少女探偵島都 2018年

2009年くらいから母親が書いていたシリーズ設定をもったいないので2018年より本格的にわいが引き継いでみました。大体1記事でアニメ1話分くらいの長さだと思ってください。コナンや金田一みたいな高校生探偵ミステリーを想定しています。

駅前書店の難事件FILE1


1

 真夜中の教会の十字架に向かって黒い影が祈っていた。
「神よ。これから為される我が罪をお許しください。どうか迷える罪なき子羊を導きたまえ」

 茨城県常総高校探検部部室―。
「ういーっす」
結城竜は部室に顔を出した。今日もまったりしながら1日は過ぎていくって奴だ。だが入った途端異様な雰囲気にのまれた。
「ゆ、結城君」
都が涙を流してえぐえぐしている。結城はしばらく考えてから
「中間テストか」
とジト目で都を見た。
「赤点いくつだ」
「4つ」都が窒息しそうな声で言った。
「てめぇあれほど勉強しておけって言ったよなぁ」
結城は都の頭をグリグリしながら喚いた。
「だってぇ。誰かがYouTube魔法少女未来の2期をアップしていたんだもーん。消される前に見なきゃって思ったんだよぉ」
「それは著作権法違反。ファンとして間違っているうううううう」
さらにグリグリが強くなっている。
「やれやれ…」
結城は頭を抱えた。「本当にお前進級できなくなるぞ」
結城はそう言いながら都に帰された日本史の解答欄を見た。「よいではないか運動」とか書かれている。
「そういうわけで1週間後に追試があるんだよー。追試が…結城君助けてぇええええ」
都がどほほほほと涙を流しながら縋ってくる。
「離れろぉおお。ったく…しかし4つを赤点から脱出させるには効率を考えなきゃだめだな」
結城は思案した。
「お前も手伝ってくれるよな」
「無理だよ」
千尋が目をぱちくりさせた。
「薄情だな」
とジト目の結城に瑠奈は苦笑しながら
「多分…もうすぐラスボスがやって来るから」
「ら、ラスボス?」
結城は嫌な予感がした。その直後、扉がガラガラと開いて、北谷勝馬が顔を出した。
「おろろろろろろろ」
見るからに霊気が漂った巨大な図体が部室に入って来る。
「赤点の数は」
ジト目の千尋に聞かれて、勝馬は「7つ」と答えた。むきいいいとなった千尋が宇宙語で喚きながら勝馬を蹴り始める。床に散らばったテストを覗いてみると、「しのもりあおし」「さとうはじめ」「ししおまこと」といった幕末漫画のキャラクターが書かれていた。結城の眉毛がぴくぴくした。
「お前よくこれでこの学校に入れたなぁ」
「それはそれは大変だったんだから」
瑠奈が思い出すにも重すぎるというような顔で結城に言った。
「そういうわけだから、結城君は都をお願い。私たちはこのラスボスを何とかするから」
瑠奈に言われて結城はため息をついた。

「そういうわけでお邪魔しまーす」
一番入り浸りやすい場所と広さとご家族の理解がある瑠奈の家で、探検部5人は瑠奈の母親に頭を下げた。
「あらあら、またテストかしら。都ちゃんも勝馬君も相変わらずね」
瑠奈のお母さんがホホホホと笑う。
(なんだこのすっかりすべてを悟りきっていらっしゃるようなご反応は)
結城が玄関先で得体のしれない罪悪感に潰されそうになっていると、瑠奈のお母さんは
「ああ、今日はパパが出張先から帰ってきているから」
「え」
瑠奈があんまり嬉しくなさそうな声を上げると、
「瑠奈たーーーーーーーん」
とサラリーマンの服装をした親父が突っ込んできて、瑠奈はすっと無想転生のごとく避けた。
「瑠奈たんなんでだよーーーーー。都ちゃんはこうやってスキンシップをしてくれているのに」
瑠奈の父親は猫みたいになっている都の頭をなでなでしながら泣きそうになって瑠奈を見ている。
「お父さん! 瑠奈は高校生よ」
母親が父親を拳骨で沈めると「不潔野郎って軽蔑されたくなければ自重しなさい」とたしなめた。
「大丈夫大丈夫、おじさん。私が後で一緒にWILLやってあげるから」
「本当?」
涙目で千尋を見上げるパパ。母親は「ごめんねー」と千尋に謝った。
(何…このアットホームさ)
結城は千尋を見つめた。
「おーっす。陸翔! 元気しているか」
自分の部屋からこっそり見ている小学生くらいの少年を見て、千尋が声をかけると、陸翔はびっくりした様に隠れた。
「ははーん。思春期を迎えて女子高生を見ると恥ずかしくなったか」
千尋がうんうんと頷くと結城はジト目で
「まさかとは思うが、お前二次元の世界であの子に何かしてないだろうな」
と睨んだ。
「そんな変な事はしないって。私はショタはソフト表現にとどめる主義だから」
「‥‥」
カラカラ笑う腐女子に結城はこれ以上何も言えなかった。

「ぬふふふふ。ぐふふふふふ。ぬおおおおおおおおおお」
気色悪い声を上げて勝馬が机に向かっている。瑠奈がマンツーマンで勝馬に向かっていろいろ教えてあげている。
「出来ました」
瑠奈が提示した問題文の解答を勝馬は彼女に渡した。
(高野の野郎も大変だなぁ)
結城は思った。勝馬は授業中の居眠り王で1時間目から6時間目まで全て眠り続けていたという伝説を持っていると、隣のクラスから聞いていた。まぁ都も居眠り大魔神らしいが。しかしこの馬鹿に勉強を教えるなんて、よっぽど忍耐がないと…。
勝馬君、やれば出来るじゃない。これで英語は完璧ね」
「!!!!」瑠奈の発言に結城は赤青鉛筆を取り落とした。
「高野…本当か」
「へへへ、結城め。俺が真の実力を出せばこんな問題朝飯前よ」
勝馬が得意げに声を上げる。
「何せ千尋さん瑠奈さんが優しく丁寧に教えてくれるからな。この前なんて瑠奈さんが直々に音声を入れてくれた長文問題で単語は完璧にマスターしたんだ。ひゃひゃひゃひゃ」
結城はさすがに口を開けるしかなかった。
勝馬君は女の子に教えられると成績が格段に上がるのよ。集中力とやる気がね」
千尋が歯ぎしりする結城に言うと、都が目を輝かせて千尋に迫った。
「いいないいなぁ。千尋ちゃん…私も一発で集中できる魔法のCD頂戴よぉ」
「いいよ」
千尋が鞄をごそごそし始める。
「ふふふふ。じゃーん。私が聞いている、早覚え英文記憶CD。これを毎日寝る時に聞いているおかげで学校のテストはバッチリ!! 魔法の英語リスニングCDなんだよ」
千尋の翳したCDがキラキラ輝き、都と結城は「おーーーーー」と声を上げた。

「You got me mad now」
CDからはむさくるしそうな男の声が歪みなく聞こえてくる。
「ああ、確かに一発で英単語が頭に入ってきそうだよ。お前の中ではな!」
結城が千尋に声を上げる。
「ゆ、結城君…」都が苦し気に言った。
「結城君…なんだか…知識が…知識が…」
「おいいいいいいいいいい。どうしてくれるんじゃぁ」
都をガクガクゆすりながら、結城は千尋に喚いた。
「結城君、最後の手段があるわ」
瑠奈がぐっと結城を見つめた。
「さ、最後の手段?」
結城がごくっと生唾を飲む。
「都」
瑠奈は真面目な顔で都を見て言った。
「4つの追試で全教科100点取ったらケーキバイキング結城君が奢ってくれるって!」
「それから結城君の声で収録されたBLアンソロジーボイスドラマも作ってあげるから!」
「本当!」
都は目を輝かせた。
「ちょっとまてぇえええええええ。なんでそう言うことになるんだ」
結城が喚くと瑠奈がじっと結城を見た。
「都がやる気を出すにはこの方法しかないのよ。いいの? 都が進級出来なくなっても」
結城は都を見た。都が硬い覚悟を決めた目で結城を見る。
「あああ、わかったわかった! ケーキでもホモ漫画でも何でも来いや」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
都は絶叫した。
(まぁ、さすがに全教科100点なんて一夜漬けて無理だろうな)
結城は物凄い勢いで教科書をめくりまわす都を見つめた。
(全教科100点なんて)
だが結城の余裕は早くも崩れ去った。
「都―」
千尋が日本史の教科書を開いて言った。
「359頁の上から3行目10文字目の文字は?」
―けーきばいきんぐ―とハチマキをした都は英単語の本をぴたりと投じて言った。
「幕府の幕って言う字だよね」
「正解!」
―結城君のBL―とハチマキを下千尋が言うのも聞いていないようにひたすら単語を覚え続ける都。
「‥‥」
結城は…だんだん不安になっていた。そうだ…。この都という女の子の頭脳はただの頭脳ではないのだ。

 翌日―探検部の部室…。
「ふっふっふっふっふ」
都が得意げに結城の前で笑っていた。
「‥‥」
結城はそんな都を前にしてもはや蛇に睨まれたこうろぎみたいな気分だった。
 都がすっと4枚のテスト解答用紙を見せる。100、100、100、100‥‥。結城は崩れ落ちた。
「実は都ってこの学校始まって以来の好成績で入学したらしいんだよねー」
千尋がそれはそれは嬉しそうに結城を見つめた。
「さて」

「結城君…もっと心から快感を覚えて喘ぐように…背徳感を楽しむように」
千尋の演技指導が探検部部室である書道室の準備室の扉から聞こえてくる。
「どうしたの」
探検部の都、瑠奈、勝馬が外で待っているのを見た書道部の益田愛が3人に声をかける。
「今収録中なんだ」
勝馬がひっひっひと楽し気に愛に答える。書道部のみんなも音を立てないように興味津々と集まってきてしーっと人差し指を立てる。
 その時扉が開いた。
「みんな、普通に日常的な音を立てていてくれるかなぁ」
「あ、いや…せっかく千尋ちゃんが芸術作品を作っているんだから静かにしなきゃだめだよ」
と都。
「ああ、その芸術なんだけどさぁ。これはあくまで隣の部屋で他の生徒が日常を送っている隣の密室で背徳的なBLが展開されているところが味噌だからさ。みんな出来れば気にしないで音を立てて欲しいんだよね」
「さすが、千尋さん。素晴らしい表現精神です。さぁ、みんな日常的に音を立ててくれ」
勝馬が書道部に号令をかけると、みんな頷いて席に戻っていった。
「さぁ、結城君。収録…収録…」
「もう…殺してくれ…」
結城の悲鳴が千尋に閉められた扉の向こうに消えた。

「結城君食べないの?」
ケーキバイキングの座席で美味しいケーキをもぐもぐしながら幸せそうな都に、結城は「ちーん」とテーブルに崩れていた。
「今日、俺の大事なものがなくなった気がする…」
「ケーキを食べれば治るよ」
都は笑顔で言った。

2

「困ったなぁ」
翌日、部長会議から戻ってきた高野瑠奈が浮かない顔で戻ってきた。
「冬合宿の予算申請するのに活動実績が足りないから、何か実績作れっって言われちゃった」
瑠奈は実績報告をテーブルの上に置いた。
「えええ、私のボイスドラマ制作を書けばいいじゃん」
千尋が瑠奈に聞くと、瑠奈は
「これバレたら猥褻物を部活で制作していた事になっちゃって、いろいろ問題が発生しちゃう気がするんだけどね」
「猥褻物とは失礼ね」
千尋は声を上げた。
「これは芸術作品よ」
「15歳の女の子が作っていい芸術じゃないような」
瑠奈は苦笑した。
「はぁ。私の芸術を理解してくれないなんて。あ、私たちの芸術作品か。ねぇ、結城君」
「…」
結城は『罪と罰』を読みながら何も答えなかった。
「何か活動すればいいんだよね」と都。
「BL以外でね」と瑠奈。
「みんなで麻雀やりますか。それとも暴走族1日体験」
「却下」と勝馬の意見を瑠奈が封じた。
勝馬君。そんな活動実績書いて提出したら廃部になっちゃうよ」
「実績報告書再提出は」
結城が瑠奈に聞くと、結城は素っ頓狂な声を上げた。
「明日?」
「うん、明日までに提出できる実績がどうしても必要なの…」
瑠奈が周りを見回す。
「ん」
結城がテーブルに散らばったプリントの中に「生徒諸君へ」という紙を見つけた。
「なんじゃこれ」
「駅前書店で万引きが流行っている事に関して、高校に書店から苦情が来たの」
瑠奈が説明する。
「そういえば俺らの学年で一人万引きで退学になっていたなぁ」
結城がふと声を上げる。
「でもその後も万引きが続いているんだって。それもほとんど毎日」瑠奈が言う。
「本当にうちらの学校のが犯人なのかよ。今万引きするのって若い人間よりも年配者の方が圧倒的に多いらしいからなぁ」
結城が言ったとき、勝馬が声を上げた。
「じゃぁよ。俺らで万引き犯捕まえようぜ。万引き犯を捕まえれば活動実績になるだろう」
「そうね。地域の防犯に協力するボランティアって事にすれば活動実績になるわね」
瑠奈は言った。
「実態と結果があれば活動日は水増ししてもばれないだろうし…ね」
「瑠奈ちん、さらりと悪だね」
にっこり笑う瑠奈に都は感心した様に目を見開いた。

 駅前書店伊賀屋書店は大きなチェーン店だった。
「うわぁああああ」
千尋は声を上げた。感嘆ではない、呆れていた。
 白いカバーに黒い書道体で「日本印刷記」と書かれている本が大量に並べられていた。
「こりゃ凄いな。こんなに沢山売れるのかな」
都は本を一つ取ってぺらぺらめくってみた。
「売れない売れない」
千尋は手を振った。
ウィキペディアを家で見れば大体内容が乗っているから。ほとんどがウィキのパクりだからね」
「ウィキって…ウィキペディアか?」
結城が千尋に聞くと
「アニヲタウィキの方」と呆れたように手を振った。
「まじかよ。結構有名な作家さんじゃないのかこれ」
「『台湾併合の奇跡』とか『関東大震災の奇跡』といった奇跡シリーズが有名だよ。まぁ、『関東大震災の奇跡』の方では朝鮮人から女の子たちを守った主人公として書かれた元軍大佐の遺族から訴訟を起こされたけれど」
「き、君!」
突然ハンサムなワイシャツをエプロンでまとめた精悍な店長が千尋に声をかけた。
「全く君は分かっていないな。朝鮮人虐殺は捏造だったという証拠はいくらでも出てきているんだ。だが左翼に蹂躙されたこの国ではどの出版社や研究者もこの事実に蓋をしてきた。この本を書いた高山回先生は日本の名誉の為に勇気を出してこの本を書かれたんだ」
いきなり書店の店長に説教される事態に薮原千尋は目をぱちくりさせる。そして
「わーーーっ、すっごーーーい!」
とわざとらしくきゃぴッとして、
「この文章のもとになったアニヲタウィキの投稿者の方って、すっごーーーく勇気があったんですね」
とわざとらしく言った。
「かわいそうに…」
後ろの方で眼鏡をかけた少年がピキピキと声を震わせた。千尋が振り返るとふと目を見開いた。
「ひょ、ひょっとして市倉君?」
千尋が声を上げると市倉一はフンと鼻を鳴らした。千尋がぴょんと彼の所に駆け寄る。
「元気だった?ああ、みんな、この子私と同じ中学の…」
「かわいそうに」
市倉が千尋の紹介をぶった切る。
「薮原さんは日教組の思想に染められて、こんなことを言うようになってしまったとは」
「へ」
千尋は目を丸くする。
「あんな元気で明るかった千尋さんまで日教組によって汚染されてしまったなんて。今からでも遅くはないですから、千尋さんもこの本を読んでください」
と市倉は千尋に「日本印刷記」を渡すが千尋は「あああ、ありがとう…」と本をさりげなく戻した。
 結城は(また変なのが出た)と思った。確かに千尋は汚染されている。しかし汚染源は日教組ではなく「び」のつくものだ。
「で、市倉君は高校生活はどう? 楽しんでるの?」と話題を変える千尋
「高校はやめました」
市倉は眼鏡をくいっとあげた。
「えええっ」
日教組に染まった教師が許せなくてね」
「何を言っているの?」
本を並べていた女性店員が冷たい声で言った。
「本を万引きして捕まった張本人のくせに」
山坂桜というネームプレートを下げた女性店員がじっと市倉少年を見た。市倉は恐怖に目を見開いた。
「それで高校を退学になったのよねぇ」
冷たい山坂の声に市倉は真っ青になって向こうの棚に移動した。
「そういう山坂さんも、相当この店に損害を与えていますよね。バカッター映像で…。アダルト雑誌コーナーで裸になって、雑誌の表紙の水着モデルと同じ格好をして…店の損害賠償代わりにここでタダ働きしているんですよねー」
(え、あの6月のTwitter炎上画像ここだったの)千尋は真っ青になった山坂桜を見て茫然とした。あの写真は酷かった。常夏ビーチ特集という雑誌の水着の美女と同じ格好で全裸で本棚に横たわっていたという奴だ。そう言えばその笑顔のバカッター、目の前にいる気がする。山坂は笑いながら去っていく小坂兵太郎を見て般若の顔で歯ぎしりする。
「ごめんね。…ゆっくり本を選んでね?」
山坂桜は打って変わって魅力的な笑顔で探検部のメンバーに言った。

「ううううううう」
都はビニールに包まれた『魔法少女未来』シリーズの少女漫画を見てぐぬぬぬという顔をした。
「あきらめろ。漫画は立ち読みできないんだ」
結城はため息をついた。
「私の家の近くの本屋さんは出来るよ。それに安いし」
「それはBOOKOFFだからだよ」
結城はため息をついた。
「でも本屋には新しい参考書とか新しい雑誌とかBOOKOFFシリーズにはないものがあるぞ」
「あ、そうだ…青い鳥子供文庫版に新しい小説版が出ていたんだ」
都はポンと思い出して児童書コーナーに向かった。
「あとKZシリーズと夢水清志郎シリーズもチェックしないと。おおおお、新しい作品がいっぱい出ているうううう」
「うるせえなぁ」
結城は頭をポリポリ書いた。
「さーて、今日のBL雑誌はっと」
千尋は雑誌を探している。
千尋…私たちこの書店に来た動機忘れていない?」
「万引き犯を捕まえる…だったよね」
「たははは」と千尋は笑った。
勝馬君も」
瑠奈は勝馬に厳命した。
「絶対に間違いで誰かを捕まえちゃだめだよ。声もかけちゃダメ。名誉棄損になるし、お店に迷惑をかけてしまうから。そんなことをするくらいなら、誰も捕まえない方がいいんだからね」
瑠奈はリュックからメモを取り出す。
「店の見取り図と防犯カメラの位置はチェックした。多分万引き犯が現れるとしたら、カメラの視覚になってレジから見えにくいここと・・・ここ」
「なるほど」
千尋は感心した様に言った。
「瑠奈仕事早いねー」
「ここらへんで万引きしている人がいないか見てみましょう。じっと見ている私たちがいれば万引き犯は本には手を出せない。防犯に貢献した事になるから」
「ラジャー」
千尋が指を食いっと挙げた。

 北谷勝馬は瑠奈に指定された場所にやってきた。その時だった。ふと市倉一という眼鏡のいけ好かない野郎と遭遇した。勝馬がびっくりしたのは、彼はあたりを見回し本を手にするとすっと何かを抜き出し、鞄に入れた。勝馬は目を向いた。だが彼は本を戻した。勝馬は市倉に声をかけようとしたが、瑠奈の言葉が蘇り、言葉をかけるのを待った。

 高野瑠奈は店に入ってきた黒メガネの男を見ていた。この男は挙動不審でいかにも怪しかった。黒メガネではあったが動きからすると相当若い。彼はふと本棚からこっそりと店員の山坂桜が働いているのを見て、にやっと笑い、ひたすら彼女を見つめている。そして棚の整理をしている桜の先に回って、例の『日本印刷記』のコーナーの前にちゃってくると、いきなりズボンに手を入れて股間をごそごそし始め、何かを本に塗りたくり始めた。
(え、え・・・)
余りにも気持ち悪いものを目撃して瑠奈はショックを受けた。黒メガネがコーナーから立ち去ると山坂桜は明らかに汚くて変な匂いがする本を手に取った。訝し気にそれを見ていたが、こんなもの店頭に置いておけないと判断したのか、それを手に取って事務所の方に持って行った。黒メガネはきっと桜に自分の汚いエキスが付いた本を触ってもらって嬉しいのだろう。ひょこひょこ踊っている。瑠奈はもう何も見たくなくなって目を離した。

「お嬢ちゃんは何年生?」
主婦の沖鮎子が娘が欲しがっている本を一緒に選んであげている都に笑顔で言った。
「1年生」
「あら、1年生にしては大きいね。6年生くらいかと思った」
「おばさん、この『魔法少女未来―時空の石と悪魔の涙―』がりんなちゃんが欲しがっていたものだと思うよー」
「ありがとう」
都はお礼を言われて子供のように嬉しがっていた。

 薮原千尋はBL本を読んでいた。一般の客のふりをして万引き犯を捕まえる作戦だったが、彼女はBL雑誌の事しか頭になかった。
「ふふふふ、BL┌(┌^o^)┐猫ちゃんカフェ…か。ふふふ、ショタが獣フレンズみたいに美形のオスのお客さんにぺろぺろご挨拶。ふふふ、たまりませんなぁ」
千尋は涎を誑していった。
 そんな千尋の背後に誰かが立っていた。背後の気配に千尋は気が付いて悲鳴を上げた。
「きゃぁああっ」
千尋の声を聞いて、結城と勝馬が大急ぎで千尋のいる方向を見た。大柄な男が腰を抜かす千尋の前に立っていた。
「おい、てめぇ」
結城が声を上げた。シルクハットの男は結城を見て
「俺は何もしていない!」
と『日本印刷記』の本を手にして言った。
「先生! どうかなさいましたか!」
店長の青木大和が大慌てで駆け付ける。
「どうもこうもない。この女子高生が私を痴漢呼ばわりしただけだ」
「してませんよ!」と千尋
「わざとらしく悲鳴を上げていたじゃないか」
「あれは‼」
「こら、先生に失礼じゃないか」
青木店長が千尋をしかりつける。
「いや、薮原が悲鳴を上げた気持ちは分かるぜ」
結城は大柄な男を睨みつけた。
「お前、不自然に千尋に密着していたよな。痴漢か? 盗撮か?」
「でっち上げだ」
帽子の男は絶叫した。
「もういいよ」
千尋は瑠奈と都に支えられた。
「前にバスで痴漢に遭ったのがフラバしただけだし」
千尋は髪の毛で目を隠して言った。
「あんた。どうもこの先生って人>客って感じで営業しているよな」
結城が青木店長を睨みつける。
「そんなに偉い先生なのか」
「ああ、偉…」
ここまで言って店長は帽子の男に物凄い勢いで睨みつけられた。
「もう帰ろっか」
瑠奈は疲れたように言った。
「そうですよねー。なんか雰囲気悪い店だし」
勝馬もそう言って千尋を助け起こした。結城は千尋
「一応鞄をチェックしてくれ」と促した。千尋は鞄をごそごそしたが、「取られたものはない。大丈夫」と結城に言った。
店を出ようとした時だった。千尋は「会計をすませるから待ってて!」と声を上げた。
「BLは買うのか」
結城は呆れたように千尋が会計に向かうのを待つ。会計している店員はがりがりに痩せた小坂平太郎という男だった。時々、黙っていれば美少女な千尋を見てにやついている。
「お待たせ!」
会計を終えた千尋が探検部のメンバーの所へ戻ろうと店の前のセンサーに触れた時だった。
 突然「ビー――」という音が耳に響いた。
「君!」
店長の青木がやってきて千尋の腕を掴んだ。
「君、ちゃんと会計しないで店を出たよね!」

 

(つづく)

能面高原殺人事件(解決編)9-10 最後


9

【容疑者】
・元山孝信(54):議員。小売店社長。
・三竹優子(27):元山の愛人。
・岩沼達樹(39):議員専属医。
・青山はすき:女子大生
・江崎レオ(21):大学生
・槇原玲愛(20):女子大生
・川又彰吾(58):ロッジオーナー
・三枝典子(18):ロッジ従業員。
・昌谷正和(59):不動産業者

「お前…」
15歳の小柄な女子高生に名指しされた黒い犯人「能面」は声を震わせた。直後に大勢の人間がバタバタとやってくる。結城竜、高野瑠奈、薮原千尋、北谷勝馬…そしてロッジ従業員の三枝典子。都はスーパーの奥に建てられた大勢の人を拉致したプレハブ平屋で振り返って、自分が指摘した殺人犯を見た。殺人犯が呆気に取られていた時、プレハブの無造作に置かれていたロッカーの陰から出てきた長川警部が、犯人が手にしていたナイフを掴み上げる。
「お前…このナイフで今度は誰を殺そうとしていたんだ」
長川がナイフを持つ手をひねり上げて床に落としたそれを足で滑らせて遠くに流す。
「警部…この人は誰かを殺そうとしてナイフを持っていたんじゃない。ここで殺された3人に監禁されていた罪のない人を解放する最後の仕事を終えたあなたは、ここで自ら命を絶つことで殺人劇を終わらせようとしたんだよ」
「そ、それじゃぁ」
秋菜が声を震わせる。長川もその人物を見つめた。
「うん、あのロッジで3人の人間を殺害し、死んださやかさんの復讐を果たそうとしていた犯人は」
都は真っ直ぐにその人物を見据えた。
「岩沼達樹さん、あなたです!」
岩沼は一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐに残虐な人を馬鹿にするような笑いを浮かべて都を見た。
「それなら是非聞かせてくれよ。あの事件の犯人が倉庫で焼死していた死体ではなく僕だと、どうしてそう言うことになるんだ。僕は犯人に襲われたんだぞ…この傷を見てくれたまえ」
岩沼は傷口を都に翳して見せた。
「どう見ても誰かとグルでわざと襲われた傷ではないぞ。だから俺は今護身用に刃物を持っていたんだ。それに僕と誰かが共謀していたとしても、ロッジにいた全ての人間には最低1つのアリバイがある。そして僕には全ての事件で完璧なアリバイがあるんだ。どう噛み合わせても僕が誰かと共謀していたなんてあり得ないだろ」
岩沼の言葉遣いは冷徹であったが目は都を見据えていた。この人物の視線など気にもしないように女子高生探偵はぽわぽわした空気を崩さず、にっこり頷いて話をつづけた。
「簡単な事だよ。3つの殺人を引き起こした犯人とあなたを襲った能面は別の人物なんだよ。多分その人はあなたが第三の事件で時限発火装置でも仕掛けているのを目撃し、あなたが殺人犯だと考えた。そのうえで自分には前の事件でアリバイがある事を利用して、前々から復讐したいと思っていた貴方を最後の犠牲者として殺害しようと思った…もうそう告白してくれているよ。そうだよね…三枝典子さん…」
都は三枝を見つめた。三枝は都を見つめ返さず、声を震わせた。
「岩沼さん? 本当なの? さやかの為に本当に?」
岩沼は一瞬危急的な顔で三枝を見た。だが、彼は都を見ながら小馬鹿にしたような笑いをかなり無理やり上げていた。
「自供? お前らがあいつを誘導尋問で追い詰めただけだろうが。いいかい、第一の事件と第二の事件で僕には完ぺきなアリバイがあるんでちゅよー。第一、第二の事件が僕が犯人で、第三の事件だけあの女が犯人だって言うのなら、僕にアリバイがあるのはオカシイでちゅねー」
甚振るような声を出す岩沼。だがその表情には焦りが見えていた。都だけじゃなく探検部のメンバーにも、この岩沼が必死で三枝典子を庇おうとしているのが見て取れた。都は一向に気にせずに話を続ける。
「第一の事件の密室アリバイトリック…あのトリックは犯人が能面を付けて三竹さんを離れの中で殺害。この時間多くの容疑者にはアリバイがあった…。でも実際は逢引の瞬間を目撃されないように犯人が三竹さん自身に離れに行くように命令し、倉庫の中で裸になってベッドで待っていた三竹さんはストーブの鉄格子に結ばれていた釣り糸で天井の梁に支えられていた日本刀で刺殺された。彼女がストーブを付けると自動的に釣り糸が熱で焼き切られて日本刀が落下するっていうトリックだったよね」
岩沼は無言だった。少女探偵は話を続ける。
「犯人は殺人トリックを完成させた後で三竹さんが殺されてから死亡推定時刻のアリバイが出来るのを待って、日本刀から釣り糸を回収してトリックの証拠がバレないようにしようとした…そしたら、私たちが予想より早く三竹さんの死体を見つけちゃってアリバイトリックが見破られた…なーーーーーんて、そのように見せかけるのがこの殺人トリックの真の目的だったんだよ」
都は犯人を見上げた。
「私が変だなって思ったのは離れの部屋のつらら…。つららは建物で暖房が付いていてその熱で氷が解けて発生するものだよね。つららの長さは私たちの部屋の前のつららの成長から考えて大体1時間に3か5㎝成長するんだよ。でも三竹さんの殺されていた離れではつららの長さは一番長いもので40㎝くらいの長さがあったんだよ。40㎝の長さだとすれば少なくとも離れの小屋には10時間くらいの間、暖房が付いていたことになるよね」
岩沼の目が不気味に光る。
「私の考えではこの10時間以上の間犯人は一度もこの殺人現場には足を踏み入れていない…そして元山さん三竹さんがこの島に来たのは今日の午後3時くらいかな。殺人事件発生が分かったのは午後9時だから、一番先に来た容疑者どころか被害者が来る前からこの遠隔殺人トリックは完成した事になるんだよ」
「ちょっと待ってくれ」
結城が都に手をかざした。
「三竹優子は6時までは生きていただろう。俺たちがあのロッジで生きている彼女を目撃している。もし彼女が10時間前に殺されていたって言うのなら、俺たちは生きている彼女を目撃できないはずだ」
「あれが幽霊だったって事っすか」
勝馬は声を震わせた。
「ううん」都は首を振った。
「私たちが見た三竹さんは6時までは生きていた。そして瑠奈ちんと秋菜ちゃんが能面を付けた人が離れに向かっているのを目撃したのが8時頃。この時能面は離れには入らずにそのまま本館に戻ったんだよ。そしてその直後に三竹さんの遺体が見つかった…。この事実から考えられる結論は一つしかないよね。三竹さんは双子の姉妹だったんだよ」
都は真っ直ぐ岩沼を見た。岩沼は核心をつかれたのか表情が顔面蒼白になった。
「岩沼さんは10時間前にこの島にあらかじめ来ておいて三竹さんの本物を殺害。そのあと三竹さんの偽物が元山さんとこの島に来る。三竹さんの双子は三竹さんが6時まで生きているように見せかけて、さらに8時ごろに能面の格好をして瑠奈ちんたちに目撃させた。そうやって真犯人は三竹さんが生きていたと思われる6時から死体が見つかる8時までみんなと一緒にいることで完璧なアリバイを手に入れたんだよ」
じっと都は犯罪者を見つめた。
「そしてあなたは被害者の死亡推定時刻を7時くらいだと嘘をついて、アリバイトリックの辻褄を合わせた。私たちに絶対に死体を触らせなかったのもその為だよね。死体の硬直とか調べられたらガチガチに硬直していることがわかっちゃうから。無線機を壊したのも警察が検視に来るまで時間を作って、死亡推定時刻をごまかすため。死亡推定時刻は時間がたてばたつほど正確な死亡時間がわからなくなるから。特にあんな寒い場所だとね。そうだよね、岩沼達樹さん!」
都が真っ直ぐ真犯人岩沼達樹を見上げる。あの下劣なハンサム医師は驚愕の表情で都を見下ろしている。長川は都に話しかけた。
「確かに三竹優子には三竹優愛という双子の妹がいた。だがだとしたら双子の妹は随分危険なトリックに付き合ったことになるな。だって優愛自身アリバイは確保されないことになるじゃないか。殺人事件が起こっている最中、いやロッジからお前らが帰るまでの丸々2日間所在不明の双子の妹と聞けば、誰だって妹が怪しいと考えるだろ。三竹の妹がそれがわからないほどの馬鹿とはとても思えないが」
警部の質問に都は首を振った。
「ううん…このトリックは三竹さんの妹にとっては必要なトリックだったんだよ。だって、岩沼さんは殺人を実際に実行した犯人。もし岩沼さんが逮捕されれば共犯の自分も殺人で逮捕されちゃうよね。だから優愛さんにとって岩沼さんのアリバイは作ってあげなければいけなかったんだよ。それに優愛さんは岩沼さんが三竹優子さんを殺す動機は遺産相続だと思っていた。岩沼さんが遺産を手に入れるためには自分という存在が必要になって来るから殺さないって…そう思っていたんだよ」
「だが、元山先生と結婚する事になっていたのは姉の方だ。姉が死んだところで妹が元山の遺産を相続できるわけがないだろう」
結城が声を上げる。
「岩沼さん」
都は言った。
「妹さんが一見自分にとってメリットがないアリバイ工作に付き合った一番の理由。それはこのトリックがアリバイトリックじゃないから…そう、このトリックは、三竹さんの妹が姉に成り代わるトリックだったんだよ」
都は言った。岩沼の目が驚愕で見開かれる。
「元山議員は姉ではなくて妹の方を愛していた。でも議員の立場上結婚相手を乗り換えるなんて事したらイメージが悪くなるよね。だから妹を姉のふりをさせて本物の姉を殺す計画を立てていたんだよ。岩沼さん、あなたはその計画を元山議員と三竹妹さんから打ち明けられて協力させられたんだよ。この島であらかじめお姉さんの方を殺しておいて偽の密室トリックを完成させたのも元山議員の指示だよね。本当のアリバイトリックを見破られない為のダミーのアリバイトリックを用意した…このダミーのアリバイトリックには本物のアリバイトリックをただごまかすだけじゃなく、もう一つ大きな意味があったんだよ」
「もう一つ大きな意味?」
瑠奈が声を上げた。都は瑠奈を見て、指を突き出した。
「私が今言ったトリックの一番のリスクって何だと思う?」
「どこかに隠れている三竹妹が見つかる事か」
代わりに答えた結城に都は「ピンポーン」と声を上げた。
「そうもし死んだはずの三竹優子さんと同じ顔を持つ別の人間が見つかれば、トリックも共犯者も一発でわかっちゃう。だから犯人は私たちに『犯人は内部の人間、私たちの中の誰か』だと思わせようとしたんだよ。私たちがロッジ中を探し回ってどこかに犯人が潜んでいないか探させないために!」
都は言った。岩沼は生気のない顔を都に向けた。もはやそこに好色で自己中心的な俗物の姿はなかった。そこにいたのは聡明な殺人者。彼は都が全てを暴いていると覚悟し、彼女に引導を渡されることを覚悟していた。
「でも第二の事件で元山さんは殺された事件。この医者にはアリバイがあったじゃないですか」
三枝典子が悲鳴に近い声を上げた。
「この第二の事件のアリバイトリック…これは犯人が仕掛けたトリックだと考えると解けない…これは被害者の元山が仕掛けたトリック。岩沼さんにとって想定外のラッキーだったんだよ」都は言った。
「ど、どういう事だ」
結城が声を上げる。都は話を続けた。
「元山さんは計画に加担させた岩沼さんを口封じにしようと考えていた。彼は内線電話で私たちに話しかけてきた。でもこの時彼は内線電話の子機を使って電話をかけながら部屋を出て歩いて10分かかる東棟にやってきたんだよ。子機で電話したのはずっと部屋にいたように見せかけるため。私たちに2分経ったら電話すると言って1回電話を切って、岩沼さんの部屋に来て眠っている岩沼さんを殺そうとしたんだろうけど、元山議員は自分を殺しに来る事を予測していた岩沼さんに殺された。この時岩沼さんは元山議員が持っていた電話の子機を見て、彼が仕掛けたアリバイトリックに気が付いたんだよ。そして鍵と子機を奪って大急ぎで本館に戻って、子機を元山議員の部屋に戻しておいた。そして私たちと合流して10分分のアリバイを確保したんだよ。本館と東館の間は坂道になっていて、東館にあったソリを使えば帰り道は5分くらいで帰れるしね。元山議員が結城君にかけた電話で背後にクラシックが流れていたのは、電話しながら外に出た時吹雪の音を消すため。彼はクラシックを大音量で再生する携帯ラジオを体につけて、吹雪の中を結城君と電話しながら岩沼さんを殺しに行った。千尋ちゃんと勝馬君が聞いた唸るような吹雪の声はクラシックの音だったんだよ。トリック自体はコナン君や金田一君でも見たような単純なものだけど、まさか被害者が仕掛けたとは思わない。だから私たちは元山議員が電話を切った10分前まで本館にいてそのあと東館に移動して殺害されたと思ったから、元山議員が東館に行く時間と犯人が本館に戻る時間、往復15分は必要なのに、8分後に私たちの前に現れたあなたには完璧なアリバイが成立したんだよ」
都は犯人をじっと見つめた。岩沼は目をじっと閉じて都の推理を聞いている。うすら笑いを浮かべた野心家の顔はもはやそこにはない。都はそんな岩沼の横に立って推理を続けた。
「第三の事件で倉庫で焼け死んでいた焼死体は、三竹さんの妹さんの方だよね。納屋に火をつけたのは朝になってからだろうけど、彼女を殺したのは昨日の早い時間だったはずだよ。多分元山議員が殺される前。もし三竹優愛さんがこの島にいることが分かったら全てのトリックは台無しだから…」
「し、証拠はあるんですか?」
三枝が信じられないというように混乱した声で都に聞いた。
「勿論優愛さんもこのスキーロッジに何回か来ているからロッジにあるものに指紋が出てきてもおかしくはない。でも」
都は岩沼を見上げた。
勝馬君が元山議員の頭からニット帽を取り上げた時、三竹さんは勝馬君をゴリラ呼ばわりしてニット帽をごしごし洗うって言ってた。ごしごし洗われたとしたらあの帽子に勝馬君の指紋はついていない。そしていくら双子の姉妹だとしてもこの島に来ていない妹の優愛さんの指紋が付いているなんてはずはないんだよ。もしあの帽子から優愛さんの指紋だけが出るようなことがあれば…立派な物的証拠になるんだよ」
都の止めの宣告に一同は岩沼を見た。
「帽子の鑑定は間もなく終わるだろう」
長川警部は岩沼医師の横に立った。岩沼は抑揚のない声で聞いた。
「都君…何がいけなかった…僕のトリックの何がいけなかったんだい…」
岩沼の敗北宣言は消え入るようなものだった。そして穏やかに都を見ながらため息交じりに苦笑し女子高生探偵を敬意を湛えるような視線で見た。「やはり氷柱かな」
都は首を振った。
「それは朝私の部屋の氷柱を見て初めて気が付きました。あなたが犯人だと気が付いたのは、元山議員の部屋の窓がなぜか開いていた事です。窓から出ていくにしても普通は閉めていきますよね。あれ、開けていたのは窓際の親機から手に持っている子機まで電波障害をなくすためです。東館は元山議員の部屋から真っ直ぐ見えていましたし、千尋ちゃんに聞いたら、障害物がなければ業務用なら500メートルまで通話できるものがあるみたいなんですよ」
都はにっこり笑った。
「なるほど…」
「第二の事件のトリックが読めれば必然とアリバイがある人が怪しくなります。あの時もう一人私たちの前にあなたと現れた三枝さんは私が電話中に一回現れました。犯行は不可能です…となると残りは?」
「完敗だな」
都の得意げな笑顔に岩沼は穏やかに苦笑し女子高生探偵を称えた。
「どうしてなのかな」
都は一転して寂しげな顔で言った。
「お金目的でこんな事をしたわけじゃないよね。あなたは自分がさやかさんって女の子を殺した犯人みたいに言っているけど…さやかさんは…」
「僕の娘だ…」
岩沼は今まで秘めていた想いを吐き出すように言った。それに全て合点がいった三枝典子が息を上げて口を押え、目を震わせた。その視線の先で岩沼は消え入るような声で話を続ける。
「血はつながっていなかったが…それでも僕にとっては実の娘には変わらなかった。だがあいつらはそんなさやかを虫けらのように殺した! だから僕は罰を与えたんだ」
穏やかな空気が一変した。凄まじい憎しみが岩沼から沸き起こり、その目がカッと見開かれた。悲しい動機の告白が始まった。

10

「医師になりたてのころ、うちの病院で絶対的な権力を持っていた大学教授が僕に命令してきた。今度結婚する愛人の前の父親の子供の里親になれというものだった。イエスと言えば相応の地位につけてやるノーと言えば医者でいられなくしてやる…そう言われた」
岩沼は話し出した。

 その日JR駅前のペデストリアンデッキでその事待ち合わせをしていた岩沼はどんな子供がやって来るのかと思って待っていた。冬の空気が寒くクリスマスソングが流れている。世間はクリスマスなのにその子は親に今日捨てられるという悲しい日を迎えているわけだ。
 だがその時彼の目の前にやってきた10歳の少女はロングパンツにセーターを着こんでかわいいリュックを背負って
「こんにちは! あなたが岩沼さんですか」
「あ、ああ…」
「さやかです。よろしくお願いします」黒髪ショートの少女は笑顔でぴょこんとお辞儀をした。
「あ、ああ…こちらこそふつつかな父親だけどよろしく…」
すると近くを歩いていたおばさんが「パパ活かしらヒソヒソ」と話しているのを見て岩沼は
「ちげーよ、俺は本当のパパになるの!」
目の前ではくすくす笑っているさやか。

「全く、いきなり25歳の独身の俺が一人の女の子の里親になるんだもんな。面喰っちまったよ。あの子は本当に明るい子でな、散らかり放題の俺の部屋を勝手に掃除するわ勝手にご飯を作るわ…そんな事をしなくてもいいって言っても『娘だから』って言って、休日は一緒に博物館に一緒に行って…俺はほとんど天涯孤独だから家族が出来て嬉しかった。でもある日…」

「パパ…おかえり」
笑顔で出迎えたさやかに岩沼は小さく俯き…。
「さやか…実は偶然お前のGoogleの検索履歴見てしまったんだ…」
さやかの顔が青ざめる。
「闇サイトで小学生のパパ活で愛される方法ってのにアクセスしていたよな。食事を作ってあげたり美術館に一緒に行こうって言ったり…それもこのサイトのマニュアル通りだった…このサイトにはロリコンの父親が求めてきたときの対処法まで書いてあった」
さやかは恐怖にガタガタ震え、びくびくとさせながら謝った。
「ごめんなさい…ごめんなさい…裏切ってしまって…」
「謝らなくてもいいんだ! むしろ謝るのは俺の方だ」
さやかを岩沼は抱きしめた。
「考えてみればそうだよな。子供が親に捨てられて新しい親を信じられるわけない。当たり前なんだよ…でも俺に対してはそんなことはしなくていい。お前は俺の子。何も心配しなくていいんだ!」
さやかは最初抱きしめられて呆気にとられたようだが、やがて岩沼の肩に顔をうずめて号泣した。
「怖かっただろう…もう大丈夫だ…もう」

「あの日から、あの子は本当の笑顔を見せてくれるようになった」
都の前で岩沼は言った。
「小学校の運動会では男の子を追いかけまわして騎馬戦で片っ端から帽子を奪っていたな。中学校では吹奏楽部だった…。あの子は高校では軽音部に入りたい…あの子はそう言っていた…。だが彼女がギターを買うために始めたアルバイトで…あいつらに…あの悪魔みたいな3人に出会ってしまったんだよ…」
岩沼のふっと思い出すような口調が一転、憎しみにドロドロになったものに変わった。結城は彼の告白の行き着く先がわかって体を震わせる。
「元山が社長を務めるスーパーの店舗でバイトしていたあの子は、元山社長と幹部社員に犯されたんだ…。あの子が突然学校に来なくなり家にも帰らず、携帯電話のメールには悪い仲間と出会って楽しくやっている…そう書いてあった…。愚かな親だろう。僕は娘を信じてやれずグレたと思って必死に夜の街を探し回った。元山は里子や孤児院出身の若者ばかり雇う優良企業という事で厚労省から表彰もされていたが、実際は親が助けてくれないことを良いことに彼らを奴隷にしていたんだ。実際はあの子はスーパーで18時間働かされ、さらに社長や幹部連中に性奴隷にされていた…。そしてあの時僕の病院に通報があって、全裸で用水路に溺死しているあの子の検視を僕はする羽目になったんだ」

あの時の河川敷。
「さやか、もう大丈夫だぞ…冷たくないからな…風邪ひかないように服を着せて家のストーブで温まろう…」
用水路の路地でよどんな目をぽっかり開けたままのさやかを必死でふいてあげながら、岩沼は譫言の様に言ったが、さやかは冷たいままだった。
「さやか…さやかぁあああああああああああああ」

「怖かったに違いないんだ。10歳のあの時僕の前で涙を見せてくれたあの子が、虐待を受けるのがどんなに怖かったか。あの子は僕に何度も助けを求めたに違いないんだ。でも僕は助けてあげられなかった」
岩沼の告白に千尋の目から涙が流れた。結城はため息をつき、長川も悲し気に岩沼を見る。都は岩沼の悲しみを受け止める様に彼の真ん前に立った。
「警察は全裸で性的暴行の跡があったにもかかわらず、彼女が里子という理由で不良と戯れるなど荒れた挙句精神崩壊を起こして自ら川に全裸で飛び込んだと判断した。僕が抗議すると刑事は『お前は所詮里親だろ』と怒鳴ってきた。唯一の手掛かりはさやかが握っていた元山が経営していたスーパーのレシート…。僕は元山が今後県議になるというので奴が募集していた専属医に応募したよ。僕はさやかの検視カルテを持ち出し、あの男に高額で雇ってくれれば全て黙っていてやるとカマをかけた…。勿論苗字は違うから里親だとバレることはなかった。するとあいつはこう言ってきやがった―――」

選挙事務所応接室でへらへら笑いながら元山は言った。
「あれは私がやったんじゃないんです。双子の愛人が私にこびへつらいエッチを求めるあの高校生に嫉妬して…あの子を風呂に沈めて苦しめている時殺してしまったんです。でも先生も悪い人だなぁ。カルテを持ち出すなんて…。しかも検視ミス…。これがバレたら先生も終わりじゃないですか」
能面のような表情でそれを聞いていた岩沼は笑顔で返した。
「だから同じ穴の狢になろうって言っているんです。僕が欲しいのは健康で文化的な最低限度の生活と余暇…病院勤務は体力的につらすぎるんですよ」

「僕はあの子が死んでから今まで寝るときも仕事している時も休んでいる時も24時間永遠にあの子の地獄の苦しみばかり頭の中でフラッシュバックして、まるで地獄の業火に行きながら焼かれているようだった。あれだけ大人に苦しめられ怖がりで寂しがり屋の彼女がどんな思いで悪魔に囲い込まれて生き残ろうと頑張っていたのか…死ぬときにどんなに怖くて苦しかったのか頭の中で勝手に想像される地獄の業火…だが島君」
この時岩沼は血走った目で都を見上げて笑った。
「あいつらのあの言葉を聞いたとき…その地獄の業火がすっと消えたんだよ。あいつらの復讐を誓い、考えている時だけ…地獄の業火がふっと消えるんだ…。僕はそれに麻薬のようにおぼれた。性暴力で殺された何の罪もない女の子の死を権力の為に偽造した医者…。そんな最低な医者を演じながら僕は元山議員の専属医になったよ。最初の仕事はさやかをレイプした幹部社員の一人でありながら、借金まみれになって元山議員をゆすろうとした奴への折檻だった。あいつをぼこぼこになるまで議員の自宅でリンチして…その時心の中でなんであの子を、あんな優しいさやかを殺したんだって聞きながら、積極的にリンチしてみせて、そいつが死んだ時、僕はあの悪魔どもと一緒に笑っていた。そうあの時から僕は人間じゃなく悪魔になったんだ。そしてリンチで殺した人間の死亡診断書に嘘を書く…。この事件で元山は僕のことを信じてくれるようになった。いや、利用できると考えたんだろう…そして僕は奴から三竹優子の殺害計画を考える様に言われた。僕は千載一遇のチャンスだと思ったよ。あいつらを皆殺しにして…警察も救う対象から外したさやかと同じ若者を救うための…。後は君の言う通りだ…」
岩沼はふうと息を吐いた。
「これで、業火の苦しみからは永久に解放されるはずだった…。でもその苦しみは今もっと強くなって僕を苦しめている。例え完全犯罪を成し遂げたとしても…もう僕はダメだっただろう…本当はこんなことわからないはずはないのだが…でもそれでもあいつらが笑ってさやかがされた虐待を繰り返しているなんて…僕は…僕は、あああああ」
彼の目から熱い涙が流れ出し、頭を押さえて震えていた。その様子に三枝は口を両手で押さえて涙を流していた。やがてフラフラと前に歩き出し、長川の前に両手首を差し出した。長川が自分に手錠をかけるのを確認してから、岩沼は都を振り返った。
「島君…僕からも君に一つ推理をしていいか…君は本当はさやかなんだろう?」
都は一瞬呆気にとられた顔をした。岩沼は笑顔で
「おかしなことを言っているのは分かっているんだ。でも出来過ぎだろう。さやかそっくりな女の子がよりにもよって僕の犯行を暴くなんて…人を殺しておきながら罪から逃れる僕を諫める為に来てくれた…違うか…」
「違うよ」
都は笑顔で言った。
「もし私がさやかさんだったら、あなたに絶対人殺しなんてさせない…。ごめんね、止めてあげられなくて」
その笑顔は悲し気だった。岩沼は「そうか」とだけ言った。
 それから間もなく外で待機していた長川警部に、岩沼は自首した。

 数週間後、島都は水戸拘置所にいた。面会室の扉が開けられる音がしてアクリル板の向こうにワイシャツ姿の岩沼達樹がやつれた表情で看守に付き添われてやってきた。
「島君」
「こんにちは!」
都が笑顔で返事をした。
「長川警部からあまりご飯を食べていないって聞いていて、心配になって来ちゃったよ。弁護士さんにも死刑になってもいいって言っているみたいだし。まだ岩沼さん、地獄の業火に焼かれているの?」
岩沼は頷いた。都は「そっか」と朗らかに言ってから、
「今日はさやかちゃんと一緒に働かされている人が岩沼さんの裁判で証言してくれることになって、弁護士さんからそれを伝えるように頼まれたんだよ。その人はさやかさんが凄く勇気のある女の子だったって教えてくれたんだよ」
都がにっこり笑うと岩沼の顔に生気が宿った。
「さやかは…」
「さやかちゃんはね、自分を助けてくれるようにこっそりお客さんにメモを渡していたみたい。それを見た主婦の人が警察に通報してくれたみたいなんだよ。でも警察は労働基準監督署に通報しただけで労基の人は元山社長に話を聞くって言う中途半端な事をしたせいで、閉じ込められていた人たちはみんなでリンチされそうになってた。さやかちゃんは他のみんなを守るために自分から名乗り出て、三竹姉妹や社長や幹部の人に連れていかれたみたい…さやかちゃん…すごい勇気がある子だよね。それに優しい子…」
「さ、さやか…」
岩沼の目が驚愕に震えている。
「さやかちゃん、証言してくれる子に言っていたみたいだよ。『私のお父さんは凄く優しくて私のことを絶対に見捨てはしない。そんなお父さんみたいな大人もいるから大丈夫だ』って…さやかちゃんは岩沼先生に会ったときみたいに大人に怯えて必死で相手の気持ちをうかがっていただけじゃない。岩沼さんを信じて希望を持っていたんだよ…。岩沼さん…さやかちゃんは惨い死に方をしてしまったけれど、岩沼さんはさやかちゃんにとって大切なヒーローだった」
都が笑顔で語り掛ける間、アクリル板の向こうで岩沼の目から熱い涙が零れ落ちた。
「だからきっと復讐だけで全てを終わらせるんじゃなくて、ちゃんと生きて罪を償ってその優しさを自分以外の誰かを助けるのに使ってほしいと願っているんじゃないかな」
「ずるいな。島君は」
岩沼は涙をボロボロ流しながら言った。
「君みたいなさやかにそっくりな女の子に言われると説得力があるじゃないか」
岩沼は両手で顔を覆って泣き出した。この時彼の体から復讐という悪魔が抜けていくのを都は感じていた。

「これで岩沼さんも大丈夫ですよね。」
秋菜は帰り道に都の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ秋菜ちゃん、岩沼さんはちゃんと生きて罪を償ってくれる。あの人はさやかちゃんの最後の願いを裏切ったりはしない」
都がそう言ったまさにその時も、岩沼は拘置室で子供のように泣き続けた。
「でもなんで、お前、あの岩沼の本当の姿に気が付いたんだ?」
結城が聞くと、都はにっこり笑って
「岩沼さんが千尋ちゃんに言った、あの言葉だよ」

―「へっ、仮に焼死体が真犯人じゃなかったとして、僕を襲った男が何故この中にいるって話になる。僕を襲った事件以外じゃね、ここにいる全員、従業員や大学生諸君含め、全員に何かしらのアリバイがあるんだよ」

「あの言葉、変だと思ったんだよ。あの時能面は結城君の傍で岩沼さんを襲っていたんだよね。もし岩沼さんがこの人を男だと断定出来たのなら、当然結城君や瑠奈ちんだって気が付いていたはずだよ。その時思ったんだよ。岩沼さんはこの時『真犯人である自分を襲う動機があるのは三枝さんしかいない』って。だから大切なさやかさんの親友を犯罪者にしないために、さりげなく三枝さんのアリバイを主張した。だってもし岩沼さんが自己中だったら、自分には犯人に襲われたって鉄壁のアリバイがあるわけだし、誰かを庇う必要なんてないんだよ」
にっこり笑う都に結城はため息をついた。
「なるほど、お前らしい着眼点だ」
バス停までの道は久々にポカポカ温かかった。

おわり

能面高原殺人事件❹7-8 転回編2

7

【容疑者】
元山孝信(54):議員。小売店社長。
三竹優子(27):元山の愛人。
・岩沼達樹(39):議員専属医。
・青山はすき:女子大生
・江崎レオ(21):大学生
・槇原玲愛(20):女子大生
・川又彰吾(58):ロッジオーナー
・三枝典子(18):ロッジ従業員。
・昌谷正和(59):不動産業者

「瑠奈ちん!」
都は絶叫しながら窓の外から闇に連れ去られてようとしている親友の高野瑠奈を助けようと窓を開けて飛びかかろうとした。すると彼女の体はすーーーっと落ちていく。窓の外には不気味なお経が聞こえて、落ちていく下には不気味な能面が都を串刺しにせんと日本刀を空に向けて突き出している。
 それが自分の体に突き刺さる瞬間、都は目が覚めた。
「瑠奈ちん!」
都が飛び起きた瞬間、目の前に彼女を覗き込んでいた秋菜がいて、おでこに盛大にごっちんしてしまった。
「きゃぁっ、あたたたたた」
「あ、ごめんごめん。秋菜ちゃん…瑠奈ちんは?」
「今乙女の着替え中」
瑠奈がブラジャーの上に保温性のあるシャツを着こみながらその上にセーターを着る。
「し、師匠…朝ごはんですよ
秋菜がおでこを押さえながら言った。

「結城君寝不足だねぇ」
都がダイニングで目玉焼きを食べている結城君を覗き込んだ。
「こいつが爆睡していたせいでな」
朝食のご飯を典子にお替りする勝馬を見ながら、結城はため息をついた。
「俺一人で不動産屋さんを見張っていたんだよ」
「私を見張っていても無駄なんですよ。私は犯人じゃないんですから」
不機嫌そうな昌谷。
「そうだ…都。この昌谷さんも東館で窓の外から不気味なお経みたいな声聞いていたんだってさ」
結城が味噌汁しゃばしゃばしながら都に言った。
「えっ」
都が目を見開いた。
「本当ですって…吹雪の中から何かが響くような声が…」
昌谷の声に都の目が見開かれた。彼女は突然脱兎のごとく椅子から飛び出し走り出す。
「おい、都…飯の最中だぞ! すいません、ちょっとこのままで」
結城は川又にお願いしてから、都の後ろを追いかけて走り出した。
 都は殺された元山社長の部屋に立っていた。
「都…どうしたんだ」
現場の部屋で真っ直ぐその窓から東館に目を凝らす都…。
「結城君…ちょっとみんなにも協力して欲しい事があるんだよ」
都は無表情で言った。
「協力?」
結城は訝し気に聞いた直後、目を見開いた。
「わかったのか!? 第二の事件の何かトリックが…」
と声を震わせた。都は頷いた。
「うん、私の推理が正しければ、元山社長の殺人ではアリバイトリックが使われていて、そのアリバイで真犯人は鉄壁のアリバイトリックを手に入れたんだよ」
都の真っ直ぐな目を見て結城は頷いた。
「わかった…。高野たちを呼んでくる」
その様子を廊下で黒い影がじっと見つめていた。不気味に見開かれた目が、爛々と震えている。
―何と言うことだ。私が元山を殺した殺人トリックの正体に気が付いたというのか。こうなれば最後の殺人を急がなければ…。

 社長の死体のあった東館前の丘の上。結城と瑠奈は戦慄していた。
「嘘…実験、成功しちゃった」
瑠奈は声を震わせた。
「でも一体これに何の意味が」
結城は驚愕と疑問が同居した声を上げる。
「とにかく戻るぞ…」
結城は瑠奈を促して歩き出した。
「これであの本館にいる連中のうち何人かのアリバイは崩れた」
「でも、そうだとしてもわからない所はあるよ」
結城の後ろを追いかけながら瑠奈は言った。
千尋が聞いたあの吹雪の中のお経…あれには何の意味が」
瑠奈の声が聞えていないかのように結城はしばらく歩き続けた。

―殺してやる…殺してやる。
 日本刀を手にした能面が雪原を歩いて標的へと向かっていく。能面はゆっくりと歩きながら雪原を歩くある人物の背後にゆっくりと近づいていく。
―さやかの苦しみを思い知るがいい。お前がこの連続殺人事件の最後の犠牲者になるんだ。岩沼達樹!

 5分くらい歩いて残り3分の1となったときだろうか。
「このあたりが俺らがお経を聞いた場所だ」
と結城は言った。吹雪が少し強くなり大分ホワイトアウトに近くなっている。こんなところで不気味なお経が聞こえちゃたまらないと歩みを進める結城と瑠奈。
 だが、聞えてきてしまった…恐ろしいお経の声が吹雪の中で。
「結城君!」
瑠奈が悲鳴を上げて結城に縋りつく。
「まただ」
結城は歯ぎしりした。このお経が何の合図なのか、何の意味があるのか。分かっているのは少なくとも何か恐ろしい事が起こる前兆だという事だ。真っ白い吹雪の世界から、あの能面が現れるのか…。結城は鼓動を抑える様に瑠奈を背中に回して必死で音の発生源を探ろうとする。
「結城君!」
瑠奈が結城に縋りつくように悲鳴を上げた。結城が咄嗟に振り返ると、物凄い形相をした岩沼医師がこっちを見ていた。
「お前ら…何をしているんだ」
岩沼の顔には恐怖が浮かんでいた。何か恐ろしいものを見ているような恐ろしい形相。それは今聞える唸るようなお経を聞いている事によるものなのか…。その時だった。彼の背後に黒い影が吹雪の中から現れた。それは能面を付け日本刀を付けて蓑を羽織った、ああ、この事件の殺人者「能面鬼」の姿だ。
「岩沼後ろ‼」
結城が絶叫し、岩沼が振り返った瞬間日本刀が振り下ろされ、刃物が岩沼の肩にざっくり食い込んだ。どう考えても骨まで達するくらいに。
「ぐぁああああああああああああ」
岩沼が絶叫して雪の上に倒れた。日本刀は肩に食い込んだままだった。
「た、助けてくれっ」
「高野‼ 岩沼を頼む」
結城が踵を返して雪闇に消えようとする殺人者を追いかけようとしている。
「待って」
瑠奈は大声をあげた。
「私ひとりじゃ運べない。凄い傷よ。放っておいたら死んじゃう」
結城は倒れて痙攣している岩沼を見下ろした。刀が食い込んだ状態で真っ赤な血の海を雪に作りながらうつ伏せに震えている。
「くそっ」
結城は震えている岩沼を置いてロッジの方に走り出した。
「人を呼んでくる。これじゃぁ動かす方がやばい」
結城が声を上げた直後だった。突然激しい爆発が発生した。見ると東館横にある納屋から黒い煙が上がっているのが見えた。
「どうしたんだ!」
ロッジの方から川又オーナーを銭湯に江崎や昌谷などが飛び出してきている。
「うわっ、なんてことだ」
遠くで炎を上げている納屋を見ながら、オーナーは悲鳴を上げた。木造の古い納屋はあっという間に炎に包まれ、そのまま崩れ落ちた。
「結城君!」
都が心配そうに声をかける。
「さっき能面が現れた。そして岩沼がこのざまだ」
結城は肩に刃物が刺さったまま苦しむ岩沼を見た。
「大丈夫。私は自衛隊で衛生隊員をやっていました」
川又は震えている岩沼を抱き起した。
「男性の方は運ぶのを手伝ってください」

「どうです。岩沼さんは」
彼が救護を受けている部屋から出てきた川又オーナーに瑠奈と千尋は心配そうに聞いた。
「肩の傷は酷いですが、血管や神経は無傷でした。しかしギリギリ大丈夫だったというレベルです。犯人は明らかに強い殺意で彼を襲ったんでしょうね」
川又は救急箱を瑠奈に渡した。
「すいませんがちょっと納屋の様子を見てきます。不本意かもしれませんが岩沼さんの様子を見ていていただけませんか?」
「わかりました」
瑠奈は頷いた。
「本当、瑠奈さんや結城君に怪我なくて良かったです。犯人、後ろから日本刀で襲ってくるような凶悪な人ですから。本当に何もなくて良かったですよ」
三枝典子が心配そうに瑠奈を見た。
「本当、生きた心地はしなかったわ」
瑠奈は少しげっそりして胸を押さえた。
「結城の野郎。ちゃんと瑠奈さんを守れって言うんだ。俺だったら犯人をぺちゃんこにしてやるって言うのに」
勝馬が拳を叩く。
「悪かったな。寝坊助野郎」
結城がいつになく暗い顔で言った。
「お前…納屋は大丈夫なのかよ」
「元々ぼろかったし燃えていた屋根とかは吹雪で飛ばされて火は消えたよ」
結城はオーナーの前で言った。
「それよりオーナー、ちょっと全員の所在を確認してくれませんか?」
「え」
結城に言われて川又オーナーが怪訝な顔を押した。
「またアリバイ確認?」
槇原玲愛が談話室から歩いてきて腕を組む。
「いいえ…生存確認です」
結城は声を震わせた。
「納屋から人間の焼死体が出てきました」

 東館前の雪原。焼け落ちたがれきの下で熱硬直した人間の黒焦げ死体を前に秋菜は「ううううっ」と口を押さえてしゃがみ込んだ。
「助けて…気持ち悪い…」
「大丈夫…大丈夫…」
都は震えている女子中学生探偵助手の背中をさすった。
「都」
結城が2人の少女の背後から声をかけた。
「誰か行方の分からない人はいたの?」
秋菜が口を押えながら呻く。
「いなかった。全員生きてたよ。大学生チームも昌谷もオーナーも従業員も、岩沼もね…」
「そっか」
都は少しほっとした声を出した。
「しかしそうなると…都…これはとんでもない事になったぞ。俺たち以外に得体のしれない人物がずっとこの吹雪の中見つかる事もないまま潜んでいたって事になる」
トタンが風でめくりあがり、眼窩が溶けて歯がむき出しになった焼死体の顔ががこっちを向く。秋菜が目を覆った。
「うん」
都は頷いた。

8

「なるほど…つまりこう言うことか」
ロッジのロビーで包帯が巻かれた肩を押さえながら、岩沼はへらへら笑った。
「こいつは偉そうにこの事件では俺たちの誰かが犯人だって偉そうに言ってくれていったんだが、結局得体のしれない誰かがこの近辺に潜んでいたってオチだったんじゃないか。何がアリバイだ…。ふざけやがって」
「本当、いい迷惑でしたよ」
昌谷もじろりと都を見る。都はソファーに座って下を向いたままだった。ただ打ちのめされているというよりは何か思案しているように見えた。だが昌谷はそれに気が付かず一方的にまくしたてる。
「犯人だと疑われて、こんなところで一晩明かす羽目になって。どう責任を取ってくれるんですか」
「別に師匠が犯人だと決めつけたわけじゃないですよね」
多分昌谷の文句が頭に入っていないであろう都に代わって秋菜はぴしゃりと言ったが、岩沼が意地悪く反応する。
「お嬢ちゃん。そうは言っても僕が襲われた事件ではこの女子高生探偵に責任があるからな。こいつが犯人は俺たちの中にいるって言うもんだから俺は第三者の存在など気にせず散歩に出かけたってわけだ。だが犯人に襲われた。かなりの重傷だ。治療費は請求してやるからな」
「何か言ったら?」
江崎がひにひに笑う。
「君の推理のせいで岩沼先生が襲われたんだからさぁ。一言謝ったらどうだろう」
「うるせぇ。こんな時に一人で吹雪の中フラフラ出歩く方が悪いんだろう。内部だろうが外部だろうが、なんで都さんが責任取らなきゃいけないんだ」
勝馬は江崎に掴みかかろうとするのを千尋が手で制しながら強い口調で江崎に抗議する。
「そうよ。この事件みんな部屋にいたり仕事していたりしてバラバラだったんでしょ。全員にアリバイはないんだから、まだ納屋の焼死体が本当に真犯人かなんてわからないじゃない」
「へっ、仮に焼死体が真犯人じゃなかったとして、俺を襲った男が何故この中にいるって話になる。僕を襲った事件以外じゃね、ここにいる全員、従業員や大学生諸君含め、全員に何かしらのアリバイがあるんだよ」
岩沼が小馬鹿にしたように千尋を見る。
「そうだよ、大体真犯人じゃなきゃ、なんで誰にも知られずこのロッジに潜んでいるんだよ!」
江崎が大声を出した。
「やめなよ。江崎君」
槇原玲愛が江崎を宥める。
「もしあの黒焦げになった人が犯人だとすれば、犯人は岩沼先生を切りつけた後、納屋に放火して自殺って事じゃない。つまり私たちはもう安全。犯人は死んじゃっているわけだしね」
「俺は殺されてよかったって言うのか」
岩沼がじろりと玲愛を見つめる。はすきが後ろでオドオドしている。
「高校生探偵が間違えるって事は冤罪が起こるって事だろう? ふざけんじゃねえぞ。お前のせいで俺らは殺されていたかもしれないんだ」
江崎が女の前で都を怒鳴りつける。都は一瞬江崎を見上げて、まるで能面のような抑揚のない声でつぶやいた。
「そうなんだよ。私なんで真犯人は内部犯って思い込んだんだろう」
「知るかよ!」
江崎はイラついていた。

「気にすんなよ、都」
廊下で結城は小柄な女子高生探偵の頭をなでなでした。
「お前のせいじゃない…。お前は事件解決の為に精一杯頑張ってるんだ」
「ううう、でも気になるよ」
都は考え込んでいた。
「どうして私は外部犯だと考えずに私たちの中に犯人がいるって思い込んじゃったんだろう」
「あれは第一の事件でのトリックがな」
結城が声を上げた時、都はハッと何かに気が付いた。
「そうなんだよ、結城君! 私は今までまんまと犯人の罠にハマったんだよ」
都は興奮した様に結城に小柄な体を背伸びして手をバタバタさせた。
「でもそうだとしたらそれに何の意味があったんだろう」
結城が何かを答える前に、都は自分で自分に質問して廊下を歩き回った。これは都が何事件の核心に迫った時見せる癖だった。結城は小柄な女子高生探偵が知恵熱出して何か考えているのをじっと見つめた。
「ふふふ、どう?」
瑠奈が笑顔で結城の横に歩いてきた。
「ああ、第2の事件のトリックは分かっているんだ…。つまり犯人はやっぱりこのロッジにいた連中の中にいる。生き残っている探検部と秋菜以外の7人の中にな」
「だから結城君都が怒られてても何も反論しなかったのね」
瑠奈が笑った。
「ああ、あいつの邪魔はしたくなかったしな。俺の見立てではこの事件は、第一の事件でアリバイトリックを仕掛けた意味、第二の事件のアリバイトリックと俺たちが聞いたお経の正体、第三の事件で見つかった焼死体の正体…。この3つの大きな謎があるんだ。そしてあいつはこの3つの謎を一度に明らかにする最後のピースを探している。最後のピースが埋まれば…あいつは一気に真実にたどり着く」
結城はじっと都を見た。瑠奈が「うーん」と考えてみる都を優しく見守っている。
「何か、都の頭の中で起こっているみたいね。凡人の私たちには想像も及ばない何かが」
「想像も及ばない…何か…か」
結城が呟いた。
「そう、トリックって言ったら氷の氷柱とかを使ったトリックしか考えられないような私たちには考えつかないような何かを掴み取ろうとしているのよね」
「いや…」
結城は廊下でふと目を見開いてかわいい童顔を丸くして純粋に何かに気がつた都の表情を見ていった。彼女の頭の中で「氷柱」というキーワードがこの事件を難しくしていた全ての謎を洗い流すように全て明らかにしていた。
「もう謎は解けたみたいだ」
結城は言った。
「瑠奈ちん」
都がにっこりと力強く笑いながら、瑠奈を見て徐に言った。
「氷柱の事話してくれてありがとう。私やっとわかったよ」
「わかったって…」
瑠奈が声を震わせる。都は頷いた。
「第一の事件で犯人が日本刀が落ちるアリバイ工作をした理由、第二の事件のトリックと千尋ちゃんが聞いたお経の正体…第三の事件の焼死体の正体…全部が瑠奈ちゃんがさっき言った氷柱で一つの答えにまとめられるんだよ」
都はじっと結城を見た。
「都…それじゃぁ」
瑠奈は緊張した様に都に言った。都ははっきりと言った。
「うん…最後の謎ピースは埋まったよ! 出来上がったパズルには犯人の顔がくっきり見える」
 その直後だった。三枝典子が息を切らして階段から今いる廊下に駆け上がってきた。
「結城君、瑠奈さん、都さん! 警察の雪上車です。私たち助かりました」

 恐怖に苛まれた高原のクローズ・ド・サークルはあっさりと開け放たれた。雪上車の警官が殺人現場に勝馬によって案内され、雪上車の無線で応援を求めている。
「やったぁあっ」
玲愛がぴょんぴょん跳ねて青山はすきに抱き着く。
「私たち助かったんだ!」
「警察…来てくれたんだ」
秋菜がロッジの前で立ち尽くした。だがそれを押しのける様に肩を包帯で補強した岩沼医師が警官の前に立ちふさがった。
「おい、警官。僕を真っ先に連れていけ…僕は怪我人でお前らにとっては天上の存在に近い県議会議員で社長の個人ドクターだぞ」
「そのどえらい先生はこの事件で全員死んだがな」
昌谷がじとっと憎しみと軽蔑のまなざしで岩沼を見た。
「もうお前にはお前を支えてくれるスポンサーなんざいないんだよ」
その言葉に岩沼は一瞬顔をひきつらせたが、すぐに享楽的な顔をしていった。
「大丈夫ですぜ。僕はこの殺人事件を手記として出版するんだ。間違いなく大儲け確実でしょうぜ。だって県議会議員とその愛人がくたばったんですから。それを近い立場から書けば、僕の知名度は安泰だ。ヒャハハハハハ」
狂ったように笑う医師を見て、千尋が小さな声で「最低」と呟いた。
 そんな醜悪な医者をじっと見つめる黒い影がいた。その影はさやかの復讐の為に必ずこの岩沼を殺してやると誓っていた。

 茨城県警の長川警部が到着した。読者諸君なら知っているだろうが、都とは顔なじみの30歳の女性警部である。
「都」
長川は規制線をくぐってロッジに入って都を見た。
「都…思った通りの結果が出たぞ」
「そっか…それじゃぁみんなを帰してあげて…」
都は長川警部を振り返った。
「みんなアリバイがあるし、犯人は見つかった誰だかわからない焼死体なんでしょ」
都は言った。
「そう言うことにはしているが」
長川は怪訝な顔をした。
「大丈夫…。私の推理が正しければ…犯人は絶対に動くから」

 茨城県県央地域のスーパーマーケットの裏に黒い犯人はいた。この人物こそが高原で3人もの人間を殺害した恐るべき殺人者「能面鬼」だった。その人物はスーパーの裏にあるプレハブ施設に入って来る。
がちゃりと扉を開けて犯人が入ってきた場所は、じめじめした不快な匂いがこもっていた。その中で手錠で後ろ手に固定され、柱に固定されている数人の人影があった。その人物は恐怖の目で黒い影を見上げた。
「終わったよ」
黒い影は囚人に言った。そして徐に錠前を外し始めた。
「一人を除いて全て死罰が下った。さぁ家に帰るんだ…これは君たちの年間の給料だ」
黒い影は用意していた茶封筒を渡した。
「さぁ、君たちの家族の所に帰るんだ」
殺人者に札束が入った封筒を受け取った若者たちは…しばらく戸惑っていたが、やがて茶封筒を受け取ると一人また一人とプレハブから出ていった。
 黒い犯人はその場に立ち尽くしていた。
 あと一人…あと一人殺せば全てが終わる。さやかが無残に殺された苦しみから永久に解放される。あと一人…岩沼達樹をこの手で殺せば。
 黒い影はナイフをスラリと抜き放って鈍く光る刃物を見ていた。
「こんにちは」
突然さやかの声がした気がして犯人はびくりと体を震わせてその方向を見た。一人の少女がにっこり笑って立っている。女子高生探偵島都だ。
「ふふふふ、高原ロッジで3人の人間を殺害した犯人とそれを可能にしたトリックが分かったよ」
都は笑顔のまま真っ直ぐ堂々と犯人の前に立った。
「犯人はあなたです」


さぁ、全ての謎は明かされた。
この事件の犯人とその人物が持つ鉄壁のアリバイを手に入れたトリックは?
【犯人はこの中にいる】
・岩沼達樹(39):議員専属医。
・青山はすき:女子大生
・江崎レオ(21):大学生
・槇原玲愛(20):女子大生
・川又彰吾(58):ロッジオーナー
・三枝典子(18):ロッジ従業員。
・昌谷正和(59):不動産業者

能面高原殺人事件3 転回編1

能面高原殺人事件3 転回編1


 探検部の冬合宿に茨城県の小さな温泉スキー場にやってきた私たちは、その日の夜瑠奈ちんと秋菜ちゃんが不気味な能面を付けた正体不明の人物を目撃。その直後に宿泊客の三竹優子さんの遺体を発見する。現場の状況から遠隔殺人トリック自体はすぐにわかったんだけど、そのトリックを使いなおかつメリットがある人が宿泊客や従業員さんにはいなくて、私たちは謎にぶち当たった。
そして千尋ちゃんが吹雪から不気味な声を聞いたのが第二の殺人事件の幕開けだった。離れの東館で元山孝信社長の惨殺死体が発見された。

【容疑者】
元山孝信(54):議員。小売店社長。
三竹優子(27):元山の愛人。
・岩沼達樹(39):議員専属医。
・青山はすき:女子大生
・江崎レオ(21):大学生
・槇原玲愛(20):女子大生
・川又彰吾(58):ロッジオーナー
・三枝典子(18):ロッジ従業員。
・昌谷正和(59):不動産業者

「くそっ…」
ロッジにいた全員が集まる中で元山の死体を検分する岩沼医師を見ながら結城は歯ぎしりした。
「死亡推定時刻は30分以内。時間はそう経過していない…。結城君、君と社長が部屋で会話していたのは死体が見つかる30分前から20分前だったんでしょう」
「ああ」
結城は唸った。
「この時元山社長は確かに部屋にあった子機から電話していた。時間は夜の23時43分から57分の間…間違いない」
「という事は元山社長は電話を切ってからすぐにこのロッジに歩いて行って殺されたって事になるわよね」
瑠奈が結城の後ろからおっかなびっくり声を上げる。
「ああ、俺もその様子は見ているよ」
岩沼は言った。そして怯える瑠奈に
「なんか正気のない幽霊みたいな顔でなぁ」
と嬉しそうに反応を楽しんでいた。
「でも変じゃありませんか?」
秋菜は言った。
「元山社長はお兄ちゃんとまた電話で話をするって言って電話を切ったんですよね。でも電話に出ないですぐこの東館に歩いて行って殺されました。なんでそんなことをしたんでしょうか」
「お前が聞いたのはテープレコーダーなんじゃないか?」
勝馬が訝し気に言ったが結城は首を振った。
「いや、間違いなく会話は成立していた。あれはあらかじめ録音しておいたものじゃない。元山社長がいなくなった部屋にはちゃんと電話の子機が置いてあったし、間違いなく元山社長は俺と会話する間ずっとあの部屋にいた。つまり元山社長が東館に歩いていく時間10分と…下り坂だから行きよりは短いとは言っても犯人が本館に戻ってくる時間合計15分が必要と考えると、俺が電話を切った5分に出会っている青山さんと岩沼医師は犯行は不可能…」
「俺たちだって犯行は不可能だぞ」
大学生の江崎レオが声を上げた。
「俺と玲愛の2人はずっとキッチンで談笑していたんだ。こういう事件では部屋に閉じこもる方が危ないって言うだろう。オーナーや典子さんも一緒だった…。お前らがあわただしく玄関出ていくのも一緒に見ていたぜ」
「そうよ…私たちは犯人じゃないわ」玲愛がうなずく。
「みんなずっと一緒にいましたか?」
川又オーナーに秋菜が聞く。
「あ、いえ」口ごもるオーナー。すると従業員の典子が声を震わせた。
「あの私は…5分ほど用事があって席を外しました」
「席を外したのは1回だけ? その時俺らの部屋に姿を見せましたよね」と結城。
「はい」
「じゃぁ君は犯人じゃない。俺はあの時元山社長と電話をしていましたからね」
「となると犯人として怪しいのはお前だなぁ」
岩沼はさも意地の悪そうな声を出して不動産業の昌谷正和を睨みつけた。
「な、なにを言っていますのか」
昌谷が作り笑いを浮かべて後ずさる。
「いいか。結城って奴が社長に電話をかけた時、本館にいた奴全員にアリバイがあるんだ。そして俺たちは社長の電話が鳴りやんでから社長を追いかけて東館に向かっている。誰かが社長を殺して本館へ戻ろうとすれば絶対に俺たちとかち合うはずだ。つ・ま・り…東館にずっといて第一の事件を含めてアリバイがないお前だけが、この殺人を成し遂げられるってわけだよ」
「そ、そんな…」
昌谷は声を震わせる。
「結城、北谷って言ったっけ…こいつをとっとと捕まえろよ。こいつが殺人鬼だぜ…」
岩沼が醜悪な顔で振り返った。
「JK探偵…お前もそう思うよな…」
「あれ、都は」
瑠奈が周囲を振り返る。毎度のことであるが女子高生探偵はふらふらとどこかへ消えてしまった。
「もしかして本館に帰っているのかも」
千尋が声を上げた。「私ちょっと見てくるわ」
「俺も千尋さんと都さんをお守りします」
勝馬は意気揚々と千尋を追いかける。

吹雪の中道を見失わないように本館の明かりを頼りに歩く2人。
「やっぱり犯人は昌谷さんなんでしょうか」
勝馬は声を上げた。千尋
「私は違うと思う…これ絶対何か犯人はトリックを仕掛けてあるパターンだよ。それに私が思うのに次に殺されるのはあの岩沼って変態だよ…いかにも過去に悪い事をしているって気がするし」
「ええ、あの人は悪い事をしています」
突然背後から女の声がしてびっくりした。振り返ると従業員の三枝典子が懐中電灯片手に立っていた。
「迷うといけません。私が先導します」
典子はそれだけ言うと2人を先導するように歩き出した。
「岩沼医師が悪い事をしたって言うのは?」
「私の中学時代の先輩を殺したことです」
典子は静かに言った。千尋勝馬も呆気にとられた。
「あの医者は私の中学校の校医をしていましたが、いつも笑顔な私の親友、籠原さやかはこの医者に胸を見せるのだけは涙を出すくらい物凄く嫌がって仮病を使って休んだりしていたんです…。私は変だなって思いました。中学卒業して高校生になって…でもその直後にいくら電話してもさやかが返事をくれなくなっていたんです。私は心配になってTwitterを見ました…」

 お風呂上がりに自宅でスマホをいじる典子。彼女のTwitterを見た典子は驚愕した。そこには典子の裸の画像が投稿され「これでRT稼いでお小遣い欲しいな❤」「エッチ大好き!」と書かれていた。
 あわてて典子は自室のノートPCでさやかにDMした。「さやか、どうしたの? 大丈夫?」と…。そうしたら「うるせぇよ、親友ツラすんな。あざといんだよ」とDMが来た。

「どう見ても誰か別の人が勝手に書き込んでいるじゃない」
千尋が声を震わせた。
「私もそう思いました。私は必死でさやかを探しました。でも前に遊びに行ったさやかの家は別の人の表札がありました。警察に相談しても聞いてもらえなくて…。そんな時に授業中に私の携帯電話が鳴って…公衆電話からだったんですが私妹が入院しててそれで何かあったのかと思って電話をかけると」

典子は大慌てで先生に「先生! 家族から緊急の連絡です。ちょっと外でかけてもいいですか?」と言って携帯に出た。すると
「典子…私さやか…ごめんね…私逃げるから…また遊ぼうね…」
と震える声がしたあと電話を切った。

「私はそのまま校舎を飛び出しました…。そうしたら…校舎のすぐ外で…突然あの岩沼って医師に呼び止められました…」

 中学校の校医の岩沼は息を切らして不気味に声を震わせながら狂気に目を見開いて言った。
「君…籠原さやかの親友だろう…。さやかが今どこに行ったか知らないか?」
典子はその声に恐怖を感じた…。咄嗟に「し、知りません」と声を震わせたが、岩沼は彼女の肩を掴んで
「何か知っているんじゃないか? だからこんな時間に学校の前にいるんだろう?」
「知りません! 放してください!」

「さやかの遺体が河川敷で見つかったのはしばらくしてからです…入水自殺という事でしたが…私には信じられませんでした」
吹雪の中で典子は立ち止まって言った。
「だってさやかの検視をしたのはあの岩沼って医師だったんですから! きっとさやかの死には何かあるに違いないと思っていました…私は岩沼医師をずっと尾行していました。そうしたら元山議員の事務所に出入りをしているのを見てしまったんです…そこで私は髪型と名前を変えて、HPで公開されていた元山が趣味で大晦日に必ず来るこのロッジで働くことに決めたんです…」
「って事はあなたは三枝典子さんじゃない!」
勝馬は素っ頓狂な声を上げた。
「本名は今宮優奈っていいます」
その時の典子の笑顔は素朴な少女ではなく何かどす黒いものに満ちていた。
「おかげで随分いろんなことがわかりました。元山社長と三竹優子夫妻が私の親友さやかを…あいつらが経営するスーパーの従業員だったさやかを風呂に沈める虐待を加えて殺したって事がね。岩沼医師はさやかを全裸で吊り上げてボコボコになるまで暴行した事も会話でわかっています…。この事件がそんなさやかの復讐だとしたら…次に殺されるのは岩沼医師なんじゃないでしょうか」
典子はゾッとするような冷たい声でそう言うと歩き出した。
「の、典子さん」
勝馬が女の執念に戦慄する。と、その直後だった。突然吹雪の中から何かが聞こえてきて千尋の顔が真っ青になる。
勝馬君! 聞こえる?」
千尋の顔が戦慄している。勝馬が慌てて耳を傍立てると、何かが唸るような声が聞こえてくる。何かを呪うような不気味な声が…。
「うひゅあああああああああああ、出たぁああああああああ」
勝馬が悲鳴を上げて千尋にしがみつく。典子も心底驚いたようにあたりを見回した。
「この声…わわわわわ、私がトイレで聞いた声…やややややっぱり私の空耳じゃなかったのよ」
恐ろしい声はなおも轟いている。
「何があったんだ!」
結城が大声をあげながら道を転がる様に駆け下りて来た。
「結城君…結城君にも聞こえるでしょ」
千尋が口をパクパクさせて悲鳴を上げた。結城は吹雪に耳を澄ましていたが、すぐに驚いたように声を上げた。
「確かに…」
結城は心底震えた…この不気味な声は一体何なのか…地獄から響いてくる声は…。
その音はしばらく響いてからやがて消えた…。
「なんだったんだ今の」
結城はため息をついた。
「犯人が流したんじゃねえか。この吹雪の中から…」
勝馬が言うと結城が「何のために」と疑問を返した。千尋は考え込んだ。
「次の殺人事件を引き起こすために…」
「待てよ」
結城は声を震わせた。
「今この本館に一人でいるのは都だけじゃないか!」
結城は弾かれた様に走り出した。勝馬千尋も真っ青になって走り出した結城の意味が分かり、大慌てで走り出す。何故か典子だけは冷静な顔でそれを見送っていた。
 結城が息を切らして走っている。無我夢中で走った果てに、本館の前の玄関で彼が恐れていた光景が広がっていた。
 ピンクの防寒着を着込んだ小柄な少女が仰向けに倒れていた。雪にかすかに赤い血の跡が本館の玄関の光に照らし出されている。千尋がショックで口を押えた。
「都ォオオオオオオオオオ」
結城が目を見開いて絶叫した。

6

「都ォオオオオオオオオ」
結城が絶叫し都の体をゆする。
「都…都…しっかりしろ! 都‼」
「どうしたんだ!」
本館前に東館にいた連中が駆け付けてくる。その中に黒いシルエットの犯人も紛れ込んでいた。
 その犯人は結城が必死で倒れている都をゆすっているのを見て戦慄していた。その光景はこの事件を引き起こした殺人鬼に、自分が愛するさやかの変わり果てた遺体に縋りついている姿をフラッシュバックさせた。
「ほ、ほえ」
都が目をぱちくりさせて結城を見た。
「結城君…ここはどこ、私は誰…」
「お、俺の名前を憶えているなら大丈夫だ」
結城は声を上げた。
「大丈夫か。頭は打ってないだろうな」
「うん、下に柔らかい雪があったから」
都は半分雪で埋まった体を起こしながら額の擦り傷を雪でちょんちょん冷やした。そして笑顔で言った。
「大丈夫だよ!」
「何があった。犯人に襲われたのか」
「いやー、それが…」
都は頭をかきかきした。

「なにぃ。社長の部屋検証して窓から落っこちたぁ?」
結城が信じられないうように元山社長のベッドで瑠奈に救急箱の消毒液を額につけてもらっている都に呆れたように言った。
「うん。あの音響コンボ」
都は音響コンボを指さして
「あれを触っていたらすごい勢いでオペラが流れ出して、止め方わからないから窓開けて顔を外に出したら落っこちて、屋根を滑って玄関の雪に落っこちちゃったんだよ」
とでへでへ笑った。千尋が外を見ると確かに都が滑って落下して雪の玄関に人型作っているのが漫画みたいにわかる。
「師匠…勝馬君のおならじゃないんですから」
秋菜も呆れ気味だ。
「そういえば勝馬君の悲鳴が外から聞こえていたけど何かあったの?」
都が目をぱちくりする。
「何かあったのかなって思って体を乗り出したら落っこちちゃったんだよ。オペラの凄い声が聞こえる中で勝馬君の声が聞こえて来たからびっくりして…」
「おっこっちゃったのか」
結城は「はぁ」とため息をついた。
「って事は勝馬君のせいじゃん」
秋菜は怒ったようにきょとんとする勝馬を見る。
「俺たち千尋さんが聞いた吹雪の中の唸り声を聞いたんですよ」
勝馬が声を上げた。
「何か地獄の唸り声みたいな…ヤバい声が吹雪の向こうから聞こえてきました」
彼は真っ青になってガタガタ声を震わせる。
「確かにヤバそうな声は吹雪の中から聞こえて来たな」
結城はあの時の声を思い出しながら言った。
「その声は何て言っているか聞こえた?」
と都。結城は再び考え込んでいたが、
「いや、俺たちが知っている日本語単語として聞き取れるものではなかったな。強いて言えばお経のようなものだった。ただ人間の言葉だったのは間違いない。最も吹雪で紛れ飛んでて正確な音声やどこから聞こえて来たかはわからなかったけどな」
「って事は音の発信源は100メートルは離れていたって事だよね」
秋菜はメモを取った。
「ああ、100メートルは離れていた。つまりあの時俺たちと一緒にいた三枝さんに音を出すのは不可能ってわけだ」
「その時に他のお客さんやオーナーも東館玄関に一緒にいたから音を出すことは出来ませんよね」
秋菜が瑠奈を振り返る。
「でもあの音が犯人が流したものだとすれば、あらかじめ時間を決めて流れる様に設定しておくことも可能なんじゃないかな」
と瑠奈。ふと瑠奈は都に聞いた。
「都は何か聞こえていなかったの?」
「全然。オペラがうるさかったし。オペラしか聞こえなかったよ」
都は苦笑した。
 結城はふと都に聞いた。
「お前は何を調べていたんだ?」
「この部屋の窓と社長の死体があったあの東館。距離は離れているけど真正面にあるでしょ」
「確かに」
結城は窓の外の東館に顔を近づけた。
「わかった…わかりましたよ!」
勝馬が立ち上がって秋菜が尻餅をついた。
「犯人はあらかじめ東館玄関とこの部屋の間に釣り糸を渡しておいたんですよ。そして電話が終わった元山社長を殺害して、死体をここから東館までしゅうううっと」
「東館はここから見ても高い所にあるぞ。反重力装置でもない限りしゅううっとなんかいかないぞ」
「釣り糸を死体の体に結び付けてロープフェイみたいに引っ張ればどうかな」
瑠奈がふと考えを述べた。
「それも却下だ。そうするとワイヤーが回収できない。第一こんな仕掛けを俺とここで電話している元山社長の横で出来るわけないだろう」
「そっかぁ」
瑠奈はため息をついた。
「でも勝馬君と瑠奈ちんの考えは間違っていないかもよ」
都は目をぱちくりさせ、結城は「へ」と間抜けな声を出した。
「この部屋、私たちが元山社長の部屋に初めて入ったとき、オペラがかかっていて、社長はいなかった…。あの時家具とかに吹雪が飛び込んだ跡があった。多分窓は犯人が閉めたんだと思うけど、少なくとも犯行時に一回この窓は開いていたんだよ。そして遠くの正面に東館…これは絶対何かがあるよ」
「じゃぁ、これはどうです」
勝馬は声を上げた。
「釣り糸が付いたボウガンで東館玄関にいる社長を…どすっと」
「届きません」
秋菜は速攻で却下した。

 煮詰まった探検部はロビーの談話室に降りようとしていた。その時、瑠奈が
「救急箱を返してくるね」
勝馬に言った。
「一緒に行きますよ。一人じゃアブナイ」
勝馬が言うと、瑠奈は「大丈夫…ちょっとトイレに行きたいし」と苦笑した。察した千尋
「さ、男の子は下下‼」
と促し、瑠奈に「私持っているけど貸そうか?」と言うと「大丈夫。危ないと思って一応持ってきたし」と会話しながら部屋の鍵を開けようとした。その時だった。
「どうしたんだい。子猫ちゃんたち。殺人鬼がうろついているのに危ないぜ。俺がボディーガードしてあげるよ」
と岩沼医師が端正な顔を醜悪にゆがめて瑠奈を見下ろす。
「結構です。私たち急ぎますから」
と瑠奈は決然と言った。
「生理だろ。女の子も大変だよなぁ。大丈夫。僕が一緒に寝てあげて生理が来ないようにしてあげるよ。僕の魔法の○○○でね」
「きもっ、あんたそれで女の子が口説けると思ってるの?」
千尋が瑠奈を手でかばってじっと結城を睨みつける。
「どけよ、変態」
「生意気言うなよ。僕は医者なんだ…県議会議員の専属医だぞ。僕とつながりたいって女はいくらでもいるんだ。君たちもあんな不細工な男の子より僕の方がいいだろう」
勝馬君は不細工だけど、あんたと比べればダニとお節料理くらいの比率で素晴らしいわ」
「なんだと?」
千尋にすごむ岩沼…だがそこに
「ここまでよ」
と槇原玲愛がさっきまでのきゃぴきゃぴした印象を殴り捨て、凛とした態度で岩沼を睨みつけた。
「あんたのバックにいた議員も奥さんも死んでいるじゃない。あんたはもう裸の王様…いい加減にしないとスマホに記録したさっきの動画、ネットにばらまくよ。さっき凄いパワーワードばらまいていたわよね」
「くっ」
岩沼は歯ぎしりして踵を返して歩いて行った。
「あの岩沼って医師…ロリコンよ。女子高生が大好きな変態…」
「知ってるんですか」
千尋が聞くと玲愛はため息をついた。
「うち実家のお父さんの治療費の関係でキャバで働いていたことあるの。この時うちの店で出禁になったのが元山と岩沼だったのよ。死んだ元山社長はキャバ嬢をレイプしようとして出禁。岩沼はロリで売っている子じゃなくて本当にロリな女子高生を所望したからやっぱり出禁になったわ。あの岩沼のロリ好きは有名でね…。パパ活サイトやJKビジネスで女子高生をひたすらあさっている事でも有名だったわ。こいつ金持っている事で有名でさ…。こいつの相手した女子高生みんな辞めてあいつのハーレムにいるって噂も立ってたし」
「どこまでもキモい奴ですよね」
千尋はぞぞっと体を震わせる。
「あいつは蛇みたいな奴よ。この山荘にいる間は絶対結城君や北谷君から離れないで」
玲愛は注意した。

「ちっ」
岩沼は歯ぎしりしながら廊下を歩いていた。
 自分の部屋の前でドアの下をふと見ると紙きれが挟まっているのが見えた。岩沼医師の顔が驚愕した。

「ああ、結城さん、北谷さん」
川又オーナーが談話室で2人に声をかける。
「実は昌谷さんを見張る様に言われているのですが私どうしても眠くて」
「私は犯人じゃないですよ」
昌谷正和は怒ったように赤ら顔をさらに赤くする。
「そうは言っても、あなたはここにいる方々で唯一アリバイがありませんからね。社長が殺された事件でもあなただけしか犯行は不可能なんです。私には他のお客様の安全を確保する義務がある。結城さん、北谷さん、お願いできないでしょうか」
「いいでしょう…お疲れでしょうからお休みになってください」
結城は言った。
「大変申し訳ない」川又は頭を下げつつスタッフルームに消えた。
「お前はどうする…」
結城が勝馬に聞いた。「寝ててもいいぞ。ああ、女子部屋は禁止な。4人とも寝てるし」
「へ、お前が寝ずの番出来るか不安だからな。俺が見といてやるよ」
勝馬はきっと一人で寝るのが怖いのだろう。やせ我慢してドカッとソファーに座る。薄暗い談話室。暖房はついているので寒くはない。
「はぁ。散々な目に合っていますわ」
昌谷はため息をついた。
「あんたら事件推理は進んでいるんですかい。吹雪の中で変な声を聞いたとか騒いでいましたけど」
「ああ、聞きましたよ」
馬鹿にされるのかと思って結城は生返事をしたが、昌谷の反応は意外なものだった。
「実はわしも聞きましたんだ」
「え」
勝馬がびっくらこいて前のめりになる。結城も驚いた表情で昌谷を見た。
「本当ですか」
「なんかお経のようなけったいな声でしょう。変な声が窓の外から聞こえるのが薄気味悪くて思わず布団被ってガタガタ震えました。そしたら音がピタッと止んで、しばらくして皆さんがライトもってやってくるのが見えて出迎えようと思ったら玄関に元山社長の死体が…」
昌谷は声を震わせた。
「この時あの岩沼って医者も本館にいたんでしょう。絶対この山荘周辺には僕ら以外誰かいますわ。ま、みんな出まかせ呼ばわりしますけどね」
「外部犯が自動殺人トリックなんて仕掛けるわけないでしょう」
結城はため息をついた。
「ほら、あなたも私をうそつき呼ばわり」
「いや、あなたの発言が嘘だと思っているわけじゃありません」
結城は声を上げた。
「何かあるんです。何かこの事件には仕掛けられているんです」

 都は瑠奈と同じベッドですやすや眠っていた。ふと彼女の眠っているベッドに人影が写っている。都はうっすら目を開けた。
 窓の外に気絶した瑠奈が浮かんでいた。外が猛吹雪で氷点下なはずなのに眠らされた瑠奈は全裸だった。全裸の瑠奈の乳房を後ろから青白い両手で包むように抱えているのは能面の怪物だった。能面の怪物は吹雪の中お経のような声とともに瑠奈を闇の中へと連れ去ろうとしていた。
「瑠奈ちん!」
都は絶叫した。

能面高原殺人事件事件編 少女探偵島都正月SP 

3

【容疑者】
・元山孝信(54):議員。小売店社長。
・三竹優子(27):元山の愛人。
・岩沼達樹(39):議員専属医。
・青山はすき:女子大生
・江崎レオ(21):大学生
・槇原玲愛(20):女子大生
・川又彰吾(58):ロッジオーナー
・三枝典子(18):ロッジ従業員。
・昌谷正和(59):不動産業者

「鍵が開いてる…」
結城はガラガラとプレハブの離れのスライドドアを開けて中を見る。ベッドの上に両手両足をロープでベッドに磔にされた全裸の三竹優子の死体があった。
「待て…医者の僕が見よう…君は僕が何か妙な事をしないか監視したまえ」
「あ…ああ」
結城は言われた通り医師の岩沼達樹の検視を見つめる。
「顎の硬直具合からするとそれほど死んでから時間は経っていないな…大体1時間くらいってところか…」
「となると死亡推定時刻は午後7時か」
結城は腕時計を見た。8時13分だった。
「三竹さんがゲーム室からいなくなったのが午後6時。それから大体1時間後に殺されたって事だな」
結城はため息をついた。
「ねぇ、この人亡くなったの?」
プレハブの前に立っているふわふわした髪の毛の女子大生、槇原玲愛がパーカー姿で声を震わせる。
「ああ、死んでるよ」
結城は言った。
「それとあまり現場に近寄らないでくれ…犯人の足跡が残っているかもしれない」
「残ってねえよ…」
江崎が吐き捨てるように言った。
「今も雪が降っているだろう…。犯人の足跡は消えちまっているよ。てか高校生…なんでお前が殺人現場で仕切っているわけ? 高校生探偵とか?」
「失礼ですね」
秋菜がびしっとチャラい大学生に指を突きつける。
「このお兄ちゃんは馬鹿だけど、このお兄ちゃんの同級生のこの島都さんは茨城県を中心に数多くの殺人事件を解決してこられた、女子高生探偵なんですよ!」
秋菜が手をかざした先で小柄なショートヘアの少女が「ぶえっくしゅい」と盛大なくしゃみをした。
「え、あなたがネットで有名になった…あの高校生探偵の」
青木はすきが驚いたように手を抑えた。
「お兄ちゃんは師匠の二番目の助手ですから…ちなみに一番は私ですけど…さ、師匠の出番です」
秋菜は都の背中を押して殺人現場に入る。そして自らペンをとってメモの準備を始めた。
「愛人さん…」
都は死体の惨状に戦慄して声を漏らした。温泉で金切り声で喚いていた人間が死体になって倒れている。両手両足を全裸でベッドに縛り付けられ、胸に垂直に日本刀が突き刺さっている。即死であることは間違いないだろう…。都は結城と岩沼が見守る中でそっと死体を覗き込んだ。
「酷い現場だな。まず身動きをとれなくして恐怖におびえている三竹さんを日本刀で…相当ヤバい奴の犯行だぞ」
都はふっと死体が寝っ転がっている真上の天井から支えられた蛍光灯を見上げる。
「結城君…肩車してくれるかな」
「了解…」
結城が都を肩車して持ち上げると、彼女は蛍光灯の上についている埃に走る一筋の線を目ざとく見つけた。彼女は「結城君こっちっこっち」ともう片方の蛍光灯を覗き込むとやはり同じ線がある。
「どあっ」
結城が大声をあげて何かがぶつかる音がして彼女は「うわわわわわ」と慌てて結城の頭にしがみついた。
「大丈夫か都‼ すまん…ストーブにぶつかって」
大きな電気ストーブが置かれていた。格子の中で2つの熱源が赤くなって温めるタイプのものだ…。
「大丈夫だよ…結城君」
都は結城の背中をするすると降りると、
「大体のトリックは分かったよ結城君」
と笑顔で言った。
「トリック?」
結城が怪訝な顔をする。
「そう…この部屋には殺人トリックが仕掛けられていたんだよ。まず犯人は釣り糸を日本刀に括りつけてその日本刀を身動きのできない三竹さんの真上に固定する…。そして釣り糸を蛍光灯の上に通して電気ストーブの格子に括りつける…時間がたてば電気ストーブの格子の熱に釣り糸が溶かされて日本刀は三竹さんに落ちるって恐ろしいトリックだよ…」
「嘘…まるで処刑じゃない…」
瑠奈が声を上げる。
「うん…三竹さんを恐怖で苦しめるためのトリックだよ…」
都も怒りで声を震わせる。
「待てよ…となると死亡推定時刻の7時にアリバイがある奴は逆に怪しくなって来るなぁ」
結城は容疑者を見回す。
「冗談じゃない。確かに俺は7時ごろのアリバイは完璧だ…だがこの女の人がいなくなった時から俺はずっとあんたと一緒にいただろう…。俺や玲愛やはすきには犯行は不可能だよ」
「そうは言っても君は何回かトイレに行っていたよなぁ」
岩沼達樹医師が意地悪に顔を歪ませる。
「冗談じゃない…俺がいなくなったのは3分くらいだ…彼女をベッドに縛り上げて日本刀でトリックを仕掛けるのには5分じゃ絶対に無理だぞ」
「結城君…江崎さんたち3人で連れションとかには行ってないよね。3人で作業を分担すれば3分でも出来なくはないけど」
「は、なんで私が野郎と連れションに行くのよ」
都の質問に玲愛が素っ頓狂な声を上げたが、結城はしばらく思案して
「いや、この3人は連れションにはいっていない」
ときっぱりといった。
「僕はもっと完璧なアリバイがある」
岩沼はニヒルに笑って言った。
「僕や元山先生は優子さんがいなくなってから死体で見つかるまで君の傍を片時も離れていない…」
結城はしばらく考え込んでいたが
「確かにあんたは一度もトイレにはいっていなかったな」
と言った。
「よく覚えているね」
玲愛が感心したような呆れた声を出した。
「こんな感じでよく事件に巻き込まれているからな。記憶する癖がついちまった」
結城はため息をついた。
「岩沼さん、元山さん、玲愛さん、はすきさん、江崎さんのアリバイは完璧ですね」
秋菜がピンクのかわいい手帳にメモを取る。
「オーナー…あんたのアリバイはどうなんだ?」
岩沼がひきつった笑いを川又彰吾オーナーに向ける。
「私はずっとベッドメイキングやリネンの整理をしていましたよ」
「私も同じです」
従業員の三枝典子が殺人事件にショックを受けて千尋に背中をさすられながら声を震わせる。
「2人は一緒にいたのか?」
岩沼が聞くと三枝は「い、いいえ」と下を向いた。岩沼は「怪しいなぁ」と声を上げた。
「アリバイがないと言えば…あなたもずっと姿を見せませんでしたねぇ」
岩沼が不動産業の昌谷正和の方を見た。
「冗談じゃない。私はずっと本社からの連絡をロビーの公衆電話で待っていたんだから…でも公衆電話が壊れてて部屋で途方に暮れていたんだよ」
「電話が使えないのかよ!」
江崎が驚愕の声を上げると北谷勝馬
「さっき俺と典子さんで調べたら電話線がぶった切られていたよ…」
と唸った…。
「冗談じゃない…オーナー…車を出してくれ!」
岩沼が大声をあげた。
「は、はい…ただいま…」
川又オーナーが切羽詰まった声で雪道を走り出す。
「電話線を切ったのって犯人だよね」
瑠奈が不安そうに都に言った。
「ちょっと待って…犯人は私たちを閉じ込めようとしてるって事?」
千尋の緊張した声に江崎は「冗談じゃないぞ!」と川又の後を追った。槙島玲愛が「待ってよーーー。レオ!」と大声をあげて追いかける…。
 都はその様子を見ながらふと殺人現場を振り返った。殺人現場の電気は消されていたが、プレハブに下がった40㎝はある巨大な氷柱が、まるで被害者を食しているように見えた。

「駄目だったよ…」
ロビーで川又オーナーが肩を落とした。
「車が全てタイヤをパンクさせられた…。刃物のようなもので切り裂かれていたよ…つまり我々が外に助けを呼ぶ手立てはなくなったわけだ…」
「こうなったら俺がふもとの町まで…5キロくらい道なりだろ!」
勝馬がコートを着込んで外に出ようとする。
「脱衣野郎が無茶いっているんじゃねえよ」
結城が喚く。
「そうです…道なりと言っても吹雪で方向が分からなくなりますし…気温も氷点下でそんなことをしたら死んでしまいます」
三枝典子が勝馬の肩を掴んだ。
勝馬君…わかったから…勝馬君が心配だよ…だからダメ」
都ににっこり笑われて勝馬はため息をついて座り込んだ。
「でも、犯人がそんなことをしたって事は…第二第三の事件を引き起こす可能性が高いんでしょう」
「うん…間違いなく犯人は第二の事件を引き起こすつもりで電話と車を使えなくしたんだよ…でも大丈夫…絶対に次の事件が起こる前に事件の謎を解いて見せるから」
都は真っ直ぐ天井を見上げた。

4

「絶対に謎を解いて見せるから」
都がそう決意を胸にした直後だった。
「冗談じゃないですよ!」
岩沼の声が響き渡った。元山社長と岩沼が何かもめているようだ。
「なんで僕があなたを殺さなくてはいけないんです。どうして僕がそう疑われるんです」
「三竹君と君の関係を私が知らないと思ったのかね。私は三竹君を使って君の忠誠を試していたのだが、君は三竹君と関係をもって私を脅そうとしていただろう…。それがこじれて三竹君を殺した可能性だってある。私は疑わしい君と同じ建物では怖くて眠れんのだ…即刻東館に移りたまえ」
「そうですか…わかりましたよ…移ればいいんでしょう」
岩沼はナップザックを背負って玄関から出ていこうとした。
「東館?」
「丘の上にある建物でスキーシーズンになればあそこも使うんです…雪があるから坂道を10分くらい歩きますけど」
典子が説明した。
「私もそうさせてもらっていいかね…」
不動産業の昌谷がボストンバッグを持って防寒着を着用して言った。
「あんなトリックを仕掛けた人間がいるって事は、犯人はこの中にいる可能性が高いんだ。おちおちこの建物じゃねられません」
「勝手にしたらいい。布団は向こうのリネン室にあるのを使ってくれて結構です。暖房は作動しますので」
川又はイラついたように声を上げた。扉が開かれて吹雪が吹雪いてくる。
「確かにこの人の言うとおりだ」
結城は言った。
「アリバイトリックにしろ何かのトリックにしろ…この事件でこんな手の込んだトリックが使われた以上犯人は内部の人間だ。ここにいる連中はみんなそれがわかっているんだ」
疑り深く互いをけん制しあう宿泊者たちを見ながら結城は囁いた。
「なんか凄くぎすぎすしてる」
瑠奈が不安そうにロビーを見回した。

「私たちが見た能面の人ってやっぱり犯人なのかな」
瑠奈が部屋を見回す。
「まあそう考えるのが自然だな。時間から考えて恐らくトリックの痕跡を隠しにやってきたんだ…だが高野と秋菜に見つかったんで慌てて隠れたってところだろう」
結城は頷いた。
探検部のメンバーはお菓子をつまみながら女子部屋に集まって事件を整理してみる。
「やっぱり犯人はオーナーや典子さんかもしれないのかな」
秋菜が沈んだ声で言うと都は「大丈夫だと思うよ」と都はにっこり笑った。
「不動産会社の昌谷さんにも言える事だけど、オーナーと典子さんと3人は事件前後に別々に行動していてアリバイがないよね…でもそれだったらあの殺人トリックを仕掛ける意味がない。あの自動殺人トリックはアリバイを成立させるために仕掛けられたものだから…」
「そうとは限らないんじゃないか」
結城は声を上げた。
「あのトリック…一応仕掛けは回収されたみたいだけど…痕跡がそこら中に残っていたし、いかにも見つけてくださいって感じがするトリックだぜ…。能面の格好をしてトリックを回収するってのがそもそもわざとらしい…。そうやってトリックを仕掛けておけばアリバイがない自分は逆説的に疑われにくくなる…そういうトリックなのかもしれないじゃないか」
「いわれてみればそれもあるかも」
千尋は唸った。
「うーん…」
都は少し考えてからふと秋菜に聞いた。
「秋菜ちゃんに聞きたいんだけど、オーナーって夜8時にあの離れに行く日課でもあるのかな」
「うん…古いベッドと一緒にワインとかが置いてあって…それを持ってくるために8時に毎日行ってた」
「犯人がこの日課を知っていたとしたら…あのトリックはアリバイの為に仕掛けられたものって事になるよね」
「どういうこと?」
「長川警部が教えてくれたよね…死亡推定時刻って発見が早ければ早いほど正確にわかるって…犯人は死亡推定時刻を正確にわかってほしくて、川又オーナーがワインを取りに行く時間を見計らって殺人トリックを仕掛けたんじゃないかな」
と都。
「確かに…殺人から1時間で検視が行われたからこそ30分単位で死亡推定時刻が判明したわけだしな…となるとやはりあのトリックはアリバイ作りのための…」
結城が都の方を見ると結城はうんと頷いた。
「でもだとすると変なんだよ。もしこのトリックが使われたとすると、死亡推定時刻の7時にアリバイがあって、その前に三竹さんを襲ってトリックを仕掛けられるだけの時間が6時ごろにあった人物がいるはずなのに、それも含めてアリバイが完璧な人か逆に全然アリバイがない人しかいない」
「もう一段階何かトリックがあるかもしれないって事か…」
結城は難しい顔をした。
 その時だった…。電話の着信音が響き渡って全員びくっと震えた。
「おい電話は通じてないんじゃなかったのかよ」
結城が電話に駆け寄ると瑠奈が「これ内線みたい」とため息をついた。結城は電話に出た。
「もしもーし」
―君かね。
元山社長の声が聞こえた。背後でオペラが大音量で流れている。
―実は君たちに伝えたいことがあるのだよ。
元山議員はクラシックの前で不敵な声を上げた。
「知っている事?」
―実は私たちの事務所に先月脅迫めいた文面が届いてな…一応警察に相談したのだが…文面の内容は、『お前たち3人に死の罰を与える』という内容だった。その脅迫文にはこう書かれていた…中将と…。軍隊の階級かと思ったのだが君たちが能面の正体不明の人物を見たという証言を聞いて思い出したのだ…。中将とは歌人百人一首で有名な在原業平の顔を表したものとされている。業平は五男であったため在五中将とも呼ばれていた。それが能面の名前になったと言われている。眉の縦線が憂いを表し、悲劇の主人公をイメージしたものとなっている。演目である「小塩」「雲林院」「清経」「忠度」「通盛」に使用されていて修羅に負けた人間の面とも言われているんだ…―
「仮面の説明はわかりました。で、それが今回の事件においてどんな意味を持つんですか」
―私も商売ではやり手でね…ライバル業者と修羅のような競争を勝ち抜いてここまで大きくなったんだ…だが私を妬む存在が私に復讐しようと私の愛する女を殺してまた私にも復讐をしようとしているのだよ―
その時部屋の扉が開いて湯たんぽを持ってきた三枝典子に瑠奈がシーっと静かにするように言った。元山の話が長そうなので千尋は典子が開けた部屋の扉からするッと抜けて
「トイレトイレ…」
と廊下を歩き出した。トイレを出て手を洗いながらふと窓の吹雪く音に耳をそばだてる…それほど吹雪いてはいないが風の音が聞こえる。その風の向こうに何か唸るような呪いのような声が流れてきて千尋は戦慄して真っ青になった。まるで暗闇全体が呪いの声を発するような音…千尋は何度も聞き間違いではないか、聞き間違いではないかと必死で耳を研ぎ澄ませた…間違いない…人の唸り声だった…。
千尋さん千尋さん…大丈夫ですか…」
恐怖で硬直した千尋勝馬がトイレの扉の向こうから声を上げる。千尋は震える体で何とか扉を開けて勝馬を抱きしめた。
「ぬおあああああああ」
勝馬はびっくり仰天飛び上がった。
千尋…大丈夫? なんか唇真っ青だよ」
瑠奈が千尋の背中をなでた。

―私の命を狙っている可能性があるのは…従って…おっと…10分後にかけなおす…。
元山は電話を切った。
「元山さんは何か言ってたの?」
都が結城に聞くと結城はため息をついて受話器を置いた。
「正直あの社長の被害妄想を延々と聞かされただけだった…」
 その時勝馬にお姫様抱っこされた千尋が瑠奈と戻ってきた。
千尋ちゃん大丈夫?」
都が慌てて千尋に走り寄ると千尋は都の肩を掴んだ。
「都…トイレにトイレに…」
「花子さんでも出たの?」
「違うよ…人の唸るような呪文みたいな声が確かに耳に聞こえてきたの…」
「呪文だって?」
結城は訝し気な声を上げた。
 しかし瑠奈や秋菜だってやばいものを見ているわけだしやはり彼女も本当に何かを聞いたのかもしれない…その時再び電話が鳴った。
「誰だよ」
結城がぶつくさ言いながら電話に出た時、今度は青山はすきが声を震わせていた。
「あの結城君ですか? さっき元山社長の部屋の前を通ったんですけど扉が開いて窓も開いてて誰もいないんです…」
「なんですって?」
都と結城が駆け付けた時茫然とする青山はすきと岩沼医師が廊下に見えた。それを押しのけるように都と結城が部屋に入ると、大音量でオペラが流れてて窓が開け放たれ、さっきまで結城と会話していた電話が窓際に置かれている。
「あんた東館にいたんじゃないのか」
窓の外の坂道の上にぼんやり明かりが浮かび上がる東館を指さして結城が岩沼に言うと
「忘れ物を取りに来たんだよ…そしたらなんか雪道を東館のほうに歩く生気のない表情の元山社長が歩いていくのが見えてな…あいつとうとう狂ったのかも知れないな」とひゃひゃひゃ声を上げて笑った。
「結城君行こう…凄く嫌な予感がする」
オペラの音が部屋中に鳴り響く。

Recitar! Mentre preso dal delirio,
non so più quel che dico,
e quel che faccio!
Eppur è d'uopo, sforzati!
Bah! sei tu forse un uom?
Tu se' Pagliaccio!

日本語訳(演じるのか!狂乱している間に、
私は何を言っているのか
何をしているのかもわからない!
それでも やらる必要があるのか、無理でもやるんだ!
さあ、お前は人間じゃないのか?
お前は道化師なんだ!♪)

 雪の坂道を都と結城は歩いた…かなり体力を消耗したがやっと東館の前にやってきてロビーの扉を開けようとした…その直後
「うわぁあああああああ」
絶叫が響き渡った。それは不動産業の昌谷の悲鳴だった。結城が扉を開けると真っ暗なロビー…慌てて中に入ると人に反応して電気がついた。
 昌谷が尻餅をついて震えていた。目の前にあったのは腸をめった刺しにされ臓物が飛び出た元山孝信の死体だった。苦悶に歪み目が飛び出した死に顔。都も口に手を押さえて結城にしがみついた。 

能面高原殺人事件 導入編

少女探偵島都大晦日SP
【能面高原殺人事件】

 1年前―。茨城県水戸市にあるスーパーマーケット「センターサン」倉庫。
「オルァアアアア」
天井から吊るされていた人物を社長の元山孝信が思いっきり鉄パイプで腹を殴打する。ぐぼっっと声を上げて天井から吊るされていた人物が血を口から吹いてひゅーひゅー音を立てる。
「キャハハハハハ、こいつ泣いているよ」
甲高い女の声が聞こえてきた。
「社長を裏切ろうとするなんて本当に馬鹿だよねぇ…」
女が煙草を吸いながら逆さ吊りで息をしている血みどろのワイシャツの男の顔に煙草を押し付ける。
「やめておいてくださいよ…」
元山の専属医の岩沼達樹が冷酷な声で言った。
「僕がこいつの死亡診断書を書くんですからねぇ…あまり顔に根性焼の後を付けられると面倒なことになるのは僕なんですよ…」
「はーい」
女がしゅんとした様に医師を見つけた。
「し、死亡診断書…」
逆さにされた男が消え入りそうな声で言った。
「本当にやるのか…」
元山社長の声が震える。
「大丈夫ですって…こいつは親戚にも嫌われてて親身になってくれる人間など一人もいない。顔だけまともだったら体がぐちゃぐちゃでも死亡診断書一つで死因はどうにでもごまかせますよ…」
岩沼の顔は残虐だった。彼は鉄パイプを取ると
「全ては僕にたくさん報酬をくれない社長が悪いんです…。ストレスたまっているんですよ…。だから僕のストレス解消の為に死んでくださいな」
岩沼は鉄パイプを振り上げると物凄い勢いでそれを吊るされている人物の雇用府に見開かれた顔にフルスイングした。ゴキッという音が何度か響いた後、顔がぶよぶよに腫れあがった死体を前にして岩沼は薄ら笑いを浮かべた。
「良かったでしょう社長…。あなたは直接手を下していない…殺したのはこの僕…」
そう言って振り返った岩沼の顔は目が見開かれたままの笑顔で殺人願望を達成した悪魔の顔であった。その顔に元山社長とその愛人も戦慄せざるを得なかった。

 一年後、吹雪が吹雪いていた。
 白面の復讐者は雪原に立っていた。全ての準備は整っていた。後は許しがたい連中がこの雪原にやってくれば復讐の惨劇は幕を開ける。あの時河原でこの人物の大切な人の遺体が上がったとき、リンチじゃないかというこの人物の声を所轄の刑事たちは無視した。あの時から愛する人がどれだけ苦しみ恐怖し死んでいったか…その想像だけがその人物の体を業火で炙る様に苦しめている…だがこの苦しみからもきっと解放されるのだ…。
 許しがたいあの3人の命をもって…。

 茨城県北部八溝山――。
 水郡線無人駅を降り立った茨城県常総高校のメンバーたちは一様に思った。
「寒いよ!」
「だから重ね着してきなって言ったのに…」
高野瑠奈はため息をつきながら駅の待合室で震えている長身の結城竜とゴリラみたいにごつい北谷勝馬、ポニーテールの薮原千尋を見た。
「寒さ対策はしてきたんだぜ。ちゃんと防寒着も着て来たし…」
「冬山は下着やインナーも含めて完全防備じゃなきゃダメだよ。千尋もスキニーなんて来て来ちゃだめだよーー」
「だって基本的に温かい屋内で観測会するんでしょう。冬山登山するんじゃないから…これくらいで大丈夫だと思ったんだもん」
黒髪美少女の高野瑠奈に呆れられて薮原千尋は抗議する。
「そういえば都の奴は」
勇気がもう一人の探検部一のトラブルメーカーで一応このシリーズの主人公である島都を探してあたりを見回す…すると都は待合室前の広場で
「雪だ雪だぁああああ。結城君、千尋ちゃん…勝馬君…雪だよ雪! 雪合戦だよーーーー」
と大はしゃぎしている。
「なんか、都の方が正解というのもむかつくな…」
いつもは彼女の保護者的な役割を果たしている結城が寒さに震えながら言うと千尋もうんと頷いた。
「まぁ、この人も相変わらず探検部の残念組だけど…。あれ」
待合室の隣にいたはずの北谷勝馬がいないことに気が付いた薮原千尋がふと外を見ると茫然とする都の前で雪だるまを作っているトランクス一丁の勝馬が恍惚の表情で何かをうたっている。
「今日も天気がポカポカ――――♪ 春だよ春だよーーーー♪」
「ねえ結城君…」
瑠奈が真っ青になって言った。
「あれ、矛盾脱衣って奴じゃない?」
結城は小鳥のように歌っているゴリラ男の傍に走り込んで拳骨一発で気絶させた。
「何をしとるんじゃボケェ」
半裸の勝馬を抱え上げながら結城は千尋に「こいつの服を着せるの手伝ってくれ」と叫ぶと、千尋は腐りきった笑顔でカシャとスマホで半裸の勝馬を抱える結城のその様子を撮影して、結城の顔にピキピキマークを付ける。
 その時一台のミニバンが雪化粧の駅前広場にやってきて助手席から中学2年生…結城の従妹の結城秋菜が「師匠! こんにちはー」と笑顔で降りてきて、結城と半裸の勝馬が絡み合っているのを見て…絶句し…そして…。
「いやぁああああ…お兄ちゃんの馬鹿ぁぁああああああああ」
と絶叫して回転回し蹴りで結城を吹っ飛ばした。
「とばぶっ」
肩で息をして真っ赤になっている秋菜の前で勝馬と折り重なる様に雪原に長々と横たわる結城…。
「な、何故だぁ」
と頭上で意識を回しながらこと切れ、それを笑顔で千尋がもう一枚撮影する。

「全くひどい目に遭ったぜ…」
結城がミニバンの後部座席で顔をガクガクさせた。
「フグオオオオ…生き返るぅううう」
助手席で勝馬がヒーターの風で恍惚している。
「びっくりしちゃったよ…勝馬君いきなり脱ぎだすんだもん」
小柄なショートヘアの島都は心配そうにその後ろから勝馬を見る。
「はははは、相変わらずドタバタが絶えないですね」
車を運転するのはこれから行くロッジのオーナー川又彰吾(58)だった。髭面でがっしりした山男だ。
「秋菜君が食事で話していた通りだ」
「この人は私の友達の親戚でこのロッジの経営者の川又さん…私がインフルでぶっ倒れた友達の代わりに泊まり込みでお手伝いしたお礼に皆さんを招待してくれたの」
「本当助かりました。私たち冬合宿の準備全然していなかったから…」
高野瑠奈がお礼を言った。「秋菜ちゃんもありがとね」
「いえ…私だって探検部の準メンバーで都師匠の一番弟子ですから」
「合宿ではどんなことをするんですか」
川又が聞くと、
「周辺でソリ滑りをしたり雪だるまを作ったり天体観測をしたり大富豪をしたり肝試しをしたり…温泉に入ったり、あと秋菜ちゃんが持ってきたスキー道具を交代で借りて簡単にスキーをしようかなって…」千尋
(つまり結局単発的な計画しか立ててないって事だよな)
「それは良いですね…青春だなぁ…」
川又が笑った。
「でも私たちの合宿っていっつも殺人事件とかが発生してやりたい事の半分も出来てないよね…ほとんど殺人事件解決部になってるじゃん」
「薮原…それは言ってくれるな」
結城は顔をシートにうずめながら唸った。
「そうですよ千尋さん…師匠が事件を呼んでいるんじゃありません…事件が師匠を呼んでるんです」
秋菜が都を抱きしめながら言った。
(フォローになってねぇ)
結城が心の中で突っ込みを入れる。
「大丈夫だって…治安のいい日本で殺人事件なんて起こらないから。ロッジに性格の悪そうな社長と愛人、その腰巾着といった過去に何かやらかしていそうな人がいなかったら大丈夫だって」
千尋がぱんぱんと心の声を呼んだかの如く結城に話しかける。

 だがロッジについたとき、その玄関のロビーで彼らが見たものはまさにその性格の悪そうな社長とその愛人、いかにも取り巻きといった感じの医師だった。
「おやぁ…これはこれはかわいいお嬢さんたちだぁ…こんなぴちぴちの女の子たちと一緒になれるなんて嬉しいなぁ」
ロッジの木造のロビーのソファーを占領していた髭の好色そうな男がへらへら笑いながら瑠奈と千尋に近づいてくる。
「お嬢さん…こっちに来て…県議会議員の私が面白い話をしてあげよう」
「全部先生の自慢話よ」
愛人と思しき20代後半のけばけばしい化粧の女がキッと瑠奈と千尋を睨みつけながら社長を抱きしめるように連れ戻す。
「なんだよ…かわいいお嬢さんとお話ししようとしただけじゃないかぁ」
「社長には私がいるでしょ私が」
おっぱいを社長に押し付けながら体にまとわりついてソファーに座る愛人。
「君たち…こうやって女は武器を使うんだ。君たちも覚えておくといいよ…特に君はね」
瑠奈の胸のあたりをあからさまに見ながら端正な顔立ちの長身の男が好色に笑った。
「おいおやじ…いい加減にしないと…」
いきり立つ結城を手で制しながら川又オーナーは決然と言った。
「岩沼様…他のお客様にこう言う発言をすると出て行ってもらいますよ…冬山に放り出されたくなければ節度を持った振る舞いをお願いします…」
「冗談ですってば」
医師の岩沼達樹(39)はへらへら笑った。
「オーナー…この先生は県議会議員よ。こんなおんぼろロッジなんて政治力でいつでもぶっ潰せるんだから」
県議会議員でスーパー経営者の元山孝信(54)に抱きしめられながら愛人の三竹優子(27)が言ったが、川又オーナーは
「どうぞ…私はお客様に快適にこのロッジで過ごしていただく義務がありますから」
と決然と言った。
「おーい、三枝君」
「はーい」
そばかすが目立つ髪の毛をシニオンにしたエプロン姿の女の子がパタパタ階段から降りて来た。
「三枝君…この子たちを2階の部屋に連れて行ってくれた前…都さんは秋菜君の部屋で一緒でも大丈夫ですよね」
「ほーい」
都は両手を上げて返事をした。

「お部屋の方は、都さん、秋菜ちゃんと瑠奈さん、千尋さん…そして結城さんと勝馬で分けましたけれどよろしかったでしょうか」
瑠奈と千尋の部屋で従業員の三枝典子(18)は確認した。
「異議なし」「異議なし」女子2組は手を上げたが、結城と勝馬は「異議あり」とげっそりした表情で手を上げた。三枝が困った顔をする…。
「なんでこんな奴とまた相部屋なんすか」と勝馬
「それはこっちの台詞だ…いびきうるせえし気色悪い寝言言いながら俺を蹴り飛ばしてくるし」と結城。しかしそれを無視して瑠奈が
「2人とも意義ないようです」
と異論は認めなかった。
「えええ、私は結城君と一緒に寝てもいいよ」
都がそう言って結城が一瞬赤くなると、瑠奈が
「じゃぁ女の子の中で勝馬君と一緒に寝てもいい人いる?」
誰も手をあげない…結城はため息をついて…「いいよ…男子2人」しかいないし仕方ねえ」とため息をついた。落ち込んでいる勝馬を見ると可哀そうになってきた。
「お客さんは私たちと殺人事件の被害者にいかにもなりそうな下の人たち以外誰かいるんですか」
千尋が聞くと、典子は「はい、東京の大学生の方と、あと一人…」
雪山でフードをかぶった男がゆっくりと近づいてきていた。
「私のことかな?」
突然現れた坊主頭の男が言った。
「いいえ、あなたは数に入れていません。お客様じゃないんですから」
と三枝はキッと坊主頭を睨みつけた。

2

「そんな怖いこと言わなくてもよろしいでしょう」
坊主頭の初老の男は太った体を無理やり部屋の中にねじ込んで挨拶した。
「私は不動産業をやっております昌谷正和といいます」
昌谷正和(59)は赤ら顔でへらっと笑った。
「実はこの土地一帯を購入させていただきたいと思いましてな…こうしてオーナーにお伺いを立てているのですが」
「買い取ってどうするんですか」
千尋が聞くと「ま、レジャーランドを建設するという事だそうです」
「レジャーランド?このご時世に?」
千尋がすっ頓狂な声を上げた。
「嘘です…目当てはこの辺の水源だそうです…水道が今度民営化されるって話になっているじゃないですか…そのための水源を確保して民間企業に売るつもりなんですよ」
「こらこら…若いもんが知ったような口を利くんじゃありません。そんじゃぁ皆さん今晩一日よろしくお願いしますねー」
昌谷はそう言って歩き去っていった。
「この人も殺されそうねー」
瑠奈が目をぱちくりさせた。探検部の良心のブラックな発言に結城と千尋が振り返った。

「いえーーーーい」
近くにある丁度いい丘の上から秋菜から借りたスキーで瑠奈が華麗に滑っていく…。
「瑠奈スキーうまいじゃん…やったことあるの?」
下で待っていた千尋が感心したように言った。
「両親と中学の時は新潟の方に…」瑠奈が恥ずかしそうに笑った。その後ろを巨大な雪だるまがゴロゴロ回転していく…。千尋はえっと声を上げて瑠奈と振り返ると…雪だるまが小さな崖を飛び越えて見えなくなりバシャーんと落っこちた。
「きゃぁああっ、ナニコレいやぁああああああ」
愛人の三竹の悲鳴が聞こえてくる…。そしてうぎゃぁああああああという都の声が聞こえてきた。
「あれ、今の都?」
瑠奈が恐る恐る崖の下を見てきゃっと悲鳴を上げ、千尋が「おーおー」と声を上げた。
「お取込み中申し訳ありません…」
そこにあったのは温泉…そこに突っ込んだ都…全裸の議員…全裸の愛人だった。
「あんたたち何見ているのよ…あっち行ってよ…」
「も、申し訳ないっす…」
雪を降りて来た結城が息を切らすと三竹はぎゃぁあああっと悲鳴を上げて全裸の議員に抱き着いた。
「都…早く上がってこい…」
結城が声を上げるが都は議員の物を見てしまったせいか、真っ白になったまま動かない…結城は「失礼しますよ…」と温泉にあおむけになっている瑠奈を回収して連れていく…。
「あのー…落ちてましたよーーー」
勝馬が乱れ堕ちていたニット帽を拾い上げて緊張したまま三竹優子に渡そうとしたが、三竹はそれを奪い取って「ゴリラみたいな手で触らないでよ!」と叫びながらお湯でごしごしニット帽を洗い始めた。心が折れた勝馬を片手で引きずりながら結城は退場した。

「おおお、うまそうなシチューだ…」
金髪に色黒のチャラそうな大学生江崎レオ(21)が感嘆の声を上げる…。
「やっぱり冬はシチューよね」
ふわふわ髪型の槇原玲愛(20)が「いただきまーす」とシチューを口に運ぶ…。
「ぶえっくしゅい」
しかし食事を台無しにするくしゃみがロッジの食堂でショートヘアの女子高生から発せられた。
「ほら、鼻をかんで」
瑠奈が都の鼻をティッシュでちーんする。
「ぶえええ、本当に怖かったよーー。変なものを見ちゃって」
そう言う都をテーブルの端っこから殺気立った目が6つ見つめている。
「なぁ、君たち…。食事が終わったらゲームをしないかいこのロッジビリヤードがあるんだ」
イケメン医師の岩沼が早速大学生グループの黒髪でおとなしそうな青山はすき(20)に声をかけている。玲愛が「えええ、面白そう…やるやる!」と声を上げた。
「君たちは?」
岩沼が聞くと瑠奈は
「いえ、多分あちらの方が承知しないんじゃないかと…」
殺気だった目を見ながら瑠奈は苦笑した。

 午後5時、ゲーム室から談笑する声が聞こえてくる。
 それを見ながらキッチンで洗いものをする秋菜。瑠奈がにっこり笑って「手伝うよ」と言った。
「え、良いですよ…私の仕事ですから」
秋菜が言うと瑠奈は首を振って「秋菜ちゃんが頑張ってくれたおかげで私たち合宿で来たんだもん。中学生に甘えちゃダメ」
「そうですか…じゃぁ、洗い物をお願いします。師匠は大丈夫そうですか?」
「大分グロッキーだけど千尋が付いてる。勝馬君は今お風呂…。結城君はゲーム室で大学生に誘われてビリヤードに付き合わされてる」
「結局ゲームに付き合わされているじゃん」
秋菜はため息をついた。
「玲愛さんがはすきさんの為に無理やり結城君を誘った感じだったけど…」
「師匠が聞いたらさらにグロッキーになりそうです…」
秋菜は言った。

 午後6時―。三竹優子は頭を押さえてゲーム室のソファーから立ち上がった。
「あー、飲み過ぎた…私部屋で寝るわ…岩沼先生は元山先生を後でちゃんとベッドに連れて行って」
三竹優子は立ち上がった。
「無理ですよ…元山先生は爆睡していますし…」
「無理というから無理なのよ…頭使いなさい」
そう言って三竹優子は部屋を出ていく…。岩沼は彼女が出ていくのを確認すると元山議員そっちのけでビリヤードに割って入る。
「随分と盛り上がっているね…君たち…どんな感じなんだい…」
「結城君が圧倒的に強くて…」
はすきが緊張した笑顔で言うと、いきなり岩沼が彼女の背後から腰に腕を巻き付けて右手を持ちながらゆっくりキューを持つ姿勢になる様に促す。
「ほら、僕が教えてあげるよ」
「やめなよおじさん」
玲愛が怒って岩沼に立ちふさがる。
「いいじゃないか…彼女はボッチ何だろう…出会いを求めてここに来たんじゃないのか…僕は医者だぞ…それも議員専属の医者だ…。僕のものになれば将来は安泰だぞう」
「ふざけないで…はすき…嫌がっているじゃない…」
「うるせぇ」
岩沼が大声をあげた。
 が、その時結城がキューを岩沼に突きつけて低い声で脅しつけた。
「いい加減にしないと玉の代わりにお前の頭をつくぞ」
「そんなことをしたら高校生と言えど君の人生も終わりだぞ」
「仲良く人生終了するか」
結城にすごまれた岩沼はちっと舌打ちして不機嫌そうに席について酒を煽りだした。

「はぁ」
女湯の露天風呂の中で、秋菜は恥ずかしそうに顔を半分沈めて泡を吹いた。
「お兄ちゃん本当最低。オーナーの第一印象はパンツ一丁の勝馬君と絡み合ってるんだもん。ほんと不潔ですよ」
「あれはしょうがないよ…千尋が面白がっちゃっていたのが悪いし」
瑠奈は苦笑した。そんな瑠奈の胸をじっと見て秋菜は
「瑠奈さん…着やせするタイプなんですか…」
と目を丸くした。
「え…あ…でも私も秋菜ちゃんと同い年の位は…そんな大きくなかったよ」
「え、じゃぁ私でも瑠奈さんみたいになるチャンスがあるって事ですか」
秋菜が瞳を輝かせる。
「どうやればそうなれるんですか! やっぱりマッサージとかですか?」
「あ、えええと…あ、でも秋菜ちゃんの胸だってかわいいと思うし、14歳はまだ成長期だからどんな胸になるかわからないよ」
瑠奈に言われて秋菜は真っ赤になってお湯の中で自分の胸を両手で包む。そして天を仰いだ。
「私背が高いのに胸が小さいんですよ。せめて背が小さくて胸も小さいのならいいのに」
「それは都が可哀そうかな…」
瑠奈は苦笑する。中学生の時は瑠奈も胸の大きさで相当悩んだような気がする。
 2人でお風呂を上がって防寒着で母屋に戻る途中だった…。何か明かりのようなものがふんわりと浮いているのが見えた。
「瑠奈さん…あれ、人魂じゃないですよね」
秋菜が瑠奈のジャンパーを掴んでしがみつくようにして声を震わせる。
何だろうと雪舞う闇夜を凝視する瑠奈。それは蝋燭の光だった。蝋燭を持った白い浴衣を着た人物が立っていた…その人物がゆっくりと瑠奈と秋菜を振り返った。
それは能面をかぶっていた。不気味に笑う中将の能面。その奥に見える底知れない憎悪。そしてそれはさっと離れの陰に消えていった。
 瑠奈はぺたんと尻餅をついた。幽霊よりも恐ろしい人間の憎悪が具体化された何かを瑠奈は目撃したのだ…。
「あ、秋菜ちゃん…」
「見ました…今の丑の刻参りですよね…」
秋菜はしばらく声を震わせていたが、やがて立ち上がって瑠奈を絶たせると湯冷め寸前の体を震わせながらなんとか歩いてロッジに戻ってきた。
「どうしたんだ…」
ゲーム室から自販機に行こうとして2人に遭遇した結城は真っ青な2人の顔にびっくりした。
「お兄ちゃん、丑の刻参り…丑の刻参りを見ちゃったよ」
「丑の刻参り? なんじゃそりゃ」
「結城君本当。白装束に蝋燭をもって能面をかぶった変な人が離れの方に歩いて行ったの」
「何馬鹿な事を言っているんだ…この辺には半径5㎞にこのロッジしか有人施設はないんだ。ここに宿泊している関係者以外誰かがいるはずないじゃないか…」
結城は少し考えていた。
「ひょっとしてオーナーか?」
「どういう事?」
「いや…実はオーナー離れの鍵がないってさっきトイレに行ったとき探しているのが見えてさ…。もしかしたら母屋に行ったのかもしれない…」
その時だった。外から「うわぁあああああああ」と男の悲鳴が聞こえた。結城は弾かれた様に走り出し、岩沼と江崎が後に続く…。離れの方に行ってみるとその入り口で男が尻餅をついて雪の上で震えていた。プレハブの離れの天蓋付きのベッドの上に日本刀が突き刺さった肉体が見えた。その乳房にぐさりと日本刀が突き刺さっている…。カッと見開かれた目…三竹優子の死体がそこにあった。

岩本承平の絶望 導入編

少女探偵島都

1

 水戸地方裁判所
「今から判決を言い渡します。被告人前へ」
裁判長が厳粛な声で4人を殺害した犯人岩本承平に起立を促した。岩本はその大柄な体で立ち上がり精悍な顔で裁判長を見た。裁判長は徐に判決文を読み上げた。
「主文、被告人を死刑に処す」
岩本は特に表情を変える事はなかった。正直な話このような結果は彼には容易に予想はついた。黙って裁判長に一礼し、それから傍聴人を振り返って一礼した。制服の男に手錠をかけられ、いずことなく連れていかれる。

「今判決が出ました。死刑です…」
女性記者が大声でテレビカメラの前でがなりたてている。それを茨城県常総高校の食堂で見ていた、15歳のショートヘアの美少女は真っ青になって崩れ落ちた。食べかけのチョコパンが床に落ちる。
「都‼」
同級生の長身の青年結城竜が慌てて小柄な少女を抱きかかえるが、都はショックで唇が震えている。

「なんで? なんで死刑なの?」
都は保健室のベッドで涙をぽろぽろ流した。
「私、岩本君にそんな風になってほしくて推理したんじゃないのに…なんで」
都が所属している探検部のメンバーが集まったが一様に顔は暗く沈んでいた。
「都…残念だけどこれは裁判所が決めた事なの。私も岩本君が死刑になるなんて間違いだと思う…でも罪の重さは私たちが決めていい事じゃないの…辛いよね」
瑠奈は都を抱きしめた。
「大体殺された連中だって若い女の人を集団で殺したような外道じゃない。その女の人の敵討ちなんだから、何も死刑にしなくてもいいと思うな」
原千尋はため息をついた。
「でも裁判の判例だと3人殺せば死刑、同情できる復讐殺人で無期懲役になるのは2人までって言われているからな」
結城は辛そうに都を見た。
「でも都さん、岩本を助けるために何度も裁判所で証言したんだろ! あんまりじゃねえか」
岩本が結城に食って掛かる。
「弁護士の先生も大切な人を殺されたショックによる心神耗弱やそもそも岩本自身が受けていた虐待などを背景に情状酌量は求めたんだぜ。だがダメだったみたいだ。岩本はアリバイトリックを仕掛けてかなりえぐい方法で4人も殺したからな。難しかったんだろう」
結城は勝馬を睨んだ。勝馬はそんなという表情で結城を見た。
「都…岩本君はそれだけのことをしてしまったの。だから都のせいじゃない。都の推理のせいでそうなったんじゃないの」
瑠奈は必死で都を抱きしめながら話しかけた。都は瑠奈の胸の中で
「でも、でもいやだよおおおおおおおお」
と子供のように泣いていた。

「都を負ぶってくれてありがとう」
都のアパートの前で高野瑠奈は言った。都は部屋の布団でグスグス泣き続けている。
「私は都のおばさんが帰って来るまで都のそばにいるから」
「大変だな。高野」結城はドアの前で言った。
「中学校時代にもこういうことがあったの。都が暴いた事件で犯人に死刑判決が出て…去年執行されたの」
「そうか…」
結城は沈んだ顔をした。
「あいつは本当に人が死ぬとかダメだからな。人が死ぬ正義なんて絶対認められないからな…あいつ」
「うん、凄く怖がっている」
瑠奈は言った。結城は益々居た堪れなくなった。瑠奈に
「都をよろしく頼むわ」
とだけ告げて、結城はアパートの階段を下りた。
 結城は夜道を歩きながら思い出していた。

 岩本は両親、学校、施設、職場…人生の全てを虐待されて育ってきた。力を持った相手の虐待を全て引き受けるため、アダルトチルドレンの定義の一つであるピエロになりきっていた岩本承平。だが、ある女性に人生でただ一人優しくしてもらう。自分の職場の上司らがその女性を暴行の挙句殺害した事を知ったとき、彼は人生で初めて「憎しみ」という感情を覚えた。
「おかしいですよね…この感情をどうすればいいのかわからないのです。体をどう止めればいいのかわからなかったのですよ」
そう言って涙を見せて笑った岩本の顔を、結城は未だに忘れられない。人生で初めての憎しみの感情をコントロールする方法が岩本には分らなかった。岩本は4人を殺害し、女子高校生探偵島都に犯行を暴かれ逮捕された。

「ごめんね瑠奈ちん」
その夜都は瑠奈を見た。瑠奈は優しく手を握ってあげている。
「怖かったんだよね、都」
「うん」
都は鼻水をすする。
「都…死刑が執行されるまではまだ何年もあるはずだよ。それまでは岩本君にもかけがえのない命は宿っている。都…私たちにも出来ることはあるはずだよ」
瑠奈は鼻水ズビズビな都の鼻をチーンとやる。
「岩本くんに会いに行く」
都は声を震わせ、瑠奈も笑顔で「うん」と頷いた。
「手紙もいっぱい書く」
「うん」瑠奈は優しく頷いた。
千尋ちゃんのBLも差し入れる」
「う…それは受け取ってもらえるかなぁ」
瑠奈は苦笑した。そしてまた都の頭をなでなでしてあげた。

「そっか、師匠…そんなに苦しんでいるんだ」
結城竜のマンションで中学2年生で従妹の結城秋菜がカレーを口にしながら言った。
「まぁ、岩本に殺された連中にも家族はいたわけだし、そいつらにとっては岩本は死刑にしなきゃ飽き足らないだろうけどな」
結城はため息をついた。
「師匠にとっては自分が追い詰めて自首させた犯人が、殺されちゃうって事だもんね。復讐とか死んでいい人の命を作るとか…師匠が一番苦しむ事だもんね」
秋菜は沈んだ顔をした。
「ああ、自分が岩本を絞首台に送る歯車になっちまったかもしれないって、都は苦しんでる」
「でも師匠は間違ってないよ!」
秋菜は思わず立ち上がった。
「どんな理由があろうと人を殺した罪は償わないといけないし、死刑を決めたのは裁判所じゃん。師匠は関係ないよ」
「まぁ、そうなんだろうけど…って俺に怒鳴るなや」
結城はため息をついた。
「俺たちだって大人になれば裁判員として葉書が来て、岩本みたいな可哀そうな奴に死刑判決を下すのかもしれないんだぞ。海外の陪審員制度はあくまで有罪か無罪かを決めるんだけど、この国の裁判員制度は判決まで決めるからなぁ」
結城は頭をポリポリかいた。
「言うなれば一人の人間の命が生きるに値するかどうかを決めるって事だ。この国の死刑って言うのはそういうシステムのもとに成り立っている。勿論現実に日本で死刑になる事件では大体被告人自身が人の命を奪うって行為をしてしまっているんだけどな」
最後の台詞で結城はふぅと息を吐いた。
 結城は小学生の時の事を思い出していた。自分は生きる権利があると法律に判断されて生きている。でもそうじゃなかったかもしれない。そしてそうなったのは正当防衛に近いとはいえ、11歳の自分が人を殺すという罪を犯したことにある。それでも自分は都の隣にいることを許されている。岩本だってもし都や結城が止められていればそうなれていたかも知れないのだ。

 数週間後―。
 別の事件で裁判員による討議が行われていた。
「さて、皆さん。皆さんはこの沢部明彦被告が死刑になるかどうか決めていただきます」
裁判長が全員を見回すと
「有罪に決まってるじゃん」
と60代の背広姿の男が言った。
「そうそう、いかにも朝鮮人みたいな顔をしているし、間違いなくこいつは人を殺してるよ」
「アリバイ? そんなもん朝鮮人お得意のでっち上げに決まっているじゃん」
ハゲあがった男がへらへら笑う。
「では有罪という事で」
裁判長はそう頷いた。
「では彼はどのような刑罰を受けるべきだと思いますか?」
「死刑よ死刑!」
主婦らしきオバサンが金切り声を上げた。
「ああ、在日は死刑だ。こんな恐ろしい罪を犯してのうのうと生きているなんて、日本人の安全のためには死刑しかありえない」
と頭のよさそうな眼鏡の背広姿の男性が言った。
「死刑で構いませんね」
裁判長は全員を見回して確認すると、一人ちゃらちゃらした男が「異議なし!」と言った。

 東京葛飾区小菅にある東京拘置所。この巨大な施設は東京都で起訴された未決囚と関東甲信越で死刑判決を受けた死刑囚が拘置されている。
 日本において死刑囚は死ぬことが刑罰なので、刑務所ではなく拘置所に入れられる。髪型も服装も常識の範囲なら自由。労働の必要もなく三食昼寝付きで三畳の部屋で監視されてはいるが、室内では何をしてもいい。月に数度運動や教戒師による説法を受けることもある。
「岩本さん、良くいらしてくれました」
神父のマリヌス田中が教誨室で笑顔で大柄なジャージ姿の死刑囚に挨拶した。
「もうすぐ沢部さんもいらっしゃりますから待っていてください」
「はい」
岩本承平死刑囚は礼儀正しく田中に会釈をしてもう一人の死刑囚を待った。やがて小柄で若い長髪の青年が黄色いTシャツ姿で刑務官に連れられて入ってきた。全てを受け入れたように超然としている岩本と違って、沢部はガタガタ震えている。
「沢部さん…ようこそいらしてくれました」
「はい」
沢部はおずおず答えた。
「お2人には前の教誨の時に宿題を出していましたよね」
「讃美歌『慈しみ深き友なるイエスは』ですね」
岩本は言った。
「さすがです岩本さん…練習をしてくださったのですね」
「ええ。時間はたっぷりありましたので。外の世界の地獄のような虐待と違い、この拘置所では穏やかな時間が流れていますからね」
遠い目をする岩本の横で沢部が緊張した顔のまま震えている。
「沢部さんは、どうですか? 讃美歌…覚えてきましたか?」
「は、はい…神父様…」
「それじゃぁ歌いましょう。必ずお腹の底から声を出してください。そうすれば心の安息が得られますから。それじゃぁ、曲をかけますね」
♪いつくしみふかき ともなるイエス
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを♪
「うわぁあああああああああっ」
沢部は突然絶叫を上げてその場にしゃがみこんだ。その場にいた看守が「沢部君!」と抱き起す。
「沢部さん…落ち着いてください…大丈夫です…大丈夫ですよ」
優しく田中は沢部を抱きしめる。沢部は神父に縋りつくようにして言った。
「神父さん…助けてください…僕は…僕は何もしていないんです…僕は人を殺していない…誰も…誰も殺していないんです…助けて…助けてっ」
ガタガタ震え真っ青になる沢部を看守が抱き起して連れていく。岩本はその様子をじっと見つめていた。

 朝9時。岩本は自分の部屋で聖書を開いてそれを読んでいた。その時だった。廊下をカツンカツンと歩く看守の音がする。もしこの音が自分の部屋の前で止まれば、その時が最後だ。実は日本の死刑執行は本人の自殺の可能性を考えて当日1時間前まで知らされない。つまり看守に部屋を連れ出されるときになって死刑囚は今日自分が処刑される事を知るのである。つまり、昼食が終わった午前9時に看守の足音が自分の部屋の前で止まれば、その時が自分が死刑にされる可能性が極めて高いというわけだ。
 そして岩本の独居房の前で足音が止まった。独居房の扉が開く音がする。
「沢部君」
向かい側の部屋にいる沢部死刑囚に看守が語り掛ける。
「いやだぁ、助けてくれぇ。僕は死にたくない! 死にたくないんだぁ」
沢部の絶叫が聞こえる。普段看守の足音に超然としている岩本も思わず扉に耳を当てる。
「安心するんだ沢部君。今日君を連れ出すためにここに来たんじゃない」
「いやだぁ。助けて…僕は僕はやっていない…僕はやっていないんだぁ」
沢部の悲痛な悲鳴が聞こえてきた。

 茨城県からTⅩで北千住までいき、そこからスカイツリーラインで1駅。東京拘置所は車窓からでも目立つくらい大きな建物だった。周辺の住宅地の対比から見ても防衛隊の基地のようにさえ見える。ここは関東地方で唯一死刑囚を拘置している日本最高レベルの厳重な拘置施設。面会だって当然厳しい。
「うわぁあああ、大きいなぁ」
天真爛漫な女子高生探偵は巨大な建物の前で絶景かなとばかりに額に手で恒を作る。
「何千人も収容されているらしいからな。死刑囚だけでもン十人といるらしいし」
結城はその威容を見上げて言った。
「でもそんなに厳重じゃないよね。建物の周りも柵がしてあるだけで緑も綺麗だし」
都が柵を指でつかんで見せる。
「近隣住民に配慮しているんだろう。多分建物の中を厳重にしてあるんだろうぜ」
結城は唸った。彼の推測は当たっていた。
 拘置所に面会に行くのは特別な事かと思ったら、実はそうでもなかった。大勢の人間が待合室に待機していて、まるで役所の窓口のようだった。普通の母子や外国人の女性、背広姿の男性も来ていた。窓口で2人で身分証明書の代わりに学生証と保険証を見せて、待つこと1時間…面会カードを貰って奥に通される。
「うおおおおお、金属探知機だぁ」
都が興奮したように叫ぶ。空港でお目にかかるようなマシーンを潜り抜けると、今度は巨大なレントゲンみたいなゲートをくぐる。
「これは違法な薬物を持っていないかチェックするための機械です」
「え、薬とかにも反応するの?」
結城は感心したように機械の中で‹‹\(´ω` *)/››‹‹\( ´)/››‹‹\(*´ω`)/››する都を見ながら言った。
「薬物だけではなく爆発物や危険物も探知することが出来ます」
女性調査官一ノ関真由美(26)は幾分得意げに言った。
「こりゃ脱獄は不可能だねぇ」
「刑務官が出入りする場所には指紋認証と暗証番号でのみ出入りすることが出来ますし、あなた方のICカードタグには位置情報をセンサーが追尾するタグが内蔵されていますから必ず身に着けておいてくださいね」
そう言って、ICタグのひもをブンブン振り回していた都はそれをぴたりと止めた。
「この先が面会室になります。制限時間は守ってくださいね」
一ノ関に言われて都は頷いた。
「この先に岩本君がいるんだね」
彼から都に手紙が来たのは2週間前だった。彼は同房の沢部という死刑囚のことが気になっているらしい。その為、彼が引き起こした事件についてインターネットとかに情報があれば軽く調べて欲しいと言ってきたのだ。都と結城はそれを知らせるために今日この拘置所に来ている。
「さぁ、行くぞ。死刑囚になったからって脱皮して人外になったわけじゃないんだ。緊張なんかする必要はないからな」
結城は都の両肩を叩いて歩くよう促した。

2

 拘置所の面会室に島都はいた。茨城県在住の県立高校1年生の彼女は幾分緊張はしていたが、ガラス越しに岩本が入って来ると笑顔で彼を迎えた。
「久しぶり、岩本君」
「都さん…結城君も」
岩本は柔和な表情で笑うと都に対面するようパイプ椅子に座りアクリルガラスの向こうで笑った。
「元気にしてる? 岩本君神父さんに星人の名前を付けてもらったんだね。パウロって素敵な名前…きっとバルタン星人と違っていい宇宙人の名前なんだよね」
「ははは」
無邪気な少女の笑顔に岩本は笑う。
「死刑判決を受けた沢部さんの事を調べて来たよ」
都がそういうと彼女の隣にいる結城竜という彼女の同級生の青年が書類を出して読み上げる。
「沢部明彦、26歳。2年前に介護士として働いていた先の家で12歳の女の子を残虐な方法で殺害…。殺害人数は1人だったが性的暴行を加えていた事や殺し方が残忍だったため死刑判決を受け、現在ここに留置中。ウィキペディアで調べた限りではそんな感じだったぜ。あとは、ウィキペディアの『その他』ってところに、被害者は与党政治家の長男の同級生って事が書いてあるくらいだったな」
結城はため息をついた。
「酷い事件だぜ」
「ありがとう」
岩本は結城に礼を言った。
「岩本君、この事件がどうしたの?」
都は目をぱちくりさせた。
「実は少々気になっていましてね。というのもその沢部という死刑囚と同じ部屋で教誨を受けたことがあるのですが、彼は自分は無罪だと言っていたんです。誰も殺していないと…。勿論彼の出まかせの可能性もあるのですが…彼のあの時の姿を見る限り、僕には本当にやっていないんじゃないかと…そう思えてならないんです」
「私にこの事件をもう一回調べて欲しいって事なのかな」
都は目をぱちくりした。
「是非お願いしたい。あなたの出した結論で彼が有罪だというのなら納得できる」
岩本が都を見ると結城が頭をかきかきした。
「おいおい、無茶いうなよ都はまだ高校…」
「いいよ!」
都はにっこり笑って頷いた。
「もう一度この事件を調べればいいんだね。岩本君の頼みだもん。私人肌も二肌も百回お肌を脱いじゃうよ」
「ありがとう」
岩本はそう笑顔で笑った。

「結城君どうしよう」
拘置所の廊下を歩きながら都は結城に縋りついた。
「すごい難しい事頼まれちゃったよぉおおおおお」
「言わんこっちゃない」
結城はあきれ果てた。
「事件は茨城県で起こっているようだし、長川警部が資料を持っているだろ。何かわかるかもしれないって…しいいいいいい」
結城は都の口をふさいだ。
「俺らが警察の捜査資料見ている事は内緒なんだからな。監視カメラで見られているここで言っていい事じゃない。しいいいいいいい」
「結城君が言ったんじゃん」
都はぶーーと口を膨らませた。
 待合室にカードを返した時だった。
「君は島君、結城君だね」
眼鏡をかけた禿げ頭の小太りの男が2人の顔を覗き込んだ。
「あなたは高沢先生!」
都はぴょんと岩本の弁護士の高沢斉昭(45)の所に向かった。
「高沢先生も岩本君に会いに来たの?」
都が聞くと高沢は「いやいや、私は今日は別の死刑囚に会いに来たんだ。沢部君というのだが、精神的に不安定なようで会うことは叶わなかったが」
とため息をついた。
「沢部って茨城県で女の子を殺した事件を起こした」
結城がすっ頓狂な声を上げると高沢は驚いた顔になった。
「君たち…沢部君を知っているのか」

「あの事件は冤罪だよ」
高沢は吐き捨てるようにファーストフード店でハンバーグを美味しそうに食べる都に言った。
「2年前、茨城県県南地域に住む中学1年生葉山奈津美さんの遺体が自宅の風呂で全裸で縛られて沈められているのが発見されたんだ。この時逮捕されたのが沢部明彦君22歳。彼は奈津美さんのお兄さんの介護をしていた人物で、今日はお兄さんを授産施設に連れて行って作業を補佐する仕事についていたんだ。沢部君が彼を家から連れ出したのが事件の日の午前8時、奈津美さんのお母さんが買い物に出かけたのは午前9時、この時までは奈津美さんは生きてお母さんをお見送りしている。だがお母さんが家に帰ってきた午前11時には奈津美さんはお風呂に沈んで亡くなっていた。だが沢部君は授産施設でずっと彼女のお兄さんと一緒にいたんだ。それはお兄さんが証言しているが、彼には自閉症があって警察は証拠採用しなかった」
「でも他の職員さんもいたんだろう」
と結城。高沢は頷いた。
「施設長さんや他の職員さんも沢部君がずっと働いていたと証言しているが、警察や検察が一分一秒たりとも見逃さなかったかと言われれば記憶は曖昧だと言っていた。だが職員の数は6人だよ。常識的に考えて一人抜け出せばわかるだろう。施設と事件現場は大体15分。往復30分いなくなれば気づかないはずがない。実際正面玄関の監視カメラでも彼が抜け出した痕跡はなかったし、非常口も同じだった。窓のある部屋には誰かしらいたし、普通にそこから抜け出せば誰かが気付く状況ではあった」
「100%完璧とは言えないかもしれないが、犯行は9割以上不可能だろ。なんでこの人が犯人って事になるんだよ」
「私にも意味不明だよ。さらに近所の人が犯行時刻と思われる10時ごろに彼女の同級生の入間拓夢という少年が葉山さんの自宅に出入りしているのを目撃しているんだ」
「その入間って」
都がパセリを口からこぼしながら言った。
「与党大物議員で次の改造内閣で大臣入りが決定している入間卓三議員の息子だよ」
高沢はため息をついた。
「だがこの目撃証言は証拠として採用されなかった。私に言わせればあの裁判は大きな力が働いて彼を犯人に仕立て上げて入間議員を守るために仕組まれた茶番だ。裁判の法廷、裁判員は質問や発言が沢部君のお母さんが在日コリアンであることを前提に『韓国ではレイプが国技って本当ですか?』ってふざけた質問を飛ばすような連中だった。裁判長もネトウヨ判事で一部では有名な人物でこういう質問も止めようともしない。彼は物的証拠も状況証拠も提示されないまま、暴力的な警察の取り調べで取られた自白調書だけで有罪にされてしまった。そして死刑判決だ…調書になんて書いてあったと思う? 1㎞の距離を3分で走って被害者をお湯に沈め、3分で戻って職場に復帰したと書いてある。オリンピック選手でも不可能だろ。算数の先生の下手糞な問題文みたいなあり得ない自白だけで彼は死刑判決を受けたんだ」
「そ、そんな…‼」
都は声を上げた。高沢はため息をついて言った。
「島君…君が女子高生探偵としてどんなに正しい真実を明らかにしても、今はポスト真実の時代。権力は平気で真実を捻じ曲げ、それを人々も望んでいるんだ」
弁護士の声には絶望が混じっていた。
「残念だが、君にどうにかできると考えない方がいい。君が真実を暴けないと言っているんじゃない。真実を暴いても何も変わらないって事だ」