劇場版少女探偵島都9ー岩本承平の驚愕File❷
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パトカーが到着した。鑑識のカメラで死体の生首が撮影される。人体の脊髄が一緒に引っこ抜かれた、物凄い死体だった。
「今度もまた凄まじい現場だな」
茨城県警女警部の長川朋美はグロを見つめながら唖然とした。
「こんな現場は初めてだよ。首を怪力で胴体からひねりちぎった、そんな感じだね」
鑑識の加隈真理は眼鏡を反射させる。
「しかも犯人は殺す前におそらく指の力で被害者のお腹を掻っ捌き、腸を引きずり出して振り回している。ちょっと人間離れしている感じだよね」
「ホトケの身元は?」
長川が聞くと鈴木刑事が警察手帳片手に報告した。
「ホトケは朝倉一郎。44歳。書籍のネット配信をやるディベロップという会社の経営者です。ただ相当なブラック職場だったようで、気の弱い社員を軟禁し、職場に宿泊させて無償労働をさせた挙句、罰金と称して親兄弟からも金を巻き上げていたようです」
「もうそんなことまでわかったのか」
長川が聞くと「あくまで第一発見者の大宮なつはさんの証言ですが」と鈴木刑事は廊下でおばさんに支えられて号泣している若い女性を見つめた。
「このガイシャの会社の従業員の妹で、兄の不始末を理由に多額の金をせびられており、さらに今日は体まで要求されていたようです。警察に訴えたら会社が撮影した兄の全裸職場テロの画像をばら撒くと脅迫されていたようで。脅迫DMも確認済みです」
「横にいるおばちゃんは」
「1年前から住んでいる隣人の佐竹文子さんです。彼女が廊下で震えているのを不審がっていて、それで一緒に部屋に入ってこれを見つけたようです」
と鈴木が答える。佐竹文子(50、主婦)は自分の部屋で休むように大宮なつはを誘導する。
「で、2人が見たのが…骸骨の男か…」女警部は真剣な表情で玄関先の2人の女性を見つめる。
「2人は嘘をついてないよ」
加隈は鑑識作業を続けながら言った。
「ここから下の階まで8階分手すりをチェックしたら、奴の掌紋がバッチリ出て来たよ。大量殺人鬼、岩本承平の指紋がね」
長川の目が電撃が走ったように見開かれる。
「手すりの指紋は分泌物や形状から見て、第3者があらかじめつけておいた可能性はほぼない。それに室内からも岩本の指紋は多数出ているからね。ただそうなると一つ妙な点があるんだよ」
加隈は長川を見上げた。
「死亡推定時刻が今から3時間も前なんだ」
「それはわかっていたんだ。血も乾ききっているし、匂いもするしね」長川は白手袋越しに床の血に触れる。
「だけど確かに妙だな。標的を殺した後なぜ奴は3時間もこの部屋にいたんだ?」
長川は鈴木に命じた。「マンションの防犯カメラは見れるか?」
「マンションの出入口の防犯カメラです」
管理人の下条康文(54)はハゲ頭越しに長川に防犯カメラの映像を見せる。
「私もざっとチェックしたのですが」西野刑事という20代の女刑事が生真面目な口調で画像を見つめる。
「死亡推定時刻の1時間前に1人の男性が入って来ています。身長は180㎝以上で肩幅が広く、岩本が変装する事が可能な体型です。この人物は別の住人が出たタイミングを見計らってマンションの敷地に入り込んでいます。そしてそれから現在に至るまで防犯カメラには映っていません」
「こいつが岩本の可能性が高いな」
長川は画面の前で唸った。
「他にこのマンションから出入りしている人間は?」
「帰宅時間ですからね。何人もいますが、女性だったり小柄な男性だったりで体格的に岩本が変装できる人間はいないと思います。逆にマンションを出て行った人もいますが、いずれも近くのコンビニにでも行っていたようで30分程度で帰っていますし、その人物も岩本が変装できる相手ではありません」
そこまでいってから西野は防犯カメラをじっと見つめた。
「岩本が変装したこの人物が一体誰なのか。それを特定する事で、岩本逮捕への手掛かりがつかめるのではないでしょうか」
「勿論お前らにもやってもらうつもりだが」
長川はモニターを見続けた。
「かといって大きく期待も出来ないな。別にわざわざ殺した人間になり替わる必要もないわけだ。奴は実在人物に完璧になりきる事は出来ないが、架空の人間に変装すれば、少なくとも岩本以外の人物に完璧になりきることが出来る。この人物が実在するかどうか、あまり期待は出来ないと考えるべきだろう」
「でももし実在していたら」西野は言った。
「ああ、確実に殺されているだろう」長川の目は監視カメラの大柄で目がくぼんだ不気味な男を見た。
「あれ…」
突然長川の隣にいた精悍な顔立ちにガタイのいい所轄刑事、滝山春斗(32)が目を見開いた。
「こいつ、前に俺が逮捕した男ですよ」
「な、なんだと」長川は滝山刑事を振り返った。
「1年前に強制わいせつ罪で。女子高生の自宅に侵入して猥褻目的で少女を襲った容疑で、僕が現行犯逮捕しました」
刑事は得意げに言った。「これでも柔道では所轄一。国体にも出た事あるので」
明らかに西野に色目を使っている。軽薄そうな刑事を西野はジト目で見つめた。
「その事件について詳しく教えろ」
長川が滝山に命じると、滝山は「事件があったのは丁度1年前の4月頃だったと思います」と説明を始めた。
「この男、確か八木正平という20歳の男が女子高生が住む家に侵入し、勉強中だった女子高生を襲って性的暴行をしようとしたところ、セキュリティ契約している警備会社の警備員が駆け付けて、取り押さえようとしたのですが、この男は警備員でも手が付けられない程暴れたらしく、近隣の連続婦女暴行事件を捜査していて連絡を受けた私が制圧しました。この男は帰宅途中の若い少女を見つけて後をつけ、家に入った事を認め、さらに女子中学生や高校生4人に対する連続婦女暴行事件の犯人であるという事も認めたのですが、弁護士がやり手でしてね」
滝山刑事はため息をついた。その表情から今までの軽薄さが消えた。
「奴は知的障害があって、『被害者は自分の事が好きだった』という妄想に支配されて犯行を行った心神耗弱を訴えたのです。あの男は裁判でも、被害者の少女と自分は恋人同士だったと喚いて妄想をひけらかしていました。そして、それがよりにもよって認められて…執行猶予がついたのです。被害者の女子高生は自殺しましたよ。あの男の妄想が認められた事に絶望したと、遺書には書いてありました」
滝山は臍を噛む。その姿を滝山の部下の遠藤日名子(26、刑事)という若手のショートの女刑事が一瞬物凄い目つきで見つめた。
「岩本からすれば、奴は絶対殺さなければいけない存在だろうな」
長川はそう言ってから、「とりあえず、奴の身辺から当たるぞ」と西野に言った。
夜道を長川警部の車がすれ違ったのは黒塗りの高級車で、一柳が運転し、都と結城が後部座席に座っていた。
「ここですよ」
一柳が車を止めたのは神社のお堂の前だった。
「ここで、正平お坊ちゃんは車から降りてあちらの方向に走っていかれました」
一柳が指差したのは神社とは道路を挟んで対面する公園と駐車場で、周辺は木々に覆われている。
「そういえば、なんかその直前に、骸骨が林から僕を見ているって、尋常ではない怯えかたをしていましたね」
一柳が顎に手をやりながら答える。
「骸骨?」
都と結城が振り替える。
「ええ、私は特に見なかったのですが」
一柳が困惑したように言った。「しかしお坊ちゃんは相当怯えていたようで、そのまま車から飛び出して」
「失踪した、と」
結城は呆然とした。その横で都は考え込んだ。
「まさか、その骸骨って」
都に結城は囁いた。
「岩本君かもしれないね」
都はじっと森を見た。
その森の暗い木々の間から、骸骨がこちらを見ていると結城は一瞬錯覚した。その時結城の肩を誰かが叩いた。結城がのわっと声をあげ振り返ると、長川警部が腕組をしていた。
「びっくりしたのはこっちだよ。お前らが八木正平の家に来ていたと父親から聞かされてな」
呆れたような長川警部。
「長川警部、ばんはー」都が女警部とハイタッチした。
「ここに長川警部が来たって事は」
都は一転真剣な目で長川を見上げた。
「ああ、八木正平の失踪に岩本が関係している可能性が出てきた」
長川は都と結城を見回した。
「実は朝倉という名前の社長が殺害されるという事件がさっきあってな。殺害現場で岩本が目撃された上に岩本の指紋も確認されたんだ」
「マジかよ。また奴は殺したのか」
「ああ、問題はここからだ」長川は結城を見ながら、徐に今度は都の方を見た。
「アパートの防犯カメラに八木正平が写り混んでいたんだよ」
「何だと」結城が驚愕した。都の目も見開かれる。
「しかも奴は防犯カメラに出るところが確認されていない。つまり」
「岩本君の変装の可能性が高いと」と都。
「ああ」長川は頷いた。
その時だった。突然一柳が悲鳴をあげた。
「うわあああ」
「ど、どうした」結城が訝しげに一柳を見ると、一柳は「俺は関係ない、俺は関係ないんだあ」と叫びながら、いきなり車の運転席に乗り込み、車を急発進させるが、慌てていたのか、思い切り鳥居に激突し、前方が派手に大破してエアバッグが開いた。エンジンルームから煙が出ている。
「アブねぇ」
長川があわててドアを開けて、エアバッグから一柳を引っ張り出すと、肩車して車から離れた。エンジンルームからガソリンタンクに火花が散り、車は炎に包まれた。
「すぐに病院に」
長川が気絶している一柳の横で、スマホを取り出すと都は「命に大事がないなら警察病院に」と注意した。唖然とする長川を都はまっすぐ見つめた。
「理由はわからないけど、この人が次の岩本君の標的かもしれない」
都の予想は外れていた。殺人者岩本は次の標的を毒牙にかけていた。
田舎にぽつんとある夜の交番。滝山刑事は「誰もいないのか」とぼやきながら、交番のテーブルに座っていた。その滝山刑事に、闇の中から近づいてくる殺人者の影があった。
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その殺人者は滝山を殺すために、交番に仁王立ちした。殺気を感じて滝山は振り返り立ち上がった。目の前には八木正平の姿をした、無表情でありながら殺意だけは感じる、そんな男が目の前に立っていたのだ。
「お前が朝倉を殺したのか」
滝山は歯軋りしながら八木正平の姿をした殺意者を見つめた。「お前は、何者だ」
(この男は侮るなかれ) 岩本は自分に警告した。
突然拳銃を向けてる滝山。だがその弾道に殺人者の姿はなく、滝山の腹部に強打が叩き込まれ、滝山はぶっ飛び交番のカウンターと一緒にぶっ飛んだ。仰向けに倒れる滝山に飛びかかる殺人者。滝山はそれに向かって蹴りを放つが、殺人者はその蹴りを避けるとその足を掴み関節から見て明後日の方向に曲げた。
「ぎゃああ」滝山が絶叫すると同時に、滝山刑事は倉庫のドアに投げ飛ばされ、その弾みに腕が脱臼した。
殺人者は無表情でこちらを見て、そして言った。
「痛いです。痛いです」
つぶやくような声だった。だが滝山刑事はこの男に凄まじい恐怖を感じた。
滝山は手足が不自然に折れ曲がった状態でも何とか交番物置に逃げ込み、鍵をかけたが、八木正平の姿の殺人者はドアを簡単に蹴り飛ばし、交番物置に入り込むと、倒れている滝山刑事の肉体の顔面に、襲いかかり顔面をスイカのように破壊した。
「くそっ」
交番物置に倒れているぐしゃぐしゃになった滝山刑事の死体。その前にして長川は無念そうに吐き捨てた。
「長時間暴行されているね。生きたまま手足をひねりあげている。指紋の状況からして岩本が殺したことは間違いないね。生体反応のある骨折と岩本の指紋が一致している」
鑑識の加隈はそこまで言ってから頭を押さえた。
「しかし何でだろうねぇ」
加隈はため息をついた。
「桐山弁護士の事件では岩本は素手で被害者をシチューにしているんだけど、朝倉社長の事件では岩本は朝倉に致命傷を与えた際には指紋を残していないんだよ。おそらく手袋をしていたとは思うんだけど」
「奴の気まぐれじゃないのか」
長川はため息をついた。
「まあ、そうだとは思うけどね。だって朝倉の事件の時も犯行現場には指紋は残っているし」
と加隈。長川が「今回の事件はバッチリ殺害時の指紋も残っているんだろ」と確かめるように聞くと、加隈は頷いた。
「あの格闘家並の実力者の滝山刑事を」
西野刑事は警察のワゴン車に設置されたPCを見て呆然としていた。監視カメラ映像で滝山刑事は足をへし折られ、苦しみもがきながら物置に逃げ込んでいた。
「八木正平の格好だな」
結城が都の後ろのシートで首だけ都の肩越しにしてPCを見つめる。
「岩本の指紋が出ているし、八木正平はもう殺されて岩本が成り代わっていると見て間違いないだろうな」
結城がそういうと都は目をぱちくりさせ、結城を見上げた。
「でも、どうして八木正平さんに成り代わって犯行をし続ける必要があるんだろ」
都の言葉に結城は「俺も気にはなっているんだが」と唸る。
その時、加隈が牛乳瓶眼鏡を光らせて「やあ、都ちゃんたち、ちょっと来て欲しいんだけど」とマイペースに呼び出した。
「ここなんだけど」
交番の物置の窓を加隈は示した。
「岩本は滝山を殺した後でなぜかこの窓から脱出したみたいなんだよね。でも何で交番の出口から出なかったんだろう」
「監視カメラに映りたく・・・、いや、あれだけ映りまくっているしな」
と結城は思案する。
「最初から開いていたからついついとか」と都が聞くと加隈は首をふった。
「岩本が開けたことは指紋の状況から間違いない。鍵を内側から開けて外に出ている。ちなみに監視カメラにはその時交番に第三者がいた記録もなく、人目を忍ぶ必要もなかったはずなんだよね」
と加隈。
「むむむ」
都は腕組をして目をバッテンにして考え込んでいた。その時だった。
「ここにいたか都」
振り返ると長川が頭を掻いていた。
「実は2つお知らせがあるんだ。まずお知らせ1。2番目に殺された朝倉社長が、八木正平に性犯罪をされた被害者の少女の養父だった」
「マジかよ」と結城。
「マジだ。そして被害者の少女の南唯当時15歳は1年前に八木正平が執行猶予になった事を苦にして自殺をしている。橋から利根川に飛び込んでな」
「ちょちょちょ」
都ちゃんが手をバタバタさせた。
「長川警部の話だと、八木正平って人を逮捕したのが、今殺された滝山刑事だよね」
「それともうひとつ」
長川警部はバタバタする都を落ち着かせるように肩を押さえた。
「最初にシチューになっていた桐山弁護士が八木正平の弁護士だったんだ。奴が執行猶予になるように取り計らったのは桐山弁護士だったんだ」
「これ全部繋がってるじゃねぇか」
結城は唖然とした。
「全部繋がってるね」
都は思案した。
「そして一柳さんも八木正平の付き人だから、彼も繋がっている。ただそう考えてみた時、一つ疑問点があるんだよね。八木正平さんはわかるんだよ。南唯さんやそれ以外の女の子に酷いことをした犯人な訳だから。だけど、彼を逮捕した刑事さんと、南唯さんの養父さんが殺される理由は何なんだろう。そして一柳さんは何で自分が殺されると思い込んでいたんだろう」
「養父の朝倉が殺される理由は大体想像はつくがな」
長川はため息をついた。
「朝倉は南唯さんに性的虐待をしていた」
「まじかよ」結城が唖然とした。長川はため息をついた。
「南唯さんは母子家庭でな。母親の上司の朝倉は権力を使って南唯の母親を洗脳して、給料も払わず会社で寝泊まりさせ、娘の唯さんを無理やり養子にして性的暴行をしていたらしい。母親も娘が人質状態だった故に会社をやめられず、娘が性的暴行を受けていたのを知ったのは彼女が死んでからだそうだ。母親も娘が自殺した後に後を追ったよ」
「酷い」都は呟いた。
「朝倉は南唯さんを裁判所でも侮辱したそうだ。検察側の証人なのに唯さんを性に奔放で変態趣味があると罵ったりした。ほとんどいじめの場所として裁判を利用しているよな。傍聴するように唯さんに強要していたらしい。Twitterには『かわいい女の子の尊厳がズタズタにされて苦しむのが楽しい』とか書いていたし、そういう性癖なんだろう。そのあたりを弁護士がうまく利用して、南唯を苦しめる目的で八木正平を執行猶予にしたという訳だ」
長川は交番の窓の前で「やだやだ」と手をふった。
「だが八木正平は他に3人も襲っていたんだろ。何で執行猶予になるんだよ」
と結城。長川は続けた。
「他の3人の被害者は全員女子中学生でな。確かに全員が八木正平に襲われたと証言したよ。だが、全員怖かったのだろうな。法廷では八木が犯人だと証言するのが精一杯で、弁護士の桐山の厭らしい質問には耐えられなかったらしい」
「なるほどな」
結城は顎に手をやり考えた。
「この事件が自殺した南唯って人の復讐だとすれば、彼女をレイプした八木正平は当然殺されるだろうし、裁判をパワハラの道具にした義父の朝倉一郎、八木を執行猶予にした弁護士の桐山も殺される動機はあるんだが、やはり彼女の味方だったこの滝山刑事が殺される理由はわからないな」
「あの、ちょっとよろしいですか」
と刑事の遠藤日奈子がおずおずと声をあげた。
「実は2年前の連続強姦事件に関しては、ちょっと捜査で変なことがあったのです」
遠藤は周囲を気にしながら言った。
「実は捜査に本庁の警視が立ち会っていたのです。白倉警視。警察庁の大物幹部の息子で、突然研修という形で捜査に参加していました。その時被害者の取り調べを一括して任されていたのが滝山警部補で、白倉警視と滝山はとても仲が良さそうで、まるで白倉警視の威光を利用しているかのように、滝山警部補の捜査方針が認められていったのです。正直気味が悪かったですよ」
遠藤の言葉に長川は「やはり、滝山にも何か殺される理由はあったんだな」と交番を見上げた。
「それともう一ついいですか」
遠藤日名子が小声で言った。
「実は白倉警視と滝山警部補が、八木正平の取り調べをしていた時に、取調室から物凄い悲鳴が聞こえてきた事があったのです」
「悲鳴?」
と長川は遠藤日名子に訝し気に聞く。遠藤はさらに声を押し殺して「八木正平の声だったと思います」と言った。
「拷問って事ですか」結城は穏やかじゃないなという表情で遠藤日名子を見つめる。
「拷問…ではなかったと思います」
と遠藤は口元を押さえて怯えるような表情で言った。
「こんな事を言うのも何なのですが、八木正平はIQが70弱で、わざわざ拷問などしなくても誘導自白させる事はいくらでも出来ますし、八木が悲鳴を上げているのを聞いたのはその1回だけでしたので。ただあの時の悲鳴が尋常ではなくて…。それで翌日私が八木の取り調べをしたとき、八木の指全部に包帯が巻かれていたのです。滝山警部補は自分で自分の爪を剥がし始めたから、治療させたと言っていましたが、その直後に八木は送検されました」
遠藤は心底怯えたように交番を見た。
「滝山警部補はあの事件以外は親切で優秀な刑事でした。私の憧れでした。だからどうしても八木の事件だけが奇妙に見えてしまうのです」
岩本は草むらの中に身を潜めていた。先ほど滝山を殺してからずっと潜んでいた。岩本は息を荒げ、目をかっと見開いていた。