少女探偵島都 2018年

2009年くらいから母親が書いていたシリーズ設定をもったいないので2018年より本格的にわいが引き継いでみました。大体1記事でアニメ1話分くらいの長さだと思ってください。コナンや金田一みたいな高校生探偵ミステリーを想定しています。

劇場版少女探偵島都2 岩本承平の殺戮1

少女探偵島都劇場版②
「岩本承平の殺戮」導入編

1

 雨が降っている。土砂降りの雨のせいで水たまりがあちこちに出来ていて、空気が氷のように寒い。
 そんな中で一人の大柄な男が茫然と立ち尽くしていた。彼の目の前には一人の小柄な男が倒れている。顔はぼこぼこで口から流れた血が水たまりに流れている。
「和人さん」
大男は彼の手を握った。和人は弱弱しく握り返す。
「どうして…」
「僕のせいなんです」
和人はひゅーひゅーと息を荒げながら言った。
「僕がダメな人間だからこうなった…今度、今度生まれてくるときには…もっと人の役に立てる人になって…まともになって生まれてきます…だから許してください…」
「いいえ」
大男は首を振った。
「和人さんは和人さんのままで尊重される世界に生まれてください」
和人の口が力なく開き、握る手から力が抜ける。半開きになった目からは涙が零れ落ちる。
「誰ですか…こんな優しい人にこんな事をしたのは」
大男は上着を和人の遺体にかぶせて立ち上がった。雨に濡れたその顔は異様だった。頬が溶け落ち、鼻も崩れ、眼窩がむき出しになり、唇も削げ落ちている。その風貌はまるで骸骨であった。その骸骨の表面に流れる水滴は熱を帯び、眼窩の奥の目が赤く光って、憎しみに燃えている。
「誰であってもいいでしょう。誰であっても…私は必ず全員を殺しますから」
大柄な風貌とは反比例する幼い子供のような童声が憎しみに震えた。

 数か月後、東京都心の高層ビル街にあるテレビ局。
 スタジオでは大勢の批評家が討論していたが、所謂良識派と呼ばれる人間は押されていた。スタジオでは数々の自閉症の子供を独自のスパルタ教育で緩解させてきたとする【冨塚弘 フリースクール校長 64】が独自の教育論を展開している。
「つまり、自閉症ASDも同性愛も簡単に治るんですよ。それはもうドイツの研究でも表明されているんです。でも当事者と言われる人間も親も直そうとしない。支援ばかり貰おうと甘えている。これはですね、もう国家への反逆ですね。健康な国民への詐欺行為ですよ。この前の神奈川県での障碍者施設殺人。これを犯した青年の気持ち自体は私も理解したい」
「ちょっと酷いですね」
スタジオで女性スタッフの【青木実美 28】がディレクターで髭の【前波祐介 35】を振り返る。
「いいじゃねえか。国会議員だって似たような暴言を言いまくっても平気なんだ。それにこの番組は本音トークだぜ。ここでやめると却って偽善者呼ばわりされちまうじゃないか」
「ちょっと今の発言は酷すぎませんか」
【深田さゆき コラムニスト 46】が苦言を呈すると、日本の広告販売業に革新をもたらしながらも大勢の社員を過労死させてそれを自慢している事で有名な【渡部喜美 43】が
「ほら、またまたそういうことを言う。あなたは左翼だからそうやって出来損ないの人間を庇おうとするけれど、死んだうちの社員も本当に出来が悪くて傲慢なクズだったんです。そいつが人権の美名で権利を主張してこっちが決然と言ったら、すぐ自殺しちゃう。そういう弱い人間を甘やかすのが左翼なんです。日本を弱くするんです」
「誰にも振り向いてもらえない行き遅れの女性だからって上げ足を取らないでくださいよ」
【杉山澪 与党議員 47】がへらへら笑いながら馬鹿にする。
「それはセクハラじゃないですか?」
女性声優【春風風子 16】が抗議すると
「セクハラされたくなければね、セクハラされないくらいの品格を身につけなさいって話よ。あなたは子供だからわからないでしょうけど」
と杉山は取り付く島もない。
「いいぞ、いいぞ。良識派って言われている連中が論破されている」
前波は嬉しそうに笑った。
「これ論破って言うより論理が無茶苦茶なだけじゃないですか」
青木はため息をついた。
「伊原崎先生、あなたはどう思います?」
司会のタレント【小沢高次 59】が若手作家の【伊原崎悠馬 31】に話を振る。彼はこの番組でも右的発言で知られ、サングラス姿で上から目線で出演した科学者や弁護士を滅茶滅茶に叩き潰すのだが、なぜか今回は俯いたまま何も言わない。
「伊原崎先生?」
とどめを期待する小沢に伊原崎は「んー」と立ち上がって、徐にこういった。
「お前ら人類の敵だ。死ね」
いきなり懐から取り出したのは3Dプリンターで作った白い拳銃だった。伊原崎はそれを呆気に取られている杉山議員に近づけていきなり発射した。
「ぎゃぁあああああああ」
左目に白く鋭い針が突き刺さりのたうち回る杉山。直後会場からは悲鳴が上がる。カメラが切り替わる直前に今度は冨塚が針を顔面に食らってのけぞった。

 茨城県県立常総高校の食堂から悲鳴が聞こえてきて、探検部部室がある書道室準備室でクリームパンにかじりつこうとしていたショートヘアの女子高校生島都はびっくらこいて声のした方向を見た。
「食堂の方からよね」
黒髪の美少女でおっとりした性格の高野瑠奈が目をぱちくりさせる。
「でっかいゴキブリが出たんじゃない?」
ポニーテールの薮原千尋がケタケタ笑う。「こーんな大きなクロゴキブリ」
「ちょっと行ってくる」
都はパンをくわえたまま廊下を走り出した。
 食堂の前で北谷勝馬が「ううう」と口を押えて座り込んでいた。この学校のイロモノ番長で体がでかい不良少年が舎弟にナデナデされながら鼻からラーメン出している。
勝馬君? どうしたの?」
都が勝馬を覗き込む。
「都さん…殺人事件です…」
「え」都の顔が驚愕に見開かれるが、彼女の次の行動は早かった。
慌てて食堂に入ろうとする都を止めた人間がいた。長身の青年結城竜だった。イケメンでぶっきら棒な結城は、天真爛漫で思い込んだら一直線の小柄な美少女を押しとどめる。
「結城君、殺人事件が学校で」涙目になる都に結城は「大丈夫だ」と言った。
「殺人事件が起こったのはテレビの中」
「なんだ、テレビドラマかぁ」都は胸をなでおろすが、結城は険しい表情で食堂の有るテレビの方を見た。
「いや、相棒の再放送とかで事件が起こったんじゃねぇ。殺人事件が発生したのは、ワイドショーの番組内だ」
結城は唸った。
「どういうこと」
「つまりテレビの収録中に本当に殺人事件が起こったんだよ」
結城は明後日の方向を見ながら深刻な声で言った。
「本当だ」
追いかけてきた薮原千尋が携帯でTwitterのトレンドをチェックすると「昼倶楽部」「ひるくらぶで殺人」「人殺し」「生放送」「3D拳銃」「伊原崎」と出ている。

「やめろぉ。やめてくれぇええええ」
毒針を撃たれて麻痺した足を引きずりながら逃げる渡邊喜美。
「あなたはさっき無能で足手まといは死ぬべきだといった」
原崎はサングラスの向こうから氷のような目で見降ろした。
「今まさに貴方じゃないか」
毒針が発射され、渡辺が「ぎゃぁああああああ」と絶叫して顔面を押さえてのたうち回るのを一瞥し、伊原崎は机の下に潜り込む一同を見回して威風堂々とその場から歩き出す。スタジオで鉢合わせした前波が「ひっ」と腰を抜かす顔面に3D拳銃を突きつけ
「ああいうのをのさばらせる番組もほどほどにしておけ」
と言って踵を返した。伊原崎は近くの男子トイレに入ると、ポケットから発煙筒を拭いてそれをトイレに投げ捨てる。シュパアアアアという音とともに煙がトイレから廊下に漏れ出し、スタッフが悲鳴を上げて逃げ惑う。

 警視庁のパトカーが玄関前に到着し、警察のバスから特殊急襲部隊SATが素早く建物に重装備で入り込む。
 警察は煙で周囲が見えない廊下を拳銃とアクリルの楯をかざしながら慎重に進む。
 ふと人影が揺らめいた。
「誰だ」
「お、俺だ。俺を知っているだろう」
情けない声で震えているのはイケメン俳優の【平成孝也 27】だった。
「この人は俳優です」
隊員が隊長に知らせる。「よし、彼を保護して後方に」
 隊長は命じた。隊員が平成を庇うように廊下を歩かせる。
「何? いないだと」
テレビ局の前で警務部の【高川仁 警視庁警部 39】は無線片手に訝し気な声を上げる。
「煙に巻かれていないエリアの防犯カメラから見て、被疑者の伊原崎がトイレ及び周辺の廊下から脱出したとは考えられません」
突入部隊隊長は無線で報告する。
「どういうことだ」
高川は思案していたが、その横で研修で警視庁に来ていた茨城県警の女警部長川朋美は携帯電話を使ってある場所に電話をかけた。

「あ、長川警部だ」食堂の前で勝馬をなでなでしながら、都は魔法少女アニメの着メロとともに電話に出た。
「あ、長川警部

「都、テレビ見たか?」
警視庁のパトカーの屋根に手を乗せながら長川は都に電話した。
「ん、そうか。今テレビ局生放送中に殺人事件が起こって、犯人は殺害後、トイレにこもって発煙筒を焚いて周囲は煙だらけだそうだ。そして特殊部隊が突入したがもぬけの殻だったそうだ…ん…ん」
長川は電話から顔を話して高川に聞いた。
「高川ちゃん。特殊部隊が被疑者以外の別の人間に出会わなかったか?」
「長川、お前は誰と電話」
「いいから!」
長川の剣幕に押され、高川は「あ、ああ」と無線で確認して
「イケメン俳優の平成孝也を保護したそうだ」
「イケメン俳優平成孝也」
長川が電話の相手に大声で伝えると顔を上げて、
「そいつが犯人だ。捕まえろ!」と高川を指さした。
「なぬぃ?」高川が素っ頓狂な声を上げる。

「あ、はい」
テレビ局の廊下でイケメン俳優を誘導する特殊部隊の隊員が無線に応答する。
「平成孝也? え、しかし」
その反応に平成は素早く反応し、素早く腕で隊員の顔面を強打し、倒れ掛かった隊員の
鼻先には既に奪われた拳銃が突きつけられていた。
「随分と気づくのは早い。ここは東京都だから彼女は介入してこないと踏んでいたのですが」
「だ、誰だお前は」
隊員の声が震えあがる。明らかに平成孝也というイケメン俳優ではない。
「俺か…俺は」
男は自分の顔に爪を食い込ませると、顔全体の皮膚を引き裂くように引っかきあげた。
「死神ですよ」
隊員の目が恐怖に見開かれる。この男に見覚えがあった。溶け落ちた骸骨のような顔。日本戦後史上最悪の大量殺人鬼として警察が行方を追っている大量殺人鬼、岩本承平。

2

殺人鬼岩本承平、この男はテレビ局の生放送殺人事件に関与していたのだ。
「申し訳ない」
岩本は隊員を銃で殴って気絶させると、そのまま廊下から部屋に引きずり込んだ。そして警察官の服を着用した男が出てきた。
 男はテレビ局のロビーを歩いて正面玄関エントランスホールの前に歩いてきた。
「あ、ちょっと待って」
隊員服を着た男が別の警官に呼び止められる。
「君は隊員番号061、SAT隊員の五十嵐君だね」
警官を割って高川警部が声をかける。五十嵐と呼ばれた警察官はびくっと震えて何も答えない。
「返事は出来ないか」
彼は別の隊員に合図をすると別の隊員がいきなり彼の両手を掴み上げて五十嵐の両手に手錠をはめた。
「ぐっ」
その間に長川がヘルメットを脱がせると、そこには別の人間の顔があった。そう、そこにあったのはイケメン俳優平成孝也の顔だったのである。
「!!」
平成孝也の顔が恐怖に見開かれる。長川はその顔に手を伸ばすとべりべりと容赦なくそれを引きちぎった。中から出てきたのは骸骨のような悍ましいあの殺人者の表情であった。
「やはり警官に変装して脱出しようとしたな」
長川は殺人者岩本を睨みつける。岩本は脱出計画が失敗した恐怖からか目を血走らせて声を出すことも出来ていない。
「五十嵐君が君の正体に気が付いた後、彼を倒して装備を奪ったってわけか。だが私がこの警視庁に研修に来ていたのが運の尽きだったな。岩本。私に少女探偵島都が推理を授けてくれたおかげで、迅速に対応が出来た。お前の大量殺人もこれで終わりだ」
長川は宣告を下した。高川は
「この手錠は電子ロックだ。外すことは出来ない。警視庁で身柄は預かっていいな」
「ああ、でも気を付けろよ。こいつは恐ろしい犯罪者だ。一瞬も気を抜いちゃだめだぞ」
「わかってる」
高川は緊張した表情で頷いて部下に命じて岩本を連行していく。
 女警部は都に電話をした。
「都、落ち着いてよく聞け。岩本を逮捕した」

「本当!?」
都は学校の授業をサボって屋上で結城と長川の報告を聞く。

「ああ・・・危なかったよ。あいついち早く自分の推理がバレると察知して連行していた特殊部隊隊員を気絶させ、装備を奪って逃げようとしやがった」
長川はグロッキー状態で仲間に抱えられてパンツとシャツ姿で担架に乗せられる本物の五十嵐を見守りながら言った。

「長川警部」
屋上で携帯電話に電話する都の声は震えていた。
「今の話変だよ!」
「え」長川のにわかに緊張が伝わった返事が電話から洩れる。
「あの岩本君だよ! トリックがバレた以上、警察官の服を奪って脱出なんて方法を予測されるなんて、岩本君ならわかっているはずだよ!」

都に言われた長川が慌てて電話を切って、テレビ局のフロアで高川に声をかけようとしたとき、携帯電話で別の人間に電話をしていた高川警部が茫然とした表情で長川警部を見た。
「今部下から報告があった」
高川の声が震える。
「連行中の岩本が血を吐いて苦しみだし、死んだそうだ」
長川は知人の警視庁警部の絶望的な表情に戦慄を感じざるを得なかった。

―劇場版少女探偵島都2 岩本承平の殺戮

 テレビのアナウンサーが駅前ビルのモニターで大々的に生放送の殺人事件を伝えている。
「3人とも亡くなったらしいね。死因は針に埋め込まれた毒針。何時間も苦しんでいたみたい」
瑠奈がため息をつく。
マクドナルドの中でカウンターに並びながら、都、結城、瑠奈、千尋はアンニュイな雰囲気を漂わせていた。
「3人だけじゃない。少なくとも6人を殺しているよ」
都は言った。
「岩本君は解答キッドみたいに誰でも変装できるわけじゃない。実在の人物になりきるにはその人を殺して首を切断し、3Dにかけて作り上げた顔を使い、体格や声色もある程度似ている人じゃないと成りきることは出来ないんだよ」
「つまり、変装された人は殺されているってわけね」
瑠奈は都に言った。都は頷く。
「岩本君は伊原崎さんに変装してテレビ局に乗り込み、3人を殺害した後トイレにこもってよく知られている芸能人の平成孝也さんに変装して特殊部隊さんに助けられて脱出した。多分テレビで知られた顔なら警察も伊原崎さんと別人だと知っているからすんなり保護してくれると考えていたんだろうけど」
「お前がそのトリックを暴いたってわけか」
結城はため息をついた。
「でも岩本君の方は万が一という事も考えて、テレビ局で別の人を拉致しておき、その人の顔の皮をはいで骸骨にして、さらに平成さんの3Dプリンターで作ったゴムマスクをかぶせて、気絶させた五十嵐さんの装備を付けさせて歩かせたんだ。喉を潰したうえで、警察官に捕まらないで外に出たら助けてやるって言ってね」
都は窓の外の通りの路線バスを見る。
「長川警部に聞いたんだけど、その人遅く効くタイプ毒を飲まされていたみたい」
「なんて奴だ。トリックを確実に成功させるために、予備のトリックの為に、罪のない人の命をゴミみたいに扱いやがって」
結城は歯ぎしりする。
「結城君、岩本君は罪のない人を無差別に利用して殺す人ではないよ。指紋や歯型からわかったんだけど、岩本君のふりをさせられ死んだ人は芸能事務所の社長で所属タレントさんへのDVとか従業員の顔を鍋に突っ込んだりした動画で問題になっていた人みたい」
都に言われて千尋もうなずいた。
「平成孝也は女の子を襲って写真撮影して脅していて、被害者の子がネットで個人情報暴かれて自殺しちゃったみたいだし、伊原崎インターンの女子大生に似たようなことをしてなぜか警視庁は捜査をやめちゃっていたよね」
「勿論、どんな理由であっても岩本君のしたことは絶対許せないけどね。殺していい人とそうじゃない人を決めるって、殺された人たちと結局同じだよ」
都はそういうと、スマホ見て「天罰だよねー」と笑っていた隣の女子高生集団がキョトンとした顔になる。
 瑠奈は都の頭をなでる。都は今回の事件がよっぽど悔しいのだ。その時瑠奈の携帯電話が鳴りだす。
「あ、ごめんね」
瑠奈が緊張した笑顔を3人に振りまいてトイレに入ると電話に出た。
「て、店長」
瑠奈が声を震わせると、
―僕は店長ではありません。岩本承平と言います。高野さん、君の親友の島都さんとお話がしたいのですが。その場にいますよね。
「え…」
―大丈夫です、都さんに代わってください。
瑠奈は幾分青い顔でカウンター席に戻ってきた。
「どうしたの? 瑠奈ちん」
都が怪訝な顔をすると、瑠奈は
「都、落ち着いて聞いて…岩本さんから」
と声を震わせた。都は弾かれた様に瑠奈から携帯電話を取り上げる。
「もしもし、岩本君?」
―都さん、お久しぶりです。
女性と見まごうような高い地声で殺人鬼は挨拶した。
「なんで、瑠奈ちんの携帯電話に。瑠奈ちん怖がっちゃっているじゃん」
―申し訳ない。彼女のバイト先の店長の携帯電話からかけているものですから。さて、都さん、今日はあなたにお願いがあって電話しました。これから店を出るとコンビニ前にいっていただきたい。そこにタクシーが待たせてあるので、ここに君と結城君だけで来ていただきたいのです。
「来なかったら?」
―店長を殺します。
都は目を怒らせた。
「わかった。でも瑠奈ちんと千尋ちゃんも連れてきていいかな」
都は言った。
「岩本君は何の罪もない人を殺したりはしない人。この店長が何をしたのかも知りたいし。でも瑠奈珍のいない所で話を進めちゃだめだよね」
―いいでしょう。4人ならギリギリ大丈夫なはずですから。
 電話が切れた。瑠奈が不安そうに都を見る。都は笑顔で
「大丈夫だよ!」
と言った。

 コンビニ前にタクシーが停車している。運転手が4人を出迎えた。
「ええと、島都様でしょうか」
初老の運転手が丁寧にお辞儀をする。
「お待ちしております。お代は既に岩本様からいただいておりますので、どうぞ」

タクシーの中で都は瑠奈を見た。
「着替えているところの写真が昨日送信されてきたんだ」
瑠奈は涙ぐんでいた。「都に相談しようとは思ってたの。でも言い出せなくて」
「友達を心配させるのって勇気いるもんね」
都は瑠奈の頭をなでなでした。
「お前が言うなや。いつも心配ばっかさせている分際で」
結城がため息をついた。
「大丈夫だよ。瑠奈ちん。瑠奈ちんは友達に頼る方法がわからなかっただけ。プロの私が教えてあげるから大丈夫だよ」
都は瑠奈を抱きしめた。瑠奈は「うん」と言って都に顔をうずめた。
「岩本君にどんだけあのクソ店長がボコボコにされてるか楽しみだわ」
千尋が言った。
 タクシーが停車したのは公園だった。高圧線鉄塔の真下にありあたりは田んぼで農家が遠くに点在している。遠くにTⅩの高架が見えた。タクシーの運転手はここで待ってくれるとの事。誰もいない公園の遊具の前に一人の男が立っていた。その顔はあのイケメン俳優平成孝也だった。死者が蘇った形相に4人は戦慄を覚える。
「う、う、うそ…岩本だよ」
千尋の声が上ずる。都はすたすたと歩いて岩本に歩み寄った。
「お、おい、都」
結城が止めるのも聞かず、都はずかずか岩本の前に立ちふさがると下を向いたまま拳を岩本に叩きつけた。彼はびくともしなかったが、都の憤怒が寒い12月の茨城県の空の下に立ち上る。
「岩本君。店長さんはどこにいるのかな」
都は上を見て岩本を睨みつける。
「あそこです」岩本は高圧線鉄塔を指さした。小さな小さなテルテル坊主が、高さ100メートルの鉄骨からぶら下がっている。瑠奈がショックを受けて口をふさぐ。
「大丈夫。まだ生きています。ボタン一つで落っことすことは出来ますけどね」
「私を呼んだのには目的があるんだよね」
都は言った。
「はい。目的は殺人予告です」
岩本が残虐に笑った。

地獄時間殺人事件3 解答編

地獄時間殺人事件(解答編)

5

【容疑者】
・島野里美(16):常総高校1年6組
・遠藤楓(15):常総高校1年6組
・篠原愛奈(11):小学6年生
・篠原玲(32):大島医療器具事務員
・大島光義(51):大島医療器具社長
・岡橋優三(44):岡橋産婦人科医院医師
・渡邊尚子(24):看護師
・貝原直人(32):無職
・草薙純也(48):交番勤務警察官。警部補。
・中村桃子(20):交番勤務警察官。巡査。
・佐々木和彦(30):無職

 警察署取調室。貝原直人は訪問者を見て驚いた。小柄でショートカット、かつて自分が卑猥な言葉をかけた15歳の少女が目の前にいたのだ。後ろには大柄な男子高校生…そして中村桃子巡査と長川朋美警部が入ってきた。
「ひひひひ、どうしたんですか皆さんお揃いで」
貝原直人は不敵な笑みを浮かべた。そしてねっとりとした視線で都を見つめる。だが都は臆することなく貝原の前に座って真っ直ぐ貝原を見据えた。
「この事件であなたが仕掛けた恐ろしいトリック…全部わかりました」
「まさかあのパチンコ中毒がこんなに早く全てげろってしまうなんて。本当についてないよぉ。でもどうせ俺は死刑だし、最後にかわいい女の子とエッチな事を出来て…」
「いいえ」
都の声があまりにも済んでいたため、貝原は押し黙る。
「さっき佐々木さんが話してくれたことはそんなんじゃない。おかしいと思ったんです。どこの誰かもしれない人にお金を渡されて身代わりなんて危ない事を引き受けるわけがない。それに佐々木さんはパチンコ中毒で治療を受けるように草薙警部補に言われるような人です。そんな人があなたに言われて何日もあなたのふりをして街をうろついていられるはずがない」
「どういうことですか」
中村桃子巡査が身を乗り出す。
「中村巡査がずっと監視していた人物は間違いなくこの貝原さんだったんです。貝原さん、あなたは佐々木さんにこう依頼したんじゃないですか? 『この格好で私たちの前に現れてわざと捕まって…捕まったら――貝原に言われて事件前後にアリバイ工作を手伝った――と嘘を言え』って」
貝原の顔から笑顔が消えた。
「このトリックは貝原さん、あなたが犯罪を犯したことを隠すアリバイ作りのためのものではなかった。その逆…貝原さんが自分が岡橋医師を殺害した犯人になるために、自分が本当に持っていたアリバイをなかったことにする為のトリックだったんだよ」
「え」中村巡査は困惑したように都を見る。
「そして貝原さん、あなたがそのトリックを利用して殺人の罪から助けようとしていた謎の指紋の持ち主の存在で岡橋医師を殺害した真犯人は…篠原愛奈ちゃんだよ」
都の指摘に貝原は目を見開いた。口元が歯ぎしりし今まで見せたことがないほど狼狽している。
「待ってよ、都ちゃん。愛奈ちゃんはまだ小学生だよ!」
中村が震える声で都に迫る。
「勿論愛奈ちゃんは最初から岡橋医師を殺害しようと思っていたわけじゃない。何故なら彼女を事件現場に誘ったのは岡橋医師だから」
「岡橋医院と大島医療機器に取引関係があったのは調べがついている。岡橋医師のパソコンのデータを復元したら、大島医療機器の社長が自分の権力を使ってシングルマザー従業員の篠原玲に命じて娘をチャイルドマレスターだった岡橋に差し出させた事を白状したよ」
長川は震える貝原に言った。
「さっき大島社長を強制性交等罪で、母親の篠原玲を監護者性交等罪で逮捕した。2人とも愛奈ちゃんにこのままだとお母さんが会社を辞めさせられ路頭に迷うことになると脅したことを認めたよ。この罪は例え本人ではなく第三者、この場合岡橋医師が性暴力の実行犯だとしても、彼に性的虐待を加えさせるために脅迫行為を行った場合も適用されるからな」
「多分、事件の真相はこうだよ」
都は説明した。
「おとといの15時に学校帰りに岡橋医師の家にやってきた愛奈ちゃんは、岡橋に言われてワインをコップに次いだ。多分無理やり飲まさせられたんだね。そして岡橋に襲われたんだよ。私の考えだと多分ハサミを持ち出したのは岡橋だよ。これで愛奈ちゃんの衣服を切ろうとしたんだ。ところが愛奈ちゃんはあまりにも怖くてパニックになって、咄嗟に床に転がったアイスピックを手にして、思わず襲ってくる岡橋医師を」
都はここで唇をかんだ。
「大の男に無理やりエッチな事をさせられた事。そしてその人を殺しちゃったことにショックを受けた愛奈ちゃんは気絶しちゃった。3時間後、この家に私のカルテを盗みにやってきた貝原さん、あなたは、リビングで岡橋さんの死体と気絶している愛奈ちゃんを見つけて何があったのかを察知したのでしょう。あなたは愛奈ちゃんを殺人の罪から助けるために行動を起こした。愛奈ちゃんの体を縛ってボストンバッグに入れ、凶器から愛奈ちゃんの指紋を拭き取った。ただここであなたはミスをしました。現場に落ちていた血まみれのハサミを見て、あなたはそれが凶器だと勘違いした。だからハサミの指紋を拭き取ったんです。本当の凶器は岡橋の死体の下にあったんですから」
貝原は下を向いたままガタガタ震えている。
「貝原さん、あなたはそのことを新聞で知ってびっくりしたでしょう。それに報道された死亡推定時刻…自分には完璧なアリバイがある事も知ってしまったんです。犯行時刻、あなたは中村巡査に見張られていたことをずっと知っていたんですから。だから、あなたは犯行を免れるトリックではなく完璧なアリバイを持つ自分が犯行が可能なように見せかけるトリックを仕掛けたんです。本当によく考えましたよ。このトリックの巧妙なところは、普通トリックてのはその存在がバレてはいけない。でもあなたのトリックは存在がバレる事が前提で、バレた後で勝手にそのトリックの意味を誤解させる二段階のトリックなんですから。さらにあのレシートで私たちを廃屋におびき寄せて、彼女を監禁させている現場を押さえさせればいい」
「じゃぁ、まさか小屋を燃やしたのは」
「指紋を取らせないためだよ」
都は言った。
「謎の指紋の人物が出入りしていたか、警察は当然鑑識を回す。この時謎の指紋と貝原さんと愛奈ちゃんの指紋を分別する作業で愛奈ちゃんと謎の人物の指紋が一致すれば愛奈ちゃんが岡橋さんを殺してしまったって事がバレちゃうから」
「嘘よ!」中村が絶叫した。
「こいつは愛奈ちゃんの前で自分は岡橋医師を殺した。見られたからエッチな事をして殺すって何度も言っていたんだから。こいつは性犯罪者なのよ!」
「それが貝原さんが愛奈ちゃんを監禁したもう一つの理由だよ。恐怖で極限状態の女の子に何度もそういう事を言って怖がらせて暗示をかけるように記憶を操作したんだよ。性犯罪被害者は記憶が飛んだり解離したり恐ろしい現実から逃避したり心が耐えられなくてそういう事が起こるみたいだね」
都は中村を見た。
「不完全ではあるんだけど、貝原さんには過去に“成功例”があった。中村巡査…」
中村巡査の目が硬直した。その時貝原が突然絶叫する。
「やめろぉおおおおおお。彼女は関係ない!」
立ち上がって都と中村の間に割って入ろうとするのを長川と結城が押さえつける。
「わ、私…」
中村の目から涙が流れてきた。彼女の記憶が戻ったのだ。あの時自分に酷い事をしたのは、お母さんが務める会社の社長…お母さんは泣きながらそれを見ているだけだった。中村は自分にされた事よりもお母さんに見捨てられたことの方が辛かった。だから記憶を封じ、周りの大人の言う通り犯人が貝原であると記憶を改修した。
「いやぁあああああああああああああああああああああっ」
中村桃子は絶叫し耳をふさいで崩れ落ちた。
「岡橋医師のパソコンからデータを復元してゲスいメールを入手してとっくに判明しているんだ。お前は9年前何もしていない…冤罪だと…」
「ど、どうして」
貝原は顔面蒼白になった。
「あなたのトリックはご都合主義の推理小説みたいなんです」
都は言った。
「あの時中村巡査が尾行をやめたのは自殺騒ぎがあって応援要請があったから、あの事件がなければ尾行を続けていたはずなんです。推理小説だとすればご都合主義だけど、あなたが今まで自分に降りかかった偶然を吟味して必死で考えた末の“犯人になるためのトリック”だと考えればすべてつじつまが合います。それに瑠奈ちゃんの言葉もヒントになりました」
「アリバイがある奴が犯人って奴か」
結城が言った。
「アリバイがある容疑者がアリバイトリックを仕掛けていれば、私たちは無条件にその人を犯人だと思う。このトリックにはそうやって私たちに貝原直人が犯人だと絶対的に思わせることが必要だったんだよ。だって、指紋と言い証拠はいくらでも残っているから。でも私たちは貝原さんを疑っていたために、拉致された小学生の愛奈ちゃんはその指紋を照合されることもない…あなたはそうやって自分が貝原を殺害して愛奈ちゃんを誘拐、性的暴行を加えた犯人だと見せかけ、愛奈ちゃんの魂を救おうとした」
都は震えている中村巡査を助け起こして壁に寄せたパイプ椅子に座らせた。
「既に謎の人物の指紋と篠原愛奈の指紋は照合され一致したよ」
長川警部は貝原直人に言った。
「でもなんでだよ」
結城が貝原に聞く。
「愛奈ちゃんはまだ12歳だぞ。それに状況を考えれば正当防衛だ。彼女が罪に問われる可能性はない。だがお前の場合そうはいかない。場合によっては死刑の可能性だってある。なんで…なんでここまでして」
「俺のせいだからだよ」
貝原は顔を覆って吐き出すように答えた。
「俺があの時、犯人になろうなんて思ったせいで、あの子がこんな目にあってしまったんだ!」

6

「俺は子供のころ母さんと2人暮らしだった。僕は小さい時からずっと学校でもいじめられて、中学を卒業した勤め先でもそうだった。俺、本当に人が当たり前にできることが出来ないから、いじめられるのは仕方ないんだけどな」
彼は口には出さなかったが思い出していた。小学校のオバサン教師から目を付けられ、ほんのどうでもいい事で病弱で仕事で忙しいお母さんが呼び出された。彼はそのたびにお母さんが住み込み先で怒られているのを見て必死で教師やいじめっ子のいう事を聞いて、なすがままになった。同じようにいじめられている男の子とクラスで担任も見ている前で殴り合いをさせられ、相手の男の子がかわいそうで一方的に殴られて居たらその男の子はいじめの標的から外された。中学校の修学旅行ではテレビ局の行楽中継の前で名前の書かれた紙を持たされて全裸で踊らされ、それがYouTubeに現在も残っている。
「大島医療器具の事務員で、俺は凄まじいいじめを受けていた。倉庫でロープで吊り上げられて鉄パイプで尻を叩かれたり、電流を流されたり、労働時間は20時間以上、給料も払ってもらえなくて社長の残飯を1食1万円で買わされていた」
「なんでやめなかった」
長川が言うと、貝原は小さく笑った。
「職場では全裸だったからね。一度逃げた時は警官に公然わいせつで逮捕され、引き取りに来た社長に会社に連れ戻された後背中をバーナーであぶられ、無理やりエッチな入れ墨を入れられたよ。逮捕した警官に僕は必死で訴えた。助けてって…。でもお母さんのことを聞かれてこれ以上は何も言えなかった」
彼は喋りだした。多分生まれて初めて自分の苦しみを聞いてくれる人に出会えたからかもしれない。彼の告白に長川は俯きため息をついた。時期的に彼女の入庁前とはいえ、警官の怠慢のせいで正義から零れ落ちた市民の告白に辛いものがあるのだろう。
「そんなあるとき、社長も他の社員も急に優しくなったんだ。社長の取引先の医師が社員の娘に性的暴行を加えたそうだ」
「私の事ね」中村が顔を覆いながら声を震わせる。
「あの時だけは君の友人の渡邊さんが児相に相談したせいで隠し通すことは出来なかったそうだ。あの人たちはこういった。―君だけがこの会社を助けられる。社長も医師も十分に反省しているし、君が罪をかぶればみんなが貧困から助かる。母さんは会社が守るからお願いだ助けて-って。僕は母さんの苦労をしていたから…いや、違う。拒否してまたリンチされるのが怖かっただけだ。俺はあの時最悪な選択をしちまった。警察は社長や社員の話を信じて、俺も自分がやったと刑事に認めた。刑務所生活でも無理やり掘られた入れ墨のせいでいじめられたけど、でもリンチもされなかったし食事も出たし、作業はやりがいを感じたし、苦しくはなかった。これでみんなが助かるならって俺は思っていたんだ。でもそのせいで母さんが自殺して…それを知ったのは母さんの住んでいた家に帰ってきたときだった。近所の人が教えてくれたんだ」

「会社から損害賠償を起こされてわずかな財産も全て賠償に回して残りを払うために必死で働いて体を崩して…」
近所のオバサンにその事を初めて知らされ、団地の前で残虐な現実を知った彼は自分の過ちに気が付いて泣き崩れた。
「あ、あああああああああああああああああああああああああああ」

都も結城も彼の苦しみに満ちた告白に感情がざわつき、目を見開いた。
「あいつらも医師も反省なんかしていなかったんだ。俺はこの時母さんを殺してしまった事に気が付いた。俺は死のうと思ったんだよ。そして街の近くの高校に侵入して屋上で飛び降りようと思った。そしたらこの高校の女の子が飛び降りようとしていた。俺は必死で止めたよ。彼女は泣きじゃくりながら言ってたよ。岡橋医師に体を撮影され性的虐待を受けているって、そして友達をあそこに連れて行かなければ写真をばらまくって言われたって…。彼女の震える顔を見ていた時、俺が彼女を強姦したんだとわかったんだ。俺があの時やってもいない罪を認めたせいで、母さんは自殺し、その女の子みたいな被害者が生まれてしまうって…」

震える少女に貝原は言った。
「俺がどうにかする…大丈夫だ。君は何も悪くない」

「だから、あの時岡橋医師の部屋に侵入したんだね」
都は言った。「女の子の体をコレクションするためじゃなく、女の子を縛り付ける鎖を消滅させるために」
「これを持って警察に行くつもりだった。そうなれば岡橋医師も大島社長も終わりにさせられるはずだった。でも俺は見ちゃったんだよ。あの時岡橋医院に向かっていたあの子が、愛奈さんが奴の死体とともに倒れているところを…。何が起こったのかすぐにわかったよ。あの子は俺のせいで、性暴力どころか人を殺す経験までしてしまった。さっき刑務所は楽だったって言ったね。訂正するよ。本当はつらかったんだ」
貝原は泣き叫んだ。
「背中の幼女の裸の入れ墨が罪の証となって押しつぶした。女の子を苦しめる罪を背負う事の苦しみ、まるで自分がしてしまったみたいに自分自身を押しつぶすみたいで、夜が来るたびに発狂しそうになるんだ。まるで自分が悍ましい怪物になってしまったみたいに。正当防衛とかそんな問題じゃない。その苦しみを自分のせいであの子に背負わせられるか? 俺はあの時決めたんだ。この子の罪を引き受けることが償いだと」
貝原は立ち上がって都に縋りついた。
「あの子の前でひたすらあの子をレイプした殺人犯の演技をしている時、俺が刑務所で感じた苦しみに整合性が取れていく感じがしたんだ。頼むよ、都さん。このまま僕が岡橋医師を殺したことにしてくれ。俺は天涯孤独だしどのみちこの社会で生きていてはいけない人間だ。でも愛奈さんはそうじゃない。大島も岡橋もいなくなった今、今度こそ俺が全てを背負えば全て解決するんだよ!」
「そんなことないよ」
都はまっすぐ貝原を見据えた。
「貝原さんが優しい人だって事はよくわかったよ。初めて会ったときもわざとそんなことを言って岡橋医院に通わなくさせようとしたんだよね。でも貝原さん、中村巡査を見てください」
中村巡査は口を押えて震えながら涙を流していた。貝原は呆然と立ち尽くす。
「あなたがそんなことをしたら中村巡査みたいな女の子をもう一人増やすことになっちゃうよ。中村巡査は今全てを思い出したって言ったけれど、本当は記憶を喪失したわけじゃない。必死でそう思い込もうとしただけ。それがどれだけ中村巡査を、優しい女の子を苦しめ罪悪感で傷つけたかわかりますか」
都は貝原を見つめた。
「彼女は何も悪くはないっ」
貝原は絶叫した。
「自分でやってもいない罪を引き受けたあなたがそう言って、中村さんは自分を許せるのかな」
貝原は言葉に詰まった。中村は泣きながら震えている。
「今愛奈ちゃんは自分の本当の記憶と作られた記憶の中で混乱して怯えているんだ。今愛奈ちゃんを助けるには本当に記憶をみんなが受け入れて愛奈ちゃんを一緒に支えてあげる事。それがあの子を助けることになるんだよ。貝原さん、愛奈ちゃんを助けてあげてくれないかな」
「あ、あ・・・ああああ」
都がにっこりと笑うと、貝原は椅子に崩れ落ちそのまま机に顔をうずめて号泣した。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ああああああああああああああ」
貝原の憑き物が落ちたような号泣を結城も長川も黙ってみていた。中村巡査は口を覆って目から涙をぽろぽろさせながら貝原という男の真実の姿を見ている。
 女子高生は貝原の手をそっと取った。
「私も岡橋医師に脅されて居たら、きっと何もできなかったと思う。怖くて。貝原さん、ありがとね」

「貝原さん、どれくらいの罪に問われるのかな」
 鈴木と西野刑事に促され廊下を歩いていく貝原直人を見送りながら、都は長川警部に聞いた。
「非現住建造物放火、未成年者略取、窃盗、住居侵入。罪自体はかなり重いだろうが、上層部がごちゃごちゃ言う前にさくっと冤罪を明らかにして大島社長を送検すれば、情状酌量がついて執行猶予に出来るかもしれない。彼のやろうとしたことは性犯罪被害者を助けようとしたことだからな」
長川がそういうと中村巡査は
「私も協力します! 都さん。とても辛かったけど、今回の事で少しは楽になったわ。ありがとう」
と都と握手して歩いて行った。
「あいつがいなければ、お前が性犯罪被害者になって、俺は何もできなかったのかもしれないって事か」
結城はため息をついた。
「いや、都なら結城君を信じて相談すると思うよ」
長川は言った。
「君はそういう奴だ」
長川は結城にウインクすると歩き去った。

 病室で目を覚ました愛奈に中村巡査は寄り添っていた。
「お巡りさん…私、私、ごめんなさい…ごめんなさい」
愛奈は涙をぽろぽろ流していた。中村桃子は優しく愛奈を抱きしめた。
「何も心配しないで愛奈ちゃん、あなたは悪くない。何も悪くないから」

「お前のやったことは全てネットにアップされている。従業員への暴行、冤罪を作って無実の人間を陥れた偽証。未成年者複数に対して親の上司と言う権力を使って性交を強要した罪」
長川警部は取調べで真っ青になった大島社長に宣告した。
「必ず全部有罪にする。貝原氏の味わった苦しみを今度はお前がたっぷりと味わってもらう。いいか。あんたの罪は懲役20年くらいにはなるからね!」
「ああああああああ」
大島は悲鳴を上げた。

「どうしてあなたは社長がコレクションしていた画像をネットに流出させたのですか?」
隣の取調室で西野舞刑事が篠原玲に聞いた。
「それが、愛奈に対する償いだからよ」
篠原はやつれた声で答えた。

 高校の屋上-。都は一人少女が来るのを待っていた。
「都! 来たよ、どうしたの?」
遠藤楓が笑顔で屋上に現れた。
「ふふふ、事件解決の報告をしに来たんだよ」
都の笑顔に楓は全てを悟った。
「警察が教えたの?」
「ううん、個人情報だし警察は教えてくれなかったよ。でもあの時楓ちゃんは私に岡橋医院を薦めた。千尋ちゃんを介して。貝原さんが『友達を連れて来ないと写真ばらまくって脅されていた女の子の自殺を止めた』って言ったの、楓ちゃんだったんじゃないかな」
楓は何も言わずに手すりにつかまって校庭を見た。
「ごめんね」
「謝る事なんてないんだよ。だって瑠奈ちゃんと千尋ちゃんが一緒に行くように言ってくれたの楓ちゃんじゃん。私が行けばきっと貝原さんを助けてくれると思ったんだよね」
「あの人がいなかったら、私死んじゃってた」
楓は笑顔だったが目は涙でにじんでいた。
「あの人が岡橋医師を殺してしまうんじゃないかって思っていたんだもん。私あの医者にされたことが怖くて親にも言えなくて、お風呂の鏡に映る自分の体が汚くて目が変わっちゃっていたんだ。あの時の私の目とあの人の目が同じだった」
「優しい所もね」
都は言った。
「私があの人の本当の姿に気が付いたのは、警察に捕まるときに優しく地面において、危険がないように体を離したこと、そしてレシートにホームレスで大変なのにちゃんとしたご飯を食べさせていた事…それが女の子を虐待する変態のイメージと全然合わなかったんだよ」
「私は優しくないよ」
遠藤楓は笑った。でも都は背中を向けて言った。
「私が言いたかったのはね。楓ちゃんが私をあの病院に連れてきてくれたから、貝原さんの冤罪がわかって、2人の女の子が助けられたって事なんだよ」
楓の頬に涙が伝った。
「ねえ都。里美や千尋や瑠奈も誘ってさ、駅前のケーキバイキングに行こうよ。学生女子限定800円」
「どぴゃぁあああああああ、これは行かなくちゃいけない」
都は目を輝かせた。そして楓と肩を組んでルンルン気分で屋上を降りて行った。

おわり

地獄時間殺人事件 事件編


3

「くひひひひ」
その日産婦人科医岡橋優三の自宅リビングで死体を前にして両手を血に染めながら興奮した状態で凶器を手にしている眼鏡の優男貝原直人。彼は市街落ちから離れた畑にある廃屋で、事件現場を下校していた小学生篠崎愛奈を拉致監禁していた。
「へへへ、見られちゃったねぇ。僕が人を殺しているところを見ちゃったねぇ」
血走ったタガの外れた笑顔を少女に向ける貝原青年。
「大丈夫だよ。いっぱいいっぱいこれからエッチな事をしてあげるから、君がこのまま殺されても後悔しないよう、一生分のエッチな事をしてあげるからね」
涎を誑しながら迫ってくる貝原。怯え必死でさるぐつわの下からお母さんに助けを求める愛奈。

「一刻も早く愛奈ちゃんを助けなければ、彼女は殺されてしまう」
常総高校の来賓室で長川警部は女子高生探偵島都にそう断言した。

【容疑者】
・島野里美(16):常総高校1年6組
・遠藤楓(15):常総高校1年6組
・篠原愛奈(11):小学6年生
・篠原玲(32):大島医療器具事務員
・大島光義(51):大島医療器具社長
岡橋優三(44):岡橋産婦人科医院医師
・渡邊尚子(24):看護師
・貝原直人(32):無職
・草薙純也(48):交番勤務警察官。警部補。
・中村桃子(20):交番勤務警察官。巡査。

「ここが殺人現場だね」
都が結城竜、瑠奈と一緒に長川に通されて、事件現場の岡橋優三の自宅のリビングにやってきた。現場にはテープで死体の状態が記録され、いくつか鑑識の目印が存在している。絨毯には血の海が出来上がっていて茶色く変色している。
「わっ」瑠奈が口を押えた。
「最初に遺体を見つけたのは看護師さんだったよね」
と都。長川朋美警部は頷いた。
「ああ、岡崎医師を最初に見つけたのは渡邊という彼の開業医医院に勤める看護師だった。カルテの整理に行くと自宅に戻ったのち帰ってこないので不審に思ったらしい。もちろん、この自宅は裏口からも入れるし、裏口は人目につかないアパートの駐輪場だから侵入自体は簡単なんだが」
「侵入経路はわかっているの」と都。
「ああ」
長川は事件現場の裏にある物置に都を誘導した。
「そこの換気窓だけ鍵がかかっていなくてな。そんでもってそこから誰かが侵入した形跡もありかすかに血痕も発見された。さらにそこから貝原直人の指紋が発見されたんだ」
「貝原の指紋が?」
と結城が素っ頓狂な声を上げた。
「どう見たって貝原は黒じゃねえか」
「いや」
長川はため息をついた。
「貝原はさっきも言ったように18時までは中村巡査に監視されていてアリバイは完璧なんだ。死亡推定時刻は15時から16時。そして遺体発見は19時。そして被害者岡橋は15時までは渡邊看護師と一緒に患者の治療に当たっている。警察は死亡推定時刻は発見から3‐4時間前と推定したが、仮に18時以降に貝原が殺した場合発見された死体の死亡推定時刻は30分から1時間前になってしまう。鑑識が間違えるわけがない。奴に貝原に岡橋を殺害するのは物理的に不可能ってわけだ。それに」
長川は頭をかいた。
「貝原がこの場所に侵入した正確な時間はわかっているんだ。それと動機も」
長川は換気窓を開けて駐輪場を指さした。
「あそこに監視カメラがあってな、貝原が18時30分に侵入し18時50分に出ていくのがはっきり映っているんだ。しかも出ていくときには侵入時になかったリュックサックを背負っていた。このリュックは被害者のものだとわかっているが、同時に2階のパソコンルームに保管されていた患者…お前も含まれるがな…それの患部を撮影したものが盗まれていた」
「ひぃいいいいいいいいい」
悍ましい現実に都が素っ頓狂な声を上げる。
「冗談じゃねえぞ。早く捕まえろよ」
結城が女警部に詰め寄る。
「おそらく殺人事件が発生した後、貝原はそれを知らずにこの家に侵入して女性患者のカルテを盗んでいったんだろうな」
「最低」瑠奈が声を震わせる。
「だが、貝原は岡橋医師を殺害した犯人ではない」
長川はリビングに結城、都、瑠奈を連れて戻った。
「実はこの殺人現場で凶器などから血染めの指紋が見つかって。おそらく凶器はアイスピックで腹を一突きされて、そのまま引き裂かれたようなものだとわかった。凶器は死体の下にあって、犯人の指紋が出てきた」
「その指紋は貝原のものなのか」
結城の質問に長川は首を振った。
「別人のもので警察署にもデータはなかった。ただ、鑑識結果からするに犯人はかなり異常な奴だぞ」
長川はリビングに面したキッチンカウンターを指さした。
「冷蔵庫からワインを取り出してついで飲んだ形跡がある。それに指紋の付き方から考えて犯人は堂々と玄関から出入りしているんだ」
「でも表通りって通学路になっているわけだし、死亡推定時刻の15時に誰かに見られる可能性は高いだろ」
結城は声を上げた。
「現に通学途中だった愛奈ちゃんに見つかっちゃった可能性が高いんですよね」
瑠奈は声を上げた。
「だからもしかしたら顔見知りの可能性があるが、岡橋医師はカルテを保管しているという理由で誰も家に入れない性格で彼の親戚や知人も彼の家に入っていた人物はいないそうなんだ。現に家の中には彼と犯人と貝原の指紋以外は検出されていない。そして貝原の指紋はカルテ保管室と侵入口の物置しか発見されていないんだ」
「つまり貝原は無関係って事だよね」
「でも手袋をしていた可能性はあるんですよね」
瑠奈が声を上げた。
「確かに犯人がゴム手袋を使って指紋をふいた形跡はあるんだ。今は署に保管されているが台所にあったハサミ…あれが現場に落ちていて犯人がそれをゴム手袋で持ってぬぐった形跡はあるんだ。現場からもゴム手袋が触った痕跡がいくつか存在している。ただだとするとおかしいんだよなぁ」
長川はため息をついた。
「犯人はゴム手袋をして指紋が付かないようにしていた割には凶器にも玄関にもあっちこっちに犯人の指紋が残っていて、本気で指紋を隠そうとしていたのかわからないって事だよね」
都が指摘すると長川は「ああ」と頷いた。
「でも見方を変えればこういう事も言えるんじゃないかな」
都は長川の目をじっと見た。
「確かに現場は指紋をゴム手袋で隠した痕跡と指紋を押し付けた形跡が見られるんだけど…もし真犯人がゴム手袋をした人間でその人物が現場を偽装するために別の人の指紋を押し付けたとしたら」
「なるほど」長川も考え込んだ。
「やはり怪しいのは貝原さんだね」
都は言った。
「何かしらアリバイトリックや指紋の偽装を使ったのかもしれないって事?」
瑠奈が聞くが、長川は「いや、無理だ」と断じた。
「凶器のアイスピックにあった正体不明の指紋は間違いなく生きている人間が直接触ったものだ。分泌物の状況から死体の指や保存された押捺物が触ったものではないと鑑識が報告している。それに血液との付き方からして死亡推定時刻に触った指紋だという事は間違いない。死体には動かした痕跡はなかったし、体の下にあるアイスピックを偽装する事は不可能だ」
「そっか」
都は頷いた。彼女はしばらく思案してから、
「ねぇ、長川警部。中村巡査はなんで途中で貝原さんの尾行をやめちゃったの?」
「応援要請が来たからだそうだ」長川は言った。
利根川の大きな橋で自殺志願の女性がいるって通報があってな。女性は保護されたんだが、その対処の為に中村巡査は貝原の尾行を切り上げたそうだ」
「都、お前貝原を疑っているのか」
結城は考え込む都を覗き込んだ。
「まぁ、この上なく怪しいうえにアリバイだけが完璧ならこれは犯人プラグ立ちまくりだろうが」
「だとするとこれは出来の悪い推理小説みたいね」
瑠奈は言った。
「どういうこと?」考え込んでいた都が目をぱちくりさせる。
「だって、女性が自殺未遂をしたっていうのは偶然じゃない。貝原さんにどんな凄いアリバイ工作があったとしてもそれを成功させる背景が偶然だらけって、下手な推理小説みたいだよ」
瑠奈は都に言った。
「警部、その女性と貝原がつながっているって事はないか」
結城は言った。
「貝原とその女性が示し合わせたか…。それはないな。彼女はアフリカのブルキナファソから来たバスケ留学生で、日本の天候に馴染めずホームシックになって錯乱したのが原因だ。入国時期などを見ても貝原と接触する機会があったとは考えられない」
長川は言った。

 都と結城、瑠奈は聞き込みに行くという長川を見送って現場前の道路に立ち尽くした
「早く犯人を捕まえないと…愛奈ちゃんが危ないのに」
瑠奈は昨日貝原に襲われて怯えていた小さな少女を思い出した。結城もイライラしたように貧乏ゆすりをし始める。
「これからどうする」
都に聞くが都は上の空だった。彼女はだぶだぶのズボンに汚れたTシャツの眼鏡の男を見つめていた。そいつは都を見つけると慌てて目をそらして電柱に隠れた。
「まてぇつ」
都は再び走り出した。
「都、誰だ」結城が走って都を追いかける。
「あのTシャツ眼鏡」
瑠奈は言われてはっと思い出した。そいつは都を襲った貝原と同じ服装をしている。
「俺に任せろ」
結城は物凄い脚力で都を追い抜かした。男はパイクールのような動きで駐輪場の金網を飛び越えるが結城も驚異的な脚力で金網を飛び越える。昼間の児童公園を走り抜け、住宅地の道路をひたすら走って小学校と団地に挟まれた植え込みに逃げようとして結城に襟元を捕まれて引き倒された。
「ふざけやがって」
結城は男を押さえつけた。貧相な眼鏡の男は「痛い痛い痛い」と泣き声を上げた。
「お前は貝原か」
騒ぎを見た体育の先生と子供たちが金網越しにこっちを見ている。
「お前は貝原か?」
「違う。俺は貝原って奴に貝原と同じ格好でこの町をおとといからうろつく様に言われていただけだ」
「何ぃ」
「ほ、本当だよ」
追いかけてきた都が苦しそうに胸を抑えた。「この人じゃない」

 交番で結城が捕まえた佐々木和彦という30歳の無職を中村桃子巡査は確認した。
「中村さん。この人と間違えていたって事はないかな」
中村桃子は顔面蒼白になったが、都の質問に頷いた。
「そうかもしれない。衣服は特徴的ですし、体格も顔つきも眼鏡も同じです。貝原はホームレスでしたから衣服はこれだけだと思っていました」
「その心理的盲点を突いたのか」
結城はパイプ椅子に佐々木を座らせながら言った。
「つまりあんたは5万円もらってこの格好で2日前からこの街でふらふらしていたと」
「お金がなくてパチンコ出来なくて困っている俺に、5万円やるから2日前からこの服装で街をふらついてくれって頼まれたよ。眼鏡をかけた貧相なお兄ちゃんだったなぁ」
佐々木はへらへら笑った。
「貝原、ホームレスですよ。どうやって5万円持っているんですか」と中村巡査。
「金持っているホームレスもいなくもないが、奴の場合刑務所の作業報奨金として10万近くはもらっているはずだ」
と長川。中村はぐっと唇をかんで
「あいつが刑務所で作業して金貰っていたんですか」
と吐き捨てるように言った。その様子を結城はじっと見つめた。
「中村巡査。俺ネット記事で調べたんだが」
中村は一瞬結城を見てからため息をついた。
「ええ、貝原に8年前に性的暴行を受けた女の子は私よ。私がこの男に騙されなければ、あの子は、愛奈ちゃんは…」
悔しそうに涙を流して拳を叩きつける中村巡査。
「なんか、俺悪い事をした?」
佐々木はきょろきょろ一同を見回す。
「お前生活保護受けているんだろ。ギャンブルやめるように治療うけろ」
草薙は呆れたように言う。その時長川警部が交番にやってきた。
「ちっと指紋を取らせてもらうぞ。それから警察で事情聴取。いい?」
かつ丼食わせてくれるならいいよ」
へらへら笑いながら佐々木は鈴木刑事が用意したキットで素直に指紋押捺に協力した。
「佐々木さん。あんた今貝原がどこにいるか知らないか」
「わからねぇ。俺も貝原も携帯電話持っていないし。現金も先払いだったし…あ、でも」
彼はふと手にしたリュックからレシートを取り出した。
「リュックの中にこんなレシートが入っていたぜ」
長川はレシートを手に取るとそこには産婦人科近くのコンビニのレシートがあり、パンやジュース、コンビニ弁当、アイス、トイレットペーパー、氷枕などが書かれたものが大量に出てきた。
「おい、これってもしかして監禁している誰かに食事を与えているって感じじゃねえか」
と結城。
「そういえば犯行の有った岡橋医師の部屋からは、現金が数万円消えていたぞ」
長川は草薙から無線機を奪い取った。
「至急至急…本部より連絡」

 覆面パトカーが国道を爆走した。住宅地に入り込み、畑に通じるあぜ道を通ってコンビニ付近の廃屋に近づく。もはや事態は一刻を争う。長川は電撃戦を決断した。
「愛奈ちゃん、無事でいて」
パトカーのリアシートで必死で祈る瑠奈。そんな瑠奈の背中を都は何度もさすった。

「ふふふふ、もう終わりだ。でも大丈夫だよ。僕のおかげでたっぷりエッチの味を覚えたんだから、もういいでしょう」
貝原は「ひひひひひ」と笑いながら部屋中に灯油を撒いて、怯える愛奈の前でライターを発火して見せる。

「この近辺で廃屋はここだけか」
「ええ、空き家はここだけです」
鈴木に報告され、長川と刑事たちが突入準備を始めた時だった。突然小屋が爆発し、燃え上がった。
「な、何ッ!」

4

 炎上する廃屋を前に長川警部は真っ青になった。
「ま、まさかあの中に愛奈ちゃんが」
その時だった。鈴木が「警部。廃屋の裏側に不審な男が」と叫んだ。長川警部ははじかれたように走り出す。
廃屋裏側の草むらにボストンバッグを手にした男が警察官に包囲されていた。男は何やら大きなブツが入ったボストンバッグをゆっくり地面に置くと木の枝を拾って振り回し始めた。
「うわぁああああ、畜生、畜生! 来るなぁ」
眼鏡をした青年。その青年の顔は警官の包囲の後ろ側から現れた都、結城、瑠奈…そのうち都と瑠奈ははっきり覚えていた。
 間違いなかった。この男が貝原直人だった。
「野郎―――――」
長川は枝を振り回す男のディスプレイの動きを読み、確実に表れる隙をついてタックルをかまして貝原はひっくり返り、多くの刑事が折り重なって確保した。
「愛奈ちゃん!」
都は必死でボストンバッグのチャックを開けて中身を見た。手足を縛られ口をふさがれた少女、篠原愛奈の体がそこにあった。
「あ、愛奈ちゃん」
都が目を閉じたままの愛奈に震える声で話しかける。後ろにいた瑠奈が恐怖に口を押えた。
 愛奈の目が痙攣するような瞼の動きとともにゆっくり開かれた。
「良かった。もう大丈夫だ。よく頑張ったなぁ」
結城が彼女のロープを外そうとするが、突然愛奈はさるぐつわのまま「んんんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」と絶叫を上げて目の瞳孔が極端に小さくなるくらい凄まじい恐怖の声を上げると再び気絶した。
「愛奈ちゃん? 愛奈ちゃん?」都が必死で語り掛ける。
「てめぇえええ」
結城が未成年者拉致監禁容疑で手錠をかけられ引き立てられた貝原直人に掴みかかった。
「あの子に何しやがった?」
「愛してあげただけだよ。うひひひ」左右で焦点の合わない目でへらへら笑いながら貝原は笑った。
「あの子は気持ちいいです。嬉しいですって、泣いて喜んでいたよぉ。ふひ」
「ふざけんな!」結城が貝原の首を締めようとするのを長川は手で制して、
「愛奈ちゃんの容態確認と保護を! 救急車を呼べ」
と応援の為にこの場所にいた中村桃子巡査に命じた。

 救急車が市民病院に入った。
「大丈夫ですよ」
優しそうな医師が胸を押さえて駆け付けた篠原玲に笑いかけた。
「多少精神的ショックで衰弱していますが、命には全く別状はありません。ただ…」
医師はため息をついた。
「お子さんはかなり酷い性的虐待を受けています」
体を震わせショックを受けていた玲だったが、
「いえ、愛奈が無事なら。愛奈の命が助かっただけでも神様に感謝します。私が全力で愛奈を支えます」
と涙を流し崩れ落ちた。
 診察室の外で待っていた大島社長は
「愛奈ちゃんはいつ退院出来るのかな?」
と玲に聞いた。
「お医者様は1週間は様子を見て欲しいと」
「あのホームレスがレイプしたんだろう。くそっ、もう愛奈は終わりだな。とっとと孤児院にでも捨ててこいや」
大島社長の目は冷徹だった。
「最初からそうしておけば良かったのです」玲は歯ぎしりして言った。
「どんなに愛奈が望んだとしても私みたいな人間に愛奈と一緒に暮らす権利などなかったという事です」
反抗的な部下の口調に社長は歯ぎしりする。
「てめぇ。俺から逃げられると思ってねえだろうな」
「思っていませんわ。あなたの下で一生搾取され続けるのが、私の償いですから」
「帰ったらたっぷりお仕置きをしてやるよ」
低い低い声で言いながら大島社長の顔が残虐に崩れた。

 警察署の取調室-。長川警部と貝原直人は向かい合っていた。貝原はふてぶてしい態度でそれでも全てを認めた。
「ああ、佐々木って生ぽ受給者に金を払ってあの婦警が監視している中でアリバイ工作を頼んだんだ。あの医院にかわいい女の子があそこを見せに来たからねぇ。その写真がないか確かめに来たんだよ」
「ち」マジックミラー越しに結城は歯ぎしりしたが、都は表情を崩さなかった。
「そしたら、あの岡橋医師に見つかって。グサッとやってやったんだよアイスピックで。俺が侵入した事がばれてもアリバイになる様に、わざとお18時に裏口からもう一度侵入した。そうすれば万が一室内から俺の痕跡が出てきても言い訳出来るだろう?」
「もう一つ聞かせてもらおう」
長川はじっと貝原を見つめた。
「お前以外に犯行現場に誰かいただろう。そいつは血みどろの凶器のアイスピックを手に持ち、リビングでワインを盗み飲みしていた。お前の共犯者だよ!」
「イタチ人間だよ」
「は?」
「僕の意識の中から現れて僕の代わりに忌々しい医師を殺してくれた僕の影の存在だ。ひひひひひ。彼は僕を導いてくれたんだ。甘い愛奈ちゃんとの結婚生活にね。ひひひひひ」

「怪しいな」
長川警部は廊下を歩きながら都に語り掛けた。
「何か隠してやがる。あいつ」
「警部もそう思う?」都も考え込んでいた。
「都、お前もあの取り調べがおかしいと思っていたのか」
「ううん、もっと前だよ」
都はきょとんとする長川を振り返った。
「佐々木さんがお金をもらって中村巡査を騙すためにアリバイ演技をしていた件、普通に考えておかしいんだよ。結城君だったら知らない人から5万円もらって自分の格好で公園を2日うろついてって言われてその通りにする? なんかその人を追いかけている悪い組織の人間に対する身代わりみたいな感じがして気持ち悪いじゃん。代わりに殺されてしまいそうで」
「それだけ金に困っていたんだろう」
結城はため息をついた。
「だったらお金だけもらって逃げれば良かったんだから。佐々木さんはパチンコ依存症でしょ。その人が2日ホームレスのふりしてずーっと貝原さんの演技を続けるって無理なんじゃない?」
「確かに」長川は頷いた。そしてしばらく考えていたが
「お前らにも教えておくか」と小さな声で話し始めた。
「実は今回の誘拐被害者の母親の篠原玲さん。彼女は実は貝原直人の元同僚なんだ」
「なんだって! って事は」
結城が言うと長川は声のトーンを落とすように言って、
「ああ、貝原は大島医療器具の元従業員。大島社長によれば仕事のできない達だったらしいが、22歳の時同じ職場の同僚の娘、つまり少女時代の中村巡査に性的暴行を加えていたらしい。その時余罪が出てきて懲役8年食らっているんだが、その時彼女の性暴力の診断書を出したのが殺された岡橋医師だったんだ」
「貝原が犯人とすれば動機はそのあたりに隠されているってか」
結城は考え込んだ。
「貝原さんはあの時犯行を認めたの?」
都の問いに長川は
「一応当時刑事課にいた草薙警部補に聞いたんだが、会社の従業員が何度も少女時代の中村巡査を連れまわしている証言が社長や篠原さんから出ていたし、貝原本人も容疑を認めていたんだ」
「もう一人、第一発見者の渡邊看護師について何かある?」と都。
「大ありだよ。彼女は中学校時代小6だった中村巡査とは家が近所で親友。情緒がおかしくなってきた中村を心配して児相に通報したのが彼女だった。児相職員の立会いの下で岡橋医師によって中村さんから性暴力の痕跡が発見され、これによって警察が捜査されて貝原が逮捕されたんだ。親友を助けてくれたことが渡邊さんが看護師を目指すきっかけだったみたいだよ」
長川は考え込む都を見た。
「都はこの中に犯人がいると考えているのか? だが草薙、中村、渡邊、大島、篠原、佐々木、この中にイタチ人間の指紋と一致する人間はいなかった。勿論犯人の片割れと考えられる貝原もな」
都は答えなかった。
 彼女の頭の中で記憶が蘇ってきた。炎上する小屋、指紋を拭き取られたハサミ、盗まれた都のカルテ、そしてリュックサックのレシート…。都の頭の中で何かがつながった。
「長川警部…私イタチ人間の正体が分かったかもしれない」
「なんだって?」
長川が目を丸くする。
「確実な証拠をつかむために2つお願いしたい事があるんだけど、1つ目が」
都にお願いされた頼まれごとに長川と結城の目が驚愕に見開かれた。
「な、なんで…なんでこんなことを調べる必要があるんだよ」
結城が都を説き伏せる様に言うが、都は力強く結城を見た。
「この結果が分かれば、この事件のおかしな点が全てつながって、イタチ人間の正体がわかるんだよ!」
都は結城と長川を見た。

 イタチ人間が少女を襲っている。恐怖に混乱し必死で助けを求める少女が無慈悲で冷酷なイタチ人間に搾取されていく。少女は声を出すことも許されず、ずっとずっと。

 警察署のロビーの長椅子でずっと爆睡していた都と結城。結城に膝枕をしてもらって毛布にくるまっている都の頭に長川は捜査資料を乗せて起こした。
「ん、長川警部?」
都が目をしぱしぱさせる。長川は真面目な顔で都を見下ろした。
「お前の言うとおりだった」
それだけで全てを察した都はゆっくり立ち上がった。
「それじゃぁ、貝原さんの所に行こっか。存在しない殺人鬼を作り出した貝原さんの恐ろしいトリックを暴きに」

 

さぁ、全ての手掛かりは示された。岡橋医師を殺害した犯人は。現場に残っていた通称イタチ人間の指紋の正体は!

【容疑者】
・島野里美(16):常総高校1年6組
・遠藤楓(15):常総高校1年6組
・篠原愛奈(11):小学6年生
・篠原玲(32):大島医療器具事務員
・大島光義(51):大島医療器具社長
岡橋優三(44):岡橋産婦人科医院医師
・渡邊尚子(24):看護師
・貝原直人(32):無職
・草薙純也(48):交番勤務警察官。警部補。
・中村桃子(20):交番勤務警察官。巡査。
・佐々木和彦(30):無職

地獄時間殺人事件 導入編


1

 茨城県常総高校では体育の時間水泳の授業が存在した。
「うおおおおおおおおおお」
競泳水着の下に抜群のスタイルを秘めた黒髪美少女の高野瑠奈を鼻の下伸ばして見る北谷勝馬とゆかいな仲間たち。
「あ、勝馬君。生白いでしょ」瑠奈は気にしているかのように苦笑した。
「いえ、そんなことは」
「ったく」
同じクラスの遠藤楓はため息をついた。
「瑠奈も都に似て天然だからねー」
「変な虫が寄ってこなければいいけど」
島野里美が水泳帽子の頭に手を立ててため息をついた。
「あれ、都はどこへ行ったの?」
当の瑠奈が友人2人に聞いた。2人の少女はふとプールを見渡す。
「そういえばさっきまで一緒にいたんだけどなぁ、あ」
島野が3メートル離れた場所にうつぶせに浮かんでいる小柄な少女の背中を指さした。
「あれ、都じゃない」
「都…何浮かんでるの」
瑠奈が都の背中を触った時だった。彼女の浮かんだ体の周りに真っ赤な血が広がっていた。瑠奈の顔が真っ青になった。
「み、都」
血膜が花びらのようにどんどん広がっていく。瑠奈は上ずった表情で震えていたが、直後「いやぁあああああああ」と絶叫した。

「都!」
結城竜が保健室に突っ込んできた。顔面蒼白な結城に対して、薮原千尋が深刻そうな顔で言った。
「結城君。都がプールに入っている時、都がうつぶせに浮かんでいて大量の血が」
「嘘だろ…。まさか都の女子高生探偵としての推理を妬んだ野郎が…まさか」
顔面蒼白のまま結城は都が眠るベッドにやってきた。
 都は眠っているようだった。瑠奈と勝馬が周りにいる。彼らに囲まれて都は安らかに眠っていた。
「み、都…」
結城が都の手を握った。その時だった。
「うへへへ、結城君もう食べられないよぉ」
涎を誑した島都はでへでへ笑いながら幸せな寝言を口走っていた。
「都?」
「ああ、結城君。今日都は保健室で休んでから染谷先生の車で送ってもらうから」
「都…殺人事件に遭遇したんじゃなかったのか?」
「は?」
千尋が訝し気な声を上げる。
「だってプールで血まみれで浮かんでいたって」
「結城君、殺人現場の見過ぎだよ」
千尋は呆れたように言った。
「でもプールが血だらけだったんだろう? 物凄いけがじゃなかったのかよ」
千尋、もしかして言ってないの?」
「都の了解取れずに言えるわけないじゃん」
瑠奈と千尋の会話を結城は頭にはてなマークで見守る。すると都が
「ほえ」
と目を覚ました。
「おおお、結城君。あれ、結城君が奢ってくれた特大バナナパフェは?」
「特大バナナパフェより、お前大丈夫なのかよ」
「大丈夫じゃないよぉ。お腹がごうんごうんなって死にそうだったよぉ」
都は思い出したようにだーっと顔を漫画チックに破顔させる。
「結城君、察して」
「察し」結城は真面目そうに顎に手を当てて何かを考えていたが、思いつかない様子に瑠奈はため息をついて
「女の子の生理」
「なにぃ」
真っ赤な顔の結城に都は恥ずかしそうにベッドの布団から顔を半分出していた。
「大丈夫だって、女の子なら2回や3回失敗しているから」
都と同じ部活の薮原千尋が都をバシバシ叩いた。
「はぁあああ、なるほど」
結城は安心したように床に座り込んだ。勝馬は必死で保健室においてあるモアイ像になりきろうとしていた。
「でも都生理痛結構きついよね」
千尋が瑠奈を振り返る。
「うん、高校生になればマシになるのかなって思ったけど、ちょっと心配よね」
産婦人科で見てもらったら」
千尋に勧められたが都は「ええ、怖いし恥ずかしいよぉ」と小学生みたいに嫌がっている。
「でもまたぶっ倒れられたら結城君の心臓が持たないよ。大丈夫、私と瑠奈が付いて行ってあげるから」
千尋はウインクした。
「怖くない」都は布団から千尋を見た。
「大丈夫大丈夫。別に産婦人科はSEXに失敗して抜けなくなった女の子だけが行く場所じゃないから。私も中学の時は生理不順でお世話になった事があるし」
千尋はぐっと親指を突き出した。

 染谷先生の車を見送りながら、結城と勝馬は校門に立ち尽くしていた。
「女の子は大変なんだな」勝馬はぽつりと言った。
「お前が都を運んでくれたんだって」と結城。
「礼ならいいぜ。都さんの為にやったことだ」
「礼なんて言うかよ。お前が今にも都が死にそうな感じで大声で喚いていたって保健の先生呆れてたぜ」
「うっせーーーよ」

 都と千尋、瑠奈は岡橋産婦人科と書かれた開業医院に来ていた。内部は意外と綺麗で子供が遊べるスペースもある。
「おおお、うめきちくんだぁ」都はめざとくお気に入りのぬいぐるみをみつけ、あやかちゃんと一緒に抱きしめる。
千尋ちゃん、瑠奈ちんありがとね。一緒に来てくれて」
「大丈夫大丈夫。結城君や勝馬君にも伝えといて、肛門科に一緒についていってあげるから」
「」瑠奈は千尋のカラカラした笑いにどう突っ込みを入れるべきか思い浮かばなかった。
「島さん、島都さん」
渡辺尚子というプレートを付けた20代の若い看護師が都を呼んだ。
「あ、はい。うう、今からトイ・ストーリーのビデオうめきちくんと一緒に見ようと思ったのに」
さっきまでの不安はどこへやら、もう余裕をこいていた都。診療室にいたのは産婦人科医の岡橋優三という若い優しそうな30代の眼鏡のお医者さんだった。
「今日は生理痛が痛いという事でここに来たんだよね」
「はい」
都は緊張した感じで岡橋優三に返事をする。
「じゃぁ、ちょっと見せてもらう前にいくつか質問するからね」
「やっぱり、見るんですか」
都はすごく恥ずかしそうに言った。
「都、大丈夫。このお医者さんはプロだから。エッチな事は考えたりしない必要な事なの。結城君が私に人工呼吸してくれた時と同じ」
瑠奈が笑顔で優しく諭すと、都は「わかった」と頷いた。

 待合室に1人戻ってきた千尋がふと見上げると看護師の渡邊が若い眼鏡の男と何やらもめている。
「貝原君。あなたはここの患者ではないでしょう。部外者は今すぐ出て行ってくれませんか」
「そんな、僕は別に」
眼鏡の貧相な青年貝原直人は両手で渡邊をなだめすかす仕草をしたが、渡邊は有無を言わさなかった。
「出ていかないなら、警察に電話するわよ」
「!」貝原は怯えた表情で彼女の気迫に押されて、「ち」と舌打ちすると出て行った。
「誰ですか、あの人」
千尋が聞くと、
「この医院の下儲け会社に勤めていた人よ。でも意味もなくこの医院に来ることがあって」
「なんで」
「さぁ、かわいい女の子が来ると必ず現れるわ。あいつレイプの前科があるし。碌な動機じゃないわ」
渡邊はふと千尋を見て「あ、ごめんね。こっちの事を勝手に話しちゃって」と苦笑した。
「いえ、聞いたのはこっちですから。でもヤバいじゃないですか。性犯罪の前科があるって」
「それも小学校6年生の女の子をね」
渡邊は苦みを潰した顔で出入り口を見る。
「絶対に許せないわ」
「ほぇええええ」
都が一息ついた表情で出てきた。
「多分成長が遅いせいだって。私小学6年生くらいの体らしいよぉ。ぶえええええ」
都は千尋に縋りつく。千尋は都をよしよししながら、
「まぁ、とりあえず病気じゃなくて良かったじゃん」
と笑顔で笑った。
 瑠奈はふと廊下を振り返っていたが、
「そうだ。トイ・ストーリー見なきゃ」と声を出す都に「瑠奈ちんも見よ」と引っ張られた。
「都、もう料金支払い」
窓口に手招きする千尋
「ええええ」残念そうな都に千尋は苦笑した。そんな都の様子を電柱からじっと見ているのは貝原だった。

「とりあえず、生理痛を緩和する処方箋貰えたから、殺人現場をプールで演出する事はなくなるはずだよ」
千尋が笑顔で住宅地を歩きながら言う。小学生の赤いランドセルを背負った6年生くらいの女の子とすれ違い、千尋はよっと避けた。瑠奈がそれを目で追いかける。
「瑠奈ちん」
都はむーんと瑠奈を見た。
「今私があの子みたいにランドセルを背負っていたらぴったしだって思ったでしょ」
「え」
瑠奈の反応はまさに図星だった。
「瑠奈ちんの馬鹿ぁ」
「いいじゃん、うらやましいよ。都の小学生時代、私も興味あるもん」
千尋ちゃんまで」
その直後だった。突然「きゃぁああっ」と女の子の悲鳴が聞こえた。さっきのランドセル少女があの眼鏡の男、貝原に肩を掴まれていた。
「まてぇえええっ」
都が物凄い勢いで走り出す。都の大声に男は手を離してそのまま横路地に逃げた。
「都」
恐怖で道端に座り込んだ女の子を抱きしめながら千尋は追いかける都と瑠奈に向かって叫んだ。
 都は暗い路地であたりを見回していた。住宅地のアパートの人気のない駐輪場に来た時だった。突然彼女は肩を掴まれた。
彼女の背後に眼鏡が反射したあの男貝原が興奮に震えた声で話しかけてきた。肩が物凄い力で握られる。
「ひひひひ。都ちゃんって言うんだね」貝原はにやりと笑った。
「君はこの医院でエッチな診断を受けていたんだ。そしてまたこの病院に来てエッチな診断を受けるんだ。僕にもどんなエッチな診断をしてもらったのか教えてよぉ」
「都!」
アパートの陰から現れた瑠奈が大声で叫んだ。
「お巡りさんこっちです」
「ち」
貝原は脱兎のごとく逃げ出し、都は茫然と路地に座り込んでいた。
「都大丈夫!」
瑠奈が都の肩を掴んだ。
「瑠奈ちん。お巡りさんは?」
「嘘嘘! でも今から呼ばなくっちゃ」
瑠奈もよっぽど怖かったのか携帯で110ボタンを押そうとする手が震えていた。

2

「愛奈! 愛奈…良かったぁ」
近くの交番で篠崎愛奈に母親でキャリアウーマンの篠崎玲が抱き着いた。30歳くらいの若いお母さんだ。
「本当にありがとうございました」
玲は瑠奈と千尋と都に頭を下げた。
「あ、頭を下げないでください」瑠奈が恐縮する。
「いえ、こちらも家族同然の社員のお子さんを助けていただき心から感謝いたします」
恐らく上司と思われる小太りのおっさんが頭を下げる。作業着には-大島医療器具-という文字が躍っている。
「さ、愛奈ちゃん、お母さんと一緒に送っていくからねー」
医療器具メーカー社長の大島光義はホクホク笑顔で交番前に止めたエルグランドに母子を載せた。
「本当にありがとうございました。ではお礼は後程」
走り去っていく車を見送ってから瑠奈は
「でも本当にあの貝原って人を逮捕できないんですか」
と交番巡査の中村桃子巡査に聞いた。20代のショートヘアの若い巡査である。
「さっき彼がいつも寝ている公園のベンチで彼に聞いたところ、体がぶつかって彼女を抱き起そうとしただけだって言っていました。いくら彼に児童性的暴行の前科があると言っても、これだけで彼を検挙する事は難しいですね。一応厳重注意処分にはしたのですが。でも今回の事ではっきりわかったわ」
中村はニューナンブに弾丸を全弾込めてホルスターに装着した。
「あいつは全然反省なんかしていなかった。部長、私あの男をこれから監視してきます」
「ずっと勤務していただろう。休まなくて大丈夫か」
部長のごつい体の警官、草薙純也警部補が心配そうに聞いたが、中村は「はい、あの男によって二度とあんな苦しい想いをする女の子を出さないようにしなければいけません」と声を上げた。部長は「わかった」と返事をした。
「熱心な婦警さんだね」
都が歩き去る婦警を見ながらドングリ眼をぐるりとさせた。
「彼女は、特別なんだ」
部長はつぶやく様に言った。その直後、
「都」「都さぁああああん」
と探検部の男どもが押し合うようにして交番の中に入ってきてすっころんだ。それをしげしげと眺めながら、千尋は「あなた達お笑いコンビですか」とため息をついた。

 岡橋医師の自宅。二階のパソコンルーム。そこには多くの女性患者の患部を記録したDVDなどが保管されている。「島都」と書かれたDVDを手にした黒い人影=貝原直人は眼鏡を光らせ不気味に笑った。
「ひひひひ、やっと見つけた。やっと見つけたぞぉ」

「あったよ」
結城竜のマンションで従妹の中学2年生結城秋菜がネットのページを開く。結城はそれを覗き込む。
「新聞ニュースはもう消えちゃっているけど、電子掲示板にコピペしている人がいたから。その情報だけど」
どうやら「貝原 性的暴行 茨城県 小学6年生」で検索したらしい。
「ええと、事件が起こったのは9年も前の事か。職場の同僚の娘当時12歳の少女を自宅に連れ込み性的暴行を働いたとして貝原直人容疑者22歳が逮捕。容疑を認めているみたいだな」
「余罪が出ているみたいで、結局裁判で懲役8年の実刑判決を受けたみたい。って事は去年出所しているって事だよね。気持ち悪い、自宅で何回も何回も性暴力加えて、ビデオで撮影して脅していたみたいじゃない。女の子が勇気をもって警察署に助けを求めて、それで事件が発覚したみたい。本当にこの子偉かったよねー」
秋菜は声を震わせた。
「そいつが今回、都に触りやがったのか」
結城は歯ぎしりした。
「ほんと、師匠を襲おうとするなんて許せない。早くこいつを逮捕しないとまた被害者の女の子が増えちゃうよ」
「なぁ、秋菜」
ふと結城は妹に聞いた。
「被害者の名前はわからない」
「うん、記事にも出てない。当たり前だよね、女の子が自分が被害に遭った事誰にも知られたくないもん。それがどうしたの?」
「いや…」
結城はそれだけ言うと、パソコンの画面を見つめた。

 2日後、常総高校1年6組の教室。
「おはよ、都どう、調子は?」
「うん、元気元気だよー。昨日はまだどんよりだったけど、今日はもうこの通り」
遠藤と島野に聞かれて都は‹‹\(´ω` *)/››‹‹\( ´)/››‹‹\(*´ω`)/››と回って見せた。
「やっぱり遠藤の紹介した医院だけの事はあるわ」
島野里美が感心したように言った。
「あれ、あの医院って千尋が通っていたんじゃないの?」
「あちゃー、あいつ私に気を使ったか」
瑠奈の疑問に遠藤楓はふうと声を上げた。
「私が愛用している医院なんだけど、プライベートな事だから千尋は自分が通っていたことにしたんだよね」
「あの子意外と背負い込むタイプだしね」
島野里美が頷いた。瑠奈は「そっか」と考え込むように言った。
 その時染谷先生が教室の扉を開けた。
「島さん、高野さん、警察の方よ」
「何々、また事件に巻き込まれたの」
好奇心に目を輝かせる楓に瑠奈は苦笑した。
「いろいろあったのよ」とむにゃむにゃ机で寝ようとしている都をひょいと立たせる。
 だが来賓室で待っていたメンツを見て、都と瑠奈は驚いた。そこにいたのは長川朋美警部と鈴木刑事だったのである。
「おっはー、長川警部」
元気な都を他所に瑠奈は女警部に
「警部。本庁からって、あの事件で何かあったんですか」
と声を上げた。瑠奈の驚きも仕方がない。あの事件で県警本部の警部クラスが出張ってくるはずがあるわけないからである。
「都、高野さん、実は大きな事件に発展した。君らが助けた篠原愛奈さんが行方不明になった」
「えっ」
都の瞳が見開かれた。
「昨日学校から帰る途中でそのまま行方不明になったらしい」
「そんな…行方不明って、あの貝原って人がまさか」
「いや、それは有り得ないんだ」
長川はため息をついた。
「貝原は非番の中村巡査がずっと張り込んで行動を監視していたんだ。彼女が学校を出たのが15時、母親が帰ってこないことに気が付いて通報したのが19時。だが、貝原は18時まで監視されていたんだ。状況的に考えて貝原が愛奈ちゃんを誘拐したのはちょっと考えにくいんだ。勿論愛奈ちゃんは友達の家に行った形跡もない」
「貝原さんは? 今どこ」
都に聞かれて長川はため息をついた。
「行方不明だ。今警察の捜査方針でも彼は無関係という事になっているからな」
「ちょっと待ってください」
瑠奈が手を開けた。
「確かに愛奈ちゃんがいなくなってから貝原のアリバイがなくなるまで3時間はありますけれど、でも状況的に一番怪しいのは貝原ですよね」
瑠奈がいつになく強い口調なので都は「瑠奈ちん」と言った。よっぽど都を襲おうとしたことが許せないのだろう。
「実はもう一つ君たちが彼女を助けた地区で事件が発生したんだ」
「事件?」
「殺人事件だよ」
長川がじっと都を見た。「産婦人科医院を経営している岡橋優三が、昨日自宅で死体で見つかった」
「嘘、あの先生が」
瑠奈がショックを受ける。
「今日の夕方、出勤してこないことを不審に思った看護師が医院の奥にある自宅の窓から血だらけで死んでいる岡橋を発見した。死因は腹部を刺されたことによる失血死。死亡推定時刻は昨日の15時から16時の間。そして岡橋医院は愛奈ちゃんの通学路にあるんだ」
「つまり警察は犯人が愛奈ちゃんを誘拐したと考えているんだね」
都が言うと長川警部は頷いた。
「通学路の商店の防犯カメラを確認したところ、彼女が姿を消したのは、まさに岡橋医院周辺であることは間違いないんだ。つまり我々は岡橋さん殺害の犯人が犯行時に現場を出入りするなどしているところを愛奈ちゃんに見られて拉致されたのだと考えている」
長川は都を見た。
「彼女を助けるためには一刻の猶予も許されない。何か知っていることはないか教えてくれ。ぶっちゃけ言えば都には知恵を貸してくれと言いに来た」
長川は焦りの色を顔に浮かべている。愛奈の命の為に恥も外聞も投げ捨てているのだ。都は真剣な表情で頷いた。

畑の真ん中に立っている廃屋。ここで貝原直人はラジオを聞いていた。岡橋優三が殺害されたニュースをやっていた。貝原は思い出していた。昨日岡橋が撮影した島都と言う美少女、小柄でかわいい美少女の患部のカルテを盗み出したこと、そして長々と自宅のリビングで倒れ血だらけで物凄い形相で死んでいる眼鏡の医師の前で凶器を持って立ち尽くしている自分。
「さて、僕のアリバイは完璧だ。どうする?」
彼は考えながら廃屋の部屋のふすまを開けた。押し入れに手足を縛られさるぐつわをされ、怯えた表情で見上げているのは、何の罪もないまま現場に居合わせ拉致されてしまった少女篠原愛奈だった。

薮原千尋の殺人 事件編

原千尋の殺人 事件編

【容疑者】
・椚零門(62):作家
・村部奏太朗(32):国民出版編集者

3

「絶対に許せない。許せないよ…。もし岩本承平みたいな殺人者がいるなら、真由奈をあんな目に合わせたあいつらが死ぬべきなんだ」
千尋の目が憎悪に血走る。
 その様子を、ベンチの隣に座っていた男のフードの間から窪んだ眼窩の奥の赤い光がじっと見つめていた。
 ふと千尋は我に返った。
 子供たちが砂場で遊んでいた。ジャングルジムでは男の子たちが「俺はパラダイスキングだ。フォォーッ」と奇声を上げている。
千尋ちゃーん」
都が息を切らしてだらけた声を上げながらよろよろとベンチに座っている千尋まで歩いてきて千尋に抱き着いた。
「心配したよー。いなくなっちゃうんだもーん」
「ごめんごめん」
抱き着く都の頭を千尋は優しくなでた。
「大丈夫。長川警部は一生懸命考えて真実をちゃんと明らかにしてくれる人だから。相手がゴリラだってゴジラだって関係ない。力におびえて逃げる人じゃないから」
「うーん、その力の意味にもいろいろ突っ込みたいんだけど」
千尋は笑顔で笑った。
「ありがと」
「でへへへ」都は笑った。そしてふと目をぱちくりさせて
「ねぇ、千尋ちゃん、さっきまで誰かと一緒だったの?」
とキョトンとした声を出した。
「え」
千尋は一瞬焦った声を上げた。
「ベンチのお尻が温かいからさ…ん、千尋ちゃん今隠したね。さては千尋ちゃんのBL相手」
「なんで私がBLの当事者なのよ。私は野郎じゃないし」
「いやぁ、千尋ちゃんの心の中にはスケベ親父が住んでいるからねぇ」
「どういう意味よ」
千尋が都を追いかけまわし始めた。

赤い月が出ている。
「醜い、醜いですねぇ」
地下室のような空間で、黒い影が悲鳴を上げながら首に縄をかけられてもがいているのを、皮膚が焼けただれた骸骨のような男が見上げていた。彼は煙草を片手に後ろ手に両手を縛られた黒い影が恐怖の中で首に縄をかけられ、足先に積まれた雑誌の上につま先を乗せて、必死にバランスを取りながら首にかけられた縄に全体重がかからないように頑張っていた。
「人間というものは概してみんなそうですが、他者…それも立場の弱い人間に残虐行為を働きながらいざ自分が同じ目に合うと理由をつけて助かろうとするんですから」
「ごめんなさい…許してください」
涙を流しながら黒い影は声を震わせていた。必死に骸骨のような風貌の男に助けを求めている。
「少し遅すぎたんじゃぁありませんかねぇ。もし心から自分の罪を悔やんでいるならば、全ての罪を明らかにして許されなくとも彼を愛した人たちに謝るべきだったのではありませんか? しかもあなたは自分のした罪の責任を被害者に転嫁し、まるで自分が良いことをしたかのように得意げだったじゃないですかぁ。そんなあなたが自分の命に危険が迫っているからと言って、自分の生きる権利を主張するのは滑稽なんじゃありませんか」
「お願いしますっ、助けてください。僕は本当に悪いと思っているんです。もう一度チャンスをください」
「チャンスは今まで何度もあったのですよ。彼と彼を愛した人たちに心から謝罪し自ら罪を償うチャンスは…。でも君はそれをしなかった。そればかりか君が遺族や被害者を侮辱したりさらには被害者家族に何の根拠もない損害賠償を請求しようとした。いくら君が命乞いをしたって、人間命が危ない時に命乞いをするなんて簡単なんですよ。命乞いはもっと前にやるべきでした。でも君は被害者と遺族を侮辱した…」
男は床に向かって手にしていた煙草を床にはじいた。床に導火線のような油の火が燃え広がる。雑誌に突然火がついて、黒い人物の足が燃え上がった。
「ぎゃぁああああああああああ」
耐えきれなくなった黒い人物が足を折り曲げると首にロープが掛かって首吊り状態になり、苦しみに燃え上がった雑誌に足を乗せると、火傷の激痛に人形のように面白おかしく黒い犯人が躍りだす。
「踊ってください…くくく、もっと踊ってください。あなたはたっぷりと苦しんで死んでいただきますよぉ」
凍傷のせいで骸骨のような容貌の男、岩本承平は目の前で人間が苦しんで死んでいく様子を、まるで芸能人のコントでも見ているかのように不気味な笑顔で楽しみながら、ハンバーガー片手に黒い人物が不可逆的な死を迎え、苦し気な表情で硬直したまま体を痙攣させるのを見つけてへらへらと笑い始めた。
「そしてあなたの首を切り落として3Dプリンターにかけて完璧にあなたになりきって見せますよ。僕は漫画の犯罪者のように誰これに完璧になりきる変装技術はないですからねぇ。喜んでください。あなたのような屑でも生首だけは僕の復讐計画に役に立つのですから」
殺人鬼岩本承平は目が飛び出した死に顔に向かってホクホクと笑いながら語り掛ける。

「椚零門動きますかね」
鈴木刑事が金髪の髪の毛を掻きながら上司の長川警部に聞く。車で茨城県常総市にある児童館の前に長川朋美は待機していた。
「江戸川成美、34歳。国民出版社員で母子家庭。その娘が優芽、11歳」
「顔も割かし真由奈ちゃんに似ている。椚って作家がロリコンならば、まず放ってはおかない。それに今は真由奈ちゃんが入院中だしな。あいつは間違いなく動く」
長川は児童館を望遠レンズで撮影する。
「警部。あの車は国民出版の村部の車です」
鈴木は双眼鏡片手に車種とナンバーを確認する。
 村部が赤いセダンから降りたって児童館へと歩いていく。長川はその様子をカメラで撮影、さらに江戸川優芽という少女が村部と一緒に出てきて車に乗せられる様子も撮影した。
「よし、鈴木…絶対に逃がすなよ」
鈴木刑事は赤いセダンが走り出すのを雨の中、黒いブルーバードで追跡する。

 車は人気のない利根川河川敷に停車した。
 長川は鈴木を車に残して望遠レンズを片手に土手を登って、土手の上から匍匐前進でカメラを構えた。
 最大限に拡大されたカメラの画面に、椚が少女のボタンを開けてインナーシャツを丸見えにして胸を撫でている様子が映り込んだ。村部は外で煙草を吸いながら周囲を見回している。
「よし、鈴木…西野…被害者を助けろ。わいせつ目的略取現行犯」
「了解‼」
鈴木刑事は車の運転席で返事をすると、屋根にサイレンを出して鳴らしながら水たまりをはねのけて河川敷に乱入。びっくりした村部が運転席に乗り込もうとしたときには、鈴木のドライブテクは赤いセダンの進行方向をふさいでいた。
「動くな」
長川は拳銃を引っこ抜いて自動車の方向に向けながら、ドアを開けた。
「椚零門だな。そして江戸川優芽ちゃんだね」
小柄な少女が半裸で涙を流しながら頷く。椚が真っ青になって長川を見た。
「さぁ、出てこい」
長川は椚を引っ張り出すと後ろ手に手錠をかけた。運転席からは村部が出てきて両手を車の屋根に乗せ、鈴木が後ろ手に手錠をかけた。
「お前私を誰だと思っているんだ!」
「未成年者略取の現行犯。おっと強制わいせつの現行犯でもあるな」
長川警部はすっとぼけた。
「現行犯だからお前らのお友達が警察に圧力をかけても逮捕命令を撤回する事は出来ないぜ。さぁ、歩けや」
「大丈夫」
涙を流す少女に部下の西野ゆかり刑事が毛布を掛けてあげた。
「もう大丈夫だからね」

「な、なんだって」
県警本部で刑事部長が口をあんぐりと開けた。
「はい、捜査一課の長川が事件の捜査中に偶然少女を拉致監禁した暴漢を逮捕してみれば、椚氏と村部氏だったそうで」
参事官が冷や汗をかきながら阿るように言う。
「現行犯で逮捕されたとなれば、いくらなんでも私の力で捜査を停止させることは出来ない」
「この状況では、前の少女自殺未遂事件の捜査も継続して行う必要があるな。もう捜査を停止することでメリットなどない」
刑事部長は苦みをつぶしたかのような表情で「長川めぇ」と呻いた。

 警察署の前には大勢のマスコミが駆け付けて、有名作家と出版社幹部が逮捕されたニュースを伝えていた。
 改めて事件の聴取を取るために呼ばれた都と結城と千尋は会議室前でVサインする長川警部に迎えられた。
「長川警部ぅうううううううう」
都は長川の手を叩いてぴょんぴょんジャンプした。
「ざっとこんなもんよ。捜査一課は真由奈ちゃんの事件も捜査対象とすることを決定した。これであの2人は法の裁きを受けることだろう」
「ありがとおお、長川警部」
都は長川警部に飛びついてしがみつく。
「しかし、別の女の子をおとり捜査に利用したんだろう。いいのか? そんな事して」
結城が訝し気に聞くと長川は「いや、私たちは偶然現場に遭遇したんだ」と答えた。
「まぁ、連中を逮捕しなければ今回の被害者の女の子はもっと酷い目にあわされていただろうし。やむを得ない決断だったのかもしれないなぁ」
結城は頭をかいた。
「ちゃんとカウンセリングは紹介してやれよ」
「もちろん、警察の義務だ」長川は頷いた。
「ち、千尋ちゃん」
真由奈の母親の石田英恵という30代そこそこの素朴な感じの女性が会議室の廊下で千尋を呼び止めた。
「お、おばさん」
「まさか、真由奈がこんなことになった原因が、椚先生と編集長だったなんて」
英恵は真っ青になって震えていた。
「真由奈が…こんな酷いことをされて…わ、私のせいだ…私が仕事ばかりして家にも帰らなかったから」
「おばさんのせいじゃないよ」千尋は英恵の肩を抱いて会議室のパイプ椅子に座らせた。
「悪いのはおばさんの上司という立場を利用した作家と編集者…。おばさん・・・もう大丈夫だから」
千尋はおばさんと抱き合った。緊張の糸がほつれたかのように涙を流しながら号泣するお母さんを抱きしめる千尋
 その時だった。会議室の扉が開いて真っ青になった鈴木刑事が部屋に入ってきた。彼は糸の切れた操り人形のように歩いている。
「どうしたんだ、鈴木刑事」
「残念ですが」
茫然とした表情で鈴木は声を上げた。
「椚と村部は…逮捕されません」
鈴木はゆっくりと会議室にあるテレビを指さす。結城が慌ててテレビのリモコンを入れるとまさにこの警察署前で、江戸川優芽という少女が体を震わせながら話をしていた。それを母親の江戸川成美が監視するように見下ろしている。
-私は江戸川優芽。11歳です。5年生です。私は本当は椚先生にエッチな事なんてされていません。私は車の中で先生に胸やけがすると訴えて、先生は逆流性食道炎かもしれないとおっしゃられて服を脱がせて診てくれようとしただけなんです。エッチな事なんて全然ないのに、警察は…先生を逮捕するために盗撮した動画をねつ造して先生を逮捕しようとしました。皆さん、どうか反日メディアや反日警察の発表なんて信じずに、正しい情報を入手して日本を悪者にしないでください…。-

4

 まるで教育勅語を言わされている子どものような喋り方だった。長川は呆気にとられた。後ろからは母親が
-娘の事でお騒がせしてすいません。先生には前から残業で家に帰れないとき娘を送り迎えしていただいて本当にお世話になっていたんです。
「そんな馬鹿な」
長川が茫然とした声を上げたが、やがて机に拳を叩きつけた。
「完全に私のミスだ。被害者の親と加害者との関係性を考えれば、こういう展開もあり得たんだ!」
「ど、どういう事? 警部」
千尋が声を震わせる。
「つまり、あの子の母親は娘が受けている性的虐待よりも自分の会社での立場や社会的立場を優先したということだ」
「そ、そんな。上司だからって娘に性的虐待をしている上司をかばうなんて」
そういった石田英恵は次の瞬間耳を疑った。
-娘さんの被害を訴えている石田英恵さんは嘘をついています。あの人は前々から左翼思想にハマっていて、会社内でも椚先生の本を出すことに何かしらケチを付けていました。いつも日本を貶めるような発言をしていて信用できないなと前々から思っていたのです。
 開けっ放しの会議室のドアから靴音がしたので都が外を見ると、後ろに村部と弁護士の細目の男を従えて歩いている椚零門と目が合った。
「くくく、君の事は知っているよ」
椚は下劣に笑った。
茨城県で名探偵をやっているんだってねぇ。ひひひ、君みたいに小さくてかわいくて頑張っている女の子が僕は大好きなんだよ」
椚が都に手を伸ばしてきたので
「その汚い手で都に触るな」
と結城が割って入った。
「誰かね君は…失礼な奴だ。私にかかれば君がどこのだれかなんてすぐに世間の衆目にさらすことが出来るんだけどな。ひひひひひひ」
醜悪な笑いに結城は何も言い返せなかった。もはや異次元の出来事にどうこの狂った男に怒りをぶつければいいのかわからなくさえなっていたのだ。
「石田。お前覚えておけよ。ガイジの娘ともども二度とこの国を歩けないようにしてやる」
村部が後ろからぞっとするような冷徹な声で石田英恵を睨んだ。やがて椚と村部は歩き去っていく。その様子を薮原千尋は蒼白な表情で見送っていた。頭の中でおしゃべりあいうえおの音声がリピートする。
-わ・た・し・わ・え・つ・ち・が・だ・い・す・き
-わ・た・し・わ・え・つ・ち・が・だ・い・す・き
-わ・た・し・わ・え・つ・ち・が・だ・い・す・き
「死んじゃえ」
千尋は下を向きながら体を震わせた。
「あいつら岩本承平に殺されてしまえ」
千尋…ちゃん」都が心配そうに千尋を見上げた。
 テレビには警察署前で釈放された椚が記者に質問に応じている。
-この度は左翼勢力の陰謀のせいでこのような事件に巻き込まれ大変遺憾に思っています。でも一人の少女の勇敢な証言が…。
ヒヒ爺の得意げな声。その時だった。背後で携帯電話に向かって話していた村部が突然、背広の内ポケットからナイフを取り出し、そのナイフを得意げに話している椚零門の首に突き刺した。椚が何が起きたかわからないという感じだったが、ナイフがめりめりと首にめり込んでいく中で「ぐふっ、ぐぼっ」と声を上げて、恐怖の表情苦悶の表情のまま血だらけの指で村部に掴みかかってそのまま崩れ落ちた。マスコミのカメラが大きく揺れて、テレビが突然カラーバーになりスタジオに切り替わり、キャスターとコメンテーターが興奮した状態で何かを伝えている。そんな中再びカメラが切り替わったとき、血だらけのシャツの村部が記者やカメラマンを見回している。そしておもむろに自分の手に指を食い込ませてめりめりめりっと皮をめくり上げると、むき出しの歯茎、窪んだ眼窩、皮膚が解けた骸骨のような顔が視聴者の前に突然現れた。
 その様子に恐怖にしたのは薮原千尋だった。
「嘘…嘘でしょ」
血だらけのシャツを着た男は都の宿敵…。
「い、岩本君」
都ははじかれたように走り出した。

 警察署の前で岩本は剥がれ落ちた皮を投げ捨ててむき出しの髑髏のような顔で逃げるマスコミと拳銃を構える警察官を見回した。
「お前はまさか」
「動かないでください」
岩本承平はひきつった声を上げながら、上着を広げるとその体に巻き付いていた防弾チョッキのようなものを警官に見せた。
「不用意に近づくと爆発させますよ」
「お前ら、距離をとれ」
警察署玄関に出ていた長川朋美は制服警官に下がるように命令すると、拳銃を岩本に突きつけた。
「岩本承平だな。お前を殺人の現行犯で逮捕する」
 しかし岩本は長川の声を無視して警察署前のメカニック倉庫に入ると、いきなりシャッターを閉めてしまった。
「岩本‼ もう逃げられないぞ…出てこい‼」
長川は喚きながら隣で拳銃を向ける婦警に
「あの倉庫の中に地下に通じるマンホールは」
「無かったと思います」
婦警が言うと、長川は警官10人で倉庫を包囲しながら、
「今すぐ出てこい‼ もう逃げられないぞ!」
そう喚きながらゆっくり建物の間を詰めようとした直後だった。目の前を光が走って次の瞬間プレハブのメカニック倉庫は大爆発した。凄まじい爆発とともに警官が爆風にあおられてひっくり返る。
-なんという事でしょう。岩本容疑者が、突然現れた岩本容疑者が立てこもっていた倉庫が…爆発しました。
 テレビに映される爆発の様子に会議室の結城は茫然とするばかりだった。その時背後で誰かが倒れる音がした。薮原千尋が会議室のカーペットの上に倒れ転がっていた。
「薮原‼」結城が慌てて駆け寄る。
「い、岩本君」
警察が張った規制線の前で都はマスコミに滅茶苦茶にされながら爆破された倉庫を見つめていた。
「どうします」鈴木が拳銃を構えながら爆破された倉庫を見つめていた。
「消防車が来たら離れたところから消火してもらって、私たちはその間倉庫を包囲して待機! あいつは化け物の殺人鬼だ。生きていると考えて絶対に油断するなよ」
「了解‼」
鈴木は声を上げた。
 消防車が来て消火が一通り終わった。
「これで大体大丈夫です」
「了解」
都は到着した特殊部隊のトラックから降りてきたSATとともに拳銃を構えながらにじり寄るようにゆっくりと包囲網を狭めていく。そして無茶苦茶に散らばったがれきを蹴りながら内部のぐしゃぐしゃになった工具や修理機械を見回す。
「くそ」
長川は転がっている黒焦げの生首、吹き飛んだ手足を見つけた。
「岩本でしょうか…」
鈴木が拳銃を下ろしながら長川に聞いた。
「状況的には間違いないだろうが、何とも言えん。とにかく加隈の出番だな」
長川はため息をついた。
 鑑識が到着して倉庫の鑑識活動が行われている間、都はあっと声を上げて都を捕まえようとする制服警官から規制線をくぐって、長川の背後に隠れながら
「長川警部。岩本君は?」
と聞いた。
「らしき遺体は確認できたんだが、奴の事だ。あれが奴のものと確認できるまでは安心できん」
制服警官に手を制しながら長川は言った。「全く…また衆人環視の殺人事件かよ」
長川が顎でしゃくった先に死体袋に入れられる椚零門が見えた。
「みんなの前で殺人を行った理由、正体を見せた事には何か理由があるんだよ。それも恐ろしい理由がね」
都は長川をじっと見た。

 捜査室のパソコンで長川警部はYouTubeに違法アップロードされた動画を見ていた。
「長川警部‼」
小柄な女子高生探偵がぴょこんと机に現れた。
「都か」
長川はため息をついた。
「何か難しい問題があるみたいだねぇ」
都が目をぱちくりさせる。
「今回、椚零門と村部は警察署で指紋を取られている。指紋押捺が16:54、マスコミの前で爆発したのが17:35。その間奴は大半の時間を警察署員に監視されていた。指紋押捺は生きている人間から素手で採取していることは確認されているんだ」
「つまり少なくともその時までは村部は本物の村部だったんだね」
「ああ。岩本はアニメの犯罪者と違って変装はそんなに得意じゃない。変装する対象を殺して皮をはぐなり生首を3Dスキャンするなどして変装を行っている。声に関しても奴は声真似が得意な方ではあるが、まぁ、アニメで声優がいろんな作品のいろんなキャラを出しているようなもので、マネできる声質にはどうしても限界がある。アニメみたいにばっと変装してばっと誰かに成り代われる器用さは持っていない。岩本はどうやって警察署で署員や監視カメラで最低1分に1度監視された中で村部を殺し、成り代わったんだ?」
長川はここで都を振り返った。
「都、お前はあの村部に会っているんだよな」
「うん。でも私の記憶では利き足とか仕草とかには変なところは見られなかったよ」
「だろうな。防犯カメラを解析しても、奴がいつすり替わったのか利き足、利き手、仕草なんかからは特定できなかった」
「でもそれで村部さんがいつ岩本君に成り代わったのか特定する事はかなり難しいと思う。岩本君は一度成り代わった人間の仕草や利き手、利き足、仕草までほとんど完璧に模写して行動してしまう犯罪者だよ」
都はじっと映像を見ていた。
「ああ、そうだろうな」
長川警部はじっと映像を見た。
「よ、仲良くやってるねぇ」
加隈鑑識が牛乳瓶眼鏡をぎらっとさせて部屋に入ってきた。
「何か新しいことが分かったのか?」
長川の問いに女性鑑識はため息をついて「謎は増えそうだよ」と呻いた。
「吹っ飛んだ建物の死体。あれ鑑定した結果村部の死体だったんだよ」
都は目を見開いたもののリアクションはなかった。どこか岩本が死ぬはずないという直感が彼女には既にあったのだ。
「多分村部に変装するとき彼を殺して、死体を倉庫に隠していたみたいだねぇ」
加隈の笑顔からは冷や汗が垣間見える。
「つまり岩本は警官が囲んでいた倉庫から煙のように消えてしまったと」
長川が立ち上がった。
「爆発の瞬間は防犯カメラにも映っているけど、建物の中から誰かが出てきた形跡もない。あの倉庫にマンホールという類もないから地下からの脱走は不可能。って事はそう言うことになるねぇ」
「くそっ、岩本はどうやって…どうやって消えたんだ!」
長川は驚いた表情で歯ぎしりした。

 

 

薮原千尋の殺人 導入編

少女探偵島都(薮原千尋の殺人)

1

「薮原の家でお誕生会?」
結城は訝し気に聞いた。
「そうなんだよー。私の携帯に今日いきなりお誕生会開くから今すぐ結城君を連れてきてって」
「私のところにも」
都と瑠奈は携帯電話の受信メールをかざして見せた。
「俺にはな、直接千尋ちゃんから頼まれたんだ。一生のお願い、結城君を連れてきてって」
勝馬はふふんと鼻を鳴らした。
「女の子の一生の頼みだ。お前のバイト先の果樹園には俺の舎弟を派遣させてもらった」
どうだ俺の政治力と言わんばかりに蝶野的な悪の強さを誇示する勝馬を、結城は訝し気な目で見つめる。
「薮原の誕生日って11月じゃなかったっけ」
「あ、そういえば」
瑠奈がふと思い出す。
「推しの誕生日なんだよ、きっと」
都がにっこり笑う。結城はその笑顔に目の前にある住都公団の団地を見上げた。
「なんか、帰っていいか。あいつがどんな理由で俺を所望しているのかは知らんが、奴の部屋にはいってはいけないと俺の内なるアラームが警報を発しているんだ」
「なんだよ。臆病だな。千尋さんのような聡明な女性の家にお邪魔する機会だぞ。その素晴らしい機会を不意にするとは、お前いくら何でも失礼すぎるんじゃないか」
「そうか。それなら想像してみろや」
結城は勝馬の目をじーっと見て言った。
「あいつの部屋に入って一体どんな事態が待ち構えているかを…お前のその能天気な頭をほんの1分でも使って考えてみろ!」
眼窩を真っ黒にして目を真っ赤に光らせて勝馬を見る結城。勝馬の顔がジョジョのような絵柄になって歯茎を見せながら恐ろしい考えに戦慄する。
 家には確実に千尋の友人のホモが待っている。
-いやー、結城君。今日は私の友達のピスタチオ田所の誕生日で、誕生日に何を食べたいって聞いたら結城君を食べたいって言ったんだよね-
ポニーテールのかわいらしい少女がカラカラと笑った。そして結城はボンテージ姿のもっこりなガチムチマッチョに天井から吊るされて部屋には薔薇が敷き詰められ、その様子を千尋が嬉しそうにカメラで撮影する。
「いやぁああああああああああああああああああああああああ」
勝馬が真っ青になって絶叫する。
「結城、ご愁傷さまだ。俺の親戚にケツを治すお医者さんがいてな。俺も世話になったんだ。せめてもの慈悲でお前の骨を拾い集めてその病院にもっていってやる」
「結城君―――――――」
都が3階の階段から下の方に手を振った。
「あああああああ、都やめい」
結城が声を上げると
「お、さすがみんな。結城君を連れてきてくれたんだね」
と普段着姿の薮原千尋がにっと笑いながら探検部のメンバーを見下ろして手を振った。

 千尋の家のキッチンにいたのは車いすに乗った11歳くらいの少女だった。少し緊張したようにドギマギしながら結城を見上げている。
「何がピスタチオ田所だ。全く心が汚れているからそういう幻聴を見るんだよ」
勝馬がへっと結城を馬鹿にする。
「ピスタチオ田所を脳内に登場させて名前まで付けていたのはお前だろうが」
「おお、ピスタチオ田所知ってるんだ」
千尋が感心したように勝馬を見た。
「今度私が出す同人『しょたともだち』に出てくるキャラクターなんだけど。なんで勝馬君知ってるの?」
「あれ・・・なんでだ・・・なんで俺は咄嗟に頭の中にそのキャラクターを思い浮かべたんだ?」
真っ青になる勝馬を他所に
「この子は石田真由奈ちゃん。今6年生なんだけど、交通事故の後遺症で言葉が喋れなくなって下半身も不随になってるの。で、12歳の誕生日に結城君の事を話したらぜひ会いたいって言っていたので、こうして連れてきてもらったわけ」
少女の前にはおしゃべりあいうえおが置かれていて、彼女はそれを押しながら結城と会話する。
「は・じ・め・ま・し・て・ゆ・う・き・さ・ん、い・し・だ・ま・ゆ・な・で・す」
「あ、は、初めまして、結城竜です」
結城は真由奈の目線に座り込んで挨拶をした。
「ち・ひ・ろ・さ・ん・か・ら・き・い・て・ま・す。か・つ・ま・さ・ん・と・ま・い・に・ち・ふ・う・ふ・ま・ん・ざ・い」
「ちっと待て、薮原。お前何を教えているんだ」
千尋に喚く結城に勝馬が逆に喚く。
「なんでお前なんかと夫婦漫才しなきゃいけねえんだ」
「あ・と・い・わ・も・と・を・ゆ・う・き・く・ん・は・た・お・し・た」
「岩本を倒したぁ」
結城は素っ頓狂な声を上げた。
「俺が岩本を? 何かの間違いだろ」
「でもあの大量殺人鬼の岩本から標的を守ったのは、日本全国で結城君だけじゃない」
瑠奈が笑顔で指摘する。
「よせやい。あの時はその守ってやった国会議員から刺されて死ぬかと思ったんだから」
結城はため息をつく。
「わ・た・し・は・ゆ・う・き・く・ん・に・ゆ・う・き・も・ら・い・ま・し・た」
少女は瞳を輝かせてにっこり笑った。その笑顔にどぎまぎしながら結城は鼻をかく。
「まぁ、なんつうーか。まぁ、当たり前のことをしただけだよ」
「格好いい。結城君イケメン」
都がきゅーんとなって瑠奈に倒れ掛かる。
「そんじゃ、私たちはケーキの準備をしますか」
千尋は腕まくりして台所のケーキを指さした。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、ケーキだぁ。千尋ちゃん。これひょっとして千尋ちゃんが作ったんじゃない?」
都が瞳を輝かせる。
「ふっふっふ、ざっとこんなもんよ」
エプロン姿の千尋は胸を張る。
千尋ちゃん、私にも教えてよ。結城君の誕生日に作ってあげたいんだよ」
「お前俺の誕生日今年終わっているよ。お前すっかり忘れているだろうがぁ」
「ほえ」
結城に突っ込まれて都は目をぱちくりさせた。
「お、やってるな」
オタクハチマキに無精ひげのガタイのいい兄ちゃん、千尋の兄の千代助が嬉しそうにビール片手に現れた。

「探検部が友人の誕生会で飲酒」
結城はジト目でワゴン車を運転する千代助を見つめる。
「うるへぇよ。結城君。お前、私の酒がのめたいというのかぁ」
高野瑠奈が涎を垂らしながら寝言を寝て言っている。
「まさかこの子が一番酒癖悪いとはなぁ」
千代助はへらへら笑った。
「そういう問題じゃねえよ。野球部だったら甲子園出場できないレベルでの不祥事だぞ」
結城はため息をついた。
「それは大問題だな」
全然大問題と感じていない千代助。華麗にウインカー出して右レーンから茨城県南の県道を曲がる。
「あの車いすの子な、5年生までは千尋と大の仲良しでよくぺらぺらぺらぺら喋る子供だったんだ。完全にリトル千尋でな。でも飲酒運転の車にはねられて」
路線バスがセンターラインの向こうをすれ違う。
「あいつがあの子の家に遊びに行ったときがさ入れしたらしいんだが」
「がさ入れ?」
「胸が順調に膨らんでいるか下着をチェックしていたんだと」
「・・・・」
「その時雑誌が見つかってな」
「あんまり年頃の女の子の秘密を俺に話してくれるなよ」
「その雑誌じゃねえよ。変態か」
大学院生の千代助はハンドル片手にため息をついた。
「あいつが何でこんなの読むんだろうって真面目な政治系の雑誌だった」
「まさか、国会議員の八百井御世ってのが書いた」
結城の表情が険しくなる。
「その雑誌だったんだなぁ。『障害者には生産性がない。親は自分のエゴで障害者の子供を生かしているんだから公的支援は一切受けないで代わりに税金払え』って書いてある奴」
SNSで炎上したんだよなぁ」
結城はため息をついた。「『障害者本人ではなく障害者の親を批判したものだ』って言い訳が通用するとでも思ったのかね」
「でも大手雑誌が八百井議員の記事を擁護する発言を載せて、さらに有名な文化人が『障害者という醜い存在を表に出すのならば、公然わいせつの権利も認めろ』『少子高齢化問題など障害者を支援する以外に、今の日本国家存続の上での優先順位の高い議題はまだある』って言いだしたんだ。今の世の中って親内閣か反内閣の二者択一だろ。障害者を公然とディする奴がうようよ現れてな。千尋の奴、SNSが嫌になるくらい落ち込んじゃったんだよ」
結城は思い出した。

「おるぁ。結城いいいい。早く都に告れよ。うだうだしてないでさぁ」
「ああ、わかったわかった」
酒飲んで結城に絡みまくる瑠奈を座席に乗せる結城に、千尋は苦笑した。
「ははは、瑠奈のおじさんおばさんなんて言うかな」
「大丈夫だろ。大分麦焼酎二階堂瑠奈に持たせたのは瑠奈の母親だし」
「結城君」
「あん?」
「ありがとね」
「ケーキ食わせてもらっただけだよ」
いつになくにかっと笑う千尋に、結城はジト目で返事をして車に乗り込んだ。

「お兄ちゃん、顔赤いよ」
「しょうがないねぇこの子は」
おばあさんと妹の彩楓に肩車されながら「俺は猛烈に感動しているんだぁ」と喚く勝馬を路上停車した車から見ながら、結城は千尋の笑顔を思い出してしまった。

 翌日の小学校。薮原千尋は原付バイクで夜6時の児童館の前に出没した。
「ああ、真由奈ちゃん…真由奈ちゃんは今日お母さんの同僚の方が迎えに来てくれたよ」
児童館職員が「先生さようなら」と黒人のお母さんに手を引っ張られて笑顔で挨拶する男の子に手を振りながら千尋に答えた。
「おばさんの同僚?」
千尋は怪訝な顔をした。
「同じ社員証を持っていて、真由奈ちゃんも見知っている感じだったし、お母さんの許可もいただいているから大丈夫よ」
職員はそういって顔なじみの女子高生に笑顔で笑った。

「これくらいいいよねぇ」
人気のない駐車場で、真由奈の母親の勤め先と仕事をしているエッセイストの椚零門がヒヒ顔をへらへらさせながら怯える真由奈の前で服を脱ぎ始めた。
 真由奈は声を出そうとするが声を出すことが出来ない。椚の横で編集長の村部奏太朗がひきつった笑みを浮かべる。ハンサムなこの男はゆっくりと優しく倒錯した論理を紡ぎだしていく。その顔は冷血動物のように無表情だった。
「君みたいな障害者がいるせいで君のお母さんは残業をどうしても断ることが多かったりして、わが会社に損害が出ているんだ。君が障害者であるせいで君のお母さんも君の会社も大きな迷惑をしているんだよ。でも君は今日その賠償をする事が出来る。君みたいな人として終わった存在が唯一することが出来る賠償をね」

2

 夕闇の住宅地。千尋はふと心配になって外国人労働者低所得者が多く住むエリアのアパートを覗き込む。インターホンを鳴らすが、誰も出ない。
「よー。千尋
ふと隣の家から黒人の少年が千尋を見上げる。
ロナウドぉ」
千尋がこぶし突き合わせて少年と挨拶すると
「真由奈、今日帰ってる?」
「さっき大人の男が車いすと一緒に家に帰してたぜ。真由奈のママの会社の人じゃね」
ロナウドは真由奈の母親から預かっている鍵を千尋に渡してにっと笑った。
「真由奈ぁ。入るよー」
千尋はドアをがちゃっと開けた。部屋は真っ暗だった。キッチンにも誰もおらず、母子の寝室も開けっ放しになっている。
千尋‼ 千尋‼」
ロナウドの声がした。彼が真っ青になった顔でベランダを指さしている。ベランダには無人車いすが向こうを向いてぽつんと置かれていた。
「う、嘘」
千尋の恐怖の表情が夕闇に浮かび上がる。はっとしてベランダに出て真下を見ると、2階のベランダの真下の家庭菜園の中に、真由奈が小さな体を横たえていた。
ロナウド、真由奈のそばにいてあげて。ただし絶対頭を動かしちゃダメ。頭を動かしたら真由奈死んじゃうかもしれないから」
千尋が震えるロナウドの肩を掴んでそういい含めてからスマホで119番をした。
 アパートにはパトカーが多数停車していた。
「加隈…どう」
茨城県警捜査一課の長川朋美警部は女性鑑識の加隈真理がベランダの手すりの写真を撮影している後ろから声をかけた。
「まぁ、指紋の状況や服の繊維なんかの痕跡から考えて、間違いなく自分で飛び降りたんだろうね」
「自殺か」
「状況的にはそうなんだけど、ちょっと見て欲しいものがあるんだよ、ともちゃん」
加隈は牛乳瓶みたいな眼鏡を光らせながら、机の上にある「おしゃべりあいうえお」を見せた。
「ここに妙な文字が録音されててさぁ」
「録音機能があるのかこれ」
長川が大したもんだと「さいせい」ボタンを押すと
-わ・た・し・わ・え・つ・ち・が・だ・い・す・き
と音声が出てきた。
「ともちゃんはどう受け取る?」
「状況的に考えて、『私はエッチが大好き』だろうな」
「このボードからは飛び降りた彼女とお母さん、彼女の友達の指紋しか出なかった。結構古い指紋も出てたし、拭き取られた痕跡はないね」
「つまりこのメッセージは彼女自身が」
「そういうことになるね」
加隈は目を光らせた。

 アパートの外廊下の規制線の外の奥で薮原千尋は制服姿のまま体育すわりをして顔をうずめていた。
「おい、君たちは誰なんだ」
普通に規制線を越えようとする高校生に警官が怒鳴りつける。千尋が声を上げると都と結城が警官と悶着していた。
「あ、私が呼んだんだよ」
加隈が鑑識姿でドアからひょこっと声を上げた。
「指紋の称号の為にね」
千尋ちゃん」
都が心配そうに千尋の前で座り込む。
「都」
千尋は…当たり前だが泣いていた。
「大丈夫、真由奈ちゃんは命に関わる怪我じゃない。千尋ちゃんが救急車呼んでくれたおかげで助かりそうだよ。勿論ロナウド君のおかげでもあるけどね」
都はにっこり笑って千尋を抱っこぎゅーなでなでしてあげた。
「違う…違うの…あの子」
「結城君から全部聞いた」
千尋は涙目できょとんと結城を見た。結城は「お前の兄貴から聞いた」と挙手した。
「でも、この事件はそんなものじゃないかもしれない」
都は長川警部にもらった白い手袋をしながら、おしゃべりあいうえおの「さいせい」ボタンを押した。
-わ・た・し・わ・え・つ・ち・が・だ・い・す・き
生気の感じられない無機質な声が流れた。
「大体の事は加隈さんから聞いているんだけど、この音声の謎は大体解けてるよ」
「え」
千尋が都の顔を覗き込んだ時思わず後ずさった。
 都は怒り狂っていた。物凄い目つきで明後日の方向を見つめている。
「昨日私たちがやった遊びと同じだよ。私たちはこのボートに『この世の中を変えたいわーん』とか『結城君と勝馬君のビイエル』とか打ち込んで遊んでいたよね」
「うん」
「それと同じ余興だったんだよ」
「待って、誰もこんなメッセージ誕生パーティーで打ち込んだ人はいないよ」
千尋は声を上げた。
「ああ、指紋の付き方から考えてこのメッセージは彼女本人が入力したんだよ」
「彼女本人が打ち込んだからって彼女の意志とは限らないんじゃないかな」
「?」
結城が腕組をやめて都のそばに駆け付ける。
「私の記憶だと、真由奈ちゃんは自己紹介の時、『わたし“は”』って打ち込んでいた。音声だとハになっちゃうんだけど、真由奈ちゃんは正しい日本語で結城君と話そうとしたんだね。でもこのメッセージは『は』が『わ』になってる」
「本当だ」
長川が再度メッセージを再生すると
-わ・た・し・わ・え・つ・ち・が・だ・い・す・き
と音声が出た。
「で、でもメッセージを打ち込んだのは真由奈本人なんでしょ」
千尋は声を上げた。
「隣で別に声をかけた人がいるんだよ」
都は結城君を見上げて「結城君ちょっと携帯に打ち込んでくれないかな、全部ひらがなで」と声を上げた。
「ゆ」「次は、う」「次は、き」「次は、く」「次は、ん」「次は、わ」「次は、えっち」
「あ」
結城は目を丸くした。
「一瞬『w』って打ち込んじまったぞ」
「人は自分の文章を書いている時は、次に来る文字を頭で考えているけど、人に言われた文字をただ打ち込んでいくだけだと、ついつい言われた言葉を音声通りに打ち込んじゃうんだよ。ましてやその隣にいた人間が怖い人ならなおさらね」
「まさかその人物って」
「迎えに来たっていう真由奈ちゃんのお母さんの同僚…」
都はドングリ眼からは信じられない物凄い目つきで結城を見上げる。
「そいつが真由奈にこの文字を無理やり打たせたっていうの」
千尋の声が震えだす。
「真由奈ちゃんは声を出せない。だからこの言葉を何度も再生させられて自分がそれを本当にうれしそうに言っているように思わされたんじゃないかな」
都は声を上げた。
「まずいな」
長川は臍をかんだ。
「警部、真由奈ちゃんの体を検査して何かされていないか見ないと」
と都。
「彼女は集中治療室で絶対安静だ。少なくとも1週間。女の子の体は自浄作用があって特にデリケートな場所は体が自動的にきれいにする働きはあるから、どんなにひどいことをされても犯人の痕跡は72時間で消えてしまうんだ」
「そんな…」
千尋は顔を震わせた。
「それに現時点でこのボードだけでは見送りをした同僚の家宅捜索や逮捕状なんて取れない。それに、あの同僚は調べたんだがかなりの有名人だ。児童館の聞き込みで出たお母さんの同僚で彼女を迎えに来たヒヒ爺、椚零門は保守系の有名作家だしハンサムな編集者の村部奏太朗はネトウヨ関連の書籍を大量に扱っている。そんな連中の逮捕状を不完全な状況で請求してみろ。真由奈さんとそのお母さんが日本中から誹謗中傷されるぞ」
「そんな…それじゃぁ真由奈に酷いことをした人たちは裁かれないの?」
「私らもプロだ。そのあたりはうまく証拠を集めて起訴に持ち込む大人の術は心得ている」
詰め寄る千尋に落ち着くように手で制する長川。
「その大人の術が全然通用しなかったのが詩織さんの事件じゃないですか」
千尋がそういうと長川の顔色が明らかに変わった。
「政府が働きかけて性犯罪の被害者の訴えを封じたって噂がありますよね」
千尋は下を向いたまま外へ出た。
「ちょっと家に帰ります」

千尋は公園のベンチに座っていた。両手で顔を押さえて体が震えている。彼女は今激しい憎しみに満ちていた。
 本当に自分が嫌だった。長川警部は泥臭い方法で何度も都たちの危険を助けてくれたし、真由奈やお母さんを守るために冷静に考えているのに…私は真由奈の傍にいながら何もしてあげられなかった。涙がボロボロ流れ出ている。
「お嬢さん…大丈夫ですか」
いつの間にか隣に座った帽子にフードの男がしゃがれた声で聞いてきた。
「大丈夫です…ちょっとしたら元に戻りますから」
千尋は顔を覆ったまま言った。
「今の警察には、真由奈さんに性的暴力を働いたあの男たちを捕まえることは出来ません」
千尋が顔を覆った手を放す。手の中から涙を流しながらも見開かれた目が驚愕に見開かれている。
「警察は内閣の下部組織ですからねぇ。内閣の圧力があれば捜査方針を変えることはいくらでもあります。詩織さんの事件がいい例じゃありませんか。あいつらは永久につかまりませんよ。例えどんな酷いヘイト本を出そうとも罪のない女の子をレイプしようとも内閣がバックについているんですから。そして社会もそれを容認し続ける。糾弾されるのは真由奈さんとそのお母さんだ」
「許せない…」
千尋の声が震えた。
「絶対に許せない。許せないよ…。もし岩本承平みたいな殺人者がいるなら、真由奈をあんな目に合わせたあいつらが死ぬべきなんだ」
千尋の目が憎悪に血走る。
 その様子を、ベンチの隣に座っていた男のフードの間から窪んだ眼窩の奥の赤い光がじっと見つめていた。

 

つづく

エピソードONE その3

エピソードワン(③)

【容疑者】
諸橋優一(32):愛宕小学校教諭
佐久間銀次(55):愛宕小学校教諭
・広川然子(35):給食センター職員
角田真喜男(58):愛宕小学校校長
・緑山ゆり(23):愛宕小学校教諭。
・田中一平(24):愛宕小学校教諭
・国山道子(49):愛宕小学校教頭
・棚倉利江子(33):パート従業員
・与野啓太(35):警備員

5

 愛宕小学校校舎に雨が降り始めた。
 黒い犯人は結城竜が倒れ込んでいる視聴覚室を密室にして、にやりと笑った。
「君がいけないんだから。君がいけないんだよー。トリックに気が付くからぁ」
そして金属バッドの鈍器を取り出そうとしたとき、視聴覚室の扉がドンドンと叩かれた。
「異常があるとすりゃここだ‼」
長川警部補は扉が開かないと見るなりすぐに体をぶつけ始めた。
「ここだけ職員室に鍵がなくて、扉の鍵が閉まっているんだ」
「結城君、結城君!」
都は泣きそうになりながら力いっぱい叫んだ。
「どけ」
Tシャツに半ズボンの体のでかい少年がいきなり声を上げた。
「か、勝馬君」
「結城って野郎は気に食わねえけどな。あいつに何かあったらあいつの勝ち逃げになっちまうだろうが」
165㎝はある筋肉質が猛烈な勢いで扉に突進し、扉が外れた。そのまま扉が内側に倒れ、部屋の中に扉を好きな子よろしく勝馬は間抜けに転がった。
勝馬君伏せたままで」
長川警部補が拳銃を取り出し、部屋の中を見回した。そのうえで驚愕に目を見開いた。
「見ちゃだめだ、都」
「結城君が中にいるんだよ!」
温厚な少女にしては物凄い剣幕で現役刑事を圧倒した小柄な小学生の少女は部屋の中を確認した。
 死体があった。血だらけの死体があって、その後ろに血だらけのバッドを手にした結城竜が立っていた。赤く光る眼でこっちを見ている。
「お前が…やったのか」
勝馬が信じられないというように立ち上がる。
「そんなわけねえだろ」
結城は呆れたように言った。
「目が覚めたらこんな状況だったんだよ。ビビッて咄嗟にバッド掴んじゃってさぁ」
死体の顔はぼこぼこだった。おかげで特徴的な背広をしても死体が角田校長である事に気が付くのにプロの長川警部補でもしばらくかかった。
「ゆ、結城君」都の声が震える。
「長川警部補…きっとこれは何かの間違いなんだよ…」
長川の袖を引っ張りながらパニック状態の都が言うと、長川はそんな都の手を制した。
 重苦しい殺人現場。
「状況的には結城君、君が限りなく犯人に見える」
「そ、そんな」
目を見開く都の前で、長川警部補は宣告を下すように都の前で言った。

「それで、結城君は…」
里奈が不安そうな顔で都を見た。
「今長川警部補に事情聴取受けてる。パトカーに乗せられたのは私の方。長川警部補は、私にこう言ってくれたんだよ」

 小学校正門でパトカーで都が「私は無実だぁ。出してくれぇ」と喚いて規制線の向こうのマスコミの注目を浴びて焦る長川は、都に
「いいかい、都。私も彼が犯人だとは考えていない。彼には第一、第二の事件で完璧なアリバイがあるんだ」
と叫んだ。都は涙を目にためながらパトカーの後部座席からガラス越しに長川を見る。
「だがここからは捜査を慎重にしないといけない所だ。都…お前は家で待機しろ。必ず彼の無実を証明し、真実を明らかにする。それに」
長川は笑った。
「あの名探偵はもう推理を始めているぞ」

「結城君…大変なことになっちゃったんだ」
瑠奈は不安そうにアイスのカップを手で包んだ。
-「先生の頭を二度金属バットで殴るなんて許せません」
-諸橋教諭の事件の後全校集会でそう言っていた角田校長が今日遺体で発見された。平和な小学校での連続殺人、いったい何が起きているのだろうか。
栄養補給の為にアイス屋さんでアイスを食べながら液晶テレビに映っているワイドショーを見て、都は決意に満ちた顔をしていた。
 その時ワイドショーの画面が切り替わった。
-今速報が流れました。今小学校から一人の少女が警察車両に連行されたそうです。
 報道には正門にあふれかえるマスコミ陣の前で
「皆さん聞いてください。私は無実なのに逮捕されようとしています。離してよ警部補ぁああああああ」
と足をじたばたさせる何かが報道されている。
「あれ、もしかして」
瑠奈の目が点になる。
「ああ、あれは私じゃないよぉ」
都は笑顔で笑った。
「私はあんなモザイク変化する能力ないし、声ももっとかわいいもん」
「いや、それはね。都」
里奈が言った直後だった。都はアイスのカスをゴミ箱に捨てながら走り出した。
「都‼」
瑠奈が叫んだとき、都はもう雨の中夜の道路に走り出した。商店街を抜けて住宅地を走り、小学校の高い塀の前に置かれたごみ袋に飛び乗ってそのまま塀につかまって体を使ってなんとか乗り越え、泥水の中に着地した。

 機動捜査班が駆け付け、密室の事件が検証された。結城は鑑識に身体検査を受け、服を着替えさせられた後、長川警部補に生物室で事情聴取を受けていた。
 国山教諭と緑山教諭がその様子を監視している。学校内で起こったことに関して児童を簡単に警察に委ねるわけにはいかないのだ。
「なるほど、君は勝馬君が叫ぶ声で目が覚めて、目の前に死体がある事に驚愕し、咄嗟に手にバッドを掴んでしまった。そういうことだね」
「ああ、現場は密室だったんだろう。って事は俺の言っていることは信じちゃくれないだろうが」
「その点は安心していいよ」
女刑事は笑った。
「君には第一の事件、第二の事件で完璧なアリバイがある。この事件は連続殺人だ。第三の事件でアリバイがなくてもすなわち犯人とは断定できんよ」
「長川警部補はこの事件がトリックだと考えているのか」
結城は言った。
「ああ、誰かがこの事件を使って結城君に罪を擦り付けようとした密室殺人。おそらくそのトリックもどこかにあるはずなんだ。だが、そう考えたとき1つ疑問が出てくる…犯人は何故こんな密室トリックを仕掛けたのにもかかわらず、罪を着せる相手として君を選んだのか…さっきも言ったように第一の事件、第二の事件で君にはアリバイがある。そんな君に第三の事件の犯人役をさせようと真犯人が考えた意図がわからん」
「可能性は2つあるぞ」
結城は言った。長川は言ってみという感じで結城を見る。
「一つは犯人が俺にアリバイがあるという事実が分からなかった。だからアリバイがある俺を犯人役に選んでしまった」
「難しい密室トリックを考えた犯人だぞ」長川はため息をついた。
「少なくとも頭は切れる人物だ。罪を着せる人間のアリバイが成立しているかどうかぐらい調べるはずだ」
「2つ目…」
結城は構わずに進めた。
「たまたま俺が視聴覚室でぶっ倒れていたため、犯人は罪を擦り付けることを考えた」
「つまり君が倒れていたことは犯人にとって想定外って事か」
「まぁな」
結城は頭をポリポリ書いた。
「だが、君が襲われた時、君は廊下を歩いていたんだろう。そんな君をわざわざ殴って視聴覚室に拉致したのは犯人じゃないか。その時点で計画性が感じられるが」
「俺を拉致した犯人と人を殺した犯人が別人だとしたら」
結城は鋭い目で長川警部補を見つめた。
「どういうことだ」
「俺は一瞬見ちまったんだよ。殴られる前窓に映り込んでいた。俺を殴ったのは間違いなく角田校長だった…今思い出したんだ」
結城が包帯を巻かれた後頭部を抑えた。
「長川警部補…」
結城は提案した。
「俺も捜査に参加させてくれ。密室殺人の真相を暴きたいんだ。頼む…」
「小学生とは思えないオーラだな」
長川警部補はため息をついた。
「よかろう。だが一つ条件があるぞ」
「条件?」
訝し気な結城君に長川警部は扉の向こうでもじもじしている泥だらけの少女を呼んだ。長川は
「家にパトカーで送ってやったのに戻ってきやがった」と頭を押さえた。
「げへへへ、結城君。私も結城君の無実を証明したいんだよ」
小柄な少女が髪の毛からしずくを垂らしながら部屋に入ってきて笑顔で結城を見上げた。
「島さん、濡れているじゃない。保健室へきて。下着は変えがあるし体操服に着替えないと」
緑山先生がおろおろした声を出す。しかし都の目は結城を見たままだった。
「結城君、もし本当に困っていることがあるんだったら、頼られるのがお友達なんだよ。結城君は私がこの学校で作るお友達の第一号だからねぇ。結城君が凄く困っているんだったら、私はどーんと受け止めてあげるから心配ないんだよ」
都は笑顔を崩すことはなかったがその目は真剣そのものだった。
「だから、一人で抱え込まないでよ」
都がその目でじっと結城を見ると、結城はそのオーラに押されて小さくため息をついた。
「わかった。それじゃぁ、お前も俺の助手として密室の捜査に加わってもらおうか」
「うん」
結城が示した選択に、都はうんと目に涙をためながら精いっぱいの笑顔で頷いた。
 長川には分っていた。この友達思いな少女は殺人現場を前に大切な人の役に立とうとしていたということ。

 都が体操服に着替えて視聴覚室に戻ってきたとき、鑑識の捜査は終わり、時間は夜になっていた。
「まず密室の状況だが、部屋のドアにはかぎが掛かってて、偽装工作やサムターン回しなどの痕跡はなかった」
長川警部は頷いた。
「そんでもって、あの廊下側の天窓。この天窓は鍵はかかっていなかったが、当然人間が出入りするにはあまりにも小さい大きさだ」
「私くらい小さかったらどうにかなるんじゃない?」
都が目をぱちくりさせる。
「都…身長は」
「ええとーーー、137㎝」
都が恥ずかしそうに向こうを向く。
「そんな女の子が脚立や椅子を置かずにあの天窓を出入りできると思うか?」
長川はため息をついた。
「じゃぁ、鍵を投げ込んだとか」
都は指を立ててピンポーンと声を上げるが、長川はため息をついた。
「鍵は視聴覚室の窓のすぐ前の床に落ちてた。ちなみに窓のカギはかかっておらず、数センチ隙間が開いていたけどな」
「じゃぁ、密室じゃないじゃん」
「窓の向こうはベランダもない3階。これといった足場もないし、当時体育の授業が行われていた運動場に面しているから、ロッククライミングの技術がある犯人がいたとしても確実に目撃されているだろうよ先生」
長川は小さくため息をつく。
「ほうほう…」
都はドングリ眼で頷いた。
「なぁ、警部補。ちょっと一人で考えていいか」
「お、名探偵…何か思いつきそうなのか…」
長川警部補はにっと笑った。
「ああ、今考えをまとめているんだ」
結城は必死で何かを考えていた。
「わかった。外で待っている」
警部補はそういって心配そうな都の肩をもって電車ごっこみたいに外に出た。
 結城は必死で考えていた。この密室で自分に罪を着せてまんまと脱出する密室トリックを…。そして彼は廊下への天窓と鍵が落ちていた南側の窓のカーペットの上を見つめた。その向こうのアルミサッシは数ミリ開いていたという。
 結城ははじかれたように天窓を見た。天窓のレールはぴかぴかに磨かれている。きっと掃除係さんが熱心なのだろう。次に彼は視聴覚室の用具箱を漁った。そして見つけた。このトリックに使用可能なあるものを…。彼の頭は冴え渡り、恐るべき密室トリックにたどり着いたのだ。
 視聴覚室から出てきた結城は、長川と都を見回した。都が顔を上げると結城は強い笑みで言った。
「この密室トリックの謎が分かったぜ」
「本当か」
長川は少し驚愕して言った。
「確かめたい事があるんだ」
結城は言った。

 彼は視聴覚室の真下の雑草が生い茂る荒廃した花壇の中に分け入って、雑草をごちゃごちゃやっていた。
「結城君、何か落とし物? お財布でも落としたのー。一緒に探そうか?」
「いい、あった‼」
結城は高々と見つけた代物をハンカチで包んで掲げた。
「警部補。こいつを鑑識に」
結城はメジャーを長川警部補に渡した。
「都は職員室から適当にメジャーを借りるなりパクるなりしてきてくれ」
「っということは」
都の顔がぱーっと明るくなった。
「ああ、密室トリックの真実はわかった」
結城は力強く頷いた。

6

「密室トリックの真相がわかったって?」
長川警部補が視聴覚室に戻った結城に問いかけると、結城は頷いた。
「ああ、第一の事件のアリバイトリックと第二の事件の密室トリックが分かったんだよ」
結城は強くうなずいた。真相解明の時間が来たようだ。
「まず、第一の事件のアリバイトリックだが、あれはそもそも、犯人は何のトリックも仕掛けちゃいなかったんだ。むしろトリックを仕掛けたのは、第一の事件で殺害されたPCクラブ教諭の佐久間の方だよ」
「どういうことだい」
長川警部補はじっと結城少年を見つめた。
「警部補…簡単なトリックなんです。PCクラブの生徒たちはみんな先生が職員室のメンバー全員にアリバイがある時間帯まで佐久間は生きていたと証言した。しかしそれは嘘だったんです。本当は佐久間はPC倶楽部の生徒が証言している時間の1時間前には視聴覚室からいなくなっていたはずなんだ」
結城は視聴覚室の床を踏んで見せた。
「ならなんでなんでPC倶楽部の女子生徒たちは警察にうそをついたんだ」
長川警部補が聞くと、結城少年は答えた。
「PC倶楽部がセンコー以外男子禁制になっていること、倶楽部の女子部員の自殺未遂事件。棚倉春奈のお母さんがその真相究明をしようとしていたのに学校が協力を拒んだことから見ても、大体の察しはつくだろう」
「大体の察しって…小学生のお前がそんな事を言うなよ」
長川警部補はため息をついた。
「PC倶楽部で性的虐待が行われて居たことについては警察も把握はしていたよ。勿論あの佐久間ってゲス教師が撮影したDVDなんかも回収済みだ。何人かのクラブの子は話してくれたよ。泣きながら…。一方で警察が警察が来た時自分を捕まえに来たと思い込んでパニックになった女の子もいたな。聞いてみれば佐久間の野郎は被害者の女の子に『教師と生徒がお互い合意の上でエッチなことをすれば、被害者の女の子は少年院に行かなくちゃいけない』『親が国に物凄い罰金を支払わなくちゃいけない』って脅しをかけていたそうだ」
「そ、そんな」
都が目を丸くする。
「なんで大人は私たちに教えてくれなかったの?」
都の声に長川はため息をついた。
「小学生に教えられる内容じゃねえだろう。学校の先生は不審者に気を付けるように教えるけどな、セクハラ教師に何かされた時にその対処法を教える先生はいない。そんなことをしてしまったら学校における自分たちの威厳が滅茶苦茶になると思っているからだ。それにこの事件は容疑者死亡案件だ。被害者…それも小学生がこれからマスコミにさらされて性的被害者として生きていかなければいけないくらいなら、事件に関しては内密にして心のケアについて児相や医療機関と連携して対応した方がいいと考えるのは間違っちゃいない。小学生がお友達が性的虐待をされましたなんて真実突きつけられて、適切な対応をとれるわけないだろう」
長川は喋りながら結城を見た。
「取れるもん」
都は椅子に座り込んだ。
「友達の為に私は何でもできるもん」
結城少年はそんな都をじっと見ていたが
「続けていいか」と長川警部補に聞いた。
「ああ」
「つまり、この事件で佐久間はPC教室の生徒に嘘を言うように命じておいてアリバイを作り音楽室で誰か別の女の子に性行為を強要していたんだろう。だが女の子が来る前に誰かに殺害された。犯人はPC教室の秘密を知っていた人物だろう。そのトリックを使ってアリバイを確保したうえで犯人は佐久間先生を音楽室で殺した。その犯人は」
結城はまっすぐ天井を見て、長川を見た。
「角田校長だよ」
「こ、校長が…」
長川は鋭いまなざしを結城に見せた。
「ああ、第二の事件で諸橋を殺したのもおそらくは校長だよ。全校集会で言っていただろう。-二回も金属バッドで殴るなんて許せません-って。でも長川警部、あんたはあの時諸橋が2回殴られているとわかっていたか?」
「いや、本格的な検視はまだだからな」
結城の質問に長川は答えた。
「つまり警察が知らないことをあの校長は知っていたんだよ。そして第一の事件のトリックに俺が近づいている事に気が付いて、咄嗟に俺を殺害しようとした。そして別の第三者に殺されたんだ」
「じゃぁ、第一の事件と第二の事件は同一犯だが、第三の事件は別の犯人」
驚愕する長川に結城少年は小さく頷いた。
「そういうことだ」
「その第三者が誰なのかはわからないが、奴が仕掛けたトリックを今から説明してやるよ」
そういいながら結城は体操服姿の都からメジャーをもらって、その本体を一度窓の外に出すと扉を数ミリ開けて閉めた。そしてメジャーを引っ張って伸ばして教室の中を横断する。そのたびに「これをこうして」「そしてこうして」と結城君は言わないので
「結城君、わくわくさんを見習った方がいいよ」
と頬を膨らませた。
「見てればわかるよ」
結城はメジャーを廊下側換気窓にかけると、扉をメジャーを挟むように閉める。
「あとはこの鍵を使って扉を閉めて」
結城は部屋のドアを閉める真似をして廊下に出ると、換気窓に固定されたメジャーを引っ張りメジャーの先端の金具をハサミでちょきんと切った。
「うわぁあああ、先生に怒られちゃうよ」
都がおっかなびっくりすると「後で警部補と一緒に謝りに行けば大丈夫」と笑って、この鍵のゴムのわっかをメジャーに通して、そのまま滑り落ちるように流す」
「なるほど。そうすれば鍵はメジャーは窓の前まで流れていき、結城君が手を離せば、メジャーが巻き取られて証拠となるメジャーも窓の外の植え込みの中に落っこちるわけか」
「証拠となるメジャーはさっき見つかったこれって事なんだね」
都は目をぱちくりさせた。
「お見事…こんなトリックを短時間で考えたものだ」
長川はため息交じりに言った。その時長川の携帯電話が鳴った。

 茨城県警本部で鑑識の牛乳瓶眼鏡、加隈真理が「へへへ」と不気味に笑いながら
「今鑑識の結果が出たよ。角田校長の衣服から諸橋の血痕が見つかったってさ。微量だけど・・・つまり、諸橋先生を殺したのは校長だったって事さ」


「君の推理が正しかったぞ」
長川は結城を見ながら電話を切った。「そういう連絡が鑑識から来た」
「結城君」
都は結城少年を見た。結城少年は都が瞳を輝かせてその素晴らしいトリックを暴いた結城君を褒めたたえてくれるものだと思っていた。
 しかし都の表情は厳しいままで、そして心から失望しているように結城を見上げていた。
-なんだ-結城は違和感を感じた。今までのほわほわした少女とは全く違う別のオーラが都から出ている。
「結城君ごめんね。このトリックは真犯人が仕掛けた私たちに対する罠なんだよ。そして結城君は罠にかかっちゃったんだよ」
結城の目がこのドングリ眼の少女の不思議な雰囲気に見開かれた。

 

つづく

 

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さぁ、ヒントはそろった。
この事件の真実、真犯人が仕掛けた罠、そして連続殺人鬼の正体をぜひ暴いてくださいませ。
犯人はこの中の誰でしょう。

【容疑者】
諸橋優一(32)愛宕小学校教諭
佐久間銀次(55):愛宕小学校教諭
・広川然子(35):給食センター職員
角田真喜男(58):愛宕小学校校長
・緑山ゆり(23):愛宕小学校教諭。
・田中一平(24):愛宕小学校教諭
・国山道子(49):愛宕小学校教頭
・棚倉利江子(33):パート従業員
・与野啓太(35):警備員
・その他