少女探偵島都 2018年

2009年くらいから母親が書いていたシリーズ設定をもったいないので2018年より本格的にわいが引き継いでみました。大体1記事でアニメ1話分くらいの長さだと思ってください。コナンや金田一みたいな高校生探偵ミステリーを想定しています。

劇場版少女探偵島都3 平成末期の殺戮劇❷


2

-15時から相棒再放送を放送する予定でしたが、引き続き茨城県南茨城市の農業加工プラント人質事件についての中継を、番組放送予定を延長しまして放送いたします。今回犯人グループは外国人とみられており、銃器で武装していると思われます。工場内部には工場従業員や実習生26人、茨城県つくばみなみ市立愛宕中学校2年生の校外学習で訪れていた生徒30人がいましたが、そのうち20人の生徒が解放されたという事です。報道フロアからは以上です。
テレビで放送される様子を見て、高野瑠奈の弟陸翔は大声を出した。
「今、中学生は解放されたって」
「全員が解放されたわけじゃない」
結城の声は重かった。
「犯人はまだ何人か手元に残しているはずなんだ」
ここで結城は陸翔の表情に気が付いてほほ笑んだ。
「ありがとな」
「長川警部は…」
瑠奈が心配そうに結城竜に聞いた。
「いや、全然返信が来ねぇ…あ」
突然電話がつながって結城の表情が動いた。
「結城君か。分かっている。秋菜ちゃんの事だな」
「ああ、中学生は解放されたって聞いたが」
結城が声をかけると女刑事は少し黙った。
「秋菜ちゃんはまだ中だ。犯人はおそらく2人組。だから人質を最小限にして管理しやすくしているんだろう。秋菜ちゃんは本来解放されるはずだったが、喘息の同級生の身代わりに自ら残ることを名乗り出たらしい」
「あいつ…」
結城は呆れたような感心したような複雑なため息を漏らした。まだ秋菜は人質として中にいる事は結城の中では確定していた。
「現地に行きたいのだが…」
「今は無理だ」
長川は言った。
「犯人は武装して警備員を一人殺している凶悪な奴だ。県警の決定で刑事部ではなく警備部が事件を担当する事になった」
「警備部…ってSAT…か」
「ああ、彼らは突入だけではなく交渉のスペシャリストだ。だから刑事部の私よりも警備部の発表の方が確実だが、秋菜ちゃんについて何かが分かったら連絡する。だが、人質について安否を気にしているのは君らだけじゃない。常総警察署で人質の家族の待機場所が設置されている。もうすぐ連絡がいくと思うが、そこで待機していてくれ…大丈夫、県警は必ず秋菜ちゃんを助ける」
長川はそう言って電話を切った。
「くそ」
結城はコメンテーターが適当な事を言っているのにイライラしながらチャンネルを回す。
-…現在説得を続けています。
-…次の元号発表日を選んだことに犯人の強いメッセー…
-…事について、菅官房長官はテロを厳し…
-…見てください大きなカニ…―
「結城君、イライラしてもしょうがないよ」
千尋スマホを見た。
「今はネットの時代。犯人が何かメッセージをTwitterに上げているかもしれないよ」
千尋は「立てこもり」「テロリスト」「バクトルスタン」「人質」「中学生」「IS」といったトレンドを片っ端からチェックする。
「ISってイスラム国かよ」
メディアを騒がせた残虐なテロリストを思い出し、結城の声に焦りが混じり始める。
「勝手に馬鹿なネット民が関連付けているだけだよ」
千尋は言った。
「本当にイスイス団だったらとっくにスクープになっているよ」
千尋が真剣な目で結城を見たので、結城は黙って座り込んだ。その時北海道のタラバガニについて実はヤドカリの仲間なのだと流しているテレビ局に速報が出た。
-ニュース速報。茨城県立てこもり事件。犯人はバクトルスタン人と名乗る。技能実習生の賃金支払いを要求―
結城は慌てて他のチャンネルを見ると、東日本大学の教授が電話で取材に応じていた。
中央アジア諸国は基本的に安定した国家が多く、最近は日本人観光客もシルクロードブームに乗る形で増えているのですが、バクトルスタンだけは2000年代に入ってからイスラム過激派による反政府活動が活発になっていて、2年前には民族同士の衝突も発生して大勢の難民も発生しているのです。ただ近年は日本や韓国、中国の支援や投資で経済成長を進めていて、中央アジアでは最も日本語学習者が多い国としても知られています。技能実習生の受け入れも人口比では旧ソ連に属する中央アジアで最も多いのではないでしょうか。
「宗教とかが原因じゃないのかな」
瑠奈が呟いた。
技能実習生が日本で酷い目にあっているから何とかしてって話しだったら、処刑とかそういう事にはならないよね」
瑠奈はそう言いながら、祈る様に目を閉じて胸の前で手を組んだ。
 都は国際学とか宗教とかそういうのは分からない。彼女はこれでも多くの事件に死神並みの遭遇率で関り、見事解決してきた。でも外国人の銃器を持ったテロ人質事件に友達が巻き込まれた事は初めてだ。自爆テロとか処刑とかそういう残虐な行為をする人間の気持ちを考えたこともなかった。こういう事件に大切な友達が巻き込まれるなんて考えたこともなかった。
 だから目の前で必死で情報を求める結城に「大丈夫だよ」って声をかけてあげられない。都はそれが物凄く悔しかった。

 しかし現場は必死で事件解決の道が模索されていた。
 ムスリム含めて外国人が多い科学都市の方から、警察のワゴン車でモスクの指導者、イマームが呼ばれた。
イマームのアブドゥル・ドストモフ氏です。ウズベキスタン国籍ですがバクトルスタン人が多く住む地域出身でバクトル語も喋れるそうです」
「ほとんど同じ。ウズベク語もバクトル語も」
ドストモフ師は憔悴しきった声で言った。
イスラムは女性や子供を一番大事にする宗教。彼らがムスリムであることを思い出すならば、子供たちを全員解放してくれるはずです」
「お願いします」
長川朋美警部は尊敬される宗教指導者に最大限の敬意をもって一礼し、メガホンを渡した。ドストモフは機動隊のジュラルミンを分けて、テロリストの説得に当たった。
「Birodar. Nima uchun bunday shafqatsiz harakatlar qilasiz? Payg'ambarimiz (s.a.v) barcha mo'minlarga sabr-toqat va sabr-toqatni va'z qildilar. Musulmonlar birinchi navbatda farzandlarini himoya qilishi kerak. Hozir kech emas. Qurollaringizni tashlang va chiqing.(兄弟よ。なぜこのような非道な行為をするのですか。預言者ムハンマドは全ての信徒に寛容と忍耐を説かれた。ムスリムは子供たちを一番に保護しなければいけません。今からでも遅くはありません。武器を捨てて出てきなさい)」
「出てきますかね」
山下警部補に言われて長川はため息をついた。
「師の言う通り彼らが本当のイスラム教徒なら出てくるだろう。だがシリアとかイラクで国もどきを作っていたヒャッハーな連中だったら」
「ISですか」
「警備員を躊躇なく殺すような連中だからな」
長川警部は汗を流しながらじっと交渉の行方を見守った。

 タクシーが常総警察署に向かって県道を走っている。
「結城君…」
必死で何かを祈る様に目を閉じている同級生に、都は言葉をかけられなかった。
「都…どう思う?」
結城は唸った。
「犯人は人質を殺すような奴だと思うか。中学生でも簡単に殺すような連中だと」
「わからない」
都は正直に言った。
「でも喘息の子と秋菜ちゃんの身代わりを認めるくらいには良心はあると思う」
「それは俺も考えた…でも警備員を殺しているしな」
「ねぇ」
その時スマホの人質事件のトレンドTwitterを見ていた千尋がタクシーの結城の隣で声を上げた。
「これって犯行声明じゃない。Twitterにアップされてるよ」
「なんだって」
結城が驚いてそのTwitterの動画を見た。
 タクシー運転手も気になる表情をしたが運転に集中する。
 再生された動画では肩にマシンガンをひっさげた髭の男が、おそらく人質だろう、デブ男の権藤を座らせて、樹脂製のプリンター銃を頭に突きつけている。
―Our purpose is the liberation of the Bactorstan people who are forced to work in slavery in Japan. They are forgiven in their home countries, heavily in debt, and treated like slaves at Japanese labor sites. Those who managed to escape have been imprisoned as criminals without protection by the Japanese government, and continue to be abused at the immigration bureau and even die.(我々の目的は日本で奴隷的な労働をさせられているバクトルスタン国民の解放である。彼らは祖国で騙されて多額の借金を負わされ、日本の労働現場で奴隷のような待遇を受けている。なんとか逃げ出した人々も、日本政府は保護することなく犯罪者として投獄し、入国管理局で虐待を続けて死者まで出ている。)―
「こ、この人」
都が目を丸くする。
「ああ、花見の席で勝馬と揉めていた野郎だ」
このデブ男は怯えた表情で助けを求めるように画面ごしに千尋を見ていた。
―Our request is the liberation of all Bactorstanians. The Japanese government should have 5 million yen for each Baktorstan technical interns and let them return home immediately. Kill hostages if not run within 24 hours.( 我々の要求は全てのバクトルスタン人の解放である。日本政府はバクトルスタン人技能実習生1人当たり500万円を持たせて、直ちに祖国に帰還させろ。24時間以内に実行されなければ人質を殺す。)―
犯人がジェネレーター銃を突きつけた。
―This is a warning-
「お前ら見るな」結城が大声で叫んだ直後、デブ男の頭から何かが飛び出し、彼は崩れ落ちた。その時には「もう一度再生」「次の動画」の選択肢が出ていた。絶対選択しない。
「これでわかったよ」
都は少し震える声で言った。
「この人たちは素人さんだよ。肩に下げているマシンガンは多分偽物。あの白い拳銃だけが本物なんだよ」

 中学生たちは会議室に座っている。10人の子はみんな座り込んだり横になったりしていた。ふいに泣きだした女の子を磯崎先生が優しく頭を撫でる。
「なんでお前残ったんだよ」
野球部の坊主頭の滝沢淳平が秋菜の隣で呆れたように突っかかってきた。
「バカだろ。平気なのかよ」
「平気じゃないに決まってるじゃん」
秋菜は必死の表情で笑った。
「でもしょうがないじゃん」
隣の席からいつも聞こえてくる鋭い突っ込みが鈍りまくっている。
「俺から離れんじゃねえぞ。お前はドジだからな。俺が見てねえと変なところに突っ込んでいくかもしれないからな」
「それ、俺が私を守るって奴」
「は! んなわけねえだろ」
淳平が真っ赤になって反応した。秋菜が涙を浮かべながら笑う。
「あははは、そうだよね。あんたにそんなキモイ台詞似合わないよ…でもありがと」
秋菜のいろいろぐちゃぐちゃになった笑い声に淳平は赤くなった。秋菜は涙をぬぐった。
「私に対しては何かないの」
理子がじーっと淳平を見る。
「お、お前は生き残りそうだから…特に何もない」
「失礼だね。私だってか弱い乙女なのよ。怖くて仕方がなくて、イケメンなヒロインに助けを求めているのですよ」
「ヒーローの間違いだろ」と淳平。
「あ、でも」秋菜は考え込む仕草。「理子の場合、あながち間違っていないかも」
「失礼ね」理子が赤くなって両手を漫画みたいに振る。
 その時だった。突然ドアが開いて犯人の髭面の男が入ってきた。奴は入ってくると理子に目を付け、彼女に手を伸ばした。
「てめぇ、何する気だ」
淳平が飛び出すが、この男は彼をマシンガンで殴りつけた。
「淳平!」
鼻血出して吹っ飛んだ淳平を見て咄嗟に空手の構えを見せる秋菜だったが、男が「きゃっ」と悲鳴を上げる理子の頭に拳銃を突きつける方が早かった。
「秋菜…だめ」
「待て、私が人質になろう…ノット・シー・バッド・ミー」
磯崎先生が両手を挙げてテロリストに呼びかけるが、テロリストは先生に拳銃を突きつけた。
「I just ask her to be a messenger. If you resist, the other students will be harmed.(彼女にはメッセンジャーになってもらうだけだ。もし抵抗すれば、他の生徒に危害が及ぶ。)」
犯人の言葉に、理子が解放されるという意味だと捉えた先生は座った。
「大丈夫だ、結城…富吉は解放されるようだ。富吉…彼らのいう事を聞きなさい」
理子は怯えながらもうなずいて、部屋から連れ出されていった。そんな彼女に秋菜は不安を覚えた。
「本当に解放されるんですか。理子は」
倒れて唸り声をあげる淳平の鼻血をハンカチで拭いてあげながら秋菜は声を震わせた。
「絶対に解放されるんですよね…先生…」
「ああ、信じよう。全員を危険な目に合わせない為にも、今はテロリストを信じるしかない」
磯崎先生は淳平を助け起こしながら涙をボロボロ流す秋菜に頷いた。

 同時刻-。東京千代田区永田町。
「犯人の要求は技能実習生の解放と彼らに金銭を持たせて帰国させるという事だそうです」
次長がそう進言するのを逆光する窓の前で官房長官は厳かに言った。
「日本国内に虐待されているバクトルスタン国民はいません。いるのは高給を狙って日本国内に不法滞在している連中と、勤務態度が怠惰な連中だけです」
そう言い切った官房長官は事務机の電話をとった。
「あ、本部長…実はですね」

 警察署の会議室には人質のお父さんお母さんらしい人たちがパイプ椅子に肩を寄せ合っていた。あるお母さんはさっきの処刑映像に取り乱し、いやーと叫んで女性警官に宥められている。
「秋菜ちゃんのお兄さんね」
突然30後半くらいの美人の女性が笑顔で結城を呼び止めた。
「あ、あなたは…」
「富吉理子の母です。夫は今スイスにいるから、ここには私だけ」
その笑顔は必死で作ったものだった。
「理子が秋菜ちゃんにとてもお世話になっているわ。理子が中学校に入った時、隣の席で声をかけてくれたのが秋菜ちゃんだったの。理子は本当に秋菜ちゃんの事が大好きだったんだから。私も秋菜ちゃんと家で何度もあっているけど、優しくて強い子だなって思った…だからきっと無事だって信じてるの」
「感謝します」
結城は青ざめながらも礼を言った。
「信じて待ちましょう、ね」
富吉理子の母親、富吉ゆかりは笑顔で結城の手を握った。

「はい…え、なんですって…」
前線部隊の特殊車両の中で、森下警部は信じられないという表情で無線機に向かってしゃべった。
「しかし犯人は交渉用の無線機に応じています。まだ交渉の余地があります」
緊迫した声に長川は森下の方を振り返った。
「失礼しました。直ちに命令を遂行します」
「森下警部…。何を」
突入用のヘルメットを手に取った警部に長川が突っかかった。
「本部から命令が下った。直ちに突入する」
「本気ですか。まだ内部の状況も把握していないのでしょう。人質に危険が」
「上層部の決定だ」
森下が苦渋の表情のまま重い声で返事をする。
「賢明な判断とは思えませんね」
長川は森下の前に立ちふさがる。
「長川は、お前人質の中学生に知り合いがいるんだってな…。それがお前の判断を鈍らせている。上層部の判断は絶対という」
森下が目くばせした直後、山下ともう一人の警備部が長川を羽交い絞めにした。
「森下君考え直せ」
暴れる長川に森下は
「我々だって前線で命を張るプロだ。人質は必ず救出する」
森下警部はそう言って踵を返した。

 突然、会議室の扉が開いた。テロリストが入ってきた。
「The Japanese government is foolish(日本政府は愚かだ)」
テロリストが何かを秋菜に向かって放り投げた。それは床に座り込んだ秋菜の前でゴロゴロ転がり、秋菜の前でその断末魔の表情を向けた。
 理子だった。首だけになった少女は秋菜の前で目を閉じ苦し気に口元をゆがめていた。秋菜の目が見開かれた。彼女の頭が真っ白になった。
 人質の少年少女に悲鳴がほとばしる。その直後閃光が走り、煙が流れ込んだ。
「ふせろーーーーーーー」
磯崎先生が大声で喚く中、秋菜はぼーっと座り込んでいた。

 テロリストはすぐに応戦しようと廊下に出るが、SATの一斉射撃に血しぶきをあげてのけ反り倒れた。
 もう一人のテロリストは銃撃を逃れてプラントの奥の倉庫にいる縛られて動けない人質たちの部屋に入った。人質の工場幹部たちは悲鳴を上げている。SATが巨大なハンマーでドアを破ろうとした直後、突然大爆発が発生して隊員2人が吹っ飛んでいった。夕闇の中で煙にせき込み、顔を抑えた子供たちが次々に出てくる。それを撮影しようと記者が群がり、機動隊がそれを抑えようとする中で爆発が発生し、あたりは大混乱となった。

-今突入しました。今突入しました!
ニュースのアナウンサーが緊迫の表情で喋る。
「もう突入なのか」
結城がびっくりしたようにLIVE中継を見る。緊迫の突入劇がテレビで繰り広げられていた。建物の中で何か光が炸裂し、窓ガラスが割れる。屋上から隊員がロープであっという間に降りてガラスをけ破り、入り口からも機動隊が次々と入っていく中、建物の奥の方で爆発が起こる。LIVEという文字だけがそのまま映っている。
 結城竜は固唾をのんで見守り、富吉ゆかりは両手を握って何か祈っている。やがて人質と思しき人たちが警官の誘導で工場の入り口から次々と出てくるのが見えた。
-ああ、今、人質の方でしょうか。おそらく人質の中学生と思われる方々が、建物から走り出してきて、警察に保護されているのが見えます。ええと、警察の発表では中に中学生、愛宕中学校生徒10人が取り残されていると思われますが、そのうち少なくとも6,7人の子供たちが警察に保護されたようです-
人質が出てくる工場入り口から、一人の少女が虚ろな表情で出てくるのがアップされた。その少女は結城秋菜だった。彼女はセーラー服に何かを抱えていた。その直後カメラがスタジオに切り替わり、スタジオの女性アナウンサーが悲鳴を上げて口を押えている。
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああ」
結城の横で理子の母親が絶叫した。
「これは夢よこれは夢よ、これは夢よ」
理子のお母さんは狂ったように床に頭を打ち付け、結城が慌ててそれを止めた。
「今日はエイプリルフールよ。そうよね、そうよね、結城君」
真っ青になって無茶苦茶な顔になったゆかりの指が腕に食い込み、結城は辛くてどうすればいいのかわからなかった。

 長川警部は操り人形のように光を失った瞳のままはだしで歩いてくる知人の少女と、彼女が抱えている親友の生首を見て絶句した。
「秋菜ちゃん、秋菜ちゃん!」
長川は混乱の中で秋菜の肩を揺らすが、その直後、秋菜は悍ましい現実に帰ってきた。彼女は理子の首を抱きしめて、「いやぁあああああああああああああああああああああ」と壊れたように絶叫して意識を失った。

「秋菜!」
病室の前で従妹の名前を呼ぶ結城。そして後ろには都が控えていた。
「今薬を飲んで眠っているわ」
長川の部下の若い女性刑事、西野雅巡査が結城に頷いた。
「大丈夫。大きなけがはしていないわ」
「そうか…」
結城はため息をついた。
「それならいい…」
結城は病室前の椅子に座って、一息ついた。
「結城君…」
都は結城の横に座る。
「酷い兄貴だよな。あいつがどれだけ心をえぐられるような目にあったっていうのに、俺、あいつが生きてさえいてくれれば後はオーライだと思っていやがる」
結城は顔を半分抑えながら自嘲気味に笑う。
「あいつ、これからPTSDとか記憶喪失とか、鬱とか、トラウマとか、週刊誌とか…酷い目に合うんだろ…でも…俺は安心しているんだ。生きててくれてよかったって…。生きててくれさえすればよかったって…花見の時、俺、散々ダメな兄貴だって言われたけど…まさにその通りだよな。本当にあいつの事なんか何も考えちゃいないんだ」
結城がそういう中で、病室のベッドでは秋菜は深い眠りについていた。
「良かったね!」
都はとびっきりの結城君に抱き着いた。結城の目が見開かれる。都は結城の背中に抱き着いてにっこり笑った。
「秋菜ちゃんが生きて戻ってきてくれて…よかった」
「お、おう」
都の優しい声が背中越しに聞こえて、結城の声がかすかに震えた。

「り、理子…」
首だけになった愛娘が警察署の遺体安置所に保管されていた。それを能面のような表情で見つめていた母親の富吉ゆかりは、そのまま崩れ落ちて、次の瞬間呼吸困難のような喘ぎ声をあげて涙を流していた。それをやりきれない表情で見つめる長川警部。しかしお母さんはかろうじて声を上げた。
「む、娘の…理子である事は間違いありません」
足元をふらつかせながら部下の西野に送られるゆかりを背後から見ながら、長川朋美は歯ぎしりをしていた。
「警部…いいですか」
金髪刑事の鈴木巡査部長が敬礼をしながら書類を見せた。
実況見分は大体鑑識が終えました」
「わかった。話しを聞きに行こう」
長川は頷いた。

 鑑識課では新人隊員が奥でげーげーやっていた。それを別の隊員がさすっている。
「相当酷い現場だったからな」
それを見ながら長川は言った。
「鑑定結果は」
「とりあえず、犯人の一人が自爆したプラントの奥の部屋。あそこのぐちゃぐちゃに混じり合った肉片から4人分の組織は断定したけど、状況からどう見てもその倍の人間の死体はあったね。一応骨のかけらとか肉片とかから、動画で処刑された権藤企画部長と首の主である富吉理子さんの体の部分があの中にあったのは間違いない」
鑑識の牛乳瓶眼鏡、加隈真理は眼鏡を光らせる。
「つまり死体をあの部屋に放り込んで人質をビビらせていたって事か」
長川は信じられないというようなため息をついた。
「相当イカレタ犯人だね」
加隈はため息をついた。
「あの突入どう思う?」
加隈に聞かれ長川は「真理ちゃんが思っている通りだよ」とだけ答える。
「所在が確認されているのは受付嬢や技能実習生、新米の警備員…中学生と引率の教師…それ以外の所在不明者は死体が確認された2人以外に5人…全員死んでいると考えるべきだろうな」
長川はため息をついた。
「本部は警備部と公安部に今回の事件を任せる気なんでしょう」
加隈が言った。
「ああ、犯人が2人も死んでいるし、警察庁と合わせてテロリストの背景を洗い出すそうだ。刑事部は手を引けって言われたよ」
長川はやりきれなそうに言った。

 あれから1週間が経った。
 富吉ゆかりの家で、私服姿の島都と結城竜は仏壇で笑顔の富吉理子に手を合わせた。
「ありがとう、結城君。警察署では見苦しい所を見せてしまったわね」
「いえ」
結城は出してもらった紅茶をいただいてから、お母さんを見た。
「在日バクトルスタンの人たちが、お手紙やお金を送ってくれるの。子供たちもね、なけなしのお小遣い送ってくれたり、手紙をくれたり…全部理子に備えているのよ」
お母さんは笑顔で仏壇を指さした。
「あの絵はね、理子が天国で幸せになっている絵ですって」
子供がクレヨンで書いた絵を都は見た。その時、玄関のチャイムが鳴った。あわててお母さんが出ると、「あ、た、大使の方?」と声が震えた。
「あ、僕らはこれで、また来ますので」
結城は辞退を申し出てゆかりは「ごめんなさい、せっかく来てくれたのに」と申し訳なさそうに言った。
「都ちゃんもまた来てね、理子、都ちゃんの事も話していたんだから」
と優しく言った。
「はい! 失礼します!」
都は笑顔でお辞儀をした。マンションの玄関を出ると大使の人だろうか、長身のハンサムな男性が立っていた。
「お待たせしましたーーー、どーぞー」
都が会釈すると、大使が「理子さんの先輩ですか?」と聞いた。
「はい。島都といいます」
都がビシッと敬礼した。
「この度は本当に残念な事でした。国民を代表して哀悼します」
流暢な日本語で大使は言った。
「お母様に大統領からのメッセージを持ってきました。お母さんは中にいらっしゃいますか」
「はい、今出ます」
結城がドアからお母さんを連れ出した。
「では失礼します」
結城は一礼すると廊下を歩き出した。

 結城のマンションに帰ってきた2人がドアを開けると、お昼ご飯の匂いがした。
「あ、お兄ちゃんお昼ご飯出来てるよ、師匠も食べてってください!」
結城秋菜がフライパン片手にキッチンから顔を出した。
「本当! うわぁああああ、お味噌汁の匂いだぁ」
都がご飯の時間の子猫のようにダッシュする。
「お兄ちゃん、ちゃんと手を洗ってよ」
スクランブルエッグに手を出そうとする結城を窘める秋菜。だが結城はその卵焼きに血が混じっているのを見た。
「秋菜!」
結城が怖い顔でキッチンに入ってくると、お皿を手にしていた秋菜の手が血だらけになっていた。
「お前…」
きょとんとする秋菜を前に都は結城君を手で制して、
「秋菜ちゃん…ちょっと手が汚しているね…手当ししよっか」
と何でもないように笑顔で言った。
「え、あ、おかしいな‥‥全然気が付かなかった」
秋菜はあせあせするのを都は笑顔で「大丈夫だよ!」と秋菜を部屋に連れて行った。
「本当にごめんなさい」
部屋で半分ポロポロ涙を流す秋菜に都はびしっと指を突きつけた。
「秋菜ちゃん、ごめんなさいはなしだよ。秋菜ちゃんにスクランブル作ってもらって嬉しいんだから」
都は笑顔で下手糞に包帯を巻いていく。
「ね」と笑顔で見上げた都。だがそれが短いショートヘアと角度的に理子の生首を思い出させてしまった。
「いやぁああああああっ、理子、理子…誰か理子を助けて」
絶叫する秋菜を都はぎゅっと抱きしめた。
「秋菜ちゃん、なでなで」
「いやぁああああっ、理子ぉおおおおおおお」
秋菜は絶叫し続けた。結城はそれを廊下で聞いて立ち尽くしていた。

「お前がいてくれて本当に助かるわ。でもいいのかよ、もう1週間も泊まり込んでいるぞ」
お薬を飲んで眠った秋菜に布団をかけてあげながら結城は都に言った。
「いいんだよ。結城君の家は広いし、同じ部活の仲間。ねっとりとした深い関係になろうじゃないの。ご飯代もタダだし」
「‥‥」
「あと結城君。悲しそうな顔はしなくていいんだよ」
都は笑顔で言った。
「秋菜ちゃんは頑張っているんだから、偉いんだから」
「そうだな」
結城は言った。

 2日後。東京都国分寺市
 朝の住宅地をランナーが走っている。
「こんにちはー」
女性ランナーが別のランナーに挨拶したが、ランナーは無言で走っていた。
(挨拶を無視するなんてマナー違反ねー)
女性ランナーが思った直後、背後で何かが倒れる音がした。振り返った時倒れていた男性ランナーは毒を注射され痙攣し、目から涙を流して口からアスファルトに吐瀉物をぶちまけていた。女性が悲鳴を上げた直後、この男は死んだ。

 さらに2日後。千葉県柏市
 公園沿いの住宅地。少年たちがある一軒家を覗き込んでいた。ボールを庭に入れてしまった事を派手にホームラン決めた本人が謝りに言っているのだ。この家の主はとにかく子供嫌いで、やたら怒鳴り散らす事で有名なおっさんだった。やがて家の中から悲鳴が上がり、ドアが開いて野球帽をかぶった少年が悲鳴を上げながら出てきた。
「た、大変だ…人が…人が…」
家の中での書斎では眉間を銃弾でぶち抜かれた男の死体が転がっていた。

つづく