少女探偵島都 2018年

2009年くらいから母親が書いていたシリーズ設定をもったいないので2018年より本格的にわいが引き継いでみました。大体1記事でアニメ1話分くらいの長さだと思ってください。コナンや金田一みたいな高校生探偵ミステリーを想定しています。

能面高原殺人事件 導入編

少女探偵島都大晦日SP
【能面高原殺人事件】

 1年前―。茨城県水戸市にあるスーパーマーケット「センターサン」倉庫。
「オルァアアアア」
天井から吊るされていた人物を社長の元山孝信が思いっきり鉄パイプで腹を殴打する。ぐぼっっと声を上げて天井から吊るされていた人物が血を口から吹いてひゅーひゅー音を立てる。
「キャハハハハハ、こいつ泣いているよ」
甲高い女の声が聞こえてきた。
「社長を裏切ろうとするなんて本当に馬鹿だよねぇ…」
女が煙草を吸いながら逆さ吊りで息をしている血みどろのワイシャツの男の顔に煙草を押し付ける。
「やめておいてくださいよ…」
元山の専属医の岩沼達樹が冷酷な声で言った。
「僕がこいつの死亡診断書を書くんですからねぇ…あまり顔に根性焼の後を付けられると面倒なことになるのは僕なんですよ…」
「はーい」
女がしゅんとした様に医師を見つけた。
「し、死亡診断書…」
逆さにされた男が消え入りそうな声で言った。
「本当にやるのか…」
元山社長の声が震える。
「大丈夫ですって…こいつは親戚にも嫌われてて親身になってくれる人間など一人もいない。顔だけまともだったら体がぐちゃぐちゃでも死亡診断書一つで死因はどうにでもごまかせますよ…」
岩沼の顔は残虐だった。彼は鉄パイプを取ると
「全ては僕にたくさん報酬をくれない社長が悪いんです…。ストレスたまっているんですよ…。だから僕のストレス解消の為に死んでくださいな」
岩沼は鉄パイプを振り上げると物凄い勢いでそれを吊るされている人物の雇用府に見開かれた顔にフルスイングした。ゴキッという音が何度か響いた後、顔がぶよぶよに腫れあがった死体を前にして岩沼は薄ら笑いを浮かべた。
「良かったでしょう社長…。あなたは直接手を下していない…殺したのはこの僕…」
そう言って振り返った岩沼の顔は目が見開かれたままの笑顔で殺人願望を達成した悪魔の顔であった。その顔に元山社長とその愛人も戦慄せざるを得なかった。

 一年後、吹雪が吹雪いていた。
 白面の復讐者は雪原に立っていた。全ての準備は整っていた。後は許しがたい連中がこの雪原にやってくれば復讐の惨劇は幕を開ける。あの時河原でこの人物の大切な人の遺体が上がったとき、リンチじゃないかというこの人物の声を所轄の刑事たちは無視した。あの時から愛する人がどれだけ苦しみ恐怖し死んでいったか…その想像だけがその人物の体を業火で炙る様に苦しめている…だがこの苦しみからもきっと解放されるのだ…。
 許しがたいあの3人の命をもって…。

 茨城県北部八溝山――。
 水郡線無人駅を降り立った茨城県常総高校のメンバーたちは一様に思った。
「寒いよ!」
「だから重ね着してきなって言ったのに…」
高野瑠奈はため息をつきながら駅の待合室で震えている長身の結城竜とゴリラみたいにごつい北谷勝馬、ポニーテールの薮原千尋を見た。
「寒さ対策はしてきたんだぜ。ちゃんと防寒着も着て来たし…」
「冬山は下着やインナーも含めて完全防備じゃなきゃダメだよ。千尋もスキニーなんて来て来ちゃだめだよーー」
「だって基本的に温かい屋内で観測会するんでしょう。冬山登山するんじゃないから…これくらいで大丈夫だと思ったんだもん」
黒髪美少女の高野瑠奈に呆れられて薮原千尋は抗議する。
「そういえば都の奴は」
勇気がもう一人の探検部一のトラブルメーカーで一応このシリーズの主人公である島都を探してあたりを見回す…すると都は待合室前の広場で
「雪だ雪だぁああああ。結城君、千尋ちゃん…勝馬君…雪だよ雪! 雪合戦だよーーーー」
と大はしゃぎしている。
「なんか、都の方が正解というのもむかつくな…」
いつもは彼女の保護者的な役割を果たしている結城が寒さに震えながら言うと千尋もうんと頷いた。
「まぁ、この人も相変わらず探検部の残念組だけど…。あれ」
待合室の隣にいたはずの北谷勝馬がいないことに気が付いた薮原千尋がふと外を見ると茫然とする都の前で雪だるまを作っているトランクス一丁の勝馬が恍惚の表情で何かをうたっている。
「今日も天気がポカポカ――――♪ 春だよ春だよーーーー♪」
「ねえ結城君…」
瑠奈が真っ青になって言った。
「あれ、矛盾脱衣って奴じゃない?」
結城は小鳥のように歌っているゴリラ男の傍に走り込んで拳骨一発で気絶させた。
「何をしとるんじゃボケェ」
半裸の勝馬を抱え上げながら結城は千尋に「こいつの服を着せるの手伝ってくれ」と叫ぶと、千尋は腐りきった笑顔でカシャとスマホで半裸の勝馬を抱える結城のその様子を撮影して、結城の顔にピキピキマークを付ける。
 その時一台のミニバンが雪化粧の駅前広場にやってきて助手席から中学2年生…結城の従妹の結城秋菜が「師匠! こんにちはー」と笑顔で降りてきて、結城と半裸の勝馬が絡み合っているのを見て…絶句し…そして…。
「いやぁああああ…お兄ちゃんの馬鹿ぁぁああああああああ」
と絶叫して回転回し蹴りで結城を吹っ飛ばした。
「とばぶっ」
肩で息をして真っ赤になっている秋菜の前で勝馬と折り重なる様に雪原に長々と横たわる結城…。
「な、何故だぁ」
と頭上で意識を回しながらこと切れ、それを笑顔で千尋がもう一枚撮影する。

「全くひどい目に遭ったぜ…」
結城がミニバンの後部座席で顔をガクガクさせた。
「フグオオオオ…生き返るぅううう」
助手席で勝馬がヒーターの風で恍惚している。
「びっくりしちゃったよ…勝馬君いきなり脱ぎだすんだもん」
小柄なショートヘアの島都は心配そうにその後ろから勝馬を見る。
「はははは、相変わらずドタバタが絶えないですね」
車を運転するのはこれから行くロッジのオーナー川又彰吾(58)だった。髭面でがっしりした山男だ。
「秋菜君が食事で話していた通りだ」
「この人は私の友達の親戚でこのロッジの経営者の川又さん…私がインフルでぶっ倒れた友達の代わりに泊まり込みでお手伝いしたお礼に皆さんを招待してくれたの」
「本当助かりました。私たち冬合宿の準備全然していなかったから…」
高野瑠奈がお礼を言った。「秋菜ちゃんもありがとね」
「いえ…私だって探検部の準メンバーで都師匠の一番弟子ですから」
「合宿ではどんなことをするんですか」
川又が聞くと、
「周辺でソリ滑りをしたり雪だるまを作ったり天体観測をしたり大富豪をしたり肝試しをしたり…温泉に入ったり、あと秋菜ちゃんが持ってきたスキー道具を交代で借りて簡単にスキーをしようかなって…」千尋
(つまり結局単発的な計画しか立ててないって事だよな)
「それは良いですね…青春だなぁ…」
川又が笑った。
「でも私たちの合宿っていっつも殺人事件とかが発生してやりたい事の半分も出来てないよね…ほとんど殺人事件解決部になってるじゃん」
「薮原…それは言ってくれるな」
結城は顔をシートにうずめながら唸った。
「そうですよ千尋さん…師匠が事件を呼んでいるんじゃありません…事件が師匠を呼んでるんです」
秋菜が都を抱きしめながら言った。
(フォローになってねぇ)
結城が心の中で突っ込みを入れる。
「大丈夫だって…治安のいい日本で殺人事件なんて起こらないから。ロッジに性格の悪そうな社長と愛人、その腰巾着といった過去に何かやらかしていそうな人がいなかったら大丈夫だって」
千尋がぱんぱんと心の声を呼んだかの如く結城に話しかける。

 だがロッジについたとき、その玄関のロビーで彼らが見たものはまさにその性格の悪そうな社長とその愛人、いかにも取り巻きといった感じの医師だった。
「おやぁ…これはこれはかわいいお嬢さんたちだぁ…こんなぴちぴちの女の子たちと一緒になれるなんて嬉しいなぁ」
ロッジの木造のロビーのソファーを占領していた髭の好色そうな男がへらへら笑いながら瑠奈と千尋に近づいてくる。
「お嬢さん…こっちに来て…県議会議員の私が面白い話をしてあげよう」
「全部先生の自慢話よ」
愛人と思しき20代後半のけばけばしい化粧の女がキッと瑠奈と千尋を睨みつけながら社長を抱きしめるように連れ戻す。
「なんだよ…かわいいお嬢さんとお話ししようとしただけじゃないかぁ」
「社長には私がいるでしょ私が」
おっぱいを社長に押し付けながら体にまとわりついてソファーに座る愛人。
「君たち…こうやって女は武器を使うんだ。君たちも覚えておくといいよ…特に君はね」
瑠奈の胸のあたりをあからさまに見ながら端正な顔立ちの長身の男が好色に笑った。
「おいおやじ…いい加減にしないと…」
いきり立つ結城を手で制しながら川又オーナーは決然と言った。
「岩沼様…他のお客様にこう言う発言をすると出て行ってもらいますよ…冬山に放り出されたくなければ節度を持った振る舞いをお願いします…」
「冗談ですってば」
医師の岩沼達樹(39)はへらへら笑った。
「オーナー…この先生は県議会議員よ。こんなおんぼろロッジなんて政治力でいつでもぶっ潰せるんだから」
県議会議員でスーパー経営者の元山孝信(54)に抱きしめられながら愛人の三竹優子(27)が言ったが、川又オーナーは
「どうぞ…私はお客様に快適にこのロッジで過ごしていただく義務がありますから」
と決然と言った。
「おーい、三枝君」
「はーい」
そばかすが目立つ髪の毛をシニオンにしたエプロン姿の女の子がパタパタ階段から降りて来た。
「三枝君…この子たちを2階の部屋に連れて行ってくれた前…都さんは秋菜君の部屋で一緒でも大丈夫ですよね」
「ほーい」
都は両手を上げて返事をした。

「お部屋の方は、都さん、秋菜ちゃんと瑠奈さん、千尋さん…そして結城さんと勝馬で分けましたけれどよろしかったでしょうか」
瑠奈と千尋の部屋で従業員の三枝典子(18)は確認した。
「異議なし」「異議なし」女子2組は手を上げたが、結城と勝馬は「異議あり」とげっそりした表情で手を上げた。三枝が困った顔をする…。
「なんでこんな奴とまた相部屋なんすか」と勝馬
「それはこっちの台詞だ…いびきうるせえし気色悪い寝言言いながら俺を蹴り飛ばしてくるし」と結城。しかしそれを無視して瑠奈が
「2人とも意義ないようです」
と異論は認めなかった。
「えええ、私は結城君と一緒に寝てもいいよ」
都がそう言って結城が一瞬赤くなると、瑠奈が
「じゃぁ女の子の中で勝馬君と一緒に寝てもいい人いる?」
誰も手をあげない…結城はため息をついて…「いいよ…男子2人」しかいないし仕方ねえ」とため息をついた。落ち込んでいる勝馬を見ると可哀そうになってきた。
「お客さんは私たちと殺人事件の被害者にいかにもなりそうな下の人たち以外誰かいるんですか」
千尋が聞くと、典子は「はい、東京の大学生の方と、あと一人…」
雪山でフードをかぶった男がゆっくりと近づいてきていた。
「私のことかな?」
突然現れた坊主頭の男が言った。
「いいえ、あなたは数に入れていません。お客様じゃないんですから」
と三枝はキッと坊主頭を睨みつけた。

2

「そんな怖いこと言わなくてもよろしいでしょう」
坊主頭の初老の男は太った体を無理やり部屋の中にねじ込んで挨拶した。
「私は不動産業をやっております昌谷正和といいます」
昌谷正和(59)は赤ら顔でへらっと笑った。
「実はこの土地一帯を購入させていただきたいと思いましてな…こうしてオーナーにお伺いを立てているのですが」
「買い取ってどうするんですか」
千尋が聞くと「ま、レジャーランドを建設するという事だそうです」
「レジャーランド?このご時世に?」
千尋がすっ頓狂な声を上げた。
「嘘です…目当てはこの辺の水源だそうです…水道が今度民営化されるって話になっているじゃないですか…そのための水源を確保して民間企業に売るつもりなんですよ」
「こらこら…若いもんが知ったような口を利くんじゃありません。そんじゃぁ皆さん今晩一日よろしくお願いしますねー」
昌谷はそう言って歩き去っていった。
「この人も殺されそうねー」
瑠奈が目をぱちくりさせた。探検部の良心のブラックな発言に結城と千尋が振り返った。

「いえーーーーい」
近くにある丁度いい丘の上から秋菜から借りたスキーで瑠奈が華麗に滑っていく…。
「瑠奈スキーうまいじゃん…やったことあるの?」
下で待っていた千尋が感心したように言った。
「両親と中学の時は新潟の方に…」瑠奈が恥ずかしそうに笑った。その後ろを巨大な雪だるまがゴロゴロ回転していく…。千尋はえっと声を上げて瑠奈と振り返ると…雪だるまが小さな崖を飛び越えて見えなくなりバシャーんと落っこちた。
「きゃぁああっ、ナニコレいやぁああああああ」
愛人の三竹の悲鳴が聞こえてくる…。そしてうぎゃぁああああああという都の声が聞こえてきた。
「あれ、今の都?」
瑠奈が恐る恐る崖の下を見てきゃっと悲鳴を上げ、千尋が「おーおー」と声を上げた。
「お取込み中申し訳ありません…」
そこにあったのは温泉…そこに突っ込んだ都…全裸の議員…全裸の愛人だった。
「あんたたち何見ているのよ…あっち行ってよ…」
「も、申し訳ないっす…」
雪を降りて来た結城が息を切らすと三竹はぎゃぁあああっと悲鳴を上げて全裸の議員に抱き着いた。
「都…早く上がってこい…」
結城が声を上げるが都は議員の物を見てしまったせいか、真っ白になったまま動かない…結城は「失礼しますよ…」と温泉にあおむけになっている瑠奈を回収して連れていく…。
「あのー…落ちてましたよーーー」
勝馬が乱れ堕ちていたニット帽を拾い上げて緊張したまま三竹優子に渡そうとしたが、三竹はそれを奪い取って「ゴリラみたいな手で触らないでよ!」と叫びながらお湯でごしごしニット帽を洗い始めた。心が折れた勝馬を片手で引きずりながら結城は退場した。

「おおお、うまそうなシチューだ…」
金髪に色黒のチャラそうな大学生江崎レオ(21)が感嘆の声を上げる…。
「やっぱり冬はシチューよね」
ふわふわ髪型の槇原玲愛(20)が「いただきまーす」とシチューを口に運ぶ…。
「ぶえっくしゅい」
しかし食事を台無しにするくしゃみがロッジの食堂でショートヘアの女子高生から発せられた。
「ほら、鼻をかんで」
瑠奈が都の鼻をティッシュでちーんする。
「ぶえええ、本当に怖かったよーー。変なものを見ちゃって」
そう言う都をテーブルの端っこから殺気立った目が6つ見つめている。
「なぁ、君たち…。食事が終わったらゲームをしないかいこのロッジビリヤードがあるんだ」
イケメン医師の岩沼が早速大学生グループの黒髪でおとなしそうな青山はすき(20)に声をかけている。玲愛が「えええ、面白そう…やるやる!」と声を上げた。
「君たちは?」
岩沼が聞くと瑠奈は
「いえ、多分あちらの方が承知しないんじゃないかと…」
殺気だった目を見ながら瑠奈は苦笑した。

 午後5時、ゲーム室から談笑する声が聞こえてくる。
 それを見ながらキッチンで洗いものをする秋菜。瑠奈がにっこり笑って「手伝うよ」と言った。
「え、良いですよ…私の仕事ですから」
秋菜が言うと瑠奈は首を振って「秋菜ちゃんが頑張ってくれたおかげで私たち合宿で来たんだもん。中学生に甘えちゃダメ」
「そうですか…じゃぁ、洗い物をお願いします。師匠は大丈夫そうですか?」
「大分グロッキーだけど千尋が付いてる。勝馬君は今お風呂…。結城君はゲーム室で大学生に誘われてビリヤードに付き合わされてる」
「結局ゲームに付き合わされているじゃん」
秋菜はため息をついた。
「玲愛さんがはすきさんの為に無理やり結城君を誘った感じだったけど…」
「師匠が聞いたらさらにグロッキーになりそうです…」
秋菜は言った。

 午後6時―。三竹優子は頭を押さえてゲーム室のソファーから立ち上がった。
「あー、飲み過ぎた…私部屋で寝るわ…岩沼先生は元山先生を後でちゃんとベッドに連れて行って」
三竹優子は立ち上がった。
「無理ですよ…元山先生は爆睡していますし…」
「無理というから無理なのよ…頭使いなさい」
そう言って三竹優子は部屋を出ていく…。岩沼は彼女が出ていくのを確認すると元山議員そっちのけでビリヤードに割って入る。
「随分と盛り上がっているね…君たち…どんな感じなんだい…」
「結城君が圧倒的に強くて…」
はすきが緊張した笑顔で言うと、いきなり岩沼が彼女の背後から腰に腕を巻き付けて右手を持ちながらゆっくりキューを持つ姿勢になる様に促す。
「ほら、僕が教えてあげるよ」
「やめなよおじさん」
玲愛が怒って岩沼に立ちふさがる。
「いいじゃないか…彼女はボッチ何だろう…出会いを求めてここに来たんじゃないのか…僕は医者だぞ…それも議員専属の医者だ…。僕のものになれば将来は安泰だぞう」
「ふざけないで…はすき…嫌がっているじゃない…」
「うるせぇ」
岩沼が大声をあげた。
 が、その時結城がキューを岩沼に突きつけて低い声で脅しつけた。
「いい加減にしないと玉の代わりにお前の頭をつくぞ」
「そんなことをしたら高校生と言えど君の人生も終わりだぞ」
「仲良く人生終了するか」
結城にすごまれた岩沼はちっと舌打ちして不機嫌そうに席について酒を煽りだした。

「はぁ」
女湯の露天風呂の中で、秋菜は恥ずかしそうに顔を半分沈めて泡を吹いた。
「お兄ちゃん本当最低。オーナーの第一印象はパンツ一丁の勝馬君と絡み合ってるんだもん。ほんと不潔ですよ」
「あれはしょうがないよ…千尋が面白がっちゃっていたのが悪いし」
瑠奈は苦笑した。そんな瑠奈の胸をじっと見て秋菜は
「瑠奈さん…着やせするタイプなんですか…」
と目を丸くした。
「え…あ…でも私も秋菜ちゃんと同い年の位は…そんな大きくなかったよ」
「え、じゃぁ私でも瑠奈さんみたいになるチャンスがあるって事ですか」
秋菜が瞳を輝かせる。
「どうやればそうなれるんですか! やっぱりマッサージとかですか?」
「あ、えええと…あ、でも秋菜ちゃんの胸だってかわいいと思うし、14歳はまだ成長期だからどんな胸になるかわからないよ」
瑠奈に言われて秋菜は真っ赤になってお湯の中で自分の胸を両手で包む。そして天を仰いだ。
「私背が高いのに胸が小さいんですよ。せめて背が小さくて胸も小さいのならいいのに」
「それは都が可哀そうかな…」
瑠奈は苦笑する。中学生の時は瑠奈も胸の大きさで相当悩んだような気がする。
 2人でお風呂を上がって防寒着で母屋に戻る途中だった…。何か明かりのようなものがふんわりと浮いているのが見えた。
「瑠奈さん…あれ、人魂じゃないですよね」
秋菜が瑠奈のジャンパーを掴んでしがみつくようにして声を震わせる。
何だろうと雪舞う闇夜を凝視する瑠奈。それは蝋燭の光だった。蝋燭を持った白い浴衣を着た人物が立っていた…その人物がゆっくりと瑠奈と秋菜を振り返った。
それは能面をかぶっていた。不気味に笑う中将の能面。その奥に見える底知れない憎悪。そしてそれはさっと離れの陰に消えていった。
 瑠奈はぺたんと尻餅をついた。幽霊よりも恐ろしい人間の憎悪が具体化された何かを瑠奈は目撃したのだ…。
「あ、秋菜ちゃん…」
「見ました…今の丑の刻参りですよね…」
秋菜はしばらく声を震わせていたが、やがて立ち上がって瑠奈を絶たせると湯冷め寸前の体を震わせながらなんとか歩いてロッジに戻ってきた。
「どうしたんだ…」
ゲーム室から自販機に行こうとして2人に遭遇した結城は真っ青な2人の顔にびっくりした。
「お兄ちゃん、丑の刻参り…丑の刻参りを見ちゃったよ」
「丑の刻参り? なんじゃそりゃ」
「結城君本当。白装束に蝋燭をもって能面をかぶった変な人が離れの方に歩いて行ったの」
「何馬鹿な事を言っているんだ…この辺には半径5㎞にこのロッジしか有人施設はないんだ。ここに宿泊している関係者以外誰かがいるはずないじゃないか…」
結城は少し考えていた。
「ひょっとしてオーナーか?」
「どういう事?」
「いや…実はオーナー離れの鍵がないってさっきトイレに行ったとき探しているのが見えてさ…。もしかしたら母屋に行ったのかもしれない…」
その時だった。外から「うわぁあああああああ」と男の悲鳴が聞こえた。結城は弾かれた様に走り出し、岩沼と江崎が後に続く…。離れの方に行ってみるとその入り口で男が尻餅をついて雪の上で震えていた。プレハブの離れの天蓋付きのベッドの上に日本刀が突き刺さった肉体が見えた。その乳房にぐさりと日本刀が突き刺さっている…。カッと見開かれた目…三竹優子の死体がそこにあった。

岩本承平の絶望 導入編

少女探偵島都

1

 水戸地方裁判所
「今から判決を言い渡します。被告人前へ」
裁判長が厳粛な声で4人を殺害した犯人岩本承平に起立を促した。岩本はその大柄な体で立ち上がり精悍な顔で裁判長を見た。裁判長は徐に判決文を読み上げた。
「主文、被告人を死刑に処す」
岩本は特に表情を変える事はなかった。正直な話このような結果は彼には容易に予想はついた。黙って裁判長に一礼し、それから傍聴人を振り返って一礼した。制服の男に手錠をかけられ、いずことなく連れていかれる。

「今判決が出ました。死刑です…」
女性記者が大声でテレビカメラの前でがなりたてている。それを茨城県常総高校の食堂で見ていた、15歳のショートヘアの美少女は真っ青になって崩れ落ちた。食べかけのチョコパンが床に落ちる。
「都‼」
同級生の長身の青年結城竜が慌てて小柄な少女を抱きかかえるが、都はショックで唇が震えている。

「なんで? なんで死刑なの?」
都は保健室のベッドで涙をぽろぽろ流した。
「私、岩本君にそんな風になってほしくて推理したんじゃないのに…なんで」
都が所属している探検部のメンバーが集まったが一様に顔は暗く沈んでいた。
「都…残念だけどこれは裁判所が決めた事なの。私も岩本君が死刑になるなんて間違いだと思う…でも罪の重さは私たちが決めていい事じゃないの…辛いよね」
瑠奈は都を抱きしめた。
「大体殺された連中だって若い女の人を集団で殺したような外道じゃない。その女の人の敵討ちなんだから、何も死刑にしなくてもいいと思うな」
原千尋はため息をついた。
「でも裁判の判例だと3人殺せば死刑、同情できる復讐殺人で無期懲役になるのは2人までって言われているからな」
結城は辛そうに都を見た。
「でも都さん、岩本を助けるために何度も裁判所で証言したんだろ! あんまりじゃねえか」
岩本が結城に食って掛かる。
「弁護士の先生も大切な人を殺されたショックによる心神耗弱やそもそも岩本自身が受けていた虐待などを背景に情状酌量は求めたんだぜ。だがダメだったみたいだ。岩本はアリバイトリックを仕掛けてかなりえぐい方法で4人も殺したからな。難しかったんだろう」
結城は勝馬を睨んだ。勝馬はそんなという表情で結城を見た。
「都…岩本君はそれだけのことをしてしまったの。だから都のせいじゃない。都の推理のせいでそうなったんじゃないの」
瑠奈は必死で都を抱きしめながら話しかけた。都は瑠奈の胸の中で
「でも、でもいやだよおおおおおおおお」
と子供のように泣いていた。

「都を負ぶってくれてありがとう」
都のアパートの前で高野瑠奈は言った。都は部屋の布団でグスグス泣き続けている。
「私は都のおばさんが帰って来るまで都のそばにいるから」
「大変だな。高野」結城はドアの前で言った。
「中学校時代にもこういうことがあったの。都が暴いた事件で犯人に死刑判決が出て…去年執行されたの」
「そうか…」
結城は沈んだ顔をした。
「あいつは本当に人が死ぬとかダメだからな。人が死ぬ正義なんて絶対認められないからな…あいつ」
「うん、凄く怖がっている」
瑠奈は言った。結城は益々居た堪れなくなった。瑠奈に
「都をよろしく頼むわ」
とだけ告げて、結城はアパートの階段を下りた。
 結城は夜道を歩きながら思い出していた。

 岩本は両親、学校、施設、職場…人生の全てを虐待されて育ってきた。力を持った相手の虐待を全て引き受けるため、アダルトチルドレンの定義の一つであるピエロになりきっていた岩本承平。だが、ある女性に人生でただ一人優しくしてもらう。自分の職場の上司らがその女性を暴行の挙句殺害した事を知ったとき、彼は人生で初めて「憎しみ」という感情を覚えた。
「おかしいですよね…この感情をどうすればいいのかわからないのです。体をどう止めればいいのかわからなかったのですよ」
そう言って涙を見せて笑った岩本の顔を、結城は未だに忘れられない。人生で初めての憎しみの感情をコントロールする方法が岩本には分らなかった。岩本は4人を殺害し、女子高校生探偵島都に犯行を暴かれ逮捕された。

「ごめんね瑠奈ちん」
その夜都は瑠奈を見た。瑠奈は優しく手を握ってあげている。
「怖かったんだよね、都」
「うん」
都は鼻水をすする。
「都…死刑が執行されるまではまだ何年もあるはずだよ。それまでは岩本君にもかけがえのない命は宿っている。都…私たちにも出来ることはあるはずだよ」
瑠奈は鼻水ズビズビな都の鼻をチーンとやる。
「岩本くんに会いに行く」
都は声を震わせ、瑠奈も笑顔で「うん」と頷いた。
「手紙もいっぱい書く」
「うん」瑠奈は優しく頷いた。
千尋ちゃんのBLも差し入れる」
「う…それは受け取ってもらえるかなぁ」
瑠奈は苦笑した。そしてまた都の頭をなでなでしてあげた。

「そっか、師匠…そんなに苦しんでいるんだ」
結城竜のマンションで中学2年生で従妹の結城秋菜がカレーを口にしながら言った。
「まぁ、岩本に殺された連中にも家族はいたわけだし、そいつらにとっては岩本は死刑にしなきゃ飽き足らないだろうけどな」
結城はため息をついた。
「師匠にとっては自分が追い詰めて自首させた犯人が、殺されちゃうって事だもんね。復讐とか死んでいい人の命を作るとか…師匠が一番苦しむ事だもんね」
秋菜は沈んだ顔をした。
「ああ、自分が岩本を絞首台に送る歯車になっちまったかもしれないって、都は苦しんでる」
「でも師匠は間違ってないよ!」
秋菜は思わず立ち上がった。
「どんな理由があろうと人を殺した罪は償わないといけないし、死刑を決めたのは裁判所じゃん。師匠は関係ないよ」
「まぁ、そうなんだろうけど…って俺に怒鳴るなや」
結城はため息をついた。
「俺たちだって大人になれば裁判員として葉書が来て、岩本みたいな可哀そうな奴に死刑判決を下すのかもしれないんだぞ。海外の陪審員制度はあくまで有罪か無罪かを決めるんだけど、この国の裁判員制度は判決まで決めるからなぁ」
結城は頭をポリポリかいた。
「言うなれば一人の人間の命が生きるに値するかどうかを決めるって事だ。この国の死刑って言うのはそういうシステムのもとに成り立っている。勿論現実に日本で死刑になる事件では大体被告人自身が人の命を奪うって行為をしてしまっているんだけどな」
最後の台詞で結城はふぅと息を吐いた。
 結城は小学生の時の事を思い出していた。自分は生きる権利があると法律に判断されて生きている。でもそうじゃなかったかもしれない。そしてそうなったのは正当防衛に近いとはいえ、11歳の自分が人を殺すという罪を犯したことにある。それでも自分は都の隣にいることを許されている。岩本だってもし都や結城が止められていればそうなれていたかも知れないのだ。

 数週間後―。
 別の事件で裁判員による討議が行われていた。
「さて、皆さん。皆さんはこの沢部明彦被告が死刑になるかどうか決めていただきます」
裁判長が全員を見回すと
「有罪に決まってるじゃん」
と60代の背広姿の男が言った。
「そうそう、いかにも朝鮮人みたいな顔をしているし、間違いなくこいつは人を殺してるよ」
「アリバイ? そんなもん朝鮮人お得意のでっち上げに決まっているじゃん」
ハゲあがった男がへらへら笑う。
「では有罪という事で」
裁判長はそう頷いた。
「では彼はどのような刑罰を受けるべきだと思いますか?」
「死刑よ死刑!」
主婦らしきオバサンが金切り声を上げた。
「ああ、在日は死刑だ。こんな恐ろしい罪を犯してのうのうと生きているなんて、日本人の安全のためには死刑しかありえない」
と頭のよさそうな眼鏡の背広姿の男性が言った。
「死刑で構いませんね」
裁判長は全員を見回して確認すると、一人ちゃらちゃらした男が「異議なし!」と言った。

 東京葛飾区小菅にある東京拘置所。この巨大な施設は東京都で起訴された未決囚と関東甲信越で死刑判決を受けた死刑囚が拘置されている。
 日本において死刑囚は死ぬことが刑罰なので、刑務所ではなく拘置所に入れられる。髪型も服装も常識の範囲なら自由。労働の必要もなく三食昼寝付きで三畳の部屋で監視されてはいるが、室内では何をしてもいい。月に数度運動や教戒師による説法を受けることもある。
「岩本さん、良くいらしてくれました」
神父のマリヌス田中が教誨室で笑顔で大柄なジャージ姿の死刑囚に挨拶した。
「もうすぐ沢部さんもいらっしゃりますから待っていてください」
「はい」
岩本承平死刑囚は礼儀正しく田中に会釈をしてもう一人の死刑囚を待った。やがて小柄で若い長髪の青年が黄色いTシャツ姿で刑務官に連れられて入ってきた。全てを受け入れたように超然としている岩本と違って、沢部はガタガタ震えている。
「沢部さん…ようこそいらしてくれました」
「はい」
沢部はおずおず答えた。
「お2人には前の教誨の時に宿題を出していましたよね」
「讃美歌『慈しみ深き友なるイエスは』ですね」
岩本は言った。
「さすがです岩本さん…練習をしてくださったのですね」
「ええ。時間はたっぷりありましたので。外の世界の地獄のような虐待と違い、この拘置所では穏やかな時間が流れていますからね」
遠い目をする岩本の横で沢部が緊張した顔のまま震えている。
「沢部さんは、どうですか? 讃美歌…覚えてきましたか?」
「は、はい…神父様…」
「それじゃぁ歌いましょう。必ずお腹の底から声を出してください。そうすれば心の安息が得られますから。それじゃぁ、曲をかけますね」
♪いつくしみふかき ともなるイエス
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを♪
「うわぁあああああああああっ」
沢部は突然絶叫を上げてその場にしゃがみこんだ。その場にいた看守が「沢部君!」と抱き起す。
「沢部さん…落ち着いてください…大丈夫です…大丈夫ですよ」
優しく田中は沢部を抱きしめる。沢部は神父に縋りつくようにして言った。
「神父さん…助けてください…僕は…僕は何もしていないんです…僕は人を殺していない…誰も…誰も殺していないんです…助けて…助けてっ」
ガタガタ震え真っ青になる沢部を看守が抱き起して連れていく。岩本はその様子をじっと見つめていた。

 朝9時。岩本は自分の部屋で聖書を開いてそれを読んでいた。その時だった。廊下をカツンカツンと歩く看守の音がする。もしこの音が自分の部屋の前で止まれば、その時が最後だ。実は日本の死刑執行は本人の自殺の可能性を考えて当日1時間前まで知らされない。つまり看守に部屋を連れ出されるときになって死刑囚は今日自分が処刑される事を知るのである。つまり、昼食が終わった午前9時に看守の足音が自分の部屋の前で止まれば、その時が自分が死刑にされる可能性が極めて高いというわけだ。
 そして岩本の独居房の前で足音が止まった。独居房の扉が開く音がする。
「沢部君」
向かい側の部屋にいる沢部死刑囚に看守が語り掛ける。
「いやだぁ、助けてくれぇ。僕は死にたくない! 死にたくないんだぁ」
沢部の絶叫が聞こえる。普段看守の足音に超然としている岩本も思わず扉に耳を当てる。
「安心するんだ沢部君。今日君を連れ出すためにここに来たんじゃない」
「いやだぁ。助けて…僕は僕はやっていない…僕はやっていないんだぁ」
沢部の悲痛な悲鳴が聞こえてきた。

 茨城県からTⅩで北千住までいき、そこからスカイツリーラインで1駅。東京拘置所は車窓からでも目立つくらい大きな建物だった。周辺の住宅地の対比から見ても防衛隊の基地のようにさえ見える。ここは関東地方で唯一死刑囚を拘置している日本最高レベルの厳重な拘置施設。面会だって当然厳しい。
「うわぁあああ、大きいなぁ」
天真爛漫な女子高生探偵は巨大な建物の前で絶景かなとばかりに額に手で恒を作る。
「何千人も収容されているらしいからな。死刑囚だけでもン十人といるらしいし」
結城はその威容を見上げて言った。
「でもそんなに厳重じゃないよね。建物の周りも柵がしてあるだけで緑も綺麗だし」
都が柵を指でつかんで見せる。
「近隣住民に配慮しているんだろう。多分建物の中を厳重にしてあるんだろうぜ」
結城は唸った。彼の推測は当たっていた。
 拘置所に面会に行くのは特別な事かと思ったら、実はそうでもなかった。大勢の人間が待合室に待機していて、まるで役所の窓口のようだった。普通の母子や外国人の女性、背広姿の男性も来ていた。窓口で2人で身分証明書の代わりに学生証と保険証を見せて、待つこと1時間…面会カードを貰って奥に通される。
「うおおおおお、金属探知機だぁ」
都が興奮したように叫ぶ。空港でお目にかかるようなマシーンを潜り抜けると、今度は巨大なレントゲンみたいなゲートをくぐる。
「これは違法な薬物を持っていないかチェックするための機械です」
「え、薬とかにも反応するの?」
結城は感心したように機械の中で‹‹\(´ω` *)/››‹‹\( ´)/››‹‹\(*´ω`)/››する都を見ながら言った。
「薬物だけではなく爆発物や危険物も探知することが出来ます」
女性調査官一ノ関真由美(26)は幾分得意げに言った。
「こりゃ脱獄は不可能だねぇ」
「刑務官が出入りする場所には指紋認証と暗証番号でのみ出入りすることが出来ますし、あなた方のICカードタグには位置情報をセンサーが追尾するタグが内蔵されていますから必ず身に着けておいてくださいね」
そう言って、ICタグのひもをブンブン振り回していた都はそれをぴたりと止めた。
「この先が面会室になります。制限時間は守ってくださいね」
一ノ関に言われて都は頷いた。
「この先に岩本君がいるんだね」
彼から都に手紙が来たのは2週間前だった。彼は同房の沢部という死刑囚のことが気になっているらしい。その為、彼が引き起こした事件についてインターネットとかに情報があれば軽く調べて欲しいと言ってきたのだ。都と結城はそれを知らせるために今日この拘置所に来ている。
「さぁ、行くぞ。死刑囚になったからって脱皮して人外になったわけじゃないんだ。緊張なんかする必要はないからな」
結城は都の両肩を叩いて歩くよう促した。

2

 拘置所の面会室に島都はいた。茨城県在住の県立高校1年生の彼女は幾分緊張はしていたが、ガラス越しに岩本が入って来ると笑顔で彼を迎えた。
「久しぶり、岩本君」
「都さん…結城君も」
岩本は柔和な表情で笑うと都に対面するようパイプ椅子に座りアクリルガラスの向こうで笑った。
「元気にしてる? 岩本君神父さんに星人の名前を付けてもらったんだね。パウロって素敵な名前…きっとバルタン星人と違っていい宇宙人の名前なんだよね」
「ははは」
無邪気な少女の笑顔に岩本は笑う。
「死刑判決を受けた沢部さんの事を調べて来たよ」
都がそういうと彼女の隣にいる結城竜という彼女の同級生の青年が書類を出して読み上げる。
「沢部明彦、26歳。2年前に介護士として働いていた先の家で12歳の女の子を残虐な方法で殺害…。殺害人数は1人だったが性的暴行を加えていた事や殺し方が残忍だったため死刑判決を受け、現在ここに留置中。ウィキペディアで調べた限りではそんな感じだったぜ。あとは、ウィキペディアの『その他』ってところに、被害者は与党政治家の長男の同級生って事が書いてあるくらいだったな」
結城はため息をついた。
「酷い事件だぜ」
「ありがとう」
岩本は結城に礼を言った。
「岩本君、この事件がどうしたの?」
都は目をぱちくりさせた。
「実は少々気になっていましてね。というのもその沢部という死刑囚と同じ部屋で教誨を受けたことがあるのですが、彼は自分は無罪だと言っていたんです。誰も殺していないと…。勿論彼の出まかせの可能性もあるのですが…彼のあの時の姿を見る限り、僕には本当にやっていないんじゃないかと…そう思えてならないんです」
「私にこの事件をもう一回調べて欲しいって事なのかな」
都は目をぱちくりした。
「是非お願いしたい。あなたの出した結論で彼が有罪だというのなら納得できる」
岩本が都を見ると結城が頭をかきかきした。
「おいおい、無茶いうなよ都はまだ高校…」
「いいよ!」
都はにっこり笑って頷いた。
「もう一度この事件を調べればいいんだね。岩本君の頼みだもん。私人肌も二肌も百回お肌を脱いじゃうよ」
「ありがとう」
岩本はそう笑顔で笑った。

「結城君どうしよう」
拘置所の廊下を歩きながら都は結城に縋りついた。
「すごい難しい事頼まれちゃったよぉおおおおお」
「言わんこっちゃない」
結城はあきれ果てた。
「事件は茨城県で起こっているようだし、長川警部が資料を持っているだろ。何かわかるかもしれないって…しいいいいいい」
結城は都の口をふさいだ。
「俺らが警察の捜査資料見ている事は内緒なんだからな。監視カメラで見られているここで言っていい事じゃない。しいいいいいいい」
「結城君が言ったんじゃん」
都はぶーーと口を膨らませた。
 待合室にカードを返した時だった。
「君は島君、結城君だね」
眼鏡をかけた禿げ頭の小太りの男が2人の顔を覗き込んだ。
「あなたは高沢先生!」
都はぴょんと岩本の弁護士の高沢斉昭(45)の所に向かった。
「高沢先生も岩本君に会いに来たの?」
都が聞くと高沢は「いやいや、私は今日は別の死刑囚に会いに来たんだ。沢部君というのだが、精神的に不安定なようで会うことは叶わなかったが」
とため息をついた。
「沢部って茨城県で女の子を殺した事件を起こした」
結城がすっ頓狂な声を上げると高沢は驚いた顔になった。
「君たち…沢部君を知っているのか」

「あの事件は冤罪だよ」
高沢は吐き捨てるようにファーストフード店でハンバーグを美味しそうに食べる都に言った。
「2年前、茨城県県南地域に住む中学1年生葉山奈津美さんの遺体が自宅の風呂で全裸で縛られて沈められているのが発見されたんだ。この時逮捕されたのが沢部明彦君22歳。彼は奈津美さんのお兄さんの介護をしていた人物で、今日はお兄さんを授産施設に連れて行って作業を補佐する仕事についていたんだ。沢部君が彼を家から連れ出したのが事件の日の午前8時、奈津美さんのお母さんが買い物に出かけたのは午前9時、この時までは奈津美さんは生きてお母さんをお見送りしている。だがお母さんが家に帰ってきた午前11時には奈津美さんはお風呂に沈んで亡くなっていた。だが沢部君は授産施設でずっと彼女のお兄さんと一緒にいたんだ。それはお兄さんが証言しているが、彼には自閉症があって警察は証拠採用しなかった」
「でも他の職員さんもいたんだろう」
と結城。高沢は頷いた。
「施設長さんや他の職員さんも沢部君がずっと働いていたと証言しているが、警察や検察が一分一秒たりとも見逃さなかったかと言われれば記憶は曖昧だと言っていた。だが職員の数は6人だよ。常識的に考えて一人抜け出せばわかるだろう。施設と事件現場は大体15分。往復30分いなくなれば気づかないはずがない。実際正面玄関の監視カメラでも彼が抜け出した痕跡はなかったし、非常口も同じだった。窓のある部屋には誰かしらいたし、普通にそこから抜け出せば誰かが気付く状況ではあった」
「100%完璧とは言えないかもしれないが、犯行は9割以上不可能だろ。なんでこの人が犯人って事になるんだよ」
「私にも意味不明だよ。さらに近所の人が犯行時刻と思われる10時ごろに彼女の同級生の入間拓夢という少年が葉山さんの自宅に出入りしているのを目撃しているんだ」
「その入間って」
都がパセリを口からこぼしながら言った。
「与党大物議員で次の改造内閣で大臣入りが決定している入間卓三議員の息子だよ」
高沢はため息をついた。
「だがこの目撃証言は証拠として採用されなかった。私に言わせればあの裁判は大きな力が働いて彼を犯人に仕立て上げて入間議員を守るために仕組まれた茶番だ。裁判の法廷、裁判員は質問や発言が沢部君のお母さんが在日コリアンであることを前提に『韓国ではレイプが国技って本当ですか?』ってふざけた質問を飛ばすような連中だった。裁判長もネトウヨ判事で一部では有名な人物でこういう質問も止めようともしない。彼は物的証拠も状況証拠も提示されないまま、暴力的な警察の取り調べで取られた自白調書だけで有罪にされてしまった。そして死刑判決だ…調書になんて書いてあったと思う? 1㎞の距離を3分で走って被害者をお湯に沈め、3分で戻って職場に復帰したと書いてある。オリンピック選手でも不可能だろ。算数の先生の下手糞な問題文みたいなあり得ない自白だけで彼は死刑判決を受けたんだ」
「そ、そんな…‼」
都は声を上げた。高沢はため息をついて言った。
「島君…君が女子高生探偵としてどんなに正しい真実を明らかにしても、今はポスト真実の時代。権力は平気で真実を捻じ曲げ、それを人々も望んでいるんだ」
弁護士の声には絶望が混じっていた。
「残念だが、君にどうにかできると考えない方がいい。君が真実を暴けないと言っているんじゃない。真実を暴いても何も変わらないって事だ」

島都

島都

『少女探偵島都シリーズ』の主人公。
茨城県常総高校1年6組。茨城県を中心に福島県、千葉県、新潟県などで数多くの難事件を解決している女子高校生探偵。
誕生日は3月5日。作中では基本的に15歳という表記で統一されている。金田一や工藤よりも一歳年下。
母子家庭で家賃2万円のアパート暮らしであり、部屋は極端に狭く母親と川の字で寝ている。母親杏子は33歳で大学清掃員で軽度の知的障害がある。


↑アニメキャラだと彼女に似ている。

【容姿】
身長144㎝と小柄。ショートカットの髪型から小学生に間違えられることがある。パッチワークやアップリケがついたハーフパンツを愛用している。体型も幼児体型で貧乳。
なおパンツはうさぎさんの白だった事がある。

【性格】
思い込んだら一直線のおてんば少女だが運動神経に恵まれているわけではなく、基本的にはドジで天然な性格。迷子の常習犯で同級生で同じ探検部員の結城竜や高野瑠奈をひやひやさせている。
また温厚で人懐っこく、男女構わず親しい人には飛びつく傾向がある。
趣味は探検で好奇心旺盛。どこでも爆睡出来るほどのサバイバル能力と、危機的状況でもふわふわした性格を崩さない度胸がある。
極端に不器用な性格でアルバイトを何度もクビになっていた模様。農家や山荘、銭湯でアルバイトしてる描写がある。子供会や子供食堂に顔を出していることがある。
またかわいいぬいぐるみや甘い食べ物にも目がなく、長川警部にパフェで釣られて事件に介入する事もしばしば。
友達想いで心優しい性格の持ち主であり、例え殺人犯であっても苦しんでいる人を助けたいという思いを持つ。逆を言えば友達を傷つけたり弱い立場の人間を傷つける人間に対しては凄まじい嫌悪感を見せたり、普段からは想像できないほど激怒する事もある。

結城竜に対しては特別な感情を持っているが、彼女自身恋愛に関しては全く分からず、自分の思いに混乱する場面がみられる。薮原千尋の影響でBLにハマりそうになった事がある。

【推理】
事件現場や容疑者に対する驚異的な観察眼、検証能力、そこから導き出される大胆な発想の転換が持ち味。
この作品では結城竜・秋菜などの相棒や長川警部などの刑事は基本的に優秀で、読者の目線に立っておかしい点を指摘したり事件の真実に迫ったりするが、実はこれが犯人の二重三重のミスリードというケースが多々あり、最終的に真実をひっくり返し大どんでん返しを演出するのは彼女である。
基本的に頭の柔らかさで勝負するタイプであり、専門的な法医学知識や科学知識は持ち合わせていない。本人も「私に出来るのは推理だけ」と言っているように、別動隊として情報を集めてくれる勝馬みたいな不良軍団や、結城竜・秋菜のような優秀なワトソン、長川警部のような協力的で大胆な判断が出来るプロの刑事、瑠奈、千尋のような心理的サポーターがいてこそ真価を発揮する、いわば「大勢の人によって作り上げられた探偵」であり、その点が全てを一人で超人的にやれてしまうコナンとの大きな違いである。

魔法少女殺人事件」の結末後は特に「特定の人の命を奪ってもいい、尊厳を奪ってもいい」という考え方を何よりも嫌っており、大切な人の命をゴミのように奪われた悲しい復讐者に対してもその決意を持って真実を暴く事こそが犯人を救うことになると信じている。また犯人の苦しみや殺人を選ばざるを得なくなった背景自体は真っ直ぐ受け止め、逮捕され絶望した犯人へのアフターケアも行っている。

彼女は犯人を自殺させたケースは2件だけであり、都にとって大きなトラウマになっている。しかし自殺した犯人が残した宿題をしっかり胸に刻み、似たような動機で殺人を犯したのちの事件の犯人の殺人の完遂や自殺を止めており、探偵として成長を遂げている。都のおかげで救われた犯人も多く、彼らの中には都に対して自分と同じ人間を出させないために刑務所の中から捜査協力を行った人間も何人かいる。ただしこれはシリーズの犯人が壮絶な動機を持ちかつ無関係な人間には一切手をかけない紳士が多いためでもある。ごくまれにいるレイプ犯など外道な犯人に対しては凄まじい憎しみをあらわにして激昂する事がある。

 

劇場版少女探偵島都2 岩本承平の殺戮5(Last)


9

「言うとおりにしろ。助けてくれぇ」
朝川議員がかすれた声を出す。岩本は警察の動きを把握しながら、壁に背中を向けて廊下を動き、隣にある画廊に移ろうとする。
 と、直後彼の左手から何かが落ちた。それが発煙筒だとわかったとき物凄い煙が廊下に立ち込める。
「やばい、テレビ局と同じやり方を使うつもりだ」
長川警部が言った直後、朝川議員を楯に岩本は画廊の扉を閉めて鍵をかける。画廊の中に潜んでいた2人が岩本に飛びかかるが、1人が朝川議員という大物を楯にされて怯んだ隙に背後の眼鏡の制服警官は裏拳で殴り倒され、正面の一人の私服警官が拳銃を抜こうとしてそれを岩本に抑えられ、そのまま頭突きをされて倒れみ、はずみで拳銃が発射される。
「朝川議員」
たまたま画廊に来ていた小塚パウロが朝川議員を逃がそうとするが、パニックになった彼は「うわぁあああああ」と小塚を突き飛ばした。小塚はそれに手こずった一瞬のすきに岩本に後頭部を殴り倒されダウンした。
 画廊の扉が物凄い勢いでガンガン叩かれる。
「特殊部隊に突入させろ」
長川の怒声が響く。
「さて」
岩本は骸骨の不気味な表情のない顔でゆっくり標的を見下ろす。
「この3D拳銃はね、VⅩを塗った毒針を目から脳みそに打ち込むんです。こうなると手術をしても助かりようがない。1時間程度物凄い苦しみを暗闇で受けた後あの世に行くというわけです。被害者を殺すだけではなく確実に地獄に送る面白い銃なんですよ」
岩本承平はゆっくり朝川に銃を突きつける。
「た、助けて…金ならいくらでもやる…警察庁に忖度してお前を死亡した事にしてやる…だから…」
「僕はねぇ…お金をくれる人より、政治家や行政に忖度してもらえることより、なけなしのお金でコンビニのおにぎりくれたあの人の親切が嬉しかった…お前はその人を殺した。それも面白半分に…」
表情のない骸骨の声が憎しみに震えた。
「い、いやだ…助けて…殺さないで」
「あの人はそう訴える事さえ許してもらえなかった。自分が悪い…そう言って死んでいったんだ…死ね!」
岩本の声が震える。怒りに震えて目に一瞬血が入り、それをぬぐった刹那だった。
岩本と朝川議員の間に結城竜が立ちはだかっていた。

「ねぇ、結城君は?」
外で都が声を上げた。
「ええっ?」
長川が必死で鈴木刑事と扉を破ろうとする中で訝し気な声を上げるが、いつも少女探偵を守るため周囲にいるはずのナイトの姿が見えない。
「まさか!」
長川はドアの中を見つめた。

「結城君…どきなさい。これは君が命を懸けて守るような人間ではない」
岩本は静かに諭すような声で言った。
「人の命をゴキブリのようにもてあそんだ人間の命だ。そんなものの為に君に何かがあったら、都さんが悲しむ」
「そんなもの…ってか」
結城は岩本を睨みつけた。
「都が守りたいそんなものっていうのはな…そうやって死んでいい人間とよくない人間を分別する思想とは真逆のものだ。お前がそんなもの呼ばわりしているものの為に、あいつが今までどれだけ苦しんで傷ついて来たと思っているんだ。お前ごときがそれを踏みにじっていいものじゃねぇ」
結城は思い出していた。小学生時代結城の前で推理をした時の少女探偵のはりさけそうな悲しい笑顔、そして魔法少女と呼ばれた少女に縋りつき号泣する女子高生探偵の姿を…。
「結城…君」
都は扉の前で声を震わせた。
「お前がこいつを殺したところで、野畠和人さんの奪われた尊厳は戻りはしない。むしろ人の命を分別する正義を広めちまう事になるんだ。それは野畠さんを! お前を! もっと苦しめることになるんだ! 都はそれを知っててお前を助けようとしているんだ」
さっき推理に苦しんで震えていた都の顔を思い浮かべ、結城は絶叫する。
「お前それがわからねえのかよ!」
いつもの岩本だったらそんなへまはしなかった。だが、この時一瞬少年の叫びに耳を傾けてしまった。その為朝川が転がっていた拳銃を取り出し、結城の背中から発射して岩本の脇腹に命中するという結果に気が付いたのは銃声と鋭い激痛によってであった。岩本にとってはありえない大失態であった。
 結城の体が力なく倒れ込み、その向こうから現れた朝川の顔はこの上なく醜悪で外道だった。
「てめぇええええええええ」
岩本が獣のような声を上げて、朝川が発射した銃弾を体をひねって避けて、その顔面に拳を入れた。
「ぐへっ」
と倒れ込む朝川の首を締め上げようとするのを物凄い形相で結城が縋りついて止める。必死で起き上がり鬼気迫る表情で上半身を起こして縋りついた。その表情を見て、岩本の目が震える。
「結城君…」

特殊部隊のドアをぶち破る特殊ハンマーでドアが破壊され、SATが部屋になだれ込む。
「結城君! 結城君」
都は仰向けに倒れている結城を見つけ泣き叫んだ。
「しっかりして…」
「銃で撃たれているぞ」
「応急処置をしろ」
長川は特殊部隊に命じて、結城の傷を探り当てる。結城は都に窓の方向を見て指をさした。
「岩本を…早く」
「うん」
都は泣きながら頷いた。横では鼻血だらけの朝川議員が怯えた表情でガタガタ震えている。
「ありがとう」
都はとびっきりの笑顔で結城に笑いかけると、立ち上がって煙が渦舞く画廊の奥を見た。
「大丈夫ですか」
警官が小塚パウロを助け起こす。
「だ、大丈夫です…いてて、気絶していました」
覆面の聖職者は立ち上がる。
 その奥でネグリジェの骸骨の男が警官に取り押さえられている。
「あーーーー、あーーーーーーー」
岩本承平は喋れないらしく、ああ、ううと繰り返して必死で警官に何かを訴えようとしているのを警官が容赦なく拳銃を向ける。
「待ってください」
警官によって担架で運ばれる結城に続いて警官に肩を貸されて出ていこうとするパウロを呼び止める少女探偵。
「ここで決着を付けましょう…」
都は言った。
「長川警部…あの岩本君が本当に岩本君か確かめてみて」
長川は都に言われて、岩本の顔を触る。
「変装ではないみたいだが、岩本の顔は誰か別人のを傷つければ完成するからな。まさかこいつテレビ局の事件みたいに薬を飲まされて」
長川の声が震える。
「次にパウロさん…私は気づいていました。動画で見たパウロさんとあなた…一人称と利き手が全然違いますよね。あなたは本当にパウロさんですか?」
「違います」
パウロは落ち着いて言いながら覆面を取った。その顔に一同は驚く。覆面を取ってサングラスを付けた顔、実は長川はわかっていた。
福島県警の陳川警部」
陳川雅史警部はヤクザ顔で髭もじゃの怖そうな顔を緊張させて
茨城県警に研修に来ていましてね。お嬢に協力を要請されたのです」
と紹介した。
「岩本君」
都は岩本を見つめた。
「岩本君は長川警部が警視庁に出向していることを知っていてテレビ局で犯罪を犯して私を介入させた。だから逆の方法であなたにあらかじめ逃亡の手段を提供する事で、君を追い詰めさせてもらったよ」
「勿論本物のパウロさんには協力を依頼してしばらく身を隠してもらっている」
岩本はもう哀れな入れ替わりのマネなどしていなかった。ギラギラと都と長川と警官を見つめている。
「そうやって『顔の皮をはがされて自分に変装させられた可哀そうな被害者』に変装する事で逃げようとするなんて。護送車でいきなり苦しみだせば警察はあのテレビ局をフラッシュバックして病院に連れていく。後は病院の手術室でお医者さんを脅して白衣姿で逃げるって算段だったのかな? パウロさんは私に『あの時もしかしたら』って思わせるための心理的ダミー…あ」
いつの間にか手錠を外していた岩本は横にいた警官をいきなり楯にして突き飛ばし、窓をがしゃんと割って外に飛び出した。そのまま正面玄関の屋根から正門へ通じる砂利の広場を走り出す。
「岩本君!」
「大丈夫。外は警官で固めてある」
長川は冷静に自ら正面玄関の屋根に飛び降りると屋根の端から狂ったように広場を走る岩本を拳銃で狙う。
「岩本‼ 止まれ!」
岩本は息を切らせながら走っている。長川の拳銃が火を噴いた。岩本の左足に血煙が飛び、岩本は苦悶し絶叫しながら倒れ込む。
 周囲を特殊部隊と制服警官が拳銃を構えながら取り囲んでいた。岩本はふらふらと立ち上がり、上空から自分を照らすヘリ、周囲の警官を見回しながら必死で頭を振り回転させ、打開の方法を探っていた。だがもはや彼の頭ですらこの状況下ではこう結論付けた。
 敗北。
 拳銃を構える長川と並ぶ女子高生探偵島都がそれを物語っていた。これは彼の頭が遠い未来の状況として予測していた事。少女探偵島都こそが自分を終わらせることが出来る唯一の存在であるという事。

 夜の大洗の県道を爆走する救急車の中で鈴木刑事が結城に話しかけていた。
「結城君、君は死んではいけない! 死んじゃだめだ!」
「バイタル数値低下! 彼に話しかけてください!」
救急隊員が深刻な表情で喚いた。
 結城は呼吸器を付けながら目をぽっかり開けていた。

「岩本君」
都は岩本承平に語り掛けた。ヘリコプターの光の輪の中に2人だけがいた。
「もう終わりなのですか」
岩本は静かに言った。
「終わりだよ!」
都は笑顔で言った。そして岩本に手を伸ばす。
「戻ろう…人間に…」
都に差し出された優しい手。その手に憑き物が落ちた表情の岩本は手を伸ばす。
 その直後だった。物凄いローターの音がして巻き上げられた石と風に都の小柄な体は「うっ」と声を上げて吹き飛ばされる。
「どういうことだ」
長川が絶叫する。広場にヘリコプターが物凄い低空飛行をしており、ドアが開け放たれていたのだ。
「岩本さんこっちです!」
女性パイロットの青木が大声で岩本を呼ぶ。岩本は咄嗟に身を振りかぶってヘリコプターのコクピットに飛び込んだ。ヘリコプターが砂利を巻き上げながら離陸する。
「撃つな! 大事故になるぞ!」
長川は絶叫した。ヘリコプターは物凄い勢いで急上昇し、そのまま大洗の市街地が一望できる高度にまで上がる。
「なぜ」
岩本は女性パイロットの青木に聞いた。
「私は孤児院で生き別れた野畠和人の妹なんです」
青木は言った。
「警察は人の命よりもメンツを優先します。その様子を私は上空から見させられていました。私にとっては正義はあなたの方です」
「それは違いますよ」
岩本は言った。
「あなたを信用しましょう」
パトカーの列が市街地に伸びていくのを見ながら、岩本承平は言った。
「県北の山岳地帯に飛んでください。別のヘリに捕捉される前に物理的に警察の追跡網から逃れるんです」
「はい」
青木は興奮した声で言って、機首を展開させた。

「都…」
長川警部は砂利の地面に座り込む女子高生探偵に声をかけた。都は両手で砂利を掴んでいた。
「どうして…」
都は声を震わせていた。もう少しで岩本君は…もう少しで…。

10

―水戸赤十字病院
 瑠奈、千尋、秋菜の3人は手術室の前で肩を寄せ合って震えていた。そこに陳川警部に連れられてきた都が茫然とした表情で現れた。
 彼女は手術室のドアに頭をこつんとやると笑顔で涙をぽろぽろ流しながら言った。
「結城君…岩本君には逃げられちゃった…。私ダメだよね…でもね…結城君。結城君のおかげで岩本君は最後だけは人を殺さずに済んだよ。結城君のおかげなんだよ」
都は耐えられずに崩れ落ちた。
「結城君…帰ってきてよ…お願いだから帰ってきてよ」
背中を震わせる都を瑠奈が抱きしめた。
「お嬢」
陳川警部はサングラスから涙をボロボロ流していた。
「お兄ちゃん…」秋菜が顔を覆って千尋に支えられる。
「ふざけんじゃねえぞ」
パジャマ姿で包帯を腕に巻いた勝馬がふらふらと現れた。
勝馬君…なんで水戸まで」千尋が声を震わせる。多分脱走してきたのだろう。100㎞離れたつくばの病院からやってきた勝馬の顔は鬼気迫っていた。後ろで舎弟の板倉大樹がおろおろしている。
「結城の馬鹿が…お前を倒すのはこの俺だ。こんなところで死ぬんじゃねえ。生き返れ此畜生」
勝馬の最後の言葉は涙で震えていた。

「お前、帰るつもりかよ」
曽根議員の家の正面玄関で高級車に乗り込もうとする朝川議員に長川警部は言った。
「私には不逮捕特権があるのだよ。それにあの少年を撃ったのはパニックによる緊急避難だ。私に罪はあるまい。事情聴取にしたって、任意だろう。私は疲れた。ホテルに帰って休みたいのだよ」
朝川議員はそういうと車に乗り込んだ。増岡が含み笑いで運転席に乗り込む。その車を長川は歯ぎしりしながら見送った。

 結城は光の中にいた。
「お兄ちゃん…お兄ちゃん」
彼の実妹の有彩が笑顔で笑っている。
「有彩!」
それはクールなはずのぶっきら棒少年の感情を爆発させるのに十分であった。結城は大声で彼女を抱きしめた。
「お前…お前に俺は謝らなくちゃいけない。お前が苦しんでいるのに、お前に何もしてあげられなくて…苦しかったよな、苦しかったよな」
有彩を抱きしめる結城の声が震える。
「今はお前大丈夫か…苦しくないか…大丈夫なのか」
結城は彼女の肩を握りながら妹の顔を見た。
彼女は何もいなかった。笑顔で指さした。その方を見ると、あのバカで能天気でドジで暴走気味で気苦労の発信源となっている女子高生探偵が泣いていた。
 ふと顔を上げると有彩はいなくなっていた。
「結城君」
ふともう一人女性が結城を呼んだ。その女性は魔法少女だった。彼女は笑顔で言った。
「人が人を殺すのを止めてくれて…ありがとう…」

 結城の視界に天井が入って来る。周囲を見回すとこれはなんとも豪勢な個室だった。
「いい病室だろう。警察に協力させてこんなんにしちまったからな。私のポケットマネーで確保できる最大限の病室を確保させてもらった」
応接席でリンゴの皮をむきながら女警部長川朋美が私服姿で話しかける。
「今はいつだ」
「3日後だ。12月14日」
「なるほど…つ」
結城は腕に走る点滴に痛みを覚え、背中にも痛みを覚える。
「高野さんに感謝しろよ。お前にありったけを輸血してくれたんだから。探検部のほかの子たちはA型じゃないから、物凄くもどもどしていたけどな」
「探検部って…勝馬は入院中だろ」
「あの体でバイク2人乗りだからな。今頃看護師さんにたっぷり説教されているだろうぜ」
「ははは、馬鹿なやつ」
結城は笑った。
「私に言わせれば君の方が馬鹿だよ」
長川は笑顔でウサギリンゴを結城に咥えさせる。
「岩本の野郎は」
リンゴをモゴモゴしながら結城は言った。
「不条理な終わり方だったよ。ヘリコプターを操縦する警官が岩本に同調してな。あいつを連れて逃げやがった。県北の小学校校庭で機体は見つかって、女性パイロットは気絶した状態で発見された」
長川の返事に結城は頭をポリポリした。
勝馬の病院に来てくれた人か」
「ああ」
窓の外を見ながら長川は頷いた。そしていきなり結城のお腹をぱんと叩いた。
「あぐぎ」
「もっとかっこつけな。君は都を含め警察も誰も止めたこともない岩本承平の殺人を唯一止めた人間なんだから」
そこで長川の表情は曇った。
「もっとも君を裏切ったあの政治家は何のお咎めも受けていないけどね」
「そんなもんだろ」
結城はため息をついた。
「あの政治家から君と都には見舞金名目で一方的に大金が振り込まれている。都はそんなお金要らないって言っていたから私が預かっているけどね。母子家庭で生活は大変だろうし。私の家でマネーロンダリングして、都の家の生活費の足しにしてもらうつもりだ。嫌な話だろうが」
「いいさ」
結城は言った。
「別に何かが変わると思ってあの政治家を助けたわけじゃない」
「知ってるさ。結城君の大演説は聞かせてもらったからね。画廊のドアの向こうでね」
「な」
結城の顔が真っ赤になる。
「別に恥ずかしがることでもないじゃん。少なくとも彼女は凄く感動していたよ」
長川に指さされた先では、灯台下暗し毛布の中で抱きしめあっている島都と秋菜が涎を誑して寝ていた。
「そろそろ出席日数足りなくなるんじゃないかって心配していたんだ」
「学校サボって泊まり込んでいたのかよ」
結城は呆れたように2人を見下ろした。
「さて、眠り姫様を2人も前にリア充結城選手はどう反応するか」
「これが眠り姫?」
結城は「でへへへへ、もう食べられないよ。結城君」と寝ぼけている都の涎を拭く。
「それを舐めたら変態野郎の出来上がりだね」
長川に言われて結城が「んなことするか!」と大声を出す。その声に都がぼけーーーーっと目を開ける。
「あ、結城君。特大ジャンボパフェは?」
都が寝ぼけるのを見て、「お前は食い物の夢以外見ないのかよ」と結城は苦笑した。
 都の目が寝ぼけ眼から見開かれた驚愕の顔に…そしてその童顔が崩れて涙がぐしゃぐしゃになっていく。
「心配かけたな!」
結城が申し訳なさそうに言うと、都はその体にダイブした。
「ぐああああっ、いてて、怪我人だぞ」
結城が絶叫する。
「だって、結城君が特大ジャンボパフェなんだもんーーーーうわああああああん」
都が意味不明な号泣をしながら真っ赤になって結城に縋りつく。秋菜がその声にがばっと起き上がり、結城が痛がりながら「よ」と笑顔で言うのを真っ赤な顔になって受け止め、枕で殴りつける。
「ばかばかばかぁああああああ、お兄ちゃんのばかぁあああああああああ」
「ぐえっ、永眠する。だづげ」
その時病室のドアが開いて、瑠奈と千尋が入ってきた。光景を見るなり瑠奈が口を押えて目から涙を流す。そして大粒の涙を流したままびっくり箱を落とした。びっくり箱から阿部さんのやらないかスタイルが飛び出した。
千尋…何…何このびっくり箱…」
瑠奈が泣きながら千尋に縋りつく。
「結城君が起きたらこれ渡そうと思っていたのに落とさないでよ瑠奈」
そういう千尋も涙でぐしゃぐしゃになっている。
「全く、この子たちは」
長川は頭をぐしゃぐしゃかいた。

 つくばの病院で舎弟の板倉大樹が病室の勝馬に走ってきた。
勝馬さん。結城の野郎が復活しました」
勝馬は思わず万歳したが左手がゴキっと言って苦しみに悶えて蹲った。
「畜生、畜生あの死にぞこないがぁあああああ」
「ナースコール、ナースコール」絶叫する板倉。だが勝馬はそれを手で制した。
「これ以上やらかしたのがバレたら看護婦さんに殺される」

 ポカポカした陽気の中で、病院休憩室に結城の車を押す島都。
「今日はスパゲッティが食べたいねぇ」
「お前、俺の病室に入り浸るつもりだろ」
「だって、私のおうちより大きいんだもん」
と島都。結城はやれやれと声を上げた。
 病院のテレビではワイドショーで事件の事が持ちきりだった。
「しかし最近は生放送のワイドショーもろくすぽ見なくなっちゃったぜ。だってまた殺人事件が起こるかもしれねぇし」
結城がため息をつく。
 その時だった。突然テレビの画面が乱れた。そしていきなり朝川議員の密室での様子が映し出される。
―つまり、私の政治的生命を守るために死ぬのが、本当の愛国者ではないのかね
―緊急避難だよ

「どうしたんだ」
テレビ局のモニタールームで騒ぎが発生する。
「放送に何者かが割り込んできました」
地上デジタル放送だぞ」
「デジタル送信機に何者かがウイルスを仕込んだ可能性があります」

 病院のテレビに残虐な殺人議員の狂気に満ちた映像が流れる。画面が切り替わる刹那にあの殺人鬼の髑髏のような顔が映し出され休憩室に悲鳴が上がる。
 都の表情が険しくなった。

おわり

 

劇場版少女探偵島都2 岩本承平の殺戮4


7

 まさに岩本を悪霊かなんかだと思っているのか。異様な部屋の中で曽根周子(衆議院議65)は神経質そうに都と結城を見た。
「あなたたちが茨城県で数多くの殺人事件を解決してきた高校生探偵?」
「はーい」
都は手を上げて暢気に答える。
「言っておくけど、私は日本の未来を救う政治家よ! もし私がここで死ぬようなことになれば、日本は特定アジア諸国に占領される憂き目にあうわ。日本人が日本人でいられるかは今夜全てがかかっているのよ」
「はーい」
都はまた暢気に返事をした。
「それでは曽根議員。お伺いをしますが、数か月前の愛知県で行われた脳性麻痺の障害者をパーティーの余興で暴行死させ、死に追いやった事件。あの時の参加者がもう一名いるはずなんです。ご存じありませんか?」
「無いわ」
曽根周子はそっぽを向いて「つん」と言った。だが一瞬目を泳がせたその様子からして本当は知っているのだろう。
「知っていたら教えてくれませんかね。あなたの命を守るうえで、もう一人の参加者を知っておくことこそが、あなたの命を守るうえで大きな武器になるんですよ」
「知らないって言っているでしょ!」
曽根は悲鳴を上げていた。
「面会時間は終わりよ。出て行ってください」

 洋館の廊下で結城はため息をついた。
「とりあえず、厳戒態勢は敷いているんだし。本人は大丈夫なんだろうと思っているんだろう」
「いや」
長川は首を振った。
「曽根議員からしてみれば本当は誰にも会いたくないはずだぜ。何故なら前の国際会議場の事件でもテレビ局の事件でも外部の人間に岩本は変装して出入りしているんだ。岩本が殺人を犯す手段としてついてくるとしたら外部のお客様と曽根議員が接触する事件だろう。悪い事に、今日曽根議員ですら断れない人間が4人も面会する事になっているんだ。一人が…曽根議員が所属する大日本会と呼ばれる政治団体の会長の高柳五百(いも)」
ダンブルドアみたいにひげを蓄えた男がセキュリティを超えて入って来る。高柳五百(69)は背広姿で警察官に敬礼してから堂々とした足取りで入ってきた。
 別の警官が高柳に紙を見せる。紙には
―もし毒を飲まされて脅されている場合、直ちに医師が解毒剤を用意して待機しています―
と書かれている。
「なんだね。私が岩本みたいな殺人鬼にあっさり脅されるとでも思うかね」
高柳は不快そうに歩き出した。
「さっきセキュリティも超えたし、この状況では毒を飲まされ脅されている可能性は低いだろうが」
結城は油断なく高柳を見つめる。
「あ、もう一人が来たぞ」
長川が言った。玄関ホールのセキュリティを超えてやってきた人物を見て、都が素っ頓狂な声を上げた。
「あ、岩本君だ!」
「馬鹿」
結城が口をふさいだ。
「この人は曽根議員の宗教指導者の小塚パウロ。あの袋で隠した顔は信者を火事から助け出した時の傷だ」
「僕はいかなる憎しみも甘んじて受ける覚悟があります」
毒のプレートを見せられても平然とした表情の小塚パウロ(宗教指導者、43)は結城と都に会釈して右手で十字を切って奥へと進んでいく。
「ん、今度はなんかみすぼらしい男が来たぞ」
髪の毛が白髪交じりで長髪で、歯がボロボロでへらへら笑っている男が、ルンペンみたいな恰好でセキュリティを超えていく。
「陽明正太郎。ネトウヨブログの管理人で議員を熱烈に支持している男だ。奴の背景にいるネトウヨが議員の支持母体だからな。合わないわけにはいかなかったんだろう」
長川はため息をついた。陽明は都を見ると厭らしく笑って
「君が少女探偵島都ちゃんだよねぇ。ひひひ。ちょっと僕と話そうよ。叔父さんがいろんなことを教えてあげるからさぁ」
「結構だ!」
結城がぎろりとにらみつけると陽明は「ひぃ」と声を上げて逃げ出した。
「4人目は」
結城が聞くと、長川は「4人目は大物だぞー」と唸った。

 黒塗の高級車がマスコミのフラッシュを受けながら坂道を上がっていく様子を瑠奈と千尋と秋菜は見つめる。
「つまんないなー」
千尋は言った。
「私たちだって、探検部のチームなのに」
「仕方ないよ。曽根議員が都と結城君だけって言っていたんだし」
「私なんて一番弟子ですよ」
秋菜はため息をつく。
「お兄ちゃんより役に立つと思うけどなぁ」
秋菜はため息をついてふと走っていく高級車を見つめていく。マスコミのフラッシュで窓が光った。
 その瞬間、秋菜は真っ青になった。
「る、瑠奈さん?」
秋菜の声が震える。
「岩本です…岩本が高級車に乗っているんです!」

「なんだって?」
結城が携帯電話に喚く。
「うん、一瞬見えただけなんだけど、確かに病院で秋菜ちゃんを脅した細目の人に似ているみたい」
瑠奈の幾分興奮した電話の声が、スピーカーモードで長川にも聞こえる。
「あいつか」
長川は慌てて秋菜からとったモンタージュ写真を、大物議員の秘書の細目の男と比べる。髪型は変わっているが確かに似ていた。
「あいつ、ひょっとして内閣副総理の朝川一郎じゃないか」
結城の声が震える。
「誰、それ」
目をぱちくりさせる都に結城は「日本政府の№2」と答えた。
「ほえーーーー」都はゴリラでも見るような目で朝川一郎(71)を見つめる。彼は白髪が剥げておでこのしわと口元がかなり眠そうだ。彼はセキュリティに素直に応じ荷物も預けて中に入ってきた。問題は秘書だった。長川は秘書を用心深く見つめるが、Ⅹ線セキュリティにも予め登録された網膜センサー、指紋センサーも彼は突破した。
「すいません。あなたは岩本承平に脅されているって事はありませんか? 例えば毒物を注入されるなどして」
「は? 何のことでしょう」
「それに対応した医師なども準備しております」
「ご心配なく。私は脅されてなどいません」
秘書の増岡嘉一(32)は呆気にとられた表情をした。そしてすぐに「失礼」と朝川に付き従う。
「人違いか?」
長川はじっとその秘書を見つめていた。

 ヘリコプターで上空を警備している女性パイロットの青山は、洋館周辺の森で不審な動きをする熱源はないか徹底的に監視していた。情報は県警本部にモニターされている。

 都と結城は大広間タブレット端末でYouTubeで面会人4人の過去の映像をチェックし、おかしい場所がないかチェックしている。
 小塚パウロは過去の教会内での説法の様子が見つかった。左手でマイクを持ち、熱心に説法している。真っ白な助清みたいな仮面の奥に熱い思いが見て取れた。
―私は神は平等に皆さんを祝福していると考えています。
陽明正太郎はマスコミに顔出しはせず、ほとんど映像はヒットしていない。高柳や朝川はニュース映像から嫌というほどヒットした。特に朝川は国会や予算審議でのふてぶてしい態度が嫌というほど。ただ秘書の増岡の動画は見つからなかった。
「ま、全員さっき徹底的にスキャンされて本人だと確認されているんだ。少なくとも岩本に成り代わっている人間はまずいないだろう」
結城は言った。

 とんでもない。実は既に岩本は洋館にいる人物に成りすまして、この洋館に入り込んでいた。
「あと1人だ…あと1人殺せば、和人さんの無念を晴らすことが出来ますね」
岩本は思い出していた。

数か月前。彼はコンビニ店長で高校生従業員に酷いパワハラを行い自作の拷問グッズで死に追いやりながら、死亡との因果関係が認められないと罰金刑で済まされた人間を殺害するプランを練るために、コンビニ前をうろついていた。その時声をかけてくれたのが野畠和人だった。
「あのー、すいません…おなかが空いているんですか」
痩せこけて年齢以上に老け込んだ男性は笑顔でおにぎりを差し出す。
「遠慮はしないでください。人生で困ったときに声をかけてくれる人がいたら、きっとそれがきっかけで乗り越えられるものですから」
その時の和人の優しい笑顔は忘れられない。

「僕もあなたが困っている時に声をかけられる人になりたかった」
彼は雨の中廃材置き場に放置され、死んでいった和人を思い出し、彼が華やかなパーティーの余興で障害者なのにボクシングを強要される残虐な映像を見た時の憎しみを思い出す。
「あなたはきっと復讐は望まないでしょう。ですが、あなたをこんな目に合わせた人間が生きている事こそが僕に死よりも苦し痛みを味合わせるのです」
岩本は和人の為に十字を切った。そして殺意に満ちた目を見上げる。

8


その気配を感じたのだろうか…。都は目を見開いてあたりを見回した。不気味な洋館の古びたレトロなロビー。この屋敷のどこかに岩本が潜んでいる。都の直感は…そう知らせていた。
「そろそろ4人の面会が始まるな」
腕時計を見ながら長川は言った。
「順番はどうなっているの?」
都は考えながら言った。
「最初が高柳会長、次が朝川議員。3番目が陽明だそうだ。4番目のパウロさんは曽根議員の部屋の横にある画廊を見てからだと」

 画廊の絵画を見て回る宗教指導者や大物議員、そして女子高生探偵の様子を監視モニターで見ながら曽根議員は緊張した表情で顔を震わせている。

 都は胸を押さえている。物凄い緊張しているようだ。
「大丈夫か? 都。顔が真っ青だぞ」
結城が声をかける。
「ごめん。何か嫌な予感がしているんだよ」
「嫌な予感って…あの議員秘書の事か?」
「うん」
都は言った。
「大丈夫だ」
長川は言った。
「あの議員は部屋には入れない。部屋に入れるのは朝川議員だけだ」
「うん」
都の体は震えてきている。
「私たちは万全の準備をした。常識的に考えて岩本承平がセキュリティを突破して誰かに変装して曽根議員を殺すなんてことが出来るはずはない」
「でも岩本君は私の想像では勝てない方法で人を殺してきたんだよ。何かあるはずなんだよ。セキュリティーを突破して曽根議員を殺す方法を岩本君は考えているはずなんだよ」
都の声が泣きそうになる。
「都‼」
結城は都の肩を掴んだ。真っ直ぐその目を見つめる。
「お前は推理するときこんな深刻な顔はしなかったはずだ。もっとこうほえーーーーとしてぽにょーーーんとして…そうやってお前は自然体でリラックスして物事をありのままに見つめてきたはずだ」
「結城君…」
都は目をぱちくりさせる。
「お前なら大丈夫だ…」
結城は頷いた。
「そうだよね…」
都は笑顔で笑った。
「さぁ、島都…のほほーんとした頭で」
結城に言われて、都はふにゃふにゃとしたシルエットになる。結城は「ふにゃふにゃになりすぎ」と突っ込みを入れた。
「『岩本承平が誰かに成りすましてセキュリティを突破して誰かに変装して曽根議員を殺す』方法を考えてみよう!」
「そんなの無理だよー」
都はげへげへ笑いながら言ったので、結城はすっころんだ。
 だが都の表情ははっきり変化した。
「そうなんだよ。無理なんだよ! 絶対に無理なトリックなんだよ。それなのになんで私はこんなことを考えていたんだろう!」
都は結城に大声で言った。そして長川警部を振り返った。
「長川警部。今は誰が面会しているの?」
「時間的に…」長川は腕時計を見た。
「朝川議員の時間だな!」
「いけないっ」
都は走り出した。
「都、どういう事だ!」
長川が後を追いかける。
「わかったんだよ! 岩本君が考え出した最後の殺人プランが!」
都は言った。
「今まで考えたこともなかった恐ろしいトリックのプランがね」

密室の中で朝川はネグリジェ姿のまま震えている曽根周子議員に近づいた。
「すまないが長い話が必要でね…少し電子ロックのリモコンを渡してくれないか?」
曽根議員は机の上のリモコンを指さした。
「ドアが閉まると自動的にロックがかけられますわ」
「さて、曽根君。君は私たちの党に多大な貢献をしてくれた。君の歯に衣着せぬ発言は与党の大物議員たちの本心を代わりに言ってくれる存在としてとても価値のあるものだった。批判の矢面に立ってくれて感謝するよ」
朝川議員はネクタイを首からむしり取って手に巻き付けた。
「だが、君は数か月前の愛知県でのパーティーであった余興について罪を告白してあの殺人鬼に命乞いをしたよねぇ。あれでは困るなぁ。この国を動かしている人間ではなく自分の命を優先して国を混乱させるような事を言うようでは、君の愛国心も所詮は似非的なものでしかなかったという事だ」
「何を言っているんですか…」
曽根議員の声が震える。
「つまり、私の政治的生命を守るために死ぬのが、本当の愛国者ではないのかね」
この時の朝川の顔は残虐だった。
「わ、私を殺すんですか」
ネクタイで首を絞める格好をする朝川に曽根は悲鳴を上げてベッドの布団から壁に飛びのく。
「そ、そんなことをここでしていいんですか?」
「緊急避難だよ」
朝川議員の顔は殺人鬼の顔だった。
「私はここに来るまでに遅効性の毒を自ら煽った。それを岩本に飲まされたと言えば、私はあの殺人鬼に狙われ脅された被害者だ。警察も個人情報や何があったかは配慮して隠してくれる」
「ま、まさか殺人予告を送ったのも」
「増岡君は良くやってくれたよ」
恐怖に目を見開く曽根議員を前に殺人議員はにやついた。
「あの女子高生探偵の友人に岩本に成りすまして病院で君を殺すと吹き込んでおいたんだ。下手に変装するより素顔のままで予告した方がよっぽど効果があったよ。放っておいても岩本が殺してくれるとも思ったんだがね。君が罪を認めた場合彼は君を殺さず生かしておく可能性もあった。警察庁から仕入れた資料にはそう書いてあったからね。だから自分で岩本の殺人劇を作り出すことにしたのだよ」
「開けろ。開けるんだ」
どんどんとドアを叩く音がする。
「斧だ。斧を持ってこい」
女警部の怒声が響き渡る。
「急がないといけないな」
殺人議員はネクタイを両手にゆっくり、ゆっくりと曽根に近づいていく。

「そうなんだよ」
都は結城が何度もドアを破ろうとするのを長川が押しとどめる中で冷や汗をかいて言った。
「この第三の事件、考えてみれば変だったんだよ。岩本君は今までの殺人を見ても罪を悔やんで償おうとしている人は例え悪い事をした人でも殺さなかった。だから怯えた曽根議員が必死で罪を告白して償うからと命乞いをした時、殺人予告を送って来るなんて変だと思うべきだったんだよ。そしてあなた」
都は廊下にいる増岡秘書をじっと睨みつけた。
「あなたは病院で秋菜ちゃんに曽根議員の殺害を予告していたよね。あなたが朝川議員の車で一緒にここに来るのを外にいた秋菜ちゃんが見ていて私に教えてくれたんだよ」
「証拠はないだろう?」
増岡は不敵に笑った。
「君の友人の勘違いかもしれない」
その時、屈強な刑事が斧を持ってきて、ドアを叩き壊そうとする。
「証拠なんて言ってられないかもしれないよ」
都は言う。
「だってこのままだと殺されちゃうのは朝川議員の方だから」
「え」
長川が驚愕の表情で都を見る。

「うわぁあああああああ」
朝川が悲鳴を上げて後ずさりする。
 立ち上がったのは男の足で仁王立ちし、上半身にネグリジェがあって顔は曽根周子という異様な姿だった。
「待っていましたよ。あなたが来るのを」
甲高い声は言った。

「岩本君がテレビ局と国際会議場であんな劇場殺人をやったり、私に殺人を予告したのも…全て朝川議員をおびき寄せるためだったんだよ。朝川議員は日本を動かす大物議員で人殺しだって平気でやる人。だからあのパーティーに参加していた人間を岩本君が殺す前に拷問したとしても、裏切ったとバレるのが怖くて被害者はみんな朝川議員の名前は出さなかった。だから岩本君自身、パーティーの“撮影者”が誰なのかわからなかったんだよ。だからこの洋館で殺害予告を出された女性議員に成り代わって、撮影者が何らかの動きをするように、YouTubeに動画を残した」
都は言った。
「じゃぁ、まさか…岩本承平は曽根周子に最初から成り代わっていたのか」

岩本は曽根周子の顔を引きちぎって髑髏の悍ましい顔を朝川議員の前にさらけ出した。同時に曽根議員の足の部分がぼとぼと床に落ちる。
「うわぁあああああああああああ」
そのエバーミング処理された切り口を見て朝川は絶叫する。切り口には骨もしっかり見えていた。
「で、でも曽根議員の足は…あの女の足に岩本が変装できるわけないだろう」と結城。
「あの足は本物の曽根議員の足だよ。多分岩本君の下半身はソファーの中に隠してあったんだよ」
「じゃぁ、曽根議員は」
と長川が声を震わせる。
「もう殺されているよ」
都は言うと増岡は恐怖におののいてへたり込む。
「岩本君の殺人の目的はあくまで殺す事。そんな岩本君が世間を騒がせたり私に予告を出したのは、テレビ局の事件と国際会議場の事件で私に『どうやってセキュリティを超えて中にいる標的を殺し外に脱出するか』って問題を考えるようにインプットするためのものだった。だから第三の事件でも私はその問題に対する解答をひたすら考えていたんだよ。でも岩本君は既に最初からセキュリティに守られていたんだよ。曽根議員を国際会議場の事件より前に既に殺した上で。彼にとって予告殺人は愉快犯でも何でもなく、野畠和人さんを殺したもう一人の人間を暴き出してこの密室で殺害するためだったんだよ」
都は言った。
「駄目です。斧でも扉は壊れません」
「内部に金属が埋め込まれているようです」
「くそ、どうすればいいんだ! このままだと岩本に最後の殺人を実行されちまう」
長川が苦渋の声を出すが、都は「警部、落ち着いて」と言った。
「多分岩本君はこの部屋で朝川議員を殺した後、朝川議員の顔面を手に入れて、それで変装してこの部屋を脱出するつもりなんだと思う。でも私たちが気が付いている事はあのカメラで知っているはず。そうだよね! 岩本君!」
都は天井のカメラを射抜いた。そう、こんな状況で都が延々と推理を聞かせていたのは、そういうわけだったのだ。

部屋の中で岩本はその様子を手にしたスマホアプリから見ていた。
「さすがは都さんだ」

「窓も防弾ガラスだし、この状況で私たちを強行突破するには人質をとるしかない。だからこの部屋の中で朝川議員を殺すなんて事はないはずだよ」
「つまり、人質を取って脱出を図るわけか」
長川が冷や汗をかきながら笑った。長川も別の2人も拳銃を取り出す。
「その時が最後のチャンス…」
都は言う。
 と、その時…扉が開かれた。
「さすがは都さんだ」
3D拳銃を朝川の首に突きつけた上半身ネグリジェの不気味な骸骨の男が姿を見せる。
「全員廊下に下がってください」
岩本はそう命令した。

少女探偵島都劇場版2 岩本承平の殺戮3


5

 パトカーはトンネルを出た。原付バイクはパトカーが追跡するのを認めると突然トンネルを出た県道大通りとの交差地点の中央分離帯を右に入って再び逆走する。
「くそっ…」
パトカーが中央分離帯を逆走できず左に入るが、突然のバイクに驚いた対向車のワゴン車がポールをなぎ倒して急停車し、さらに無理やり右に曲がった原付を避けようとして中型エルフトラックが中央分離帯に激突。その後ろにバスが追突して停車する。
「嘘だろ!」
勝馬が車が多重衝突したトンネル出口を茫然と見る。
アッラー・アクバル」
ワゴン車のアラブ系の運転手が外に出て、エルフの運転手がふらふらと路上に出てくるのを介助しようとする。アラブ系の娘と思われる髪を布で隠した少女がそれを手伝おうとする。
 その直後だった。
 エルフのトラックの荷台の幌を突き破って大量のビール瓶をまき散らしながら赤いスポーツカーがこっちに向かって突っ込んできた。
「危ない」
勝馬は咄嗟に3人を突き飛ばした。この時の時間の流れは勝馬にとって走馬燈みたいにゆっくりだった。彼の体はスポーツカーの流線型の屋根の上に乗り上げて飛び上がり、アスファルトに転がった。スポーツカーはワゴン車に追突し、その拍子に防犯ブザーが鳴り響いた。「ダイジョウブデスカ!」
娘さんが泣きそうになりながら路上で倒れ込む勝馬に駆け寄る。
「シッカリシテクダサイ!」

その様子を警察ヘリが見ている。
「至急至急、交通事故発生。男性が一人車にはねられました。大至急救護を」
女性パイロットが無線で知らせた。
「その必要はない」
警備部警部は声を上げた。
「今は岩本を捕まえることが大事だ!」

「そんな」
ヘリの女性パイロットは戦慄した。しかし命令には逆らえない。女性パイロットは犯人が逃走した方向に機首を展開させる。

「いいのか、都…岩本を追いかけないで」
都、結城をリアシートに乗せた長川警部は大急ぎでパトランプを出して急行していた。
「栗原さんは岩本君じゃない。あの人に岩本君は変装する事は体格上は出来ないからね」
都は言った。
「栗原さんは脅されていたんだよ。毒を飲まされて、国際会議場の内部で三橋社長を殺すように言われて」
「だが栗原は我々が警護をしていた。彼女が岩本に脅される機会なんてあるはずがない」
と長川。
「一度だけあったんだよ。栗原さんが佐々木さんの家に行って仕事の書類を渡された時。あの時刑事さんたちは同行した?」
「いや、プライベートな話だからって部屋の中までは…」
「その時、佐々木さんに化けていた岩本君は、部屋の中で栗原さんに毒を飲ませたうえで解毒剤が欲しければ三橋社長を殺すように言ったんだよ。岩本君は佐々木さんに成り代わり、今回の殺人トリックを変更させるために拳銃の部品と同じ形をした工場モデルを設計したんだよ。だから警備員が栗原さんが持ってきた工場のジオラマを見て、それを実際の工場と照会しても問題はなかったってわけ」
「それにあのジオラマは拳銃の部品になる部分にさらに建物が追加されててわからなくなっていたな」
長川は唸った。岩本の想像しえないほどの壮大なトリックに戦慄していた。だが女警部はふと思い出した。
「しかし、待ってくれ…佐々木には妻子がいたはずだ。岩本が佐々木に成り代わったところで、妻子までは騙せるわけじゃない。みどりちゃんは学校に行っているから、脅して黙らせているわけでもない…お前そう言っていたじゃないか」
「それが今回のトリックの味噌なんだよ」
都は言った。

 佐々木の家を前に、長川は拳銃を取り出して玄関の中に入った。リビングには一人、佐々木の妻が一人で立っていた。
「あの人は、もういません」
やつれた表情で佐々木の妻が女警部に振り返った。
「あの人というのは、岩本君だよね」
都は妻に言った。
「ええ、岩本さんです」
妻は力なくソファーに座っていた。
「どういう事だ都」
長川が都に聞くと、都は言った。
「岩本君は警察を騙すために、この人に自分の奥さんのふりをさせていたんだよ。警察は妻子までは騙せないし、当日国際会議場にはいかない事から、自分を岩本君だとは思わないと踏んで」
「なんだって」
結城が戦慄する。
「私がこの家に来て写真とかを漁ったとしてもおかしなものは見つからなかった。岩本君はわかっていたんだよ。どんなに気を付けていたとしても他人が住んでいたおうちに自分が成り代わって住んでいたら絶対にばれるって。だからあなたとみどりちゃんを連れてきて、一から思い出を作って、この家に新しい家族の空間を一から作り直した」
「本当の佐々木さんの妻子は、DVシェルターに入っているそうです」
と女はため息をついた。
「なるほど。秘密基地並みに場所を秘匿されているDVシェルターなら佐々木と本当の妻子が絶対に連絡を取ったりはしないからな。だがあなたは一体どうして岩本に協力したんですか」
長川は言った。

 原付バイクを降りた栗原安美はふらふらになりながらひきつった表情で児童公園の誰でもトイレに向かった。トイレの自動ドアを閉めて、トイレの便器の真後ろに置かれた瓶薬を見つけてそれを飲み込んだ。その瞬間彼女ののどに焼けつくような激痛が走り、それが体中に広がり目から涙がボロボロ出てきた。
「が、ぎゃ・・・ぐが」
栗原が涙を流しながら苦悶に歪んだ表情で天井を見て戦慄した。そこには落書きで「死ね」と書かれていた。

「私、生活が苦しくて上司からセクハラされて生活保護も打ち切られて児相からも担当が保守的な人で相手にされなくて、精神的におかしくなって娘のみどりを連れて入水自殺しようとしていたのを佐々木さんに変装した岩本さんに助けられたんです。彼は私にこの家に住んでいいと言ってくれました。そしてある日私に正体を明かして協力してほしいと頼んできたんです。勿論殺人の手伝いとまではわかりませんでした。あの人は私に協力を拒んだら殺すと言っていましたから」
「それは嘘ですよね」
都は言った。
「そういうように岩本君に言われたんですよね。あなたを犯人をかくまった罪に問えないようにするために」
妻はしばらく黙っていたが、曖昧にこういった。
「私を助けてくれたのが岩本さんだけだったというのも…また事実ですから」
彼女はマンションの鍵と通帳を取り出した。おそらく岩本が置いていったものであろう。
「どうします? 没収しますか?」
「犯罪に加担した報酬というのであれば没収します。ただし無理やり犯罪に巻き込んだ事による一方的な迷惑料であるならば没収は難しいでしょうね」
長川はため息をついた。
 その時だった。彼女の携帯が鳴った。
「もしもし…ああ…うん、そうか‥栗原の死体が見つかったか…」
長川はある程度覚悟していたのだろう。特に驚かなかった。都も長川の携帯の会話をじっと聞いた。だが突然長川が「なんだって! ああ、わかった。命は大丈夫なんだな。ああ、うん。わかった」と言って小さく息を吐いた。
 都も結城も栗原の死以上に何かあったのではないかと不安になる。長川は言った。
「2つ悪いニュースがある」
「栗原さんが死んだんだね」都は言った。「長川は頷いた」
「もう一つは」結城がイラついた声で聞く。
「北谷君が栗原を追いかけている最中に交通事故に遭った。命には別状ないが筑波大学病院に搬送された」
都を不安にさせないように長川は命に別条のない所まで一気に言った。都は「どうしよう、勝馬君が…勝馬君が」と半泣き状態になって結城のシャツを掴む。
「お前らを病院に連れて行ってやる。その足で私は栗原安美殺害現場に行くから、君らは勝馬君と一緒にいてあげるんだ。いいね」
「うん」
都は頷いて一刻も早くというように廊下を走った。そこで…都はみどりに遭遇した。
「お父さん…死んじゃったの?」
都の半泣きになった表情を見て、赤いランドセルのみどりの声が震える。都はみどりの前で膝をついて言った。
「うん…ごめんね」
「いやだぁああああああああああああああああああああああああ」
みどりは泣き叫んだ。そして都に掴みかかって何度も何度も幼い拳で叩いた。
「お父さん絶対死なないって言ったじゃん。お父さん絶対死なないって…いやだ、いやだぁあああああ。馬鹿、ばかばか、都ちゃんのうそつき。お父さん、お父さんいやだぁあああああ」
さっきまでは勝馬の所に一刻も早く行こうとしていた都は、ただ黙って幼い怒りと悲しみを受け止めていた。お母さんがみどりを抱きしめる。お父さんが岩本だったといえば、都は約束を破ったことにならなかったのに…。幼い少女の絶叫の中で、結城はこの都の姿にまるで岩本の犯した罪を都が背負い込んでいるように見えた。

「ほんとゴキブリみたいな生命力なんだから」
原千尋が半分泣きながら病室のベッドの勝馬のベッドで左手を叩き、勝馬は「あぎゃーーーー」と声を上げて秋菜が「勝馬君ここ病院」と叱る。
勝馬君!」
都が病室をがらっと開けて入ってきた。そして小柄な女子高生探偵はそのまま勝馬のベッドにダイビングする。
「うわああああん、勝馬君が生きててよかった」
「俺も生きててよかったです」
都に抱きしめられて勝馬がげへげへ笑っている。と、結城がクレーンみたいに都を吊り上げる。
「何やってるんだ都」
「ああっ、このあほ野郎。俺の至福の時間に嫉妬してやがるな! 都さんを返せ!」
「うるせぇよ、死にぞこない」
結城は勝馬をジト目する。
「ああん、じゃぁ、てめえが死んでみるか」
「はい、みんなここは病室だからね」
探検部部長の瑠奈が怒りのオーラを放ちながら笑っているので、都も結城も勝馬も「はい」とこわごわ返事をする。
「都」
瑠奈が打って変わって優しく笑う。
「お疲れ様」
「うん」
都は沈んだ声で言った。
「私ジュース買ってきますね」秋菜は立ち上がって、結城を引っ張った。
「お兄ちゃん行くよ」

「師匠がここまで追い詰められるなんて岩本って殺人鬼は相当な手練れだよね」
廊下で秋菜は考え込んでいた。
「ああ、ここまで凄まじいトリックをぶち込んでくるとはな。あいつは都みたいな高校生探偵の思考方法、推理方法を完全に熟知してその先をいってやがる。今回都が『何で岩本が予告殺人、劇場殺人なんてやるんだろう』って疑問に思っていたが、それもわかったぜ…あいつがどうやって都を心理的にミスリードしたのかもな」
結城は秋菜に言った。

6

「師匠をミスリードって…そんな方法があるの」
秋菜が病院廊下で驚いたように言った。
「テレビ局の殺人で種は仕込まれていたんだ」
結城は言った。
「テレビ局の事件での推理の設問は『どうやって殺人鬼岩本はテレビ局に侵入して殺人を犯し、テレビ局から脱出するか』だった。だから国際会議場の事件でも『岩本は誰に変装して国際会議場に侵入するか』という設問を都は自動的に頭に設定してしまった。だから体格的に絶対に変装不可能な栗原秘書を疑うという事をしなかったんだ」
「そんな…師匠の頭をここまで予測するなんて」
秋菜が戦慄する。結城も冷や汗をかきながら
「ああ、岩本承平…とんでもない野郎だぜ」
と笑った。
「あいつは変装はアニメの怪盗みたいに得意ではないし、声も山寺なみのレパートリーはあるが、マネできる人間は限定される。それを逆手にとってこういう不可能犯罪を行っているってわけだ」
 その時だった。
「あの、すいません。北谷勝馬さんの病室はご存知でしょうか」
長身のすらっとした女性が花束を持って結城に聞く。
「あなたは?」
「事故現場にいた【青山幸奈(26)】です」
読者諸君に知らせておくと、この女性はあのヘリコプターの女性パイロットだった。
「ああ、連れていきますよ」
結城は言った。そして秋菜に「ジュース頼むわ」と財布を秋菜に投げてよこした。
「師匠はいちごミルクね」
秋菜は休憩室の誰もいない部屋の自販機でジュースを購入している。
 その時だった。彼女の背後に背広服を来た細目の男がにこやかに笑って立っていた。そして無表情のまま彼女の背中に刃物のようなものを突きつける。秋菜の硬貨を持つ手が震えた。
「声を立てないで…岩本です。あなた島都さんの友人ですね」
(う・・・嘘)
恐怖で声がかすれて出ない。細目の男は無表情で笑顔を能面みたいに張り付け喋る。
「都さんにお伝えください。今度は12月11日。衆議院議員の曽根周子を大洗の自宅で殺します。必ず伝えてくださいね」
男はそれだけ言うとその雰囲気をふわっと消した。
「秋菜―――。どうした。いちごミルクまだ探しているのか」
結城が休憩室に戻ってきたとき、秋菜は自動販売機の前でぺたんと座り込んで震えていた。
「どうした、秋菜!」
真っ青な秋菜を抱きかかえて、結城は声をかける。
「お、お兄ちゃん」
秋菜はガタガタ震えていた。
「12月11日、衆議院議員の曽根周子を…大洗の自宅で殺すって…い、い、岩本が」

 病院のロビーに長川警部と鈴木刑事が駆け付けた。
「鈴木君、君は監視カメラを病院から提出してもらってくれ」
「は」
鈴木は敬礼する。
「警部。すまんな。何度も」結城は言った。
「いや、岩本がまた動き出したとあれば、また君らに協力を頼むことになる」
長川は頷いた。

 休憩室で都は秋菜をテーブルに座らせ背中をなでなでする。
「わかった。ありがとう」一通り秋菜から証言を手帳にまとめ、長川警部は頷いた。
「イタズラって事はないのか」
結城が聞くと、長川は首を振った。
「それはない。何故ならテレビ局の殺人事件と国際会議場の殺人事件、その被害者の大半が一同に会したパーティーが愛知県で開かれたんだ。そのパーティーは地元の政財界と燃料精製業界の関係者のパーティーがあって、そこでとんでもない余興が行われたんだ」
「それが野畠和人さんに無理やりボクシングさせて殺した事件だよね」
都が聞くと長川は頷いた。
「野畠和人は孤児院出身で小児麻痺の影響で障害者枠で殺された三橋の会社に入社した従業員だった。あの会社は表向きは障害者を積極的に雇っているベンチャーだったが、三橋がガテン系でな、障害がある従業員をサンドバックにボクシングをする癖があったらしい。今回のパーティーでもそれが行われて…警察は因果関係なしと判断したんだがその従業員は亡くなっている。それを撮影したビデオが三橋の会社から出てきたんだが、酷いビデオだったよ」
長川はため息をついた。

「みなさーーーん」
栗原が嬉しそうにマイク片手に叫びだす。
障碍者雇用促進法で会社にダメージを受けている人――――。障害者は生産性がないから切り捨てるのは当然なのに、人権福祉の名のもとに政権にイチャモンつけているパヨクの勢力にイラついている議員の皆さん。今日は障害者を思いっきりボコボコにして憂さ晴らしをしましょう」
障害で体が動かない野畠和人がふらふらとパーティー会場の真ん中に突き出される。上半身裸でグローブを装着されている。
「俺はやれるぞ」自分を強く見せたいマッチョな連中が集まっているパーティーである。自分の強さをアピールしたい経営者や議員が次々とボクシングに参加し始めた。

「このパーティーに参加していたのは、立場上止められる状況になかった弱い従業員を除けば、テレビ局で殺された渡辺喜美社長、杉山澪議員、文化人の冨塚弘、作家の伊原崎、芸能人の平成孝也、そして今回殺された三橋社長と栗原秘書、佐々木専務…それ以外に今予告された曽根周子議員ともう一人、ビデオを撮影した人間なんだが…まだ顔がわかっていない…。こいつらがパーティーに参加していた。このビデオは捜査資料だ。外部には出ていない」
「つまりイタズラではないと…」
結城は言った。
「ああ…岩本本人の可能性が高いな」
長川は言った。
「でも酷い…障害者を相手に無理やりボクシングさせて死なせてしまうなんて。どうして警察は」
秋菜が声を震わせると長川は「県警は違うからわからんが、上からの圧力だろうな」と言ってのけた。
検察審査会への不服申し立ても、彼には遺族がいなかったからな。なされなかった」
長川はため息をついた。
「岩本がこの事件に関わっている人間を殺していると考えれば次に狙われるのは曽根周子議員ってわけだ」
「この人かな」
千尋タブレット端末でYouTube出して見せる。
「今ちょうどライブ配信をやっている」
 そこには貧相な白髪のオバサンがネグリジェ姿で震えながら訴えている。

―助けてください。岩本さん私を殺さないでください。私は罪を償います。警察で全てを話し、議員を辞職し、全てを話して法の裁きを受けます。お願いですから命ばかりは助けてください―

「あ、ワイドショーでやっている」
瑠奈が休憩室のテレビをつけると、「次に狙われるのは曽根議員か」という字幕とともにYouTubeのライブ映像が流れている。
「よっぽど助かりたいんだな」
結城は唸った。都はじっと前を見て真面目な顔で言った。
「うん、今度は絶対に死なせない。岩本君にこれ以上誰も殺させない」
「そのための会議になるのはもう一人のパーティー参加者。撮影者Aの特定だ。岩本にとってこいつも標的の一人のはず。そいつに成り代わって殺しに来るか、こいつを脅して殺させに来るか…。もう一人の撮影者の保護の為にも早急に割り出す必要があるな」
長川は立ち上がった。

 千尋の家に入院中の勝馬以外の探検部は集まって大洗にある曽根周子議員の邸宅を調べていた。
「大洗市街地の北側の丘の上にあるわけね。周囲は森でうわ。岩本さんが潜むには絶好の場所っぽい」
「それは大丈夫だそうだ」
結城は言った。
「上空からヘリコプターで森中を熱探知して、その映像を県警本部で分析して、岩本が潜んでいた李警官に成り代わろうとすればわかる仕組みだ。洋館内部には例によって最新式のセキュリティチェックがなされ、国際会議場と同等のチェックが行われる。さらに曽根議員は怯えて引きこもっているみたいで洋館の密室でガードされている形になる。ガスとかを送り込まれないように通気システムにもセンサーが走っているらしいぜ」
「すごい警備ね」
瑠奈が感心したように言った。
「県警はこのヤマで岩本に決着をつけるつもりだろうな」
結城は言った。
「それに曽根議員は安全の為にYouTubeでこまめにライブ配信しているみたいだしね。映像に部屋のテレビまで映して、ライブ映像だとアピールしているし」瑠奈はYouTubeを見る。
「つまり、部屋で何かあれば一発でわかるってわけか」
「ネットでは岩本が議員を殺すところを見ようって言っている人もいるけど」
千尋は人間のグロテスクさにため息をつく。
「だが、岩本もこれを突破する算段はつけているんだろうな。恐ろしいとんでもないトリックで」
結城は歯ぎしりする。
「うん…曽根議員の命を守るためには何か発想の転換が必要なんだよ」
都は声を上げた。

12月11日―。
 大洗は快晴に恵まれた。警邏パトカーに先導され、長川が運転するセダンは大洗を走る。都と結城は後部座席に乗っていた。
―さて、いよいよ殺人鬼岩本承平の予告した曽根周子議員殺害の11日となりました。大洗には厳戒態勢が敷かれ、多くの装甲車や機動隊員が出入りしています。果たして県警は今度こそ岩本容疑者から被害者の命を守り通すことが出来るのでしょうか。
 大洗観光ホテルの集まる場所から陸に上がる坂道で警察によるトランクチェックや車体の下のチェックが行われる、第一関門。坂道を上がって洋館の前に車が停車し、靴まで脱がされて徹底的に調べられ、荷物は有無を言わさず預けられ、衣服だけで手ぶらで中に通される第二関門。そして今回殺人予告された曽根周子議員が引きこもっている部屋のドアのベルギー製の電子ロックが厳重な最終関門。
「お嬢様、茨城県の女子高生探偵島都さんと助手の結城竜さん、県警の長川警部を連れてまいりました」
執事の沢辺倉之助(61)がインターホン越しに声をかける。ドアのロックが外れる音がした。
「入って」
物凄いお香の匂いとお札が張り巡らされた異様な部屋がそこにあった。ソファーに座り布団の下から綺麗な足を延ばしながら、65のオバサン議員はやつれた顔と白髪でこっちを見た。両手はタオルの下に隠され、何かを握っている。結城は「拳銃だ」と直感した。扉が締められる。

少女探偵島都劇場版2 岩本承平の殺戮 2


3

「実はもうすぐつくば市で国際燃料資源会議が行われるのですが、その会議に出席する電経グループ社長三橋信一を私は殺そうと思っているのですよ。この男は女性社員を4人も過労死させた過労死規則、厳十戒を作っていた確信的殺人者でありながら、刑事罰は受けていないですからねぇ」
岩本は淡々と発言する。都は彼を睨みつけた。
「ですが、都さん、あなたはテレビ局の殺人事件を阻止できなかった悔しさにさいなまれているでしょうからリベンジの機会を与えたいと思ったのですよ。だってあなたはいつかこの僕を捕まえて終わりにしてくれるであろう唯一の存在なのですから」
平成孝也の顔が不敵に笑う。都はじっと殺人鬼を見つめて言った。
「一つ聞いていいかな。岩本君、今まで大勢の人を殺してきたけど、それは岩本君なりの理由があったからだった。今回の事件みたいにゲームのように殺人事件を起こして、私にわざわざ殺人を予告するなんて事をした理由絶対あるはずだよね」
「ふふふ」
岩本は曖昧に笑うだけだった。
「僕があなたに伝えたかったことはこれだけです。12月8日土曜日。つくば市国際会議場で開かれる国際燃料会議の会議場で、電経グループ会長三橋信一を殺害する。その予告です。あと、今から1時間は通報を控えていただきたい。1時間経てば長川警部に通報して、この殺人予告に対処するための対応をしてください。瑠奈さんのバイト先の店長の命はその担保にさせていただきます」
岩本はポケットからイヤホンを取り出して喋りだした。
「良かったですね。あなたがハラスメントをしていた女の子の友人が慈悲深い人で。警察に助けられたらあなたが今まで従業員の女性にしていたハラスメントを全て告白し、全財産を被害者に均等に振り込んでください。もし罪や償いから逃れようとしたり被害者の尊厳を踏みにじるようなことをしたら…僕にはすぐにわかりますからね」
岩本はイヤホンを公園の土の上に落とすと靴で踏みつけて壊した。そして顔を上げると都と目を合わせ、ふっと笑った。
「都さん…期待していますよ」
岩本はそういうと暗くなりつつある公園の闇に向かって走り出した。
「岩本君!」
都は声をかけたが結城に止められた。
「この調子だと奴を暗闇で見つけ出すのは不可能だ。それに俺たちは今人質を取られているしな」
高圧線鉄塔には影になった不気味なテルテル坊主が見える。

 1時間30分後、警察のパトカーのサイレンが響いた。電力会社の職員と消防が吊り下げられたままの店長を励ましている。
「被害者は命には別状はありません」
鈴木刑事が長川に伝える。
「これだけの事をして都を呼び出すんだから、間違いなく悪戯とかの類ではない…本物の岩本承平だな」
女警部は険しい顔のままだった。
「奴はまた殺人を犯すつもりか」
長川は都に聞いた。
「うん、間違いない。岩本君は三橋社長を土曜日の重要な国際会議の場所で殺害するつもりだよ」
「日本が議長国の重要な会議だぞ。今度は世界中に生の殺人を配信するつもりか」
長川はため息をついた。
「そんなことは絶対にさせない…」
都は鉄塔を見上げながら言った。
「そうだな。今度は絶対阻止しないとな」

 茨城県警本部は水戸市の南にある県庁のすぐ横の新しい建物にある。
「岩本承平、現在23歳。幼いときに母親から育児放棄され、虐待事件で近年有名になった恩顧園という孤児院で幼少期を迎えています。小学校中学校といじめに遭っていたようで、中学卒業後、栃木県の株式会社「世界商事」に入社しますがここでも虐待を受けていたようです。今年の初めにこの会社の社長夫妻や幹部が取引先とのトラブルで会社員の19歳の女性を殺害。彼女の復讐を動機として岩本は社長夫妻他1人の幹部と栃木県警警部鷺沼敦を殺害しています。4人を殺害した容疑で死刑判決を受けていますが、別のカルト教団の東京拘置所襲撃事件の混乱状況下で脱獄。以来殺人を繰り返し、被害者は既に100人以上。我が国の戦後史上最悪の殺人被害者を出しています」
捜査一課本部で長川朋美警部が説明をした。
「岩本承平の容姿ですが、冬山で少女を救ったことによる凍傷で顔が崩れて骸骨と形容されるほど特徴的な表情をしています。一見すると目立つように見えますが厄介な点は、この男は別の人間の顔を酸で焼いたり皮と肉をそぎ落とすなどの残虐な方法で自分の見せかける、つまり他人を無理やり変装させるのに適した顔だという事です。さらに彼自身別の人間に成りすます変装の名人であるという非常に厄介な特技を持っています」
「非常に厄介だな」
参事官がため息をついた。
「まるで神出鬼没のアニメの世界の怪盗じゃないか」
「いいえ。この男はアニメのように誰にでも変装できるわけではありません。まず身長が182㎝と大柄でこの体格の人間が変装できる人間は日本人でも限られます。さらに最大の難解としてこの男にメイキャップの技術があるとは確認されず、変装相手を殺害し、その頭部を3Dスキャンしたゴムマスクを着用し変装しており、つまりその場で次々別の人間に成り代わるのが難しいという事です。つまりこの傾向を知っていれば十分対処は可能だという事です。さらに岩本は過去にハラスメントや暴力によって人を死に追いやったり性暴力をふるいながら罪を償っていない人間のみを殺害するという傾向があり、そういう事をしていない人間に成り代わることは現実的に有り得ません。つまり、我々はこのような反社会的な人間を事前に抑えておき、奴の変装を不可能にすることが、殺人を阻止し奴の動きを封じる重要な切り札になると考えられます」
「警備は主に警務部の仕事だ」刑事部長は言った。
「我々の仕事は岩本が変装しそうな人間を奴の先手を打って保護し、奴の動きを封じ、しっぽを出したところを確実に逮捕するのだ」
「はいっ」
県警の刑事たちは立ち上がった。

 12月7日金曜日早朝。
 警察車両のリアシートに都と結城を乗せ、長川と鈴木は茨城県ニュータウンの道路に車を走らせていた。
「岩本君が殺害して変装しそうな人間で三橋社長と当日国際会議に出る人が2人いるんだね」
都は言った。
「その人物にこれから会って、なんか怪しい点があれば指摘してもらおうと思ってな」
長川は言った。
「学校に直接頼んだから公欠扱いだ。いいだろう」
「でも眠いよー」
都はうつらうつらしている。その家は文化住宅で家の前には警察官が2人待機している。

「あなたが佐々木穣一専務ですね」
「ええ」
リビングのソファーで眼鏡をかけたデブの男、佐々木穣一(51)はパジャマ姿で冷や汗をかいている。
「ええと、今日は会社に行かないんですか?」
「冗談じゃない。もう社長のそばになんか行きませんよ。あの社長のしでかしたことに巻き込まれて殺されたんじゃたまったもんじゃない」
「社長のしでかしたことって、下儲け会社の施設で行われたパーティー会場で、障害がある従業員を一方的に殴るボクシング大会やって、その従業員を死亡させた事件ですか」
「あれは従業員の死亡と因果関係はないでしょう? 警察もそう考えて不起訴処分にした。私は死んだ従業員に『いやならやめていい』って言ったら、『僕はボクシングはうまいんですよ』と言ったんです。彼は楽しそうに社長たちと戯れていました」
「刑事さん、この人の言っている事は本当です」
妻がお茶を出しながら言った。
「この人は私にも娘にもとても優しくて、虫も殺せないような人なんですから」
「奥さん、私たちは別に旦那さんを糾弾しに来たんじゃない。その命を守るために来たんです」
女刑事は理解を求める。「ですから、可能な限り協力していただかないと」
「お姉ちゃん…」
小学生のランドセルを背負った女の子が都の手を取る。
「パパ殺されちゃうの?」
都が目をぱちくりさせる。
「みどりが学校に行っている間にパパは殺されちゃうの?」
凄く心配そうにしている。都は優しくみどりの頭をなでなでした。
「大丈夫だよ。お父さんは絶対殺させはしないから…約束する」
「うん」
都はみどりと指切りげんまんをした。
「指切りげんまん、嘘ついたら、ハリセンボン飲ます、指切った♪」
結城はその様子を微笑ましく見ていた。奥さんが娘の手を取って玄関に向かう。
「娘は私がいなくなったら悲しむ。会社は俺がいなくなったところで悲しみはしない」
「確かにそうですね」
結城は言った。
「でもあなた方に殺された従業員の野畠和人さんだってそう…」
「彼は天涯孤独だった」
佐々木はぴしゃりと言った。
「悲しむ人間はいなかった。だからあの件は終わったことだ」
都は振り返った。彼女はさっきまでリビングのピアノの上の写真立てを見た。楽しそうにみどりと滑り台で遊んでいる写真を見ていいお父さんだと思っていたのに、こんな言葉を聞いてとても悲しくなった。

「奴は大柄だし、十分岩本が変装できる人間ではあるな」
結城は車に乗り込みながら都に言った。
「でも当日佐々木さんは会場にはいかないつもりみたいだし、それに奥さんとみどりちゃんを騙すなんていくら岩本君でも無理なんじゃないかな」
「確かに」
結城はため息をついた。
「佐々木の仕草や声を外部から観察する事は可能かもしれないが、家族まで騙すなんてことは出来ないはずだしな…でもよ…脅されているって可能性はないか?」
結城は都に言った。
「みどりちゃんは今日も学校へ行くんだよ」
都は目の前を取っていく集団登校の黄色い帽子の列を見て言った。
「安全な学校でなら、先生に助けを求める可能性だって十分あるはずだし」
「違うか…警部。もう一人は」結城が聞く。
「すぐ近くだよ」
長川は運転席に座った。「もう一人は栗原安美。三橋社長の個人秘書だ。今日安全のため送って行く事になっている」
「安美って…」

車が駅前の高級マンションの前に停車すると警官2人に囲まれて若い女性、【栗原安美 社長秘書 27】がスーツでびしっと決めて車に向かって歩いてきた。
ごきげんよう
栗原は余裕の表情だった。多分自分が狙われている本人ではないから警官が護衛すれば岩本も他の方法を探るだろうと思っているのだろう。
「ふふふ、良いわねぇ。警察官に護衛してもらって楽に会社に行けるんですもの」
結城がさっき聞いたところによればこの女もパーティーの余興のボクシングで栄養不良でやせ衰えた野畠和人にボクシングをするように強要した一人らしい。それなのに他人事と来たものだ。
「あら、あなたたちは? どう見ても高校生とかにしか見えないけど」
「いろいろ捜査に協力してもらっているんです。一応仲良くしてあげてください。あなたの命を守ってくれる高校生ですから」
長川は苦笑した。
「そう、でも降りて頂戴ね。私、もうすぐ社長夫人になるんだから優雅に行きたいの。あ、会社行く前に引きこもりの馬鹿専務の所へ。仕事書類を貰いに行きたいの」
「すまんな都、結城君。一応警護対象者だから」
長川はそう言って2人にタクシー代と食事代に5000円を渡した。その間鈴木と警官が油断なく周囲を見張る。
 走り去っていく車を見送りながら、5000円札でパフェ食べようとはしゃいでいる都を他所に結城はため息をついた。
「あの華奢な体形に岩本が変装するのは無理だな」

4

 12月8日土曜日。
 テレビのニュースでは世界燃料会議の様子が生中継され、最新鋭のセキュリティー機械によって武器の持ち込みが厳しく制限され、さらに顔認証システム、指紋認証システム、網膜認証システムで変装した上での入場は不可能な最新技術の説明がなされていた。
「なるほどな」
結城は会場の前でため息をついた。エントランスホールの前に作られたセキュリティーゲートに招待客が厳重さのあまり戸惑っているのが見える。
「Ⅹ線検査では招待客の持ち物が全部スケスケに透過されてチェックされているし、警官は3D拳銃やその分解した部品を頭に叩き込まれた人間がチェック、顔認証や指紋認証、網膜認証で徹底チェックとくれば岩本の変装がうまくいったとしても入れないわけだ」
「おかげで私も入れないんだけどね」
都はぶーと顔を膨らませる。
「私は社長夫人よ!」
栗原安美が傲慢でつんつんした態度で警備の警官に迫るが、警官に持ち物のバッグを見せるように言われて、しぶしぶ見せた。
「ほら、専務が設計した新しいハイドレート燃料精製工場のジオラマ模型よ」
栗原は模型を見せると警察官はスマホで何やら確認し、画面とジオラマを見比べてこれを通した。
「私も言ってこようかな」
都はずかずか警官に「私は社長令嬢よ、入れてくれないなんてあなたたちを首にしちゃうわ」と精いっぱいガブリエルのママみたいな声を作ったが、警察官は「ハイハイ」と言って無視した。さらにむくれる都ちゃん。
「パッチワークだらけのこの服で社長令嬢は無理だべ。大体社長は独身。さっきの秘書は愛人って噂だ。それにしても…さっきの秘書がジオラマ持ってきたって事は…やっぱり専務はこないんだな」
結城はため息をついた。
「あ、長川警部」
都は手を振った。知り合いの女警部がにこやかに都の手を握る。
「悪いな。協力させちまって」
「大丈夫だよ。私と長川警部の関係はねっとりした関係だし、岩本君にこれ以上人殺しをさせたくないしね」
都は言った。
「こいつ、まだ謎が残っているって考えているんだ」
結城はため息をついた。
「岩本が都に殺人を予告した理由か」
長川はため息をついた。
「テレビ局の時からも思っていたんだけど、岩本君はこんな愉快犯的な殺人ゲームなんてする人間じゃない。人を殺すときには本当に人目につかない方法であっという間に殺しちゃう」
「それじゃぁ飽き足らなくなったんだよ」
長川は言った。
「人を大量に殺し過ぎてただ殺すだけじゃつまらなくなった。だから都と警察に挑戦しようだなんて思い立った」
「そうかな」
都は思い出していた。初めて岩本君の犯罪を暴いたときだった。彼は泣きながら都に言った。
―おかしいですよね。自分がどんなに虐待されても悲しくなかったのに、理沙さんを殺された時、よくわからない心がずたずたにされるような何かが湧いてきて、止められないんです―
「岩本君は絶対に殺人を楽しんだりする人じゃない。そう見せかける事には何か恐ろしい理由が隠されているんだよ」
都は必死で考えていたが思い浮かばないようだ。彼女が焦って思案するなんて珍しい。完璧な警備のはずなのに、そんな彼女の仕草が結城を不安にさせた。

「とととと」
封鎖された道路の前で婦警に止められ薮原千尋はキムコの原付を止めた。
「この先は立ち入り禁止なのよって、千尋ちゃんじゃない」
中村桃子巡査が笑顔で前の事件で知り合った女子高生に挨拶した。
「中村巡査…愛奈ちゃんは元気ですか」
「ええ、今日は林間学校に行ってるわ」
「でもすごいですねぇ。20歳なのに愛奈ちゃんを引き取るなんて…。あ、この先に私の友達の島都ちゃんがいるんだけど」
「だーめ」
中村はきっぱり言った。「携帯電話で呼び出したら?」
「それしかないわね」
千尋は遊歩道に原付を転がして携帯電話で都を呼び出した。
「都…どう、腹は減っては戦は出来ぬ。カレー弁当買ってきたよ」
「うおおおおおおお、お昼ご飯だぁぁああああああ」
都が規制線の中から飛び出してきた。結城がはほはほと追いかける。
「お疲れーーーー」
千尋が手を振った。

燃料会議が盛大に始まり、各国の担当官がスピーチをしている。その際中、【三橋信一 電経グループ社長 44】は警官が守り固める控室で落ち着かない感じで座り込んでいる。その時ドアががちゃりと開いた。
「信一さん、私よ」
艶っぽい声で栗原が言った。
「良かった。君か」
「会いに来ちゃったわ」
うふんと栗原は目配せすると三橋は後ろの警護の警察官に
「君たちは外で待っていてくれたまえ」
と促した。

勝馬君、急いで急いで」
結城の従妹の結城秋菜が国道を走るバイクの後ろで北谷勝馬を叱咤する。
「秋菜ちゃん。中学午前授業サボっていいのかよ」
勝馬君だって補習授業サボっていいの?」
2人でハモった。
「「いいに決まっている。都さん/師匠が俺/私の力を必要としている!」」

「なるほどねー。燃料会議ってこういう会議なんだぁ」
都が遊歩道のベンチで千尋スマホを覗き込んで感心したように言った。
「石油が枯渇したら癌の薬やプラスチックもなくなってたくさん死んじゃうから、車動かす燃料はメタンハイドレードに変えていこうっていう会議見たい。メタンハイドレードっていうのは海の底にある新しい燃料で、日本はその埋蔵量は凄いんだって。そして掘り出したメタンハイドレードを燃料に精製する工場が今度つくばに完成するこの工場ってわけ」
都はタップされたスマホの液晶画面に書かれた工場の想像図を見た。都はその工場の完成予想図を見ていて、何かを思い出していた。それは…」
「結城君!」
都は走り出した。物凄い形相の都に結城は大慌て。千尋に食べかけのカレー弁当を渡して都の後を追いかける。規制線を飛び越えた都は携帯電話で長川警部に
「長川警部! 今すぐ栗原秘書を捕まえて!」
「どうしたんだ都」
長川警部がエントランスで携帯電話に出た。都は絶叫に近い声で
「栗原秘書が三橋社長を殺すんだよ!」
「なんだって?」
唐突な都の発言の直後、エントランスのセキュリティから出てきた栗原秘書を見かけた。
「栗原さん! ちょっと待ってください」
長川が呼び止めた直後、栗原は手にした銀色の3D拳銃を長川に向けた。長川は咄嗟に柱に隠れるが、そのすきに栗原は走り出し、エントランスから入ってきた都を突き飛ばした。
「待て」
都を突き飛ばされた怒りで結城が追いかけようとするが、栗原は銃を結城に向け、都は咄嗟に結城の足を掴んですっころばせた。
「ぐあっ」
栗原は規制線から飛び出すと、キムコにまたがろうとしていた千尋を突き飛ばし、原付バイクを奪って走り出した。
「きゃっ」
千尋が突き飛ばされるのを見た勝馬と後部席の秋菜。
千尋さん」
秋菜が飛び出して倒れている千尋を助け起こす。
「おのれーーーーー。よくも千尋さんをおおおおおおおおお」
勝馬がバイクをふかして追跡する。
 長川は千尋に駆け寄りながら無線で指示を出していた。
「都! 大丈夫か、都! 都!」
結城が都を助け起こすと都は結城の袖をつかみ上げてかすれた声で叫んだ。
千尋ちゃんが見せてくれた新しい工場。あの工場の建物がいつかテレビで見た3D拳銃の分解図に…そっくりなんだよ!」

 千尋のバイクをパクった栗原は遊歩道を爆走していた。大勢の休日の歩行者が慌てて避けていく。
「待て待て待て!」
勝馬がバイクでそのあとを追いかける。出力なら勝馬が圧倒的優位だが、栗原は原付の小回りを生かして人の間をすり抜ける。周りの人にぶつけない為に勝馬は見失わない程度に追跡するのがやっとだった。センターの歩行者天国から階段を無理やりガタガタ下って、バスターミナルの所に出た時、バスターミナルのサークル内にパトカーが入り込んで包囲しようとする。栗原は悲鳴を上げながら歩道を突っ走り、いきなりサークル北側の3車線の道路に飛び出した。
「うわぁああっ」
赤いミニバントラックの運転手が悲鳴を上げ、車が横転する。それを尻目に原付バイクはさらに道路を逆走し、ミニバントラックを避けようとした路線バスが中央分離帯に、さらにバスを避けようとした白いセダンが飛び出した原付に驚いてスピンし、セダンのトランクに乗り上げてピンクのミニが横転する。
「無茶しやがる、死ぬ気かよ」
勝馬は路側を走って信号が赤なのを確認して、原付と一緒に本来の車線に入り込み、そのまま都市トンネルに入った。赤いライトが灯るトンネルを爆走する勝馬
「そこのバイク、路肩に避けて止まってください」
後ろからパトカーがサイレンを鳴らしていく。
「逃げられんなよ、アブねぇぞ」
勝馬はパトカーに道を譲った。

 控室の前で長川警部は警備部の警官に警察手帳を見せた。
「長川。ここは警備部の管轄だ。捜査一課は引っ込んでいろ」
「社長の無事を確認したい。いいから早くしろ!」
長川の剣幕に押されて警備部の警部は「社長、失礼します」とドアを開けると、そこでは脳みそを撃たれて目玉が飛び出した社長の射殺体が転がっているのが見えた。
「何」
警備部の連中がうろたえ震える声で電話する中で、女警部は歯ぎしりした。
「遅かった」