倒叙殺人事件3-4
倒叙殺人事件
3
夜の住宅地をとぼとぼ帰る池上大介。そんな池上を出迎えてくれた少女がいた。
「百合」
池上は声をあげた。
「お父さん、お疲れ様」
池上百合(15)は茶髪にショーパン、ロックなTを着用しているが優しい笑顔で父親を迎えた。
「警察にいろいろ話を聞かれてね。はははは」
そう力なく笑う父親を心配そうに見上げる百合。池上はそれを察して笑った。
「大丈夫だよ。僕には完璧なアリバイがある。まず犯行時刻はお前と一緒に家でカレーを食べていた。それからスーパーのレジ打ちのおばちゃんにもアリバイは証言して貰えるし、スーパーの防犯カメラにも僕は映り込んでいた。それに仕事関係で家から携帯に電話をかけているし、その基地局を調べればアリバイは完璧だ。だから警察も僕を家に帰したんだ」
百合はそんな父親をじっと見上げた。
「大丈夫」百合はにっこりと笑った。「私はお父さんが何もしていないって知っているから」
「そうか」池上は目を細めた。そして辺りをきょろきょろ見回す。
「さて、家はどっちだったっけな」
池上大介が市営団地を見回すと、百合は「忘れちゃったの? ってずっと泊まり込みで2か月とか家に帰ってこなかったもんね」と父親の手を取ってぎゅっと引っ張る百合。
「お父さん。こっちだよ」
と父親を引っ張っていく。
(いい子に育ったもんだ)
池上はそう思った。母親が亡くなったのはこの子が中学1年生の時。そしてその直後に池上は失業し、2人で貧しい生活を頑張ってきた。給食費もろくに払えなかった。そんな中でやっと入社できた職場の社長が殺されて、これからどうなるのか不安なはずなのに、娘はにこやかに笑っている。団地の前にあるコンビニの前を通った時だ。
「あれ…」
コンビニから出てきた北谷勝馬と高野瑠奈と鉢合わせしてしまった。
「お父さん、知っている人?」
と池上百合が茶髪のセミロングの顔を父親に向ける。
「この前はすいませんでした」
池上が頭を下げてきたので、勝馬に瑠奈が「知っている人?」と聞いた。
「あ、あー。この前一緒にお花を摘んでいた仲ですよ。ははは」と目を背ける勝馬。その顔を見た百合が「あーーーー」と素っ頓狂な声をあげた。
「この人あれだよ。名探偵北谷勝馬。ほら、お父さんにポスターを渡した」
池上百合は両手を後ろに回して面白そうに勝馬を見上げて「いかにも裏では巧妙なコンゲームを制していそうな」と勝馬に顔を近づけてから、父親にびしっと指を突きつけた。
「お父さん、この人に助けを求めるべきだよ」
「ええええっ」
池上大介は娘の顔を見つめた。
「ひょっとして貴方、勝馬君が駅のフードコートで出会った」
瑠奈が正体を察すると、池上は再び頭を下げた。
「池上大介と申します。あの本当に申し訳ありません」
「あ、別に全然大丈夫ですよ。だって筋肉は裏切りませんから。ははははあ」
と微妙なやせ我慢をする勝馬。
「あの、実は私たち名探偵の勝馬さんに助けを求めたいんです」
百合は言った。
「実はお父さんが殺人犯だとみんなが疑っていて、私も学校で先生から、お父さんが人を殺したって話は本当か聞かれたり、友達のお母さんにうちには来ないでって言われたり、あと課外授業の集合写真から外されたりしていて」
「それは本当か?」
池上は百合に言った。そして池上はすぐに決断した。「すいません。名探偵さん。迷惑じゃなければでいいのですが、僕の無実を証明していただけませんか」
「え、ええ?」
と勝馬は唖然とした。
「何故だか知りませんが、みんなに殺人犯だと疑われているみたいなんです」
と池上は勝馬に身を乗り出した。
「ちょっと待ってください」
瑠奈は池上を手で制した。
「犯人って…何の話ですか」
だがその瑠奈の質問に答えたのは勝馬の方だった。
「ひょっとして社長が殺された事件っすか。俺がぶん殴った」
「え、あの社長殺されていたの?」
瑠奈が驚愕する。勝馬は「長川警部が聴取に来たんですよ。動機はあるし一応念のためだって」と説明した。
「2週間くらい前だったかな。俺が停学になってすぐっすよ。その後何の連絡も来ていませんでしたがね」
「実はあの事件以降に僕が犯人じゃないかと街中の人が思っているらしいんですよ」
と池上は溜息混じりに行った。
「僕に会うとみんなぎょっとしていて。何で人殺しがここにいるんだと言われた事もありましたね。何でこうも疑われるのか、僕には皆目見当がつかないのですよ」
「何か心当たりはあるんですか。疑われる」
と瑠奈が聞くと「全くないんですよ」と池上は困ったように言った。
「それどころか寧ろ完璧なアリバイがあるんですよ。僕は死亡推定時刻に娘と自宅でカレーを食べていました。それからスーパーのレジ打ちのおばちゃんと会話をしたアリバイもありますし、多分防犯カメラにも映り込んでいるはずです。これは警察の長川って女性警部にも言いました」
「完璧なアリバイがありますね」と瑠奈。
「お願いします。お父さんがどうしてこんなに疑われているのか、名探偵勝馬さんにその謎を解いてほしいんです」
百合が勝馬に必死の表情で訴える。
「お願いします。娘の名誉の為にも」
池上は勝馬に頭を下げる。
「お願いします」
美少女池上百合も勝馬に頭を下げた。
「それであいつ、そのおっさんについていっちまったのか」
みんなで勉強合宿していた瑠奈の家で瑠奈から報告を受けて、結城は唖然とした。
「あいつ一人だと何か心配だな」
結城は顎に手をやった。「弁当屋の方にいるんだろ。ちょっと俺、言ってくるわ」
「じゃぁ、私も」と千尋も立ち上がる。「勝馬君がやらしい事をされるかもしれないし」
「じゃあ私は長川警部からいろいろ話を聞くから」
「勝馬君に厭らしい事をする人には見えなかったけど」
瑠奈はリビングの勉強ノートの乗っかったテーブルの前に座って長川に電話する都の横に座った。
-おう、都。
背後でサイレンが鳴る中で長川が出た。
-ちょっと今忙しいんだが、人の命にかかわりそうな重要な事か?
と知り合いの女警部は少し急ぐように言った。
「あ、そんな話ではないんだけど」
-じゃあ後でな。今暴力団射殺事件が街中で起こって、その捜査中なんだ。
「了解。大丈夫だよー」
都は電話を切った。
「警部忙しそうだね」
瑠奈は目をぱちくりさせた。その横で都は少し考え込んだ。
「こんにちはー」
と百合と勝馬を連れて弁当屋にやってきた池上大介。その時弁当屋の店員の朝倉巳緒(43)がひっと声をあげて、池上を見た。そしてガタガタ震えだした。
「おばちゃん、どうしたの」
と百合が心配そうな顔をするが、池上は苦笑しながら、「あ、あのう、僕の社長が殺された死亡推定時刻に、僕とここで会っていますよね」と聞いてきた。
「え、ええ…」
「長川警部にもそう話してくれましたよね。あの女性警部に」
「ええ」と朝倉は必死で愛想笑いを浮かべる。
その時、「よう、名探偵。繁盛しているか」と結城と千尋が弁当屋に入ってきた。
「何で手前がいるんだよ。おおおおっ、千尋さん来てくれたんですね。僕の活躍を見に」
と結城と千尋であからさまに態度が違う勝馬。そんな少年少女4人を見て、池上は「アイスてぃを4つ下さい」と注文した。そして「アイスティしかないけどいいかなぁ」と言いながら、イートコーナーに勝馬たちを誘導し、コップを並べる。
それを見送る弁当屋のおばちゃんの恐怖の表情を結城は見つめた。
「あの、あれが池上さんが映り込んでいるという防犯カメラの映像ですか」
と結城は池上に聞くと、池上は「はい、これも長川警部に確認していただきました」とテーブルの横に立ちながら言った。
「ちゃんと防犯カメラにはお父さんが映り込んでいたし、お父さんのアリバイは証明されたよって、長川警部に言ってもらったよ」と百合が補足する。そんな百合の横に座りながら、結城は何かを考え込んでいるようだった。
「まぁ食堂のおばちゃんの証言と防犯カメラの映像、それに池上氏の娘氏の証言。全部合わせりゃ完璧なアリバイにはなると思うが。気になるんだよな。おばちゃんの池上氏へのビビリ」
結城は「違うのわかる男」な表情でアイスティを飲んでいる勝馬を放っておいて、千尋にそっと小声で話しかける。
「まさか、脅されてアリバイを証言させられているとか」
千尋が小声で言うと、「そんな事、お父さんはしないよ!」と百合が慌てて否定した。
「いや」結城は女の子を手で制すると、店内を歩き回って掲げられているポスターを見ている池上大介を見つめた。
「仮に食堂のおばちゃんを脅してアリバイを証言させているにしてもだ。わざわざおばちゃんがビビっている所を俺たちに見せる必要があるか? それに防犯カメラの改ざんは難易度かなり高いぞ」
「確かに」
と千尋は引き下がった。池上百合は「このアイスティは僕の脳細胞を活性化させる」と違うのわかる男をまだしている勝馬に純粋そうに拍手をしている。
「寧ろ謎は、完璧なアリバイがあるはずの池上大介氏がなぜ犯人だと周囲から思われているのか。そこにあるんだよ」
結城は言った。その時、結城のスマホが短くなった。都からLINEが来ていた。
「何だ、都からか」
結城はメッセージを確認して仰天した。
-結城君、犯人は池上大介さんだよ。気を付けて。
4
(池上が犯人? 完璧なアリバイがあるのに)
結城は幾分か驚きながらもニコニコ子供たちを見守る池上大介をチラ見した。
その時弁当屋のドアが開いた。都と瑠奈かと思ったら、この前ポリタンクをわちゃわちゃした名取恵美だった。今は制服を着用している。
「あ」結城と千尋と勝馬は口を開けた。名取の目が物凄く厳しくなる。
「恵美ちゃんヤッホーーー」とハイタッチしようとする百合を無視して名取は池上大介の前に立つと、頬を叩いた。眼鏡が飛ぶ。
「ちょっと」
と弁当屋のおばちゃんの朝倉は突然の事態に慌てて奥に引っ込んだ。
「お前、何のつもりだよ」
名取は学校で見せた屈託のない明るい感じとは打って変わって、物凄い目つきで眼鏡のない池上大介を見上げる。
「何でお前、私の友達に近づいているんだよ」
「ちょっと、恵美ちゃん。落ち着いて、どうしたの?」百合が混乱したように恵美を落ち着かせようとする。
「良いんだ」と池上は眼鏡のない顔で笑った。
「仕方がない事なんだ。恵美ちゃんは百合の親友だからこそ。許せないんだろう」
名取は「悪魔」と声を震わせ、ぽかんとしている勝馬に「勝馬君。こいつに女の子は近づかせないで。あと勝馬君もこいつと付き合わないで」と言って店の外に出た。
「どうしたんすか」
「俺、あのおっさん好きですよ。俺が停学になった時…。あのおっさん、自分が殴られるよりも誰かを殴るのが嫌いな、優しい人だと思いました。悪い人には見せませんでしたが」
「それでも勝馬君は名探偵なの? あいつが悪魔だって見抜けないなんて」
名取はそう前髪で目を隠しながら振り返りもせずに呟いて走り出した。勝馬は「Σ(゚д゚lll)ガーン」となって座り込んだ。打たれ弱い。
「恵美ちゃん」
店内では弁当屋のおばちゃんが包丁を片手にカウンターに出てきて、一同「Σ(・ω・ノ)ノ!」となった。しかし事態が収拾した事を知ってもおばちゃんは包丁を振り回しながら「もう出て行って」とヒステリックに叫んでいた。池上は眼鏡を拾うと一礼して店の外に出た。
「何でここまで」
道路でタクシーを捕まえようとする池上を見つめながら、結城は考え込んでいた。
「でも恵美の方は池上さんを怖がっているっていうよりかは憎んでいたよね。悪魔だって」
と千尋。
「でもそんな悪党には見えないんだけどな」結城もため息をついた。その横で勝馬はしょんぼりして地面を指でいじくっている。やっとタクシーが停車した。
「この住所を見せてください」と池上は高校生らを乗せた後、タクシーのアンケート用紙に住所を書いて渡そうとするが、運転手は「もう一人乗れますよ」と言って、結局後ろの座席が牛ぎゅう詰めになって(勝馬は千尋と密着して機嫌よくなっていたが)いる高校生を他所に池上は助手席に座っていた。
タクシーが出発するがメーターが倒されていない。
「運転手さん、メーター」
結城が指摘すると「今日のお客様からはお金は取れませんよ」と運転手は言った。中岡和彦(62)、Gフォースの司令官をしていそうな赤ら顔の運転手が物凄く神妙そうな顔をしてハンドルを握る。しかし池上を嫌がっていたり恐れているようには見えなかった。
「あの運転手さん」
池上が少し心配そうにしているが、中岡は目に涙を浮かべて「いいんです。そうさせてください」と言った。
何か異様な雰囲気だった。タクシーが走る時間を結城は時計で確認する。30分程度走って犯行現場の会社に到着した。PC2階建ての事務所だった。結城は一番最後に「あの、何か池上さんとの間にあったんですか。ここに座っていた客に」と中岡に後部ドア越しに聞いたが、中岡は「高校生に話す事ではないですよ」と言って自動ドアを閉めて走り出した。
結城はそれを見てため息をついた。
「怖がられたり、憎まれたり、泣かれたり…どういう人なんだ池上って男は」
結城は事務所の階段に一行を案内する池上を見てため息をついた。そして事務所の窓を見上げると、ライトの光が一瞬見えた。
結城は勝馬の肩をトントン叩いて、「中に侵入者がいる」と言ってから、池上を押しのけるようにしてドアノブに手をかけると、事務所のドアがすっと開いた。結城は中に入ると「勝馬、まずこの社長室って所を探してから、事務室を探すぞ」と声をあげ、社長室のドアを開けて閉めた。すると事務室のドアがすっと開いて、黒い影が脱出しようとするのを結城の腕がふさいだ。
「こんばんは」結城が笑うと廊下の電気がついた。
「徳田君」池上が声をあげると、徳田真綾はTシャツにアルバムのようなものを抱いて座り込んで、池上を見ると恐怖におののいて座り込んでガタガタ震えた。
「いやぁあっ」
と20代の女性が悲鳴を上げるのを結城は「あー、別に俺らは怪しいもんじゃないんです。何と言うか…現場の再検証をしに来た、探偵と言うか」と頭をかいた。
「おい、結城、社長室なんもないぞ…てか、うおおおおお、こんにちは」また美人を目にして大喜びな勝馬。
「それで、盗み出そうとしていたのは何なのですか」
結城は女性が抱きかかえているアルバムに手を伸ばすと、女性は「いや」と叫んだ。しかし結城はアルバムを奪い取る。
「こるぁ、結城。お姉さんを虐めるな」
激怒した勝馬が結城に掴みかかろうとするのを千尋は手で制した。
「やめて」泣いてアルバムを奪い返そうとする徳田の形相に何かを感じた結城は「これ、薮原が見てくれ。勝馬は見るな」と言って千尋に渡す。千尋はアルバムの一ページだけ見ると「ちっとトイレ行ってくる」と言ってアルバムを徳田に返した。徳田はそれを胸に抱いて肩を震わせて座り込んだ。
「徳田君」
と池上と娘の百合が心配するように徳田の隣に座る。
「勝馬、お姉さんを頼む。それと薮原が戻ってきたらすまんと伝えておいてくれ」
結城は勝馬の肩を叩くと、社長室のドアを開けた。
社長室の床には大量の血痕がカーペットに染み付く形で残っている。
「ここが殺人現場か」
結城はため息をついた。
「長川警部から話を聞くまでは、状況を整理する事は出来ないな。しかし、どういう事だ。都が犯人と名指しした池上大介には完璧なアリバイがある。携帯電話の通信履歴と基地局、一緒にカレーを食べていた娘の証言、弁当屋のおばちゃんのアリバイ証言と監視カメラの映像。どれも池上大介のアリバイを証明している。気になるのは、池上を極端に怖がっている弁当屋のおばちゃんの朝倉、部下の徳田、そして彼を憎んでいる名取、そして彼を無料にして涙を流していた中岡運転手。大体のあらましは都に送信したが、一体どういう意味があるんだ。まさかまた岩本が関係しているんじゃ」
「ぶえくしゅん」
どこかの暗い部屋で頭蓋骨に入ったシチューを食べている岩本承平(今回の事件には無関係)が「風邪でしょうか」と鼻をすすった。
その時だった。窓の向こうに車のライトが光り、一台のミニバンが停車した。
「ん」結城がそれを窓から見ると、ミニバンから都がぴょんと降りてきて、瑠奈、そして名取恵美が降りてきた。
「都」
結城が廊下に出ると、外階段のドアから「やっほー」と都が元気いっぱいに挨拶する。
「都、何でここに」
と聞く千尋に都は「えへへへ、瑠奈ちんのお母さんに送ってもらった」と廊下を歩いて、結城に手を振った。その背後に瑠奈の後ろに隠れるように恵美がおっかなびっくり皆を見回す。
「さて、皆さん」
都は全員を見回しゆっくりと廊下を歩く女子高校生探偵。
「この事件ではいくつか奇妙な点がいくつかあります」
都は全員を事件現場の社長室に誘導しながら言葉を続ける。
「この事件では娘さんの証言、監視カメラ、弁当屋のおばさんの証言、完璧なアリバイがあるはずの池上大介さんが、なぜかいろんな人から憎まれ、怖がられ、涙まで流されていました。なぜこんな事になってしまったのか。一体この事件の真相は何なのか」
そこまで都は言ってから、ゆっくりと都は池上大介の前に立った。
「結論から言いましょう。この部屋で社長を殺害した犯人。それは池上大介さん」
都の真剣な目が池上大介を射抜いた。
「貴方です」
都に真っ直ぐ宣告され、池上大介は目を見開いた。
「んな」勝馬が驚愕する横で、なぜかそれをじっと冷静な表情で見るのは、娘の池上百合だった。
そして都の口から真相が暴かれる。