目を輝かせた。
「勿論だよ」
「でも当然明日の会場の警備は警察も行うんですよね」と秋菜。
「まぁ、好文亭をあらかじめ金属探知機で徹底検査。そのあと周辺を警官で固めて、入り口には金属探知機とⅩ線を置く。鑑定会を主宰しているJBCテレビが専用機材を運んでくれるんだと。つまり都に出番があるとすれば、鑑定会に許可を得て参加した人間の中に犯人がいるってパターンだ」
「その日会場に出入りすることを許可されている人は❓」
秋菜が津川館長に聞いた。
「私と伊藤議員、文科省の辻参事、鑑定士の玉川さん、発見者の小畑美奈さんと、JBCリポーターの江川豊さん、カメラマンの藤見優子さん、そして、都さんと結城君、それと秋菜ちゃん…長川警部」
「お兄ちゃんまで❓」
秋菜は兄をジト目で見た。
「お前こそなんでいるんだよ」結城はじっと見つめた。
「都に選ばせたんだよ」長川が兄妹の頭をくしゃくしゃなでながら言った。
「2人まで同行させられる。誰がいいかって」
「都ぉおおお、私が仲間はずれなんだぁ」千尋がお化けみたいに手を垂らしながらスパゲッティにかぶりつく都に襲い掛かる。
「都さん、結城なんて全然役に立ちませんぜ。ぜひこの北谷勝馬を殴り込みに参加させてください」
「ふふふっ、都はやっぱり結城君なんだね」瑠奈が少し寂しそうに勝馬に迫られて、スパゲッティを必死で守る都を見て笑った。
「結構合理的な選択だと思うよ」
長川警部がフォローを入れる。
「都、結城君、秋菜ちゃんは言わば切り込み隊長だ。そして高野さん、薮原さんは外での監視役。そして2人をボディーガードするのは」
「この北谷勝馬‼」
勝馬が目を輝かせて俄然やる気を出す。
「まぁ、外でやることなんてないと思うけど」
千尋はジト目で言った。
「結城君と勝馬君は一緒にしようよ。古風な日本庭園で繰り広げられる衆道…。新しい題材なんだけどな」
「…」
―同日午後5時。
好文亭に到着したJBCの江川豊は長身ではきはきした暑苦しいレポートを今日も繰り広げている。
「好文亭は水戸藩藩主徳川斉昭が、家臣の労をねぎらい、芸術や文芸を披露する場所として1842年に偕楽園に作ったいわば御休所で、この2階からは千波湖と梅園が一望できます。普段は観光客も入れるのですが、今日は入り口にJBCが導入した移動金属探知機とⅩ線が導入され、内部への立ち合いが制限されます。今日の鑑定式を取り扱うのは多くの金細工国宝や重要文化財を鑑定しました玉川重宗氏です。立会人には茨城県立近代美術館館長の津川修二郎氏、与党衆議院議員伊藤ちなつ氏、そして文科省参事の辻蓮介氏、そしてこの金印を奈良県宇陀市で発掘した小畑美奈さんが選ばれましたぁ。重要文化財の鑑定式なのでみんなこんな感じで白い手袋をしないと入場出来ません」
興奮した様子で恍惚の表情を浮かべてレポートする江川をカメラマンの藤見優子が無表情で撮影している。猫のような目と黒髪がクールな印象を与える若い女性カメラマンだ。
「しかし」
結城はレポートの様子を階段踊り場で下から覗きながら、
「レポーターがよりによって人工透析患者は生産性がないとか言ってたあいつかよ」
とため息をついた。
「この鑑定会がどういう連中の茶番か一発でわかるなぁ」
「でも金印はちゃんと年代測定とかしたんじゃないの❓」
秋菜が結城に耳打ちする。
「放射性年代測定技術か」
結城は唸った。
「あれは生物の遺骸や化石、岩石、隕石、土器などの焼き物の測定には使われるが金属加工の年代測定は出来ないんだよ」
結城はため息をつく。
「じゃぁ、どうやって本物と鑑定するの?」
秋菜が兄をつつく。
「比較対象となる出土品である志賀島の金印をあいつらが偽物扱いしているんだろう。じゃぁ、あいつらの脳内次第だろう」
結城は面白くなさそうに腕組をしながらあたりを見回した。
「それで都はいったいどこにいるんだ」
「結城君、結城君‼」
都の大声が下からくぐもった形で聞こえる。
「結城君来て来て‼」
階段を下りて下の畳の小部屋に降りてきた結城と秋菜は狭い縦の穴に上半身を突っ込んでいる都を目撃した。
「馬鹿野郎、何やってるんだ」
結城が都を引っ張りだすと、都はぷはーと大きく息を吐いた。
「この空間、2階に通じる穴になっているよ」
「これ、配膳を上に運ぶための手動のエレベーターだそうです」
秋菜がピンクのハートの手帳を見ながら言った。
「へぇ、昔もエレベーターはあったんだねぇ」
都が考え深げに言う。その時トタトタと階段を下りてくる音がして、秋菜は誰かとぶつかった。「きゃっ」
「ごめんなさい」
黒髪をセミにしたセーラー服姿の美少女が慌てて秋菜の手を取った。
「あ、こっちこそ…あ、あなたは」
「はい。上の金印を発見した小畑美奈です」
きっとおとなしい真面目な性格なのだろう。素朴な感じの少女は緊張したように声を上げた。
「すごい発見でしたね」
「はい、で、でも偶然だったんです。祖父が畑で田起こししている最中にトラクターが盛り上げた土に何か光っているのを私が見つけて」
「それがあの博物館の」と秋菜。
「はい」
「美奈ちゃん…」都が真面目な表情で口に手を当てて小声で聞く。
「いくら貰えた❓」
「馬鹿野郎」結城が不躾な質問をする少女探偵の頭を押さえる。
「いえ、祖父は『日本国民として当然の義務』って言って、無償で文科省の辻さんに寄付したものですから」
「もったいないなぁ。きっとパフェを何百回と食べられただろうに」
都はしゅんとする。
「なんでも鑑定団にかければ、番組史上最高値が付いたと思います」
秋菜が美奈に言うと、美奈は笑って「すいません、トイレに行きたいので」
「あ、ごめんなさい」
秋菜が慌ててどいた。
「美奈ちゃん、トイレはあそこだよ」
都が小さな木の扉を指す。
「馬鹿、あそこは江戸時代のボットン。今は使えないよ。外の売店にトイレがあるからよ。そこに行ってきな」
結城は手で指示した。
「どうしたんですか、師匠。真っ青になって」
秋菜が都を見ると、都は涙目で「結城君、私あのトイレ使っちゃった」
「‼」
結城が大いに焦って都の口をつぐんだ。
「何も言うな都。きっと大地に帰る。大丈夫だ」
秋菜も「うんうんうんうん」と目を点にしたまま高速でうなずいた。
「君たち…」
突然眼鏡の辻が目を光らせて背後にいたので、一同はびくっとなった。
「な、なんですか❓」
結城が振り返る。
「ちょっと横になる部屋はないか。少し横になりたいんだ」
「あ、ああ、それならあそこの棟の和室をお好きなように」
「すまないね」辻はそういうと渡り廊下を歩いて奥の棟へと歩いて行った。
「あそこの部屋、天皇陛下が休んだ部屋とかいろいろあるけど大丈夫なの」
秋菜が結城を見上げる。
「文科省の参事官だぜ。うまくやるだろう」
結城は辻を見送って言った。その時上から長川警部とカメラマンの藤見が下りてきた。
「藤見さん、撮影は?」
結城が聞くと藤見は「江川さんから周辺の庭の風景を撮影するように言われたわ」と表情を変えずに答えて出入り口の方に歩いて行った。
「私は本部に連絡だ」
と長川はスマホに指を走らせる。
「上の方はどうなっているんです❓」
秋菜が聞くと、長川は「私らには来ないで欲しそうな空気だったよ」とため息をついた。
「偉い人同士で何か話すんだろ」
と、その直後だった。突然外を守っていた警官が大声をあげながら走ってきた。
「長川警部‼ 不審者です‼」